3-12

「ステイ!」


 広場入口から大きな声が聞こえた。スラリとした身体にスポーツウェアをぴたりと身に着けた女性が、片手を突き出し立っていた。


「ステェェェェイッ」


 一度目の声を聞いたハズレちゃんはよく訓練された警察犬みたいに動きを止めたのに、その女性はもう一度念を押した。片手を突き出したままこちらにずいずいと歩いてくる。かぶったキャップのうしろから垂れ下がったポニーテールが、それこそ競走馬のように優雅に揺れる。


 そのモデル歩きと、鋭角なスポーツサングラスには見覚えがあった。そしてなによりも、この突っ走りがちな女子中学生と行動をともにしている女性といえば思い当たるのはひとりだけだった。


「なんでそうすぐに突っかかるんですか」


 その女性はハズレちゃんの両脇に手を差し込んで、おいたをした猫にそうするみたいにそのまま持ち上げた。ハズレちゃんは持ち上げられるとぴんとまっすぐな姿勢になって、そのまま地面に立たされる。


「しかしお姉ちゃん。かような悪は見逃せないですよ」ハズレちゃんは口を尖らせて言った。「むずむずします」


「ですがね、すぐさまの暴力はいけませんよ。暴力はすべてを破壊しますがあなたのこともいずれ破壊します」


「知ったふうですね」


「知ってますからね」


 女性はサングラスとキャップを取ると、ぺこりと頭を下げた。


「大変な粗相をお許しください」


 指圧のおじさんは「あ、うん? おお」と納得のいかないような顔をすると、なにかに気がついたのか、片眉を吊り上げて得心したような表情になる。「なるほどな」

 いったいなにに得心したのかは僕にはわからなかったけれど、もしかしたらハズレちゃんとこの綺麗な女性の関係性を見抜いたのかもしれなかった。




 ハズレちゃんことオオハス・レインという女の子について説明をしたほうがいいと思う。でも、なにぶんいろいろなものが込み入っていてなにから説明すればいいのか迷ってしまう。


 情報を出し惜しみもせず簡潔にまとめると、彼女は僕の知り合いの幼い頃の姿だった。その知り合いは皆からハスコさんと呼ばれているので、僕もハスコさんと呼んでいるけれど、本名はハズレちゃんと同じオオハス・レインだった。漢字も同じだ。


 端から見たら姉妹か親戚に見えなくもないだろうけれど、いま僕の目の前にいる──ポニーテールの女性とツインテールの女の子のふたりは、住む世界や年齢こそ違えど同一人物だ。


 ハスコさんは僕や先輩やトォタリさんと同じ〈王さま〉だった。そして僕ら四人の中では一番未来からやってきていて、一番年上(二十代後半)だけれど、生まれ年でいえば一番年下だった。だからなのか、彼女は僕らに対していつも敬語で喋っていた。


 ハスコさんは〈王さま〉だから皆と同じように時空間を行き来できる。


 でもハズレちゃんは〈王さま〉じゃないからできない。


〈王さま〉になれるのはすべての並行同位体のなかでただひとりだとかなんだとかという話をこのあいだ先輩から聞いた気がする。彼女がどうしてもうひとりの自分と──それも僕が生まれ育った世界に生きる普通の小学5年生の自分と接触したのか、理由はよくわからない。気がついたら僕もハズレちゃんとも接点ができていて、連絡先も交換していて──という感じになっていた。


「わたしからは言えませんようお姉ちゃんとの秘密なんですから」とハズレちゃんはいつぞやクリームソーダを突き崩しながら言っていた。「ねーっ」


 同意を求められたハスコさんは「ははは、はあ」と曖昧に笑い、メガネの位置を調整していた。




「すまねえな少年」と言って指圧のおじさんは軽く会釈をした。「手荒な方法だがおれは足裏で読むンだわ」


 彼はしゃがみ、ごつごつとした指に挟んだ銀色の鍵と音叉を返してくる。


 先輩は、あーいたたと本当に痛そうにしながらブーツを拾い集めて履き直していた。先輩はきれいな眉をひそめ、敵意を隠そうともしないで訊く。


「おじさん、何者?」


 指圧のおじさんは軽くため息を漏らした。


「姉ちゃん」


「は?」


「あー、なんだ……まあ、悪いことは言わねェ」


「はあ?」


「ちと、組み合わせがまずいんじゃあないか。〈器〉と〈鍵〉はよ」


「…………」


 真面目な話なのはわかるけれど、僕はどうにも話に割って入れなかった。でも指圧のおじさんが僕について、先輩に注意しているのはわかる。


 鍵については先輩もよくわかっていないという。僕が通う高校の屋上の鍵かと思っていたら、先輩が支配している屋上にもやすやすと介入できてしまう。先日は君臨号を解放し、僕は君臨号と一体化した。当の君臨号は何か知っていそうだけれど、詳しく追及したことはない。まだ。


