7: Already, “everything” had a great fall !

 白い少女の夢を見る。


 *



 ボクは一体、なんなのだろう。


 少女は己の口走った言葉に驚いていた。

 庭園の中、よろめいた少女を抱きとめてくれた灰色の青年は微動だにしない。

 それが少女の焦りをひどくする。俯いた。

 

 ──自分が何者なのか、なんてそんな質問、困らせるだけのことだってことはわかっているのだ。

 感情を切り離して箱にしまったはずの白衣の大人たちの言葉と声と表情、そして恐ろしい行為の記憶が這い出してきそうになる。

 慌ててまた、記憶に蓋をした。

 都合の悪いものは、見なくていいと脳裏で誰かが囁いた。


「おまえがなんなのか、という質問には答えられない」


 弾けるように顔を上げる。

 もう二度と口を開かないのでは、とまで思った灰色の青年が、眼球ひとつ動かさぬまま言葉を紡ぐ。


「なぜならそれはおれたちには知らされていない。そして誰も知りはしない」


 平易にして平坦にして冷淡。機械のような滑らかさ。


「だけど、まあ……自分が何者かなんて知らなくても困らないものだとおれたちは知っているし、少なくともおれは・・・それを好ましく思っている節がある。定義されないということは一種の自由の形ではないだろうか」


 だが、最後の言葉だけは不可解な熱が、誤作動を起こした機械のような揺らぎがあった。

「ボクが……自由?」


 こんな、鳥籠の中で。こんな、鎖に繋がれて。ああなんて、それは──


「冗談だ」


 青年が至極真面目な顔をして言った。


「ひどい話だねぇ」


 そう言いながら、けらけらと少女は笑った。 本当はちょっと面白かった。初めて冗談なんてものを聞いたし、初めて嫌味を言ったし、初めて面白いということを知った。


 青年はやはり無表情のままだった。

 表情までもが灰色だった。けれど何処となく気落ちしているようにも見えた。


「つまりおれはこう言いたい。『気にするな』」

「ふふ、そうしてみることにするよ」


 そして初めて、誤魔化されるのは存外心地良いものだと知る。

 そんなふうに、少女は奇妙な恋に出会った。



 次の日も彼は庭園を訪れた。

 日付も時間もこの場にはなく、少女にはわからない。だから少女は自分の眠りを日の境としていた。


 鎖をじゃらじゃらと引きずり彼の元へ少女は駆け寄る。

 そして日を跨いだことなど忘れたように昨日の話の続きをしようとした。

 しかし彼に反応はない。灰色の瞳は少女を見てはいなかった。

 はた、と気付く。そういえば挨拶がまだだった。物事には何事も作法というものがあるのだった。


「おはよう! こんにちは……もしかして、こんばんはだった?」


 正しい挨拶はわからなかった。

 揺るがぬ青空の下で途方にくれる。夜空など見たことがなかった。ここはいつだって真昼だ。

 青年はちらりとこちらを一瞥した。

 けれど、それだけ。口を開くこともなくすぐに去っていった。

 少女は唖然として追うこともしなかった。ただその殺風景な背中を眺める。頭の中は真っ白になって、そのままいつまでも立ち尽くしていた。



 次の日も次の日も、あの出会いの運命の日の再演はやって来なかった。

 二度目は無視、三度目は無関心、次の眠りの後には見つけることすらできず、少女は涙ながらにまた眠った。

 もしかしてあの出会いは夢だったのだろうか。夢ならばそれでいいから、そうと言って欲しかった。



「何をしている」


 水の出ない噴水の陰で、青年に熱い視線を向けていた少女はびくりと肩を震わせた。当然まったくこれっぽっちも隠れられてなどいない。

 四日ぶりに青年は少女に言葉をかけた。そのことにひどく驚く。


「だって……前も、その前も……話してくれなかったから」


 言葉を交わすことが許されないのなら、望まれないのならば、顔を合わすことすらいけないことなんじゃないかと思ったのだ。

 だからせめて、遠くから眺めていようなんて思ったのだ。

 もごもごと声にならない言い訳を転がして、口をつぐむ。

 しかし青年の沈黙は何やら今までとは違う質のもののようだった。


「……そもそも、おれはここ数日の間、ここに来てはいないが?」


 さらりと、そう答えた。

 混乱で少女は硬直する。

 だって、あれ? 確かに見たんだ。同じ顔だ。確かに会ったんだ。一体どういう意味だろう?

