2-11

 バイクを発進させてついにミッションに行くかと思ったものの、トォタリさんはスタバのすぐ横にある巨大なホームセンターに向かった。駐車場から出て、またすぐ駐車場に滑り込む。


 広大な敷地には白と青のツートンカラーに塗装された平屋型の建物があった。


 コメリパワーだ。


 トォタリさんはバイクを適当に駐車させると、建物の真正面に立ち、跪き、祈るように手を組んで大きな声でこう唱えはじめた。


「おお! 偉大なるコメリさまよ! パワーをわが身に授け給へ! コメリさまよ! その御力を! 雄大なる!」


 ……なんだろう、これ。


 僕はコメリパワーの正面に掲げられた店名ロゴを見る。青い文字の巨大な「パワー」は圧迫感があり、トォタリさんの聖職者のような祈りの声を聞いているせいか、そこに神性が宿っているように思えてきた。


 トォタリさんは祈りの途中で「おっ」と声を上げると、ふつうに立ち上がって膝についたアスファルトの粒を払い落とす。


「え、あの、なんですかこれ」


「なにって、パワーをもらってたんだよ」


「パワーですか」


「ほら」トォタリさんは親指で店名ロゴを指し示した。「パワーがありそうでしょ。ほんとうにあるんだよ、パワーが。簡単に言えば特殊効果バフだよ」


 キルキルもやっとけば。そう言われ、僕も半信半疑でトォタリさんを真似し、駐車場に片膝をついて「おお! コメリさまよ――!」と芝居がかった声で言う。ひろびろとした駐車場に僕の声が響いて、ちょっと恥ずかしい。


 しばらくして、両肩にぺたりと湿布が貼られたような感覚があった。僕も思わず「おっ」と声を上げる。


「どう?」


「なんか……すっとしたというか、肩こりが治った感じと言いますか……」


「あんた肩こり持ちなの? じじいじゃん」


「たとえっすよー、たとえ」


「わーってるって。ボケたんだよ」


 そんなやりとりをしながら再びバイクに乗って、コメリパワーの敷地から出て国道に合流した。


 ガレージ内にあるミニチュアを見たときも思ったけれど、やっぱりこの国道沿いは建物と建物が隣接しすぎているように思える。


 整然としすぎていて、あまりにもつくりものっぽい。一方向に密集しすぎているせいで、まるで映画に使われている巨大なセットのようだった。


「ここ、建物同士が近すぎません?」僕はトォタリさんの背中に素直に問いかける。


「んー、あー、やっぱりそうだよなあ」トォタリさんはややバツが悪そうに言った。「あーしこういうの得意じゃなくてさあ」


「僕も得意じゃないんで、こういうふうに敷き詰めちゃうのは、なんかわかります」


「ミニチュアでやったときはそんなでもなかったんだけど、実際にここを歩いてみると違和感あってひでえや。休日なんか建物同士が近すぎて渋滞起こりまくってるし……」


 ま、今度直さないとな。そう言って彼女はエンジンをふかして速度を増した。


 エメラルド色のLEDライトをびかーっと輝かせて、


 アシッドハウスをズンズンと鳴り響かせて、


 僕らはまたもや次元の壁を突破する。


 そして、次元の壁を超えた向こう側の世界は、まるで地獄のように赤い空が広がっていた。



■ ■ ■



 時空と時空のはざまを抜けた先は赤黒かった。


 空には黒々とした暗雲が垂れ込め、沈む太陽の光をうけているのか、それともどこかで大きな火事が起きているのか、赤く染まり、意思を持っているかのようにうねっている。


 巨大な積乱雲のなかでは稲光が激しく何度もはしっていて、ここがふつうの世界じゃないことを僕らに警告していた。


 いま、電柱にぶつかってぐしゃぐしゃになったパトカーの横をとおりすぎた。


 片側の車線の真ん中には、ミニワゴン車が転倒していて、くすぶった煙をあげていた。黒焦げになった棒きれのようなものが転がっている。僕は目をそらさず、それをじっと見てしまう。棒きれは先っぽで平べったくなり、五本の小枝に別れていた。小枝には銀色の指輪のようなものが装着されていた。それの正体はわかりきっているのに、まるで腕みたいだな、あの輪っかは結婚指輪みたいだな――だなんてのんきに僕は思う。


 惑星の危機。宇宙人退治。トォタリさんはそう言っていた。わかっていたはずだし、自分もこういった景色は過去に見たことがある。でもやっぱり、慣れることはできなさそうだった。


 顔をうえにあげて、目を閉じる。


 タンデムバーをてのひらの感覚がなくなるほど強く、ぎゅっと握る。


 深く鼻から息を吸って、口からゆっくり吐く。初夏の湿気った空気はこの世界にはなく、焦げついて乾燥した空気が肺を満たす。そこにほんのりとまじる、トォタリさんの甘い香りだけが救いに思えた。


