2-22
前方で禍々しく巨大な、炎の柱が立った。
それは轟々と渦巻き、この頑強な宇宙的道路に影響を及ぼしている。蟻地獄のようにぎりぎりと道路を飲み込もうとしているように思えた。道路が接続されたドン・キホーテも引っ張られ、スピードが一瞬落ちる。
こんなことができるやつは上位ランカーぐらいだ。
「お嬢か!?」誰かが誰かに問う。だが誰も答えようとはしない。
キルシの足裏をとおして、火柱の中で戦っている存在を認識した。女性と――
「魚!?」
カジキマグロだ。
炎を纏った貴婦人は真っ赤な竜巻の中で巨大魚ともみあっている。埒のあかなさに、乾燥しきった黒焦げの唇が苛立ちでひん曲がる。
「――■■■■!」
彼女は口汚い言葉を発すると、カジキの鋭角な上顎を両手で引っ掴み、そして――膝でへし折った。
ぎぃぃん――! という金属がひしゃげたような音が虚空に響く。
備えろ。君臨号の忠告にキルシは走りつつも道路標識を構えた。緊張に尻尾がピンと屹立する。戦い方なんてわからないのに、すんなりと構えが取れる。これも君臨号と一体化しているからだろうと、ひとまず納得させた。
この世ならざるものの叫び声が、炎の怪人から発せられる。
地獄の竜巻はより勢いを増し、この五車線ある道路のうち四車線を占有するほど太くなる。回転速度も上昇する。
このままでは呑み込まれてしまう。
「……んだよ、今日は随分とはしゃいでんな」
ミイファはマスクの奥で苦笑した。
道路はだんだんと渦に巻き込まれつつある。貴婦人より先を走っていた強者たちだって必死だ。タイで一番速いタクシーの運転手は、バックミラーにじゃらじゃらとかけたお守りを一瞥した。義足の老人は、皮膚にきざまれた深い皺を流れていく冷や汗に感覚を集中させ、ひたすら脚を前へ前へと突き出す。
バック走行が間に合わず(そもそもそんなにスピードも出ず)、運悪く渦にほど近い場所を走っていたものは車体ごと飲み込まれ、もみくちゃにされながら巻き上げられる。
業火で一瞬にして焼き死ねれば楽だが、炎の貴婦人が発する火は呪いだ。彼女は炎と共生している/させられている呪われた人間だ――彼女の馬車を引く馬たちと、それらの手綱を握る御者も。彼女は呪われているが、その呪いをある程度あやつり、広められる。その火にふれたものは、じわじわと内側から焼かれつづける。そして――
竜巻から一台の燃えるスポーツカーが射出された。つづいて、炎に包まれたハーレーとそのライダーが。ほとんど骨だけになったカジキマグロが。新しい命を与えられたかのように動いている。
噴石のように飛び出た自動人形の残骸が一台のミニバンに降り注ぎ爆発する。
あちこちで同じように火の玉が着弾し、爆発が起きる。
焼かれつづけるカジキマグロがミイファに突っ込んできた。
アメフラシは側面からの攻撃には対処できるが、正面からの攻撃には弱く、それを対処するのはミイファの役目だった。アメフラシの体内から粘液まみれのガンラックがせり上がり、そこから取り出したスマートな形状のブラスターを構える。引き金を引いて加速弾を浴びせまくる。だが、間に合いそうにない。
歯を食いしばって覚悟する。いくらあとで生き返るとはいえ、あの貴婦人が放つ怨嗟の炎に身をじっくり焼かれるのは御免だった。
今回のゲームはここまでだ。
「間に合え!」
ミイファとカジキの間に黒い影が割り込んだ。携えていた棒をくるりと回し、アメフラシに突き立てる。
カジキは標識に衝突した瞬間まっぷたつに割れ、後方に飛んでいった。アスファルトに落ちていくと、爆発する。
黒い影――キルシは、二股に分かれた矢印が描かれた指定方向外進行禁止の道路標識を抜く。相棒を救ってくれたとはいえ、突然の乱暴にアメフラシが抗議の声をあげた。ごめんごめんとキルシは諌める。
黒くて顔面部分が変に尖ったヘルメットがぐにゃぐにゃと溶けていき、キルシの顔があらわになった。なんともバツの悪そうな顔で、へ、へ、と愛想笑いをしている。
「15号……」
謎の黒い怪人の正体があの国道15号を支配する気弱な少年だと知ってミイファは驚く。でも驚いてる場合じゃない。アメフラシが警告する。ふたりは前方に目を向ける。
レースを無事走り切るためには、ドン・キホーテにたどり着くためには、あれをなんとかしなきゃいけない。最悪、このままだとドン・キホーテまで炎渦に飲まれてしまいそうだ。
キルシの右の籠手が勝手にぐにょぐにょと動いて犬の頭のかたちをとる。黒くてどろっとした犬は、げえっと大きな口を開けてなにかを吐き出した。大きな口で、よだれまみれの小さな物体を咥えている。
「うおっ、なんだそれ」ミイファは後じさった。「なんだっつーんだ今日はよ……」
犬だった右手が普通の手に戻る。てらてらとよだれで濡れたそれは、トォタリから預かった金色のジッポライターだった。
なにかに合点がいった瞬間、頭部アーマーが瞬時に形成される。
キルシのからだは勝手に動いていた。
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