 ああ……、と青年が合点がいったかのように呟いた。


「そういえば、おれたちは沢山いるって言うのを忘れていた」

「はい?」

「人造人間、ホムンクルス、クローン、オートマタ、なんでもいい。おれは、おれたちは作り物だということだ」

「じゃあ……話しかけても返事をしなかったのは」

「個体差だ」


 別個体だから、じゃないのか答えは。

 地面に座り込んだまま、力が抜ける。なんでだろう。この脱力感は不快ではない。

 遅れて、この脱力感を安堵と定義する。よかったよかったよかった──きらわれてはいなかった。

 少女の心を知っているのか知らないのか、彼はあいも変わらず素知らぬ顔で言葉を続ける。


「ここに配属されているおれたちの役割は庭師。つまりおまえと会話することは役割に含まれていない」

「じゃあ、なんでキミは」

「言っただろう、個体差だと。おれは少しばかり好奇心が他より強いらしい。それだけだ」


 灰色の瞳をじっと見つめた。


「なんだか、すごく……不思議な感じだ」


 そういうものか、という思いと同じくらいに違和感を感じていた。

 少女の価値観はいつ、どこの、何を基準としたものかはわからない。けれどその初めから備わっていた価値観は青年たちの存在についてすんなりと飲み込むことをしなかった。


「そうか?」


 そう言って少女の手を無造作に握った。


「食事はするが必要ではなく、排泄は必要ないが器官は備わっている、人間の子供のように長い睡眠を要し、体温は高め」


 なっ……、と少女は驚愕赤面する。

 乙女の身体をそんな、そんな風に好き勝手語って、あまつさえ!

 肌を重ねるだなんて!


「は、は、はれんちだ!」

「そして知識が妙に偏っている」


 既存情報を並べ立て、青年はひとり満足げな無表情をしている。

 このやろう、乙女心を解するつもりがない。人造人間だからか、人造人間のせいにするつもりか。

 ぐぬぬと少女が精一杯の不満を込めて睨み付けると、そこでやっと何か察した様子を見せる。


「つまりおれはこう言いたい。『不思議生物はお互いさまだ』」


 想定外の言葉に、ぽかんとなる。

 お互い様。お揃い。おんなじ。

 変換された言葉はすとんと隙間に落ち着いて、違和感は温かな気持ちにかき消された。


「き、今日はこのくらいにしてやろうじゃないか」


 そうだ、『今日は』だ。

 だってまた会って話ができるのだと分かったのだから。



 そうして。

 同じような見てくれをした青年たちの中から、遠目で彼だと識別できるようになる程度の日が経った。


 ある日の少女は、青年がばつん、ばつんと鋏を鳴らして植木を剪定する様子を後ろからじっと眺めていた。庭師というのは比喩でもなんでもなく言葉通りだったようで、少女の見てきた可憐な花々は彼らの手が加えられたものだった。不思議な感覚がする。この花々は人の手無しには綺麗に咲くことすらできないのだ、と思うと何か憐れみのような共感のような、不思議な感慨の泡立ちがあって、少女は彼の仕事を眺めるのが好きだった。

 特にこれといった目的があるわけでもなかったし、二人の時間はなんだかんだそういった会話のないものが多かった。


「ずっと聞きそびれていたことがあるんだけど」


 青年が手を止め、こちらに視線を向ける。


「キミさ、名前とかないの?」

「識別番号ならあるが」

「それは違うような気がする」


 味だ。味気なさだ。味とかさして知らないけれど。でも花の蜜なら吸ったことがある。

 青年がふむ、と思案する。


「必要だとは思わなかった。それにおまえも名前を持って無いだろう」

「それは、そうだけど」


 白いワンピースの裾をぎゅっと掴んだ。


「キミの名前を、呼んでみたい」


 出たのは甘ったるく掠れた乙女の声だった。そのことに少女は驚く。唇が熱っぽい。

 少女と青年は見つめ合い、先に耐えられなくなった少女が目をそらす。

 熱かった。流れているのかもわからない血が白い頬を染め上げているのではと思うほど。

 謎の緊張感を持って待ち受けた青年の答えは、しかしいつものように簡素なものだ。


「つけてしまえばいい」


 簡潔に簡単に言ってのける。

 まあ分かっていた。そういうやつなのだつまり。拍子抜けしつつも、ふっと笑みがこぼれる。張りつめていた何かの糸は見事に弛んだ。


「いいのかな」

「いいだろうさ」


 名付けなんて初めてだ。

 随分と長らくの間迷って、こういうのはきっと感性の赴くままにするのが良いのだとひらめく。問題は自我を得たばかりの少女にその感性を磨く時間なんてあるわけがなかったということなのだけど。


