8: Couldn't put Humpty together again !
アシェを追うと決めたフラウの道のりは決して平坦なものではなかった。
僅かな力しか持たないフラウができたのは意識体を飛ばすことのみ。
彼の残した足取りは細い糸のようだった。
やっとの思いで突き止めた居場所は何もかもが違う世界で、フラウは途方に暮れた。
彼を止めると決めた。けれど、一体何から始めればいいのかわからなかった。
ひとりでは何もできない。
フラウは、無力な少女として造られている。 その前提から逃れることは叶わない。
初めて見る大量の人間の中で、フラウは一縷の望みをかけて声を上げた。
誰か一人くらいはこの、今や肉体すらこの場には持たない人ならざる少女に気がついてくれることを願った。
誰か。何か。
ボクの話を聞いてください。
ボクに力を貸してください。
代わりにボクは──何ができる?
そして気がつく。
何も。何ひとつ。フラウに生み出せるものはない。
愛に依存し恋に寄生するだけの存在。
ただ待ち続けるだけの弱い少女の形。
自ら生み出すという機能は、他者に与えるという機能は付随していない。
雑踏が半透明のフラウを踏みにじる。時間の感覚すらなく彷徨う。
声は届かない。
だが、歩みを止めることは許されてはいなかった。フラウ自身が許してはいなかった。
待ち望んだ運命の出会いは前触れもなくやってきた。
当て所なく彷徨い、迷い込んだ半端な時間の人気のない駅で。フラウはホームの淵に立つ灰色の制服の少女を見つけた。
暗い眼をした少女だった。
色の薄い髪は不自然に切り揃えられており、肌に影を落としている。襟元の赤いリボンだけが鮮明だった。
フラウはその、灰色の少女に自分と同じ何かを感じ取る。己と重ね、じっと眺めていた。
どうせ彼女も自分に気が付くことはない。ぬるま湯のような諦観に浸る。
押し殺した無感動も長くは続かなかった。
フラウが少女を見つめている限り。
電車の到来を訪れるアナウンス。白線の内側へと乗客を促す事務的な声に逆らうように。 灰色の少女の身体がぐらりと前へよろめいた。
【危ない──!】
フラウは悲鳴を上げる。
気がつけば幻影としてすらも存在しないはずの手を、伸ばしていた。
それがフラウ自身にも予想だにしない結果をもたらした。
少女との同調。
フラウの意識が少女の身体に浸透する。
それはフラウが彼女となったと言うよりは、彼女がフラウとなったかのよう。
少女の肉体は虚数に落ちて、列車は見えもしない彼女を轢き去る。
唖然とした少女の身体を中へ溶けたフラウが引き摺るようにしてホームへと連れ出し、ようやく彼女たちは乖離した。
わけがわからない。そんな顔で少女がへたり込んだまま虚空を見つめる。
なんなんだ一体、と言いたいのはフラウの方だった。
【こんなふうに人と同調できるだなんて――
知らなかった】
知らぬ間にフラウは呟いていた。
独り言を言ったってどうせ、誰にも聞こえやしない。
ため息混じりに膝を叩いて立ち上がる。
少女の
「あなたは、だれ?」
聞こえないはずの声を聞き、見えないはずの姿を見つけて、葉風ぼたんはそう問うた。
それが二人の、出会いだった。
ぼたんは得体の知れない物事に、きらきらと目を輝かせる純粋無垢な女の子だった。
隠し事ばかりのフラウのことを信じ、力を貸してくれた。
知られたくなかったのだ。
フラウは生まれついての『悪』だ。すべてを知られてしまえば、ぼたんと共にあることは耐えられない。
要領を得ないぼやけた説明を、それに比べて大き過ぎる危機の訪れを、フラウの探し物と目的を、ぼたんは笑って嚥下した。
「だってフラウ、わるい子じゃないもの」
何も知りやしないくせに、そう言って軽やかに笑うのだ。
二人は見つけ出していく。
同調の仕組みを、徒花の存在を、これからの未来の道標を。
己の罪を忘れてしまいそうなほどにそれは輝かしい冒険の日々だった。
葉風ぼたんはフラウの初めての友人であり、かけがえのない相棒だった。
『花』はあくまで道具でしかない。誰かの手を借りなければ何ひとつ成せはしない。
しかしその道具はさらに愛を道具とし、フラウという端末を生み出すまでに至る。
『花』は絶対的に、人のように動くことは叶わない。
対してフラウは人的なものとして生み出されている。小回りの利く想像が可能であり、少女の概念として作られているため少女とひどく親和する。
しかしフラウもまた、道具だ。
フラウは誰かの手を借りなければ動くことができず、そしてその成り立ち故に手を借りられるのは同じような少女だけだった。
フラウがぼたんと出会ってから、たくさんの言葉を交わした。
なんとなしに姿形を変えられるんじゃないか、と言い出したのはどちらの方だっただろうか。
顔を見合わせてどんな姿が良いだろう、と夜を語り明かしたのはまるで昨日のことのように思い出せる。
家の階段から勢いよく飛び降りて、初めての『変身』をする。
真っ赤なチュチュにくるくると巻かれた大きなツインテール。
鏡に写ったのはぼたんとフラウの想像を足して二で割ったような姿だった。
幻なのに鏡に写るんだね、とぼたんは笑った。
そこにいることを知っているボクらの目には写って見えるだけだよ、とフラウは冷静に言ったけれど、浮き立っているのは同じだった。お洒落なんて生まれて初めてだった。
