5.差し伸べられた手

 中央広場に着くと、街灯の魔道具に魔術師たちが明かりを入れていた。時間が来ると勝手にき、魔力を補充せずとも数日間動く物もあるのだが、そんな高級品は遠く離れた王都ぐらいでしか見ない。

 広場の中央には、大きな掲示板が立っていた。そこには、領主からの通達や教会からのお知らせ、宣伝や仕事の依頼などが、雑多に貼られている。

 自分が貼った紙を探すと、最初の場所から移動して、隅の方に追いやられていた。他人が勝手に動かしてはいけない決まりになっているのだが、守られているとは言い難い。宣伝や依頼に関しては、特にそうだ。

 他の店の宣伝と見比べると、ニーアのものはひどく地味だった。デザインを頼める人もおらず、仕方なく自分で描いたものだ。これを動かした人も、一番目立たないものを選んだのかもしれない。

 もう少しマシな場所に移そうかと思ったが、やめておいた。ちょうどいいスペースを探す気力もない。

 近くのベンチに腰を下ろして、街灯の光を見るともなしに見る。安価な魔道具が使われているせいか、明かりの強さはまちまちだった。中にはほとんど消えかけているものまである。ニーアが作れば完全に均等にできるのだが、予算が合わないだろう。

 不意に、強い光が東の大通りから差し込んできた。細かい雨が照らされ、硝子ガラスの粒のようにきらきらと輝いている。

 フードの奥から視線を向けると、大きな馬車が入ってくるところだった。多分、隣町からの最終便だろう。広場の真ん中に止まると、旅人風の客たちが重そうな荷物を背負って降りてきた。

 その中にずいぶん懐かしい顔を見た気がして、思わず立ち上がる。相手の方もこちらに気づいたらしく、手をぶんぶんと大きく振ってきた。

「ニーア! 久しぶりー!」

 満面の笑みを浮かべた少女が、琥珀色の瞳を輝かせながら駆け寄ってきた。革製の部分鎧を身にまとい、背中には大きな弓と矢筒を背負っている。短めに切られた亜麻色の髪が、ふわふわと揺れていた。

「ぜんぜん変わってなくて安心したよー! こんなところで何してたの?」

 平均よりも少し背の高い彼女は、昔と同じようにニーアの頭をぽんぽんと叩いた。声や仕草は記憶通りだったが、少し大人っぽくなったように見えた。

「リズ……」

「えっ、うそ、どうしたの?」

 ぽろぽろと涙を流すニーアを見て、リズは目を丸くした。この先の不安と、親友に会った嬉しさがごちゃまぜになって、自分で自分の感情がよく分からなくなる。伏せた顔を、両手で覆った。

「大丈夫?」

 子供をあやすように、頭を優しく撫でられる。そっと背中に回された手から、彼女の体温を感じた。

 しばらくなすがままにされていたニーアだったが、急に気恥ずかしくなってきた。いそいそと体を離すと、リズも手を下ろした。

「ごめん、もう大丈夫」

「うん。ごはんでも食べにいこ?」

 その提案に、こくりと頷く。彼女に手を引かれながら、夜の街を歩き出した。


 リズの強い希望があって、二人は西端広場で食事を取ることにした。小さいテーブルを確保してから、お互い好きなものを買いに出る。

 ニーアはだいぶ迷ったあと、野菜のたっぷり入ったスープとパンを持って席に戻った。先に帰っていたリズが、小さく手を振ってくる。

「そんなに食べるの?」

 椅子に腰を下ろしながら、ニーアはいぶかしげに尋ねた。向かいに座るリズの目の前には、串焼き肉が山のように積まれている。優に十本はあった。

「なんかねー。お店の人が昔お世話になったおじさんでね。おまけだって言って、いっぱいもらっちゃった。ニーアも食べて食べて」

「うん、ありがと」

 嬉しそうに語るリズから、串を受け取る。焼けたタレのいい香りが漂ってくる。一切れ食べると、肉汁が口の中に広がった。

「こういうのって、つい買っちゃうよね」

 同じく一口食べたリズが、満足げに頬を緩めていた。ニーアはもぐもぐと口を動かしながら、こくりと頷く。実はスープと肉で迷ったのだが、被らなくてよかった。

「お酒飲むんだ」

 リズが買ってきたらしい、黄金こがね色の液体が入ったジョッキを指さす。町にいたころは、お酒なんて全然飲んでいなかったはずだ。

「冒険者をやってると、飲むこと多いからねー。最初は嫌々付き合ってたんだけど、いつの間にか好きになっちゃった」

 あはは、と笑って、リズはエールを豪快にあおった。その姿は、記憶の中の彼女と変わらないようでもあり、また大きく異なるようでもあった。

(もう二年以上も経つんだ)

 冒険者となった彼女が、この町を出てから。人が変化するには、十分な時間だ。

「リンデンベルグには、お仕事で来たの?」

 ふと疑問に思って、ニーアは尋ねた。この辺りには冒険者が好む遺跡や地下迷宮ダンジョンは存在しないし、彼らの力が必要となるような問題も少ない。西の森の奥には多くの魔物が潜んでいるが、外に出てくることはまず無い。

「仕事じゃないよ、休暇みたいなもの。今ね、あたしのいるパーティはお休みしてて、みんな自由行動してるんだ。ジーク……うちの魔術師が、新しい魔法を覚えたいって言いだして。ひと月ぐらいはここに居るつもり」