アシェ


 そう気付いた時にはもう口に出していたのだから仕方がない。

 青年がくは、とほんの一瞬緩やかに笑みを吐いた、気がした。


「……おれたちは全員、灰色だぞ?」

「でも、そう呼ばれるのはキミだけだ」


 粗い感性でも、それで間違ってはいないようなそんな気がしたのだ。


「ああ、そうか──そうだな」


 灰の瞳が微笑みをたたえた。


「名前とはそういうものなんだな」


 とくん、とその形のない笑みに心臓が甘い音を立てる。


「礼だ。おまえの名前はおれが用意しよう。ただ、その……多分おれはこういうのが上手くない。時間がかかると思う。いいか?」


 それを言うなら、猫や犬につけるみたいな名付けをした少女の方がきっとひどい。

 でもその気遣いが嬉しくて。

 勢いよく抱きついた。


「楽しみに待ってる!」



 同じ出会いを幾度も繰り返し、異なる言葉を幾重にも重ねた。

 二人の世界は穏やかに密やかに積み上がる。

 それはかけがえのない日常で、だからこそ次第にずれは酷くなっていった。

 だって、ここは『非日常』だから。

 この籠も、この不夜もありえてはならないものだから。

 少女にあらかじめ与えられた価値観と倫理観が、彼との日々を大切に思うほどに違和感を叫んだ。


 外の世界の話をした。見たこともない星空、凍えそうな冬、鼓膜を侵す雷雨の話を。ただの少女であったなら飽くほどに手に入ったはずの景色の全てを。

 甘くて冷たいアイスクリーム、舌を火傷しそうなほどに熱いポタージュ、膨大な時間を費やし時には嘘をもって作られた物語や歌の話を。不必要な未知の味を。

 たわいもない、毎日のおしゃべりとして費やした。


 大好きな青年は、少女に与えられたただひとつの感情の矛先は、色んなことを知っていてだけど何も知らないに等しかった。

 同じだったのだ。無垢にして無知、そして無謀。ただほんの少し青年の方が大人のふりがうまかったというだけで、本質は同じだった。

 だから、この恋は運命だったのだ。

 二人には、それ以外に浸れるものなどなかったのだから。


 微睡む少女の内で『今』は決して正当なものではない、と誰かが囁いた。

 未来を欲した。

 先を欲した。

 願いが、生まれ落ちた。


 ああ、すべて──壊してしまえたなら!



 目を、開いた。

 小さく愛らしい欠伸をひとつ、細い指で涙を拭う。

 ホットミルクが飲みたいな、と思う。夢見が悪かったときに一度アシェがこっそり持ってきてくれたことがある。すっかり冷めていたけれどとても落ち着く味がした。


 ぼう、とする頭をゆるく振る。

 随分と長い間寝ていた気がする。

 そろそろ彼が来る頃なんじゃないかな、といつもの感覚を働かせ、辺りを見回し、はたと気付く。


「あれ、ボク、昨日こんなところで眠ったっけ」


 いつか目にした、あの祭壇に向かう道のような荒廃した景色。片足を上げて鎖の感触を確認する。残念ながら自分がどこらへんにいるのかよくわからない。迷子だ。

 まあいいか、と思う。だってアシェが見つけてくれる。

 ふわふわと気持ちを浮き立たせ、足を踏み出した。

 涸れた大地から、青い芝生を目指して。


  柔らかな足裏が草を踏みしめる。

 作り物の空を見上げて鼻唄を歌う。

 歩みを進めていくうちに、花壇の端に種の綿毛を見つけた。丸くてふわふわとしたそれを、久々に吹かしてみたくなって手を伸ばす。

 白い指先が茎に触れた。

 ひと呼吸。その一瞬の間に。

 綿毛の花は水を喪い黒く乾き、崩れ落ちた。


「え……?」


 頬を笑みに似た形に引きつらせる。

 花は、枯れた。

 心臓が早鐘を打つ。


 振り返ってはいけない。

 心の内の警告を振り払い、身体を後ろへと回す。

 物事すべての時が遅くなってしまったかのような錯覚の中、動きに揺れる長い白髪の隙間から、見えた。見えてしまった。

 そこにあったのは一本道。草の根一本残されていない乾いた細い道。少女が辿った通りにできた道だった。

 ほんの少し前に、少女が踏みしめた柔らかな芝生は跡形もない。


 枯れたのではない。枯らしたのだ。そう気付かされて、


「あ……ああ……」

 

 煩い心臓が、そもそも本当に心臓なのかもわかりはしないことを思い出しへたり込む。

 広がるスカートの波に飲まれるように、円を描いて草木が枯れた。


 背後にてじゃり、と枯れた地面を踏む重たい音がした。

 アシェがいた。

 いつもと変わらない顔で、いつもとは違う瞳で少女を見つめていた。

 会いたくてたまらなくて、逃げ出したくて仕方がなかった。

 ぽろり、と涙が溢れ出す。


「ねえ、ボクは、ボクは……!」

「言うな。言わなくていい」


 強く、抱き寄せられる。

 柔らかな温もりと、きりきりとした機械音。

 逃げ出すことも恐ろしい自分の身体のことも忘れて、心を委ねた。


「──『きみは、ただの女の子だ』」


 欲しい言葉をくれた彼の瞳が、苦悩に満ちていたことにも気付けずに。



 ✳︎



 わたしはひとつふたつと、何かを確かめるように瞬きをする。

 身体の芯から凍えてしまいそうだった。

 あの底冷えのする『徒花』の核を飲み下した後だからだろうか、それとも降りしきるこの雨に変身も解かないまま打たれているからだろうか。

 それとももっと抽象的で曖昧な、気が滅入っているから、なんてくだらない理由なのだろうか。

 そんなこともわからない。判別がつかない。

 アスファルトの地面に、かろうじて足を引きずらないようにして歩みを進める。どんなに察しの悪いフラウだって、隠す気のないような態度や表情くらいは読み取ってしまうのだ。


 胸を締め付けるような、閉塞感があった。どん詰まりで、前に進めない。前などない。そんな錯覚に陥る。

 多分これは、わたしだけの問題じゃない。

 日に日に強くなっていく、フラウとの繋がり。初めはパズルのピースのように断片的で一瞬の幻覚のようだったあの庭園での風景は、今や音も温度も確かな明晰夢のようなイメージとしてわたしの中にあった。視点は、フラウではない。あの空間の、空気になったような彼女を映す映写機そのものになったような不可思議な感覚だ。

