3.誤算

 人気ひとけのない大きな通りを独歩どっぽしながら、ニーアはまだ日が暮れていないことに感謝した。この辺りにある街灯は、ほぼ例外なく壊れている。とても夜に一人では歩けないだろう。

 ここは、西端広場からさらに西に延びる大通りだ。道の両側には、元々店舗であっただろう廃屋がずらりと並んでいる。

 魔道具店を示す、指輪が描かれた看板もいくつか見かけた。前の店主から聞いたところによると、ずっと昔には、魔道具製作が町の主要産業だったらしい。

 名前の知らない広場を抜けて、さらに西へと進む。町の本当の西端が近づくにつれて、ちらほらと人の姿が見られるようになってきた。彼らは、廃屋に混じる比較的新しい建物に出入りしているようだった。

 ニーアは重い荷物を背負い直し、そんな建物の一つへと足早に向かう。しばし逡巡しゅんじゅんしたあと、遠慮がちに扉をノックした。

 と、間髪入れずに扉が内側から開かれ、思わず後ずさってしまう。そこに現れたのは、よく知った青年の姿だった。

「ああ、ニーアさん。頼んでいた魔道具の件ですね」

「はい」

 早速背負い袋を下ろして中を開けようとするニーアを、青年は手で制した。彼のむき出しの腕は赤銅色に焼け、またよく鍛えられているようだった。まだ春になったばかりだというのに、もう半袖を着ている。

「せっかくですし、お茶でも飲んでいきませんか? 今ちょうど休憩中なんです」

 そう言いながら、彼は背後に視線を向けた。建物の中は広い倉庫のようになっていて、奥には大量の木材が積まれている。

 西の森に生える木は頑丈で、そこそこ需要があるそうだ。森では魔石も採れるらしいが、町周辺の物はとっくの昔に採り尽してしまった。再び生成されるには、永い時間が必要だろう。

 倉庫の中央には、一台のテーブルがぽつんと置かれていた。その周りに座る男たちは、お茶(もしかしたらお酒かもしれない)を飲みながら談笑している。そのうちの何人かは、ニーアの方にちらちらと視線を送っていた。いずれも初対面の人たちだ。

「すみません、次の用があるので」

「そうですか、それは残念です」

 青年は、本当に残念そうに肩を落とした。それを見て、ニーアの胸に小さな罪悪感が生まれる。用事があるのは本当だが、お茶を飲む時間もないというわけでもない。

 男たちの視線から逃れるように、フードを目深に被り直す。荷物の中から、20センチ四方の木箱を二つ、苦労して取り出した。

 数日前から調整していたその品は、ただひたすら大きな音を出すだけの魔道具だ。この青年たちは、森の魔物を遠ざけるために使っているようだ。

「前にお渡しした物と、使い方は同じです。代金はいつも通り、後でいただきます」

 若干じゃっかん早口になりながら告げると、青年に木箱を押し付ける。ニーアは逃げるようにその場を去り、来た道を戻りだした。


 西端広場まで戻ると、今度は東に繋がる通りに進んだ。さっきまでいた所とは違い、こちらは本当の意味での大通りだ。街灯も完備されているし、人も多い。道の両側には、ちゃんと営業している店舗が並んでいる。

 大通りを東にしばらく歩くと、中央広場(位置的には町の東の方にある)に到着した。広場に面しているのは、教会や商人ギルドなどの公の施設と、町で最も大きい部類の商店だ。ジュグラス魔道具店もここに並んでいる。

 魔道具店の前には、大きな荷馬車が止まっていた。店員らしき人たちが、てきぱきと荷物を下ろし、どこかへと運んでいく。それを指揮しているのは、カインだった。

 彼は店員に指示しつつ、店に入っていく客にも意識を向けているようだった。途切れることの無い人の流れに、繰り返しちらりと目を向けている。時折なにかを報告に来る店員たちにも、並行して対処していた。

 ニーアは立ち止まって、それをぼんやりと眺めていた。不意に、カインの視線がこちらを向いたような気がして、思わずフードで顔を覆う。べつに隠れなくても、と自分で自分に呆れながら、その場を離れた。

 広場の中でも一際ひときわ目立つ建物に向かう。よく手入れされた、真っ白な外装。馬車でも通れそうな大きな出入り口は二階の高さに作られていて、そこから伸びる幅広の階段が広場に繋がっている。階段の上には、アーチ状の柱がそびえ立っていた。

 入り口付近には、武器を携え金属鎧に身を包んだ、完全武装の衛兵が立っていた。その横では、愛想の良い笑みをたたえた少年が、中に入ろうとする人たちからお金を取っているようだった。

 彼に近づいて挨拶すると、すぐに中に入れてくれた。金を払っていた女性が怪訝そうに見てくるのに気づいて、そそくさと先に進む。無料ただで入れるのは嬉しいのだが、少し気まずい。

 高価そうな絨毯じゅうたんが敷き詰められた通路を少し歩くと、すり鉢状になった広大な空間に出た。奥の最も低い位置には幕が下ろされた大きな舞台があり、手前側の斜面には多数の客席が設置されている。ここは、この町唯一の劇場だった。

(早く来すぎちゃった)

 目的の演劇が始まるまでには時間がある。客もまだまばらだ。ニーアは舞台正面の席を確保し、荷物の中から紙資料の束を取り出して読み始めた。

 そこに書いてあるのは、ニーアが今までに作った魔道具のリストだ。効果は様々だが、音と光に関するものが多い。先ほど青年に渡したような単純なものではなく、高機能で高価な魔道具がほとんどだ。