「そんなに長く休めるんだ」

「こういう時のために、みんなでお金を貯めてたからね! 二、三か月は遊んでても大丈夫だよ」

 得意げに言うリズに、ニーアは素直に感心した。冒険者と言えば、貯蓄も無くその日暮らしをしている印象があるが、彼女のパーティは優秀らしい。

「帰ってくるなら、手紙に書いてくれればよかったのに」

「ニーアを驚かせようと思ってねー」

 そう言って、リズはにんまりと笑う。エールを一口飲んで、彼女は言葉を続けた。

「今もお店を手伝ってるの?」

「ううん」

 スプーンでスープをかき混ぜながら、ニーアは首を振った。

「お母さんとは、もう一年ぐらい会ってなくて」

「えっ、この町に居ないの?」

「うん。旅に出てる」

「じゃあ、今はニーアのお店になってるってこと?」

「うん」

「へえー、すごいね! 自分のお店だなんて、憧れるなー」

 リズのその言葉に、ニーアは何の反応も返せなかった。褒められるようなことなんて、全くできていない。魔道具作成はともかくとして、店に関してやっているのは、以前からの顧客に対応することぐらいだ。単なる店番と大差ない。

「お店のことで、なにか困ってるの?」

 顔を伏せるニーアに、リズは心配そうに尋ねた。

「……うん」

 少し躊躇ためらったあとに、小さく頷く。店の状況や、劇団のこと、創立祭のことをゆっくりと語りだした。


 話が終わるころには、大量にあった串焼き肉はほとんど片付けられていた。結局ニーアが食べたのは一本だけで、他はすべてリズのお腹に収まっている。

「お店の売り上げかあ」

 思案するように視線を宙に向けながら、リズは追加の一本を手に取る。あの細い体のどこにそんなに入るのだろうかと、小食のニーアは不思議に思った。

「カインには相談しないの?」

「……ライバル店だし、一応」

 ニーアは咄嗟とっさにそう答える。それは理由の一部ではあったが、全てではない。そんな彼女の顔を、リズは覗き込むように見ていた。

「もしかして、喧嘩してる?」

「そういうわけじゃないよ」

 ニーアは顔を伏せて、スープを一口すくった。さっき見た若い女性の顔が、ちらりと浮かぶ。

 その答えをどう受け取ったのかは分からないが、リズはすぐに話題を変えた。

「やっぱり、地道にお客さんを増やすしかないんじゃない? お金持ちのお屋敷を回ってみるとか」

「上手くいくかな」

「分かんないけど、やってみたらいいんじゃない?」

 あっけらかんと言うリズ。ニーアは迷うように、スープをぐるぐるとかき混ぜた。やっぱり、できることは何でもやるべきだろうか。

「冒険者は、お金がなくなったらどうするの?」

「そりゃあ一番は、冒険者ギルドの依頼だねー」

 ニーアの質問に、リズは人差し指をぴっと立てて答えた。

「あそこに行けば、とりあえずお金は稼げるよ。いいやつはすぐに取られちゃって、残ってるのは大変なのばっかりだったりするけど、お金がなくて困った時には頼りになるんだ」

「二番目は?」

「んー」

 リズは中指をぴこぴこと動かしながら、虚空に目を向けていた。いまいち思いつかないようだ。

「ギルドと同じようなものだけど、街の掲示板を見に行くかな。あそこにも依頼書が貼ってあったりするから……」

 そこまで言ったところで、突如、ぽん、と手を打った。ぱっと顔を明るくして、ニーアの方へと視線を戻す。

「そうだ! ニーアも依頼を受けてお金を稼げばいいんじゃない?」

 その提案に、ニーアはきょとんとした表情で相手の顔を見返した。

「私、そんな冒険者みたいなことできないよ」

「ほら、魔道具でどーんと解決すれば!」

「ええー……」

 そんなに都合よくいくだろうか。もし魔道具でなんでも解決できるなら、冒険者なんて職業は無くなっている気がする。

 そもそも、受注生産がほとんどのニーアの店には、魔道具の在庫がそんなにない。残っているのは、半分展示用として店に並べている分と、ガラクタに近い試作品だけだ。依頼を受けてから作るつもりなら、よっぽど期間と報酬に余裕が必要だ。

 だがリズは、この案に自信があるようだった。

「それにね。依頼を受けてたら町の人の困りごとも分かるし、新しい商品のヒントにもなるんじゃない? 新しいお客さんも見つかるかもしれないし」

「うーん……そういうことなら」

 あまり気乗りはしないが、提案を受け入れることにした。やれることは何でもやるべきかもと、さっき思ったばかりだ。

「掲示板、見に行ってみる」

「うんうん。明日行ってみよ」

 リズは嬉しそうに何度も頷いた。最後に残ったエールを飲み干して、立ち上がる。

「依頼、あたしも手伝うからね」

「え、でも」

「いいのいいの。どうせ暇なんだから」

「……ありがとう」

 ぽそりとそう言って、ニーアも帰り支度をはじめる。歩き出しながら、遠慮がちに質問を投げかけた。

「今日の宿は、決めた?」

「ううん、まだだよ」

「じゃあ、うちに泊まる?」

「えっ、いいの?」

「うん」

「やった! ニーアの家に行くの、久しぶりだねー。早く帰ろ!」

 斜め後ろを歩くリズは、嬉しそうに声をあげ、ニーアの両肩に手を置いた。彼女にぐいぐいと押されながら、帰路に着いた。

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