 目が覚めたらぼやけてしまう夢も反復再生できてしまえば覚えてしまうというものだ。そして今回の変身の時に見てしまったイメージの最後は、嗚咽で締めくくられていた。

 異常なんてひとつもないわたしの心臓が痛いのは半分フラウに近づきすぎたせいなのだろう。


【どうかしたかい?】


 耳元で響く声にわたしは首を振る。

 底抜けに明るい人でなしの彼女の、少女みたいな泣き声が耳にこびりついていることを今は些細な問題とした。

 そう今は。


「『徒花』、見つからないね」


 随分と大きな反応があって、とびっきりに大きく飛び降りたおちたというのに先ほど倒したのは随分と小粒だった。

 本命はまだこのあたりにいるはずなのだがどうにも見つからない。一定距離まで近づいてしまうとあとは視覚が頼りなんだけど。

 あんな気持ち悪くて目立つもの、見逃すとは考えにくい。最初のようにまだ開花していないと見るべきだ。

 前者の可能性を考慮して先からしばらく、ぐるぐると回っては待ちぼうけを食らっていた。


【雨 止まないね】


 大粒ではないが絶え間なく落ちてくる雫に肌を打たれる感覚があり、しかし髪も服もまるで濡れた感覚がない。

 半分が実体で半分が幻影の魔法少女の曖昧さを思い知る。

 午後十時と半分。探しているうちに二駅ほど歩いてしまったらしい。普通電車しか止まらない小さな駅前はコンビニと居酒屋の看板ばかりが明るくて、ほんのすこし進めばすぐに暗い通りに入り込む。

『徒花』に寄生された人を見つけようにも道には人がいないのだ。

 屋内なのだろうか、ふと上の方の電球の光が漏れる窓に目をやって気がついた。


「フラウ、あれ。見て」


 この位置、建物の合間からは随分と遠いけれど駅の端が見えているはずだった。横から中のホームや電車が止まっている様子が見えるはずだったのだ。

 しかし何も見えない。いや、本当は見えているんだ。周りの景色の中で不自然にべったりと塗りつぶされた黒色が。


【なるほどあれか 動かれなければ気付けないのが問題だね】

「動かないままで、どう『落ちる』つもりだったんだろう」


 エネルギーを回収する自死も自死のための助走もできやしないのに。


【とにもかくにもまずは確認しなくちゃね 行こう】

「了解」


 思考のスイッチを落とした。

 たん、と地面を蹴って建物の合間に身を滑らし、そのまま囲うフェンスを飛び越えて、線路に降り立った。

 三本の線路の間に立って、徒花を見上げる。接近はしきらない。

 それはつややかに黒い、大きな半球のドームのような形をしていた。

 駅の端を覆い隠してしまうほどに大きな徒花はしかし、動く気配は一切なく、当然のように核の場所も検討がつかない。

 月明かりの下で思案する。

 とりあえず、二十メートルほど離れたこの場所から始めよう。


 フラウに指示を出して、短い槍を出してもらう。

 以前、浮遊する徒花を倒す際に使ったものだった。

 簡素な短い槍をそのまま感覚任せに投げ放つ。

 槍は緩やかに弧を描き、飛んでいく。

 あの大きな的を外すことはない。

 だが、真っ当に徒花に刺さったのは少々予想外だった。

 槍は柄の中腹あたりまで食い込んで止まったようだった。

 水銀のような、溶かしたチョコレートのような流体じみたつやのある肌には罅ひとつなく、しかし刺さった槍がドームの中に飲み込まれる気配も外に吐き出される気配もない。ついでに、わたしを認識する気配も。


「フラウ」

【──ああ】


 刺さったままの槍を、そのまま消滅させる。ただしそれは急速に行われ、結果として破片が四方へと飛び散る形となる。内側に食い込んだ分はそのまま内側にて破裂したはずだ。

 威力はお世辞にもいいとは言えずコスパも悪いのだけれど。

 連戦とはいえ先のは大したことがなかったし、さんざ落っこちた後でリソースには十分なゆとりがある。一度様子見に使うくらいなら。


 さすがにこれには反応するだろう。

 一の予想は槍を弾くほどの硬質性、二の予想は槍を飲み込むほどの流動性でどちらも外れだった。

 さて特性は見えるだろうか。

 しかしそこにあったのは、槍がなくなったことで生まれた穴だけだった。

 相変わらず、ぴくりとも動かない。


 黒いドームをすり抜けて、わたしの両脇を電車が通り過ぎる。

 静かな轟音が耳を打つが、強風がわたしの長い髪も赤いスカートもたなびかせることはない。

 わたしたちは、彼らとは違う理の下で動いている。

 右手にいつもの白い槍を呼び出す。後端に結んだ赤いリボンがなけなしの可愛げを主張するように跳ねた。

 向こうが動かないのなら、わたしから動くしかない。


 足を踏み出したその時、遠ざかる電車の音にすら埋もれられない、異質な音が響いた。

 ピシリ、と。

 それは徒花の黒い肌の上からまっすぐに走る、大きな亀裂だった。

 おまえの開けた穴など知らぬとでもいうような、内側からの罅だ。

 ひなが卵から孵化するように、ドームが割れる。殻が破られる。

 現したその姿はまるで。


「……ブーケみたい」


 今だ崩れきらぬドームの残骸をラッピングに、いくつもの歪な形状の腫瘍を花に見立てたシルエット。花束というにはグロテスクで無理があり、だけどその徒花は今まで見たどんなバケモノよりも『花』だった。

