2-12

 バイクのドリンクホルダーからラテとフラペチーノを取ると、トォタリさんは僕にフラペチーノを渡してきた。


 国道沿いの店舗が燃えていたり空が真っ赤だったりするなかで行われるその日常的な動作はどこか奇妙だった。夢のなかで不条理なことが起きていても、特にふしぎに思わないあの感じ。


 気持ちを落ち着かせるために僕はフラペチーノを吸い上げる。カップの底に溜まっていたチョコチップがごろごろとやってきたので、奥歯で噛み砕く。ビターな味わいが舌に広がった。


 倒れたポールのせいで通れないし、バイクはここに放置して徒歩でドン・キホーテに行くことになった。三分も歩いていれば着くはずだ。


 幸楽苑の駐車場に佇む燃える人びとは相も変わらず、突き立てられたマッチ棒のように動かない。いったいあの人たちはなんなんだろうか。


 僕が視線に込めた疑問を汲み取ったのか、トォタリさんは「さっきまでのあんたと同じだよ」と言い、ほら、と「消費せよ」「集合せよ」と命じるドンキの看板を指差した。


「サブリミナル? とからしいけど、よくわかんない。操られてんだよ。だからあの人らは、燃えてるけど、もうなにも感じてない」


 その方が、ある意味幸せかもな。ま、そうでもないかもしんないけど。彼女はそっけなく言った。


 僕は更に気になったことを尋ねる。


「眼」


「んー?」


「その銀色の眼ってなんなんです?」


 僕の問いにトォタリさんはラテを一口飲んで喉を潤すと、顔を向けてへへっと笑った。


「かっこいいっしょ」


「かっこいいはかっこいいですが、いや、そうではなく……。えっと……それも、その、改造されたやつですか?」


「ちがうよ。これは自分でやった。真実を見通す。連中を見分けるための眼だ」


 トォタリさんが銀色に輝く虹彩を指さしてぐいっと顔を近づけてくるので、僕は思わず距離をとってしまう。その瞬間、しまったと思った。つい反射的に、失礼なことをしてしまった。


「キルキル、ほんとうに女子、だめなんだな」


「僕ぐらいの男子はだいたいこうだと思いますよ――というか、僕みたいな、というか……」トォタリさんのような女性に対しては、というか。


 トォタリさんは「ふーん」と納得したような、そんなことはどうでもよさそうな返事をした。


 そこで会話は途切れて、僕らは炎と黒雲の世界を、スタバのラテやフラペチーノを時たま口にしながらとぼとぼと歩く。うねる炎もなにもかもすべてが、サングラス越しだとモノクロで奇妙だった。ドン・キホーテからは相変わらず催眠音波のようなヴゥーンという音が聞こえてくる。正直、落ち着きようがなかった。


 さっきのトォタリさんの「かっこいいっしょ」という発言と無邪気な表情を、僕は反芻していた。静脈とは違う、幾何学的な薄い線が透けて見える彼女の腕を見やる。


 彼女がこのゲームに参加し〈キャプテン・スーパーマーケット〉になったのは、自分を改造した連中に復讐するためだと思っていた。トォタリさんと会う前に先輩からそう聞かされていたというのもあるけれど(先輩はまあまあ口が軽いのだ)、もしかしてそれは違うのかもしれない。


 いや、違わないのか……? 眼の改造は自分でやったと言っていた。それは自分を改造した連中に復讐するために致し方なくやったことなんだろか、それともことなんだろうか。もし僕も、ほかのだれかに脚を切られるとか腕を切られるとかして、そのからだが元に戻らないと悟ってしまったら、「元に戻らないんだったらもういい!」と吹っ切れたように残ってる生身のからだもどんどん改造するようになるんだろうか。


 でもよくよく考えたら僕ら〈王さま〉はほとんど不死身みたいなものだし、欠損したからだも支配した領地から再構成される。ばらばらに肉体が吹き飛んだほかの〈王さま〉――あれは確か送電塔を支配しているやつだった――が、瞬時に支配する鉄塔から肉体を逆再生のように復元させたのを見たことがある。だから僕らのからだは元のからだとは違うと言ってもいいと思う。なにをもって元の自分といまの自分が同一であると規定するのかはよくわからないけれど、僕はそのことに関して考えてしまい、たまに不安になることもある。


 トォタリさんが改造されたのはあくまでも〈王さま〉になる前だ。だから彼女は、いくら元のからだに近いものが手に入ったとしても、それで満足したりはしないのかもしれない。もう決してもとに戻らないもののために戦っているんだろうか。