 僕は前を見据える。国道の向こう側には、やたらと目立つ建造物があった。四階建ての巨大な店舗――ドン・キホーテ。


「あれですか?」轟く雷鳴に負けじと、僕は大きな声でトォタリさんに尋ねる。


「そう! あれが今回の標的! 言っただろ、惑星の危機だって!」


 トォタリさんも大きな声で返事する。スロットルをあげて、スピードを増した。白い車体から発せられている緑色の光だけが、赤く黒い空に対抗できるような気がした。


 国道沿いにあるほかの建築物――名も知らないドラッグストアやデオデオ、マックスバリュ、すかいらーく、その他諸々――は轟々と炎上している。場合によっては敷地内の駐車場に駐車された車たちも燃え盛っていた。緑色だった生け垣は、いまやぱちぱちと音をたて炎の障壁と化している。炎が燃え移った電線がちぎれ落ち、歩道で力つきている。


 国道をひた走る僕らの肌に、炎上する店舗たちの怨念のような熱波が伝わってくる。


 黒い煙が目に入り、眼がしょぼしょぼする。僕は煙と焦げたにおいを避け、トォタリさんのにおいに逃げるように、彼女の背中に一時的に身を隠す。ふんわりとした髪の毛が僕の頬をなでる。こころを落ち着かせるために、深く息を吸って、吐く。


 すぐ近くで爆発音がした。音のした右前方を見ると、幸楽苑のポールサインが地面から跳ね上がり、空中にふわりと浮いているところだった。思いがけず宙に放り出された鉄柱は、パニックを起こしたのかびよんびよんと身を震わせている。建物の割れた窓ガラスからは、もうもうと黒煙が噴出していた。ポールサインはいっときの浮遊を終えて、ごんと音を立てて国道にその身を突っ伏した。鉄柱が僕らの進行方向を塞ぐかたちになる。


「まずい!」


 トォタリさんは急ブレーキをかける。僕は彼女にしがみつく。タイヤがけたたましい音を立ててアスファルトに食らいつく。摩擦で焼けたゴムのにおいがツンと鼻孔に刺さった。


 すんでのところでなんとか車体は停止する。反動で僕は頭をトォタリさんの背中にぶつけてしまった。「うぐっ」といううめき声が聞こえたので僕は素直に謝った。


 まあ、別に。トォタリさんはそんなこと気にしていられないといった感じで、生返事をかえす。彼女の視線はドン・キホーテに向けられている。


 僕らはバイクから降りて、ドン・キホーテを改めて見やった。


 そして彼女は右側で燃えている幸楽苑を見た。僕もそこに視線を向ける。


 駐車場には、何人かの人びとが突っ立っていた。ただ突っ立ているわけじゃない。全員が火だるまになっていた。皮膚を、肉を、脂肪を焼かれ――それなのに平然と棒立ちしている。まるで空間に全身が固定されたかのように、それらは動かない。悪夢のような光景に、僕の肌は粟立つ。


「わが艦隊は全滅だ!」彼女は拳を振り上げて、燃える人びとにいきなり怒鳴る。「ふっざけんなあっ!」


 人びとは、めらめら、ぱちぱち、と返事代わりにひかえめに音を立てた。それ以外は特に反応を示さなかった。


 僕はドン・キホーテをもう一回見る。ここからの距離はだいたい200メートルぐらいだろうか。建物の屋上にある黒い四面の看板には「驚安の殿堂 ドン・キホーテ」とお馴染みの字面が踊っている。すこし変わっていることといえば、その文字がちかちかと瞬いていることだろうか。


 ――ヴ、ヴヴーン…………ヴヴヴヴ、ヴゥゥゥゥゥン――


 そんな、腹の底を揺るがすような低い音も発せられている。


 ――ヴ、ヴヴーン…………ヴヴヴヴ、ヴゥゥゥゥゥン――


 空気がかすかに振動している。


 よく見ると、「ドン・キホーテ」の文字がヴゥーンという音に合わせてチカチカとそれぞれ点滅していた。最初の「ヴ」で「キ」が、つぎの「ヴヴーン」で「・」「ー」「ド」が、といった感じで規則性を持って激しく明滅を繰り返している。


 僕はそれを、思わずじっと見つめてしまう。


 なぜか目がはなせない。


 なぜかはわからないけれど、という強い思いが、眼球の奥にある脳からわきあがってくる。


 ――ヴ、ヴヴーン…………ヴヴヴヴ、ヴゥゥゥゥゥン――


 脳がふやけたように意識がぼんやりしてきて、ひとりでにからだが動きはじめる。


 自分の意思に反して右脚が上がり、一歩踏み出す。左脚がぎくしゃくと動き、また踏み出す。両肩は脱力しきってしまい、力が一切入らなかった。いや、そもそも力を入れる必要はあるのか……?


 あそこに行かなきゃ。


 でも、なんで行かないといけないんだっけ。


 ――ヴ、ヴヴーン…………ヴヴヴヴ、ヴゥゥゥゥゥン――


 鼓膜が震える。眼が光の点滅に釘付けになってどうしようもない。


 頭のどこかでは、これは自分の意思じゃないということはわかっていた。


 でも、このままぼんやりとするのがひどく気持ちが良かった。


 行かないと。


 あそこへ。


 救われないと。


 消費しないと。


 ――うーわっ、まじかよキルキル!