 そして花のごとき腫瘍のひとつひとつに、真紅の核が輝いていた。

 群体。今までとは違う。警戒が背筋を走る。

 しかしその姿はどうしてか、薄明るい夜の中で嘆息するほどに綺麗だった。

 そう感じたことすら危うかった。


【きれいなものは皆おそろしいものだよ】


 わたしの思考を読んだわけではない。彼女もまた、同じように感じたのだろう。

 フラウは自分に言い聞かせるようにそう言った。


「そうだね。あれがおかしいことはわかる。核が多すぎるだけじゃなくて……多分まだ、わたしを見ていない」


 仕掛けてこないのだ。

 槍を構え、じっと睨み合う。

 こうなる前に動くのが正解だったのかもしれないけど、今はもうわたしから動くわけにはいかなくなってしまった。


 わずか数秒の膠着。破ったのは向こう側、いや、向こう側から現れたモノだった。


【──っ】


 フラウの気配が揺らめいた。

 ドームのもとに現れた、否、いつからいたのだろう、たった今わたしたちに感知を許した何者かは灰色のフードを目深に被っていた。

 そのシルエットはどうにも覚束ない。大仰な魔法使いのローブを身につけているようにも、安っぽい鼠色のパーカーを羽織っているようにも、老年の男にも若い女のようにも見える気がした。

 目を、細める。

 心臓がどくんと脈打つことすら止めたいと願って、口を開いた。

 言わねばならない。

 だが、先を越したのはわたしではなく、ましてや灰色のフードですらなかった。


【もう やめるんだ──アシェ!】


 絹糸の髪を夜の中かがやかせ、フラウがその姿を形取る。

 それはまるで、夢に聞いたような、初めて聞くような悲痛な叫びだった。

 そしてわたしは、その名前を知っている。

 知ってしまっていた。

 だから、わたしは今にも飛び出して行きそうなフラウの腕を掴む。

 魔法少女である今ならば、フラウを掴むこともわけはない。

 フラウの赤い瞳が一瞬、媚びるようにわたしを見つめ、しかしわたしが首を振ると、冷たい氷のように瞳は熱を潜めた。

 かける言葉などもう、どこを探しては見つかりはしないのだ。


「フラウ、来るよ」


 フラウは姿を現したまま、小さく頷いた。 


 灰色の人影は右手に黒い拳銃を構えた。

 パンパンパン、と映画で聞きなれた音が鳴る。

 わたしは身を捻り、弾を避ける。

 あれは真っ当な銃などではなくて、わたしの槍と同じようなものだろう。

 線路の敷板を踏み切って、次の弾丸よりも早く飛び出した。

 が出てきたのはきっと今わたしにあの徒花を倒されては拙いから。

 動きを見せないのはまだ準備が済んでいないからと予測する。


 わたしは彼に肉薄し、そのまま追い越した。

 飛び上がる。

 身体の主導権は最早完全にわたしにあり、フラウに放たれる弾丸の回避を任せることはできない、が。

 回避の指示はフラウが的確に出してくれる。

 ただ咲き誇るだけの愚鈍な腫瘍を薙ぎ飛ばそうと槍を払い、


「っ!」


 しかしその軌道は、方向の修正を迫られた。

 徒花の歪な腫瘍から分離した花弁がわたしの方へと放たれる。鉄の円盤が飛んでくるようなプレッシャー。

 わたしはそれを弾き飛ばし、宙に浮いたままの身体で架線を引っ掴み、かかる力の向きを変える。

 電流だけは透過するよう意識してそのまま後方へと跳び撤退。

 避けきれず手足を弾丸が掠めた。

 痛みに似た冷気に構っている暇はない。

 次が来る。


 左右より花弁が飛来。一枚の大きさは顔ほどにもあるが避けるのも弾くのもそう難しくはない。数が増えようと相変わらず徒花の攻撃はどこか手緩い。そもそも戦うためのものではないのだ奴らは。

 問題は、花弁に隠れるようにあるいはその隙を縫うように放たれる彼の弾丸だった。音で把握できるのは数とタイミングのみ。大きなものばかりを相手取ってきたわたしには小さいものの対処が易くはない。フラウの指示も覚束ない。