「これ何度も言ってますけど、骨折で済んだんですから」「もうすこしちがってたら、その、ちぎれてたかもしれないんですから」「だから、これで良かったんです」


 数時間前にカヤサキに言われたことを思い出す。僕だってできることならカヤサキが僕の闘いに巻き込まれる前、つまり事故に遭う前に戻ってそれを未然に防ぎたい。じゃあ戻っちゃえばいいじゃんって話なんだけど、じゃあそこでカヤサキが救えたとして、いまの僕が知ってるカヤサキはどうなっちゃうんだろうかってことを考える。


 よく映画とかで過去を改変して未来に戻ってきて、あーあの人が助かってる良かったーという展開がある。それは良いことだし僕も見ていて良かったなあと思うけれど、でもそれってそれまで存在していた宇宙とかが消えちゃうってことじゃないのか? それか新しい宇宙が急に生まれてるってことになるんじゃないか? もし何度も何度も戻っても、その出来事が所謂“強制イベント”で、決して変えようがないものだったらどうする? 過去に戻って防ぐことも全部システムにあらかじめ織り込まれていたことだとしたら?


 ……とかなんとかそういった神経質なことを考えてしまうので、僕は時間を遡行して過去の大きなイベントを改変するとかはまだできなかった。


〈王さま〉は全能感の塊だ。


 時空を渡り、超人的能力で場所を支配する。おまけに不死だ。


 でも僕はそこに空疎なものを感じてしまう。


 選択肢があるのに選択しないだなんて、それを行える力があるのに実行しないだなんて――これが恵まれたもの特有のしゃらくさい贅沢な悩みだってことは、じゅうぶんにわかっていた。


 トォタリさんも、そうなんだろうか。そういった虚しさとかを乗り越えて結局のところ復讐しかないという考えに至ったんだろうか。


 そういうことをごちゃごちゃと考えているうちに、ざっ、ざっ、ざっ、という音が聞こえてきた。


 ざっ、ざっ、ざっ。ざっ、ざっ、ざっ。


 ちょうど目と鼻の先、横断歩道をまっすぐに渡った場所に鎮座するドン・キホーテの前――国道と国道の交差する十字路を、奇妙に蠢くものが右から左に横断しているところだった。その蠢くものはよく見ると群衆で、老若男女、年齢問わず、妙にだらりと脱力しきった様子で隊列を組み歩いていた。皆首がすわっていなくて、歩くたびにかっくんかっくんとさまざまな人のさまざまな頭が上下している。腕がぶらぶらと揺れている。歩調だけはある程度統制が取れているせいか、全体的に統一された動きには一応なっている。それがひどく奇妙でイヤな感じだった。


 誰ひとりとして正気じゃなかった。そしてその正気を失わせている原因は、


 ――ヴ、ヴヴーン…………ヴヴヴヴ、ヴゥゥゥゥゥン――


 さっきまでの僕もあんな感じだったのだと改めて思い知り、背中に怖気がはしる。ひんやりとした手で脳を触られたようにぞっとする。僕はドン・キホーテに擬態した看板を改めて睨む。


 操られている群衆は、目が虚ろだ。誰もなにも見ていない。いや、ほんとうはかれらにしか見えないものが見えてるのか?


 群衆たちの向かうところは、駐車場へのスロープだった。このドン・キホーテ(に擬態したなにか)は四階建てで、二階までが店舗、それより上は駐車場となっていた。


 百人ほどの操られた群衆が通りすぎ、濁った青を表示しつづける横断歩道が現れる。その近くのガードレールはぐんにゃりと湾曲し、赤くて角ばったミニバンが正面衝突していた。乗っていた人は無理やり這ってドンキに向かったらしく、アスファルトには奇妙な血痕があった。


「あの人らを今すぐ全員助けることはできない」トォタリさんはぽつりとつぶやく。「どうにかしようってんなら、あーしをちゃんと手伝えよ」


 僕は頷く。フラペチーノを吸い上げて、手のひらの温度と熱気で柔らかくなったチョコチップを、奥歯でぐにゃりと潰す。


 トォタリさんは決心するように軽めの深呼吸をして、汗ばんだ額に張り付いた前髪をひっぺがすと、横断歩道を渡りはじめた。僕もそれに追従する。


 遠い宇宙からやってきた、ドン・キホーテに擬態する謎の建築物――その敷地に僕らは足を踏み入れた。

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