 とおくでだれかの声がした。ひどくぼんやりとしている。


 ぎこちない歩き方のせいで、靴底がざりざりざりとアスファルトにやたらとこすれる。


 膝にも負担がかかるし、これじゃあすぐに靴がだめになってしまいそうだ。


 でも、また買いなおせばいいか。


 あそこで――ドン・キホーテで。


 ――おまえこのっ!


 そんな声が聞こえた瞬間、右頬を思いきりはたかれた。はたいてきた人物をゆっくりとぼんやりと見る。目の焦点が次第に合う。その人は肩で息をし、どこか心配したような表情で僕を見ていた。


「……トォタリさん?」


 その人――トォタリさんを見た瞬間、意識がすっと戻ってくるような感覚があり、いま自分が間抜けな姿勢で立ち止まっていることに気がつく。


 バイクからはそれなりに離れていた。いつの間にここまで歩いていたんだっけ。


「わるい。あーしのミスだ」


 トォタリさんはなぜかはわからないけれど軽く謝罪し、羽織ったシャツの胸ポケットにかけていたサングラスを手にとって「これ、かけて。そうしないとまずい」と僕に差し出した。


 そのサングラスは真っ黒で、角ばっていて、野暮ったい――80年代頃のアクション映画に出てきそうなフォルムで、正直ださかった。


 ――ヴ、ヴヴーン…………ヴヴヴヴ、ヴゥゥゥゥゥン――


 はっとしてドン・キホーテの看板に視線をやる。そしてもう一度サングラスを見た。


 ……なんでだろう。なんでかはわからないけれど、このサングラスはかけちゃいけない気がする。なんでかはわからないけれど、これはかけちゃいけないって、言われてる気がする。


「いやです」


 はっきりと、静かに彼女を拒絶し、歩きはじめる。また意識がぼんやりとしてきた――ところで、後ろから右腕を強い力で思いきり掴まれて、ねじられた。


「痛い痛い痛い痛い!」


「かけろって!」


 後ろに立つトォタリさんは憤怒の形相で僕を睨んでいた。なんて怖い目なんだ。なんでそんな目で僕を見てくるんだ。僕がなにか悪いことした?


「はなしてください!」自分でも思いのほか大きくて感情的な声が出てしまった。


「かーけーろー!」トォタリさんは僕の腕を急に離すと、タックルしてきた。


 そのままの勢いでアスファルトに押し倒され、馬乗りにされる。彼女はサングラスを無理やり僕にかけようとしてきた。


 その腕を制するために僕は両手を伸ばすが、逆に彼女の左手にぎゅっと強くひとまとめに掴まれ、身動きが取れなくなってしまう。


 最後のあがきとばかりに顔をめちゃくちゃにそらす。後頭部がアスファルトとこすれて痛い。


「かけろ!」


「いやです!」


「かけろってば!」


「いーやーでーすっ!」


 けれどそのあがきは無駄で、最終的に僕はダサいサングラスをかけるはめになってしまった。


 ぎゅっとつむっていた目を開くと、肩で激しく息をするトォタリさんが僕を見下ろしていた。


 ふしぎなことに、サングラスを通して見る世界は色が一切なくて、つまりは白黒だった。


 僕にマウントポジションを取っていたトォタリさんはゆっくり立ち上がる。僕に手を差し伸ばす。僕がその手をおそるおそる掴むと、ぐいと引っ張られて立ち上がった。


 ――ヴ、ヴヴーン…………ヴヴヴヴ、ヴゥゥゥゥゥン――


 音のした方――つまりドンキの看板を見てみた。


「――え?」


 そこには「驚安の殿堂 ドン・キホーテ」という文字の代わりに次のような文言が配置されていた。


「集合せよ」

「消費せよ」

「幸福はここにある」

「捧げよ」

「幸せを噛みしめよ」……


 そういった文字たちが看板のなかをうねうねと動き回りながら、例のヴゥーンという重低音にあわせて激しく点滅していた。それは邪教の儀式の際に行われる舞を思わせる、ひどく冒涜的で恥ずかしいものに見えた。


 サングラスを取ってカラフルな「驚安の殿堂 ドン・キホーテ」を確認し、またかけて白黒の世界の「集合せよ」「消費せよ」を見る。


「わかった? 見えた?」


 トォタリさんが訊いてくるので、僕は彼女を見る。彼女の姿は特にサングラス越しでも変わってなくて、僕は安心する。


 だんだんとなにが起きたのか理解しはじめていた。それと同時に、背中に怖気がはしる。


「わかり……ました。えっと、つまりは、さっきまでの僕は――」


 ――さっきまでの僕は、僕じゃないなにかの意思で動いていた。


「洗脳されてた。あれにな」彼女は忌々しげにドンキ(に擬態したモノ)を睨んで顎でしゃくる。


「……これも、知ってます」


「あーしも知ってるよ」


 映画だろ。まったく、なにがどーなってんだか。


 呆れたようにため息をつくトォタリさんの瞳は、爛々と銀色に輝いていた。

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