 わかったのは容易には近付けないということ。

 だけど。

 知ったことではないのだ。

 フラウがいつものように叫んだ。


【無茶だっ】


 そちらがその気なら応えてやろう。

 ──あなたから先に。

 飛びかかる黒い花弁は回避に徹し、弾丸は無視、真っ直ぐに駆ける。

 いくつ撃たれたのかはわからない、その度に赤い花弁が散った。

 呼吸が乱れることも痛みに怯むこともなく、どうせ対人に慣れてないのはお互い様で、何よりこの程度で死にはしないのだ。

 魔法少女、、、、の殺し方など殆どありはしない。

 ようやく間合いは詰められる。


 そしてわたしは彼の首筋に刃を、彼はわたしの額に銃口を向けた。

 舌打ちひとつもない静寂の一瞬、ホームより電車の到来音が機械的に響く。

 紛れるように、灰色の彼は何かを蹴り上げた。

 足元の薬莢が、否、薬莢のふりをしていた何かが炸裂した。

 半ば吹き飛ばされるように線路を転がる。


 いつの間にかフラウの立つ場所にまで戻ってきてしまった。

 ふらつきながらも立ち上がろうとしたその前に、スカートを弱い力で引く手があった。

 今にも泣き出しそうな顔をしたフラウだった。


【お願いだ 話を どうか話をさせてほしい 虫の良い話だとはわかっている だけど だけど】

「フラウ、あれは」


 何を悠長に、とでも言いたくなるような樣だけど。彼女の言うことは多分間違っちゃいないのだ。

 私情と私情と私情だけど、もう、黙ったままで甘えられる時期は終わったのだから。


「そうだね。話をしよう。その前に……」


 声は列車の走行音に掻き消えた。

 花弁とは違い、現実感を伴って右手を走り抜けていく鉄の塊が、その明かりが私たちを照らす。

 その、明かりに気をとられた。

 ほんの一瞬。

 電車の窓、光なき瞳をした少女と目が合う。

 言い訳はいくらでもあるけれど、それは今けして許されてはいけない行いだった。


 ──ぼた、ん?


【──ツバキっ!】


 我に返る。

 気がつけば、車両の内側から黒い花弁が浮かび上がり、こちらに迫っていた。

 列車に遮蔽され見えないのはともかく放たれたことにも気づけない失策。

 回避が、できない。

 わたしは呆然と黒い刃を、真っ向から身に受ける。

 酷く冷たい感覚が胸を占め、こぷり、と赤い花弁が唇から溢れ出す。

 いもしない姉に、あの幻影に手を伸ばして。


 そしてわたしは、意識を手放した。




 ✳︎




 白い少女は、夢を見る。


「おはよう、アシェ」


 何も見なかったことにしたのだ。

 あの日以来、少女が何かを枯らしてしまうことはなかった。都合の悪いものから目を背けることは許されてしまった。それまでの日常を薄く薄く引き伸ばし、薄ら寒い笑みを貼り続けた。

 飴玉を名残惜しそうに、頬の奥へとしまうように。


「ああ、おやすみ」


 いつのまにか花園にはアシェ以外は訪れなくなっていた。

 それはとても都合が、都合だけが良いことで、少女は喜ぶことも訝しむこともせず甘い幸福に微睡んだ。


 眠って。眠って。眠って。

 目が覚めると彼がいて、けれどいつかどこにもいなくなってしまうんじゃないかとその度に恐れて、当たり前のように永遠を欲して、ある日問いかけた。


「ずっと一緒にいてくれる?」


 返事はない。

 少女の浮かべる、見るものが顔をしかめるような卑屈で不健康な笑みとは対照に、凪の静かな水面みなものような能面を動かすことはない。

 しかしそれは笑顔にも泣き顔にも怒りの表情にも見えて、少女は肩を竦ませる。

 青年が動く気配に反射的に目を瞑った。


 しかし少女の感覚に触れたのは柔らかな春風のような何かだった。

 そっと目を開ける。その柔らかな感触は布地だった。頭の上から被せられた、少女の全身を覆うような半透明の白絹を初めて見るもののように小さな手で弄ぶ。

 それはまるでカーテンのような、幽霊ゴーストのような──花嫁の、ヴェールのような。

 はた、と思考はそこで一時停止する。

 自分の都合の良すぎる妄想を否定されたがるように、少女は久方ぶりに青年の瞳を見上げた。

 灰色の瞳に浮かぶのはしかし、肯定。


「名前がほしい、と言っていたな」


 フラウ・アシェ、ではいけないか?

 ぱちくりと、困惑の瞬きをする。既婚者に付ける敬称だと少女の頭が知識を弾き出す。

 ……プロポーズ、これは、プロポーズなのだろうか。これが? 本当に……?


「名前じゃない、それは名前じゃないよアシェ」


 目を回しながら口走ったのはそんなことだ。


「名前っぽく聞こえる言語のを選んだつもりだったんだが。ミセスよりはかわいいだろう?」


 そしていつも通り、とんちんかんなことを言ってのけた。

 大体そういうのは、家名に付けるもので、なんというかかんというか、これじゃあままごとみたいだ。不恰好で紛い物だ。

 ぐるぐると、長らく思考停止を続けた頭の中が嵐のように荒れる。

 けれど、そう、少女の心はスナップひとつで姿を変える手品のように一瞬のうちに晴れ上がるのだ。

 でもそういうのも悪くないな、と自然に笑みが溢れてくる。

 少女はそんなふうにできていたのだから。


「キミのそーゆーところが本当に、どーしよーもないね」

「名前らしい名前を送ってしまえば、おまえが何者かに成り果ててしまいそうで怖かった」


 ひどい白状だ。笑ってしまう。


 お互い、同じものに恐怖していたのだ。

 似た者同士として惹かれあい、しかしいつか片割れがどこか遠くに行ってしまうのではないかと。


「大丈夫」


 ああ、ボクは。


「キミのフラウだ」


 大きなその手を取る。

 何者でもなかった自分をそう定義した。

 真似事ままごと紛い物、けれどただひとつその誓いだけは本物だ。

 君を愛している、と言われたならば、言えたならば。

 たとえどこへ、行ったとしても。

 たとえなにに、成り果てたとしても。


 もう大丈夫だと、そう思えたのだ。


 その、時は。




「これは一体、どういうこと……?」


 少女は掠れた声を絞り出す。

 いつもなら目が覚めた時にアシェが隣にいるはずなのに影も形も見当たらなかった朝のことだった。

 ほんの少し前ならば少女は半狂乱に陥っていただろう。しかし誓いによって繋ぎとめられた今のフラウはそういうこともあるか、とおとなしく納得をするだけだ。ただ、ほんのりとした退屈と胸が痛くならないほどの寂しさを感じて庭をぐるぐると歩き回っていただけだった。

