4.五里霧中

 まだ、眠ったままでいたい。なにも、考えたくない。

 睡眠と覚醒の間を何度も行き来したあと、ニーアはベッドから飛び起きた。時計を見ると、とっくに正午を回っている。朝は遅い方だが、いくらなんでも寝すぎだ。

 そうだ、昨日は夜遅くまで考えごとをしていたのだった。悩んでいたその内容が、一瞬にして頭の中にあふれ出す。この店の今後のことだ。

 劇団との取引がなくなったら、売り上げは大きく落ちてしまう。創立祭の収入をあてにして収支を計算していたから、このままでは完全に赤字だ。

(どうしよ)

 普通に考えれば、新しい客を探すか、既存の客に新しい商品を売るかのどちらかだが、いったい誰に何を売ればいいのだろう。ニーアの得意とする音と光の魔道具は、必要とする人が限られる。

 劇団が町を出ることを聞いてからもう何日も経ったが、いまだにいい考えは浮かばない。

(もっとちゃんと勉強しとけばよかった)

 自分の魔道具作成の技術は、元々の店主から手ほどきを受けたものだ。彼女は主として音と光の魔道具を作ってはいたが、その他様々なジャンルにも精通していた。ニーアも一通りは学んだものの、完全に習得したのはその中のごく一部だ。

 部屋の奥に行って、梯子はしごを下りる。穴を二回くぐり抜けると、一階の店舗スペースに出る。カウンター裏にある水道を使って、顔を洗う。水道がここにしかないのが、この家の大きな欠点の一つだ。

 上に戻ろうとしたところで、ニーアは何かにつまづいた。壁に手を突き振り返ると、床板の一部が浮き上がっている。

 またかと思いながら、浮いた部分を踏みつける。いつもはこれで元に戻るのだが、板の厚みの半分ほどを残して、それ以上は全く進まなくなってしまった。何かに引っかかったかのように動かない。

 何度か無駄な努力を繰り返したあと、はっとして時計を見る。そうだ、今日はお客さんの家に行く予定があるんだった。寝坊してしまったから、余裕はあまりない。

 窓の外に目を向けると、真昼だというのに夕暮れのように薄暗い。でこぼことした真っ黒な雲が、空一面を覆っている。垂れ下がったこぶが、今にも千切れて落ちてきそうだった。

(行きたくないな)

 緩慢かんまんな動作で梯子に手をかける。今までずっとやってきたことなのに、今日は出かけるのが苦痛で仕方なかった。不意に涙がこぼれそうになって、拳を強く握りしめる。

 暗澹あんたんたる気分で、ニーアは三階の自室へと向かった。


 客先での仕事、照明用魔道具のメンテナンスは、滞りなく進んだ。ニーアと前の店主が協力して作った物で、光量を調整したり照らす範囲を変えたりできる高級品だ。

 魔道具は、屋敷の中で一番大きな応接間に置かれていた。来客者に見せびらかすために買ったのだろう。

「……ふう」

 早々に作業を終えて、小さく息をつく。メンテナンス用の道具を片付けていると、初老の男性が部屋に入ってきた。彼がこの家の主人で、町でも有名な大商人だ。

「そろそろご休憩されませんか?」

 男はニーアに穏やかな笑みを向ける。彼の容姿からは、地位に相応ふさわしい気品が漂っていた。さすがにもう慣れたが、初めて会った時は緊張でまともに喋れなかった。

「はい、ありがとうございます。作業は、終わりました」

「おや、そうでしたか。さすが仕事が早い」

 驚いた顔の男に、ニーアは小さく頭を下げた。勧められてソファーに座ると、彼の後からやって来た使用人が、お茶の準備をてきぱきと進めていった。

 ニーアは落ち着かない様子で、テーブルに置かれたティーカップの取っ手をもてあそんでいた。今日はメンテナンスの仕事以外に、別の魔道具を売り込むという目的がある。話を切り出そうと、タイミングを計っていたのだが、