 先輩も、本当は何か知っているんじゃないだろうか。先輩が僕に嘘をついてる可能性はないだろうか。先輩はそういう人だし。


 一切感情をうかがわせない彼女の表情が、無機質にぴたりと張り付いたものに見えた。でもそれは見間違えだったのかもしれない。ややあってふてぶてしく微笑んだ。


「まあ、受け継いだのは彼ですし、なにかあればぼくが助けますよ。それが先輩としての役目ですから」


「……ま、おれには関係ェねえがよ」


 おれはこれ以上干渉しない。そう言いたげだった。


 そういえば、


「さっきあの像に何やってたんですか?」


 僕は、指圧のおじさんが怪しい施術をしていた裸像を指差した。


「それ、ぼくも気になってた」


 と先輩。


「流れ、ですよね」


 背後からハスコさんが言う。振り返るとハズレちゃんは君臨号を撫でていた。君臨号は靄っぽい口をくわわと開き、大きなあくびする。


「ハスコさんちっす」僕は挨拶をする。


「うん。ちっす。ふふ」ハスコさんは微笑み、手を軽く振る。


「ハスコ、今晩ご飯でもどう?」先輩は言う。ハスコさんは最近忙しくて、週末にいつものメンツ──主に僕、先輩、トォタリさん、ハスコさんの四人──で集まってご飯を食べる機会が減っていた。


「結構行きたいんですけど、実は自分の世界ホームで別件の集いがあるんです」


「そか、じゃあまた今度だね」


「ええ。……あー、で、気の流れ、ですよね。たぶん」


「わかるのか?」指圧のおじさんが片眉をあげて感心したように言った。


 ハスコさんはうなずく。どこか、宿題をちゃんとやってきたこどものような、そんな得意げさが含まれていた。


 おじさんが言うところには、公園や駅前や街の公共スペースに点在する彫刻作品は、その街の“気の流れ”の影響を受けるらしい。公共彫刻に悪い“気”がちょっとずつちょっとずつ蓄積していくので、肩こりや足のむくみを解消するように、定期的にメンテナンス──つまりマッサージをしているらしい。本業も整体関連らしい。


 へー、と僕は感心して気がつく。先日、先輩と話しているときに話題にあがった〈町の神さま〉という存在が目の前のおじさんなのでは。


「神?」おじさんは僕の質問にさてはてと言いたげな表情になり、頭をぽりぽりかく。「たいそれたもんじゃあない。単なる整体屋のおやじだよ」


 本音のなのかはぐらかしなのか。まあ、これ以上詳しく聞いてもなあという気もする。


 おじさんは僕と先輩にはたらいた突発的な足つぼマッサージについて再度ぺこりと謝る。ハズレちゃんは「弟子っ、弟子にしてくれ!」とやたら息巻いていて、その後ろではハスコさんがこらこらいけませんとたしなめているけれど、でも本気には見えなくて、むしろおじさんに回りくどく進言しているようにも見えた。


「あれ、ハスコ、間違いなくおじさんとなんかあったね。元の世界で」


 先輩がこっそり耳打ちする。


「っぽいですよね。でも何かって?」


「さあ。でも、敵対関係にはなさそうだけど」


 そうだったらいいなと僕は思う。


 別の像のマッサージに向かうおじさんのあとを、ハズレちゃんがツインテールをぶんぶんさせて子犬のように追いかける。ハスコさんもポニーテールをゆったり揺らしながらあとをついていく。「また!」と僕と先輩は言う。三人は手を振ったりしてそれに答える。


 君臨号は消えていた。いつのまにかウォークマンの再生も止まっている。トマソン探知用の音叉が無事発見できたので、勝手に消えたのだろう。鍵のこととか、あとおじさんが言っていた〈器〉云々についてたずねたかったけれど、それはまた今度でもいいだろう。


 先輩の横顔を見る。それに先輩が気がついて「なんだい?」と訊く。先輩はやっぱり僕に何か隠している……間違いなく。それについて馬鹿正直に訊いたところで、彼女がちゃんと答えてくれるとは限らない。

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