 そして少女は自分の手足に繋がれていた鎖が断ち切れていることにようやく気が付いた。それは一体いつからなのかはよくわからないし、どうだってよかった。

『外』に行くことができると思い至ったその途端に、居ても立っても居られなくなって駆け出した。

 なのに。


「どうして、外の世界が枯れている……!?」


 固く閉ざされていたはずの扉の向こう側にあったのは、崩れた壁に濁った空、人っ子一人いやしない、草木のひとつも残らない涸れた大地だ。まるで、あの日少女が歩いた時のように。

 その発想に至った少女は、ひっ、と息を詰まらせて後退る。

 そうさせたのは都合の悪い記憶だけではない、少女の目の前に黒く蠢く巨大な毒花のような化物が立ち塞がったのだ。

 おおよそありとあらゆるものを見たことがない少女でも、それが何か、正しくないものであることはわかってしまった。

 迷うべくもない。

 背中を向けて一目散に逃げ出した。戻るべきだと思ったのだ、あの完璧な庭へ。こんな『外』ならば檻の中の方がずっとずっとましだった。

 けれど、涙ながらに望んで戻った庭の中すらも、いつの間にか黒い化物に埋め尽くされていた。

 小さな悲鳴が喉を震わせる。

 叫んだ。甲高い声で、たったひとつ頼れる名前を。


「アシェ……!!」


 けれど彼は、まるでその化物に──『徒花』に寄り添うように現れた。


「すまない」


『徒花』で埋め尽くされた庭で、少女は立ち尽くす。駆け寄ることもしなかった。


「なんで、あやまるの?」


 それが、遅くなったことを詫びているものではないことくらいは察しのよくない少女にもわかってしまった。

 他の人間なら、どうだっただろう。そんな機微など読み取れやしなかっただろう。しかし、相手はアシェだった。愛すべき、半身とも定義できる存在だった。


「どうして!!」


 だから、この惨劇が彼の意志に基づくものだったのだと、直感的に察してしまった。

 まるでそれが、あるべき真相だとでもいうかのように。


「必要だった」


 返答の温度はいつもと変わらない。


「フラウ、おまえを正真正銘の『ただの女の子』にするにはこうするしかなかった」


 少女は一歩、後退る。


「『滅び』のその寸前とは捕食睡眠交尾に似て一番に無防備な瞬間だ。おまえを『アレ』から分離させられる機会はそこにしかない」


 アシェの両手にはガラス張りの容れ物が、あの触れてはならないかのような美しき白い花の収められた筒が抱かれていた。


「今回は、失敗だった。この世界は徒らに吸い上げられただけだった。フラウを切り離すような余裕はなかった。小さすぎたんだ、この世界は。この『人の世界』はあまりに人が少な過ぎた。一度や二度、とっくに滅んでいたのだろう。『アレ』にとっては満足のできない痩せた土地でしかなかったんだ」


 この異常の名は狂気であるとようやく悟る。


「ねえ、なにを言っているの? 『アレ』ってなんだよ……!」


 自分はそれを知っている気がして必死で目を背けた。嘘じゃない、嘘じゃないのだ。だって自分は知らないのだから。まだ、気が付いてないのだから!

 少女の言葉に、滾るような狂気がなりを潜め、青年はひどく悲しそうな瞳をした。


「……おれを許すな、フラウ。おれが為したのは、これから為すのは紛れもない間違いだ。だが、止めてくれるなよ」


 ──愛している。

 そう、耳元で告げられたのは別れの言葉で。

 自分は、置いていかれるのだ。


「待って、嫌だ、ねえ、行かないで、いや……アシェ!!」


 声が出た時にはもう、彼の姿は影も形も見えなくなっていた。

 手を引き千切れてしまいそうなほど、伸ばす。届かないということを突きつけられるだけの行為だと知りながら。

 肺が苦しい。涙が痛い。つらくてわけがわからなくて胸が張り裂けそうだった。


 ──ああ、でも……仕方がない。だって夢はいつだって覚めてしまうものなのだから。


 少女の内で、少女自身がそう囁き──途端、涙が枯れた。嗚咽が止まった。耳鳴りが止んだ。熱が冷めて、意識が冴えきった。


 ──幼い無垢な少女を演じる必要はもうないでしょう?