 資料を読みふけっていると、急に辺りが暗くなった。照明が落とされたようだ。周囲を見回すと、いつの間にか客席はほとんど埋まっている。

 やがて幕が上がり、舞台の上に指向性の照明用魔道具スポットライトの光が投げかけられた。こういう場所以外では、まず使われないものだ。通常の明かりと違って、材料費と製作難易度が跳ね上がる。

 数人の冒険者風の男女が、光の中に進み出た。彼らが話すところによると、今は洞窟を探索しているところで、奥にむ魔物の退治が目的らしい。

 しばらく会話が続いたあと、威嚇いかくするような唸り声が響き渡る。まるで魔物が本当にいるかのようなリアルな音響に、客席からざわめきが漏れる。それを聞いて、ニーアは口元を緩めた。

 冒険者たちが武器を構えるとともに、舞台全体が強い光に照らされる。彼らの目の前には、犬か狼に似た姿の、影のように真っ黒な魔物の姿があった。飛びかかってくる魔物を、最後尾の魔術師風の男が炎の魔法で迎撃する。

 これらの魔法や魔物の姿は、全て魔道具が作り出した幻影だ。先ほどのスポットライトや唸り声を出した魔道具など、ニーアが作ったものが多く含まれている。自分の作品が実際に使われているのを見るのは、やっぱり嬉しい。

 一時間ほどの探索の末、冒険者たちが洞窟の主を倒して演劇は終わった。劇団のメンバーが挨拶あいさつし、客席には拍手が巻き起こる。

 ストーリーらしきストーリーはほとんど無く、戦いの場面がほとんどだったが、客は十分満足したようだった。魔道具を使った派手な演出が、この劇団の売りだ。

 なおこの町に他に劇団はなく、この劇場自体、使われることはあまり無い。なのにこんな大規模な施設が存在するのは、町の人口がもっと多かったころの名残だった。

 幕が下り、客席にも明かりがつく。ニーアは席に座ったまま、客がけるのを待った。

「ニーアさん」

 声をかけられて振り向くと、そこにいたのは入り口で会った少年だった。

「団長があっちで待ってます。ご案内しますね」

「はい」

 少年に先導され、舞台横の通路を進む。道の片側には、部屋の入り口が整然と並んでいた。

 途中、見覚えのあるぼさぼさ頭が正面から歩いてきて、つい視線を送ってしまった。少し前に店に来て、腕力ストレングスの指輪が無いか聞いてきた男だ。向こうもニーアに気づいたようで、互いに目礼して通り過ぎる。

 劇団関係の仕事で会ったことは無いはずなのだが、関係者だったのだろうか。そんなことを考えているうちに、少年はある部屋の前で立ち止まった。

「ここです」

 彼は振り返って、扉を手で示す。忙しそうに去って行く少年を見送ってから、ニーアは部屋に入った。

 部屋の中には、ったデザインのソファとテーブル、いくつかの鏡台と椅子が設置されていた。初めて通されたが、役者の控室なのかもしれない。

 鏡台の側には、腕を組んだ若い男性がたたずんでいた。彼はニーアに笑みを向けながら、優雅な仕草で頭を下げた。

「お待ちしていました。劇は楽しんでいただけましたか?」

「はい」

「それはよかった」

 ニーアは小さくお辞儀をすると、フードを脱いでソファーに座った。思ったよりも、体が深く沈み込む。相手の方は、鏡台の引き出しから中身の詰まった革袋を取り出したあと、向かい側に腰掛けた。

 劇の内容やニーアの魔道具について、軽い雑談を交わす。会話が一段落したあと、男は革袋を差し出してきた。

「今月の代金です」

「ありがとうございます」

 受け取った袋はずしりと重い。今月は新しく魔道具をいくつか買ってもらったし、今まで売ったもののメンテナンス費もあるから、結構な額になっているだろう。中は金貨でいっぱいのはずだ。

 お金を荷物の中に仕舞しまい、相手の次の言葉を待つ。普段なら、今後の演劇に必要な魔道具の話や、予算の話が始まるところだ。だが相手の口から出たのは、予想外の言葉だった。

「実は、我々の劇団は、もうすぐこの町を出ることになりました」

 ニーアはそれを聞いて、ぽかんと口を開ける。彼は言いづらそうにしながらも、説明を続けた。

「とある貴族の方のはからいで、王都の大劇場を使わせていただけることになったのです。これを機に、拠点も向こうに移すつもりです」

「え、ほんとですか?」

 大劇場を使えるのは、実力、知名度ともに国内有数の劇団だけだ。彼らとは前の店主のころからの長い付き合いだが、そんなに有名になっていたとは知らなかった。

「今までサポートしていただいたニーアさんには、大変感謝しています。今後取引ができなくなるのは、申し訳ないですが……」

「いえ、向こうでも、頑張ってください」

「はい。ニーアさんの魔道具は、大事に使わせていただきます」

 差し出された右手を握って、別れを告げる。自分の魔道具が大劇場で使われるというだけでも、名誉なことだ。いつか見に行こうと心に決める。

 席を立とうとしたところで大事なことを思い出して、慌てて質問した。

「あの、創立祭にも、出ないんですか?」

「ええ……残念ですが」

「そう、ですよね」

 ニーアは目を伏せた。王都までは馬車で何日もかかる。そう簡単に戻ってはこれないだろう。

 毎年の創立祭で、彼の劇団は大掛かりなパレードを出していた。そのためにニーアの店から魔道具を大量に買うのが常だったのだが、今年はその収入がなくなってしまうということだ。

 今度こそ本当に彼と別れると、ニーアはとぼとぼと来た道を帰っていった。

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