赤いリボン、二つに髪を結わえたぼたんの姿はとてもしっくりときていて、変身を解きざんばら髪に戻ったぼたんは名残惜しそうに溜息を吐いた。
現実でも伸ばせばいいじゃないか、フラウがそう言えばぼたんは曖昧に笑うだけだった。
【魔法少女──?】
「うん。色々あるけれど、あたしはその呼び名が好きだ」
自分たちの名前を決めよう、そう言った。
名前の重みをとうに知っていたフラウは是も非もなく頷き、いつかの庭園でのように名前の意味と理由を問うた。
【好きって どうして?】
ぼたんは大輪の笑みを浮かべる。
「だって魔法少女は夢と希望、そんな素敵な何もかもでできているんだから!」
そこにフラウの怨んだ『愛』は無く。
彼女の語る夢と希望は、とても甘美な響きだった。
ぼたんが
徒花と対を為す落花の魔法少女は、こうして生まれた。
*
──こんなはずじゃなかった。
フラウは血の気が引く思いだった。本当の血なんてきっと一滴だって流れていないのに、毛細血管の先まで凍ってしまいそうだった。
こんなはずじゃ、なかったのだ。
赤い花弁の中に倒れ臥すつばきの前で、フラウはぺたりと膝をついた。
黒い刃を真正面から受けたつばきは酷い有様だった。
少しでも動かそうとしたならば、つばきの上体は今にも引き千切れるだろう。
魔法少女への変身、フラウとの同調、そのための落下は擬似的な自殺を意味している。
徒花が腐らせるのは命なきものであり、徒花を砕けるのもまた命なきものだった。
魔法少女は己を死者と偽証することで徒花に干渉し、生者であるという事実を身体に思い出させることによって攻撃を透過する。
それがうまくいかなかった。なぜそんなことが起こったのかは分からない。
分かるのはただ、つばきが徒花の攻撃を透過することが出来ず、深い傷を負ったということのみ。
血液の代わりに溢れ続ける花弁。
蝋のように白く色の抜け落ちる肌。
ぼたんの最後が重なり、消えたはずの記憶の欠片が蘇る。
ぼたんは己の死という落下を最後の願いに変換した。
『悲しまないで』
たった一人の友を案じた願いは歪んだ形で叶えられた。
フラウの中から、ぼたんの死の記憶を消すという形で。
何が起こったのかもわからないままぼたんとの繋がりが断たれた後、フラウが再びこの世界に繋がるまでに二年を要したのは酷い想定外で、誤算だった。
誤算。
……ぼたんの願いは、杞憂だったのだ。
フラウは人でなしだ。
もとより友の死を悲しむことすらできやしない。
罪悪の念すらもきっと不完全だ。
だから、自分は。こんなだから。
同じ失敗を繰り返すのだ。
フラウは己の存在を呪う。恨みを悲しみの代替とする。
ただただ、今すぐに消えてしまいたかった。
青白い指がぴくりと震えた。
小さな咳が、つばきの喉から吐き出される。
はっ、と顔を上げた。
何か致命的な間違いが起こっていたのだとフラウはやっと気がつく。
そもそも魔法少女とはフラウとぼたんで作り上げた枠組みであり、ぼたん以外の前例を持たない。
つばきがぼたんと同じなわけがなかったのに。
でも、ぼたんとつばきで何が違ったのかすら、フラウにはわかっていなかった。
今この瞬間までは。
つばきの傷が、消えてゆく。
断たれた肉が布を編むように結びつき、舞い散った花弁が血管を遡る。
首は据わらないまま、ゆらりと身体を起こす。
冷たい吐息が静かに溢れ出す。
その姿は血の通った人間のように赤くも、死体や蝋人形の肌のように白くも見えた。
フラウは目を見開いた。
喜びはなかった。
深い恐れが、指先にまで回る。
自分は一体、何を見ている?
【嘘 嘘──うそだ こんなことあっていいはずがない こんな こんなの】
【徒花と何も変わりやしないじゃないか──ッ!】
違和感はあった。
変身の感触が違った。
同調の感覚が違った。
だが、そこに間違いを見出すことができなかった。
そんなはずはない、とフラウの心が
【ああ ツバキ きみは まさか】
【──夢も希望もないっていうのか!?】
それを討たんとする魔法少女は、フラウとぼたんの祈りの結晶は真逆であらねばならない。
それが、それだけが。
成り立ちを同一とする彼女たちを別っていた。
──はずだった。
望んだ否定は与えられなかった。
つばきの赤く染まった瞳が、仄昏い光を湛える。
乾いた唇がそっと歪んだ。
「そうだね、フラウ……話を、しようか」
*
わたしは空を見上げた。
立ち上がり、もう一度踏みしめた地面はどこかふわふわと定まらない。
暗い空の星々が、ゆらゆらと泣き言のように光る。
姿形の定まらない灰色の影は言葉を発さず手も出さず、じっとわたしを待っていた。
わたしはそっと胸元に触れる。傷など最初からなかったかのように、何もかもが元通りになっていた。
彼は、わたしにはもう、あの刃が効かないことを知っていたのだろう。
「ねえ、フラウ。二年は、遅すぎたんだよ。──わたしにとっても、彼にとっても」
灰色の影が被ったフードに手を掛ける。
隠蔽の魔法は呆気なく解けて、なんの変哲もない灰色の上着を羽織った少年が姿を現す。
そこには。
嗄木なつめが、あの頃のわたしの恋人が立っていた。
【──え?】
フラウが声を引き攣らせる。
わたしはそっと、目を閉じた。
──魔法少女は、夢と希望で出来ている。
であれば。
夢も希望もないわたしは、一体なんだと言うのだろう?
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