 少女の声で、少女自身の意識が嘲笑う。

 視線を導かれるかのように向ける。

 その先には、彼が持って行ってしまった/彼を連れて行ってしまった筈のあの美しい純白の一輪が、いつもとなにも変わらぬように石段の上、ガラスの中で花弁を綻ばせていた。




 黒く蠢く庭の中、白い少女と白い花が対峙する。


「キミは全てを知っている」


 花は答える手段を持たない。しかし少女は受け取るすべを持っていて、そのことを知っていた。


「っ……答えろ!」


 無風のガラスの中で花弁が揺れる。

 そして、少女の意識が書き換えられてゆく。在るべき形に。



 人はその花に近付いてはならない。

 この世界の人間はそれだけを覚えていた。

 開けてはならない筺に律儀に鍵をかけ、覗くことすら知らずにいた。

 人はその花を愛してしまうことを、恐れたから。けれど恐るべき理由すら知らなかった。

 愛してしまえば身を滅ぼすと気付いたものたちは皆、とうに滅んでいたのだから。


 愛を知らぬ人ならざる者たちに何もかもを投げ出して幾星霜の夜が過ぎた。

 時の流れの中で人は停滞し、停滞の渦の中で花は静かに歩みを進めた。

 愛が無いというのなら、生まれ落ちるまで試行を繰り返せばいい。


「それが、ボクか。ボクは、キミなのか」


 庇護欲をそそる嫋やかにして儚き少女の形も、純粋無垢にして繊細しかして幼い無邪気さ、しかしどこか大人びた眼差しも、少女を構成する肉体感情理性価値観何もかも。


「──すべて、愛されるほろぼすためにあったというんだな!」


 明白な言葉などない。霧のような観念だけが流し込まれる、否、覆い隠していたヴェールを剥ぎ取られるような感覚が、少女でいられなくなった少女に答えを突きつけてゆく。


「ああ、ボクは──」


 その、花の名は──、


【ファム・ファタール】


 破滅の呪い。

 呪いの花。

 その経緯、由来、存在理由すべてが不明。いつからそれがあったのか、記録は皆既に滅されている。

 ただ本能として、その花は惑わし誑かし、破滅を誘う魔性としてそこに在る。


 いつかどこかの星/異世界/未来にて生まれた、科学者/魔術師/世界が生んでしまったナニモノかであり、いくつもの宇宙/過去/人を滅ぼしてきたナニモノか。


 自分が一体何者なのか。

 かつて欲した答えは遅すぎた今、開示された。

 あの日に流した涙の代わりに酷薄な笑みがこぼれる。


 アシェは、フラウのために【花】に利用される道を選んだのだ。口のない口車に乗って、世界をまんまと捧げてしまった。悪いことに、嘘はないのだろう。提示されたフラウが『ただの女の子』になれる可能性は本物なのだろう。フラウですら嘘を言わないようにできている。

 それが何よりもいけなかったのだ。


 少女の恋は仕組まれて、青年の愛は消費された。

 怨嗟の声の合間に謝罪を織り込んで、しかしもう彼女は膝を折ることはしなかった。


 自分は、『ただの女の子』ではないから。

 ただの女の子でない自分に、それは許されていないから。


「……ボクはキミで、だけどキミはボクじゃない。だから、ボクは好きにする。キミの思い通りになんてさせやしない」


 たとえ全てが作り物で偽物だとしても。


「ボクはフラウだ! ボクのアシェをオマエの思う通りにさせやしない!」


 幼きかんばせに零れ落ちるほどの憎悪を乗せて、血が滲むような叫びを絞り出した。


「──絶対に、ボクはボクオマエ滅ぼころしてやる」


 そして飴細工のように花は砕けた。きらきらと粒子がガラスの中で輝いては消える。先程までここにあったのは残滓に過ぎない。本体はもう、アシェと共に遠くへと行ってしまったのだから。


 純白の髪をかき上げ、彼女は花の鎮座していた台座へと腰掛ける。

 最後に残ったこの庭園を、彼女の座す世界と定義する。

 大丈夫、自分はアレと元を同じとするならばあの花が彼を次の舞台へと導いたというのなら、自分が彼を追うこともまたわけないはずだ。

 ひとつの『世界』と定義される何かを食いつぶした後なのだ。その程度のことを為す熱量は十分にある。

 長い睫毛が燃える瞳に暗い影を落とした。


 いくつもの国が焼け落ちるのを見た。いくつもの草原が、海が、空が枯れるのを見た。それはフラウが、フラウとして生まれ落ちる以前の記憶、【花】の辿ってきた道程だ。そしてこれはフラウのために為されるだろう未来予測だ。

 愛されるために生まれたフラウは愛されるに足る少女の精神性を──たとえそれが本質的には人間には程遠いものだとしても──持ち合わせ、自分に捧げられた愛が為すだろう顛末を悪と定義し、それを許せない。


 だから。アシェの行方を追った。愛する人にもうこれ以上の悪など、自分のためになんて為して欲しくはないと子供のように嘆き、しかしその本質がゆえに己のせいで生まれるだろう犠牲に涙を流すこともできず、時空を超えて精神体を彷徨わせ続けた。

 行き先も時の流れも知らぬまま、そして『魔法少女』に、葉風ぼたんという唯一人の友に出会うまで。



 少女フラウ。

 その身は運命の『恋』そのものにして、『愛』をもって破滅を導く魔性の花の端末である。 

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