3-7
「さて、記録と楽しい観測が終わったので、つぎは移動です」先輩が口調もそれらしくして、改めてレクチャーを行う。「トマソンは無用なものですが、なぜかぼくら〈王さま〉はここを通して、さまざまな世界に行くことができます」
時空を行き来できる万能の〈王さま〉とはいっても、それは自分が支配した“場所”を通じて移動できるに過ぎない。
「もちろん、それ以外にも別の世界に移動する方法があるよね、キルシくん」
ひとつめ。ほかの〈王さま〉に連れて行ってもらう。
ふたつめ。〈王さま〉とは別の存在、案内役とも呼ぶべき人智を超えた存在──ぼくは黒くてもやのかかった、曖昧な姿の黒い獣を思い出す──に連れて行ってもらう。
みっつめ。〈王さま〉はゲームをしている。アクションゲームでステージが変わったりするように、アタックをかけるステージやらミッションやら大会などに応じて、システム側に転送してもらう。
「うん、そうだね。でもキルシくん、実はよっつめがあるんですよ」
よおく思い出してね? と先輩はつづけた。
「よっつ、め? ……あ、あー」
僕は、先輩は丁寧な口調になってもかわいいなと思いつつ、先輩と会ったばかりの頃を思い出した。約二ヶ月前の、このゲームのことも〈王さま〉のこともなにも知らなかったときのこと。そのときにふれたもののことを。
世界は不安定なので、あちこちにひずみができてしまうらしい。そのひずみは簡単に言えばワームホールみたいなもので、別の次元にある世界とつながっている──なんて書くとあたかも侵略SF映画の冒頭みたいだけれど、実際そうなってる。呼称はたくさんあるけど、多くの人は“窓”と呼んでいた。
「トマソンも“窓”の仲間みたいなものです。トマソンはちゃんとトマソン同士と繋がっているので、やや不安定ぎみな“窓”とはそこが違う、という感じです」
「トマソンにふれたら、トマソンから出てくる……?」
「そういうことです……というわけでキルシくん、ものは試しだよ。いっちょ行ってみよう」
ほれ、と先輩は手を差し出した。シャツの裾で自分のてのひらをぬぐって、握った。
「やり方はいつもやってるダイヴと同じ感じで大丈夫だよ」
「はい」
「集中して、そのなかに沈み込むように、でもどこか別の場所を希求するように──」
塗り固められた矩形の内側に、お互いの手を握っていないてのひらをぴたりとくっつけて、
ずず──
その身を一気にあずける。沈む。
「あたーっ!」「あいたーっ!」
そんな間抜けな声をあげながら、転送された僕らは固いなにかにぶち当たって跳ね返り、また固いものにぶつかって跳ね返った。
額と肩の痛みに顔をしかめつつ目をゆっくり開くと、そこは狭い空間だった。
電話ボックスだ。四方が透明でなかが丸見えの、よくある電話ボックス──いや、ほかの電話ボックスと違うとしたら、緑色の公衆電話が設置されていないことだろうか。
扉は黄色と黒のテープで塞がれていた。X印に貼られたそれは、絶対に入るなという強いメッセージが込められていた。
「うーむ、なんだかへんなところに出ちゃったねえ」先輩は腕を組み、壁にもたれかかる。ふうとひといきつく。「しかも、やたらと暑いし」
転送された場所は見た感じオフィス街の一角だった。その歩道上に電話ボックスは設置されていた。こっちも夏なんだろう。透明なガラス越しに見える太陽はぎらつき、そして電話ボックスのなかはむしむしとしていた。息をするたび、熱くなった空気で肺が満たされる。
「出たいですね。出ていいのかな」
「出ないとまずいね。熱中症も心配だよ」
「このテープ、切っていいんですかね」
目の前には工事現場がある。建物が密集したビジネス街にしては珍しく、白い仮囲いは横に広く、縦に長い。そうとう大きなビルを取り壊したか、あるいは建てようとしているのがわかった。すぐ横の歩道は車道に出やすいよう傾斜になっていて、さらに工事用車両が通りやすいようにガードパイプは取り外されていた。この電話ボックスは工事のため撤去されるらしい。だからこうやって、テープで扉が開かないようになっている。
先輩がいつものように、腰にぶらさげたホルスターからハサミを取り出そうとしたところで「あれ、えっ? えっ、なに?」という声が外から聞こえた。そこには灰色の汗ばんだ作業着を着たおじさんが立っていた。「えっ。どうやって入ったの。え、え」と困惑の声を出しつづけている。
「あー……すみません、僕たちなんだか出れなくなっちゃいまして──開けていただけないでしょうか?」
「え、え、いいけど……え、なんで入ってんの?」
と言いつつも、おじさんはいそいそとテープをビーッと剥がして、さらに扉を開けてくれる。
「えーっ? 暑かったでしょ~っ」
「いやあ、真夏の電話ボックスなんて入るもんじゃないですよほんとうに」と言いながら先輩は僕の脇の下をくぐりながら外に出た。
「そうだよねえ暑いよねえ」とおじさんは言っているけれど、電話ボックスの中になんで僕らがいたのか気になって仕方がない様子だった。いきなり怒らず、なんだかずっと困ったような笑顔をずっと浮かべているあたり、きっといい人なんだろうと思った。
「ありがとうございました」と僕は先手を打って頭を下げる。先輩もつづけて「感謝いたします」とぺこりとやる。
「あ、いや、まあ、うん。まあ、つぎからはさ、気をつけてね。ここ、入っちゃいけないからね。それじゃあね」
あ、はい、おじさんも熱中症とか気をつけてくださいね、と挨拶してびっくりするほどすんなり僕らは別れた。心持ち早足でその場を離れ、角に入ったあたりで一斉に「ふう~~!」と大きく一息ついた。
「びびった~」
「怒られるかと思ったねえ」
緊張が解けた先輩はくすくすと笑いながら、楕円形のミリタリー水筒を取り出し呷った。僕もバッグから魔法瓶を取り出すと、麦茶をひとくち飲む。ひんやりとしたそれは僕の喉をするりと通っていった。もうひとくち、もうひとくちと呷る。そのたびに、麦茶と一緒に入れた、もう溶けかけている氷がなかで翻弄され、からりからりと気持ちのいい音をたてた。つづけて塩分補給用のタブレット(スポーツドリンク味)を口に放り込んだ。まだ麦茶の風味が残る舌の上で溶けていき、口のなかがすこし変な感じになる。先輩にもひとつあげる。先輩は口に放り込むとすぐにタブレットをぼりぼり噛み砕いて、再び水筒を呷った。数分ほどそうやって、日陰で小休止をした。
行こうか。先輩に促されて僕は頷く。試しに、トマソン探知用の音叉で目についた鉄管を叩いてみる。かーんと開けた音が鳴って、振動はぼんやりとした方向に収束した。そっちにトマソンがあるんだろう。僕らは暑いアスファルトの上を歩き出した。
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