「これは評判が良くてね」

 と、先に口を開いたのは男の方だった。照明用魔道具を指さしながら話を続ける。

「買った店を教えてくれとよく聞かれるんですよ。まあ値段を伝えると、皆諦めてしまうんですが」

 鷹揚おうように笑う男に、ニーアは曖昧な笑みを返した。確かにこの魔道具はかなり高く、他で売れる見込みもない。だが材料費と作業量を考えると、これ以上安くするのは難しい。

「久しぶりに帰ってきた息子も、ずいぶんと興味を持っていましたよ。彼は魔道具が好きでね」

 緩く頷きながら、話を聞く。この男性に息子がいるとは知らなかった。娘さんの方は、何度か会ったことがあるのだが。

 お茶を飲みながらの、とりとめのない話が続く。そろそろおいとまするという頃になって、ようやくニーアは話を切り出した。

「あの、なにか、必要な魔道具とか、ありませんか?」

「うん?」

 その質問の意図がよく理解できなかったようで、男は首を傾げる。ニーアはしどろもどろになりながらも、言葉を続けた。

「もしあれば、作って、お売りできます」

「ふむ」

 男は困惑して眉を寄せる。ニーアはそれを見て、尋ねたことを後悔した。唇をぎゅっと結ぶ。突然言われても困るだろうということは、分かっていた。

「いえ、無ければ、大丈夫です」

「そうですか。何かあればまたお願いしますよ」

 にこりと笑う男に別れを告げて、ニーアは屋敷を後にした。


 その後もいくつか客の家を回ったあと、ニーアは中央広場へと続く大通りを歩いていた。日の入りの鐘も先ほど終わり、辺りはそろそろ暗くなりつつある。

 必要な魔道具がないかという質問は全員にしたが、明確な返事は貰えなかった。聞き方が悪いのだろうとは思うものの、どうすればいいのかは分からない。

 せめて、今までに作成した魔道具の一覧を持ってくればよかったかもしれない。しかし、ニーアが今までに作ってきたのは、個々の客に向けた特注品が多い。劇団が使う馬鹿高いスポットライトなど、他に欲しい人がいるのだろうか。

 客を増やすため、中央広場の掲示板に店の宣伝を張り出したりもしたが、今のところ効果は上がっていない。手当たり次第に訪問販売するというのも考えたのだが、そこまでの勇気は出なかった。

 重い足取りで大通りを進む。ごく細かい雨が、鬱陶うっとうしく体に纏わりついてくる。いっそのこと本降りになればいいのに、などと思ってしまったが、もし本当にそうなれば、歩く気力すら無くなりそうだった。

 道の両側に並ぶ建物に目を向けると、どこも頻繁に人が出入りしていた。この辺りには、様々なジャンルの店舗が集まっている。あの中には、ニーアと同じくニッチな商品を扱う店だってあるはずだ。彼らはどうやって客を見つけているのだろうか。

(あ、カイン)

 高級感の漂う、お洒落しゃれな雑貨屋の前に、幼馴染の姿があった。腕を組んで、所在しょざいげに通りの方に目をやっている。

 ふと、彼に店のことを相談してみようか、と思いつく。自分より商売のことにずっと詳しいあの幼馴染になら、有用なアドバイスを貰えるかもしれない。だが、一応はライバル店である自分が店のことで相談なんてしたら、困るだろうか。

 迷いつつも近づいていくと、相手の方も気づいたようだった。目を見開いて、ニーアの顔を驚いたように見ている。少し不思議に思いながら、声をかけた。

「買い物?」

「あ、ああ……」

 答えながら、彼はあからさまに視線を外した。淡褐色の瞳には、焦りの色がある。なにか様子が変だ。

 カラン、という音とともに、店舗の扉が開いた。はっと顔を強張らせたカインが、振り返る。中から出てきたのは、贅沢に布を使った可愛らしいワンピースに身を包んだ、若い女性だった。

「お待たせしました、カインさん」

 彼女の口元には、柔らかい笑みが浮かんでいた。それを見たニーアは、何故か、胸の奥がきゅっと苦しくなった。

「……ごめん、邪魔して」

「あっ、ニーア」

 制止の声にも構わずに、駆け出した。誰にも顔を見られないように、フードの端を掴んで、深く下ろした。

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