2.幼馴染
「ただいま」
癖になってしまったその言葉とともに、ニーアは店の扉を開いた。ここに住んでいるのはもう自分だけで、したがって返事は当然ない。出迎えてくれるのは、
と思ったら、床に積もったたくさんの封筒に歓迎されて、危うく踏みそうになった。少し外に出ている間に、扉についた郵便受けからまとめて投入されたようだ。綺麗に重ねて拾い上げ、脇に挟む。
フードを脱ぎ、明かりをつけてカウンターの奥へと向かう。壁には、上の階へと繋がる
最上階の三階にあるニーアの部屋は、大きな作業机と、ベッド、収納用の家具でほぼ埋まっていた。梯子と逆側にあるバルコニーへは、ベッドの上を通らないと辿り着けない。
ベッドに腰掛けて紙袋を開けると、ガサガサという音がやけに大きく響いた。自分の立てる音以外全くの無音なのが、今日はなんだか寂しく感じる。ついさっきまで広場の
少し前までは、ニーアが寝泊まりしていたのは二階の物置で、この部屋は別の人物が使っていた。その女性はこの店の元々の店主であり、ニーアの魔道具技術の師匠であり、そして親代わりだった。
『17歳おめでとう。誕生日プレゼントに、この店をあげよう』
そんな豪快なことを言って彼女が出て行ったのは、今から数か月前だ。昔から変わった人だとは思っていたし、その行動に驚くことも多かったが、あの時ほど
串焼き肉を食べながら、当時のことを思い返す。いきなり一人で店をやるなんて無理だと泣いて訴えたが、全く聞き入れられなかった。今までの客がいるから当分は大丈夫だろう、これからのことはその間に考えればいい、と。
確かに一応店の経営は成り立っている。だがこれからのことに関して言えば、全く何も進んでいなかった。ニーアが店を任せられてから、新しい客や取引は増えておらず、徐々にではあるが減る一方だ。このままでは、いずれ
(いつ戻ってくるのかな)
しばらくしたら様子を見にくる、と彼女は言っていた。帰ってきたら相談したいことは山ほどあったし、それに、
(誕生日、訂正しないと)
ニーアは口を尖らせた。本当の誕生日は来月で、つまりはまだ16歳だ。あの時は、指摘する心の余裕もなかった。
母親はそういうイベントごとに無頓着で、まともに誕生日を祝われた記憶もほとんどない。だが、仮にも娘の年齢も知らないというのは、どうなんだろうか。
食べ終えた串を片付けて、郵便物を確認する。そのほとんどは、請求書やら注文書やらの、仕事関係のものだった。明日見ようと思って、横に
ある一通の封筒を目にした途端に、ニーアの表情がぱっと明るくなった。宛名の筆跡を見ただけで、誰から来たかすぐに分かる。封筒を裏返すと、二年前に冒険者になった、幼馴染のリズの名前があった。
手紙の内容は、主に近況報告だった。彼女は今、冒険者パーティに属していて、
(すごいな)
彼女の活躍は、まるで自分のことのように嬉しかった。自然と口元を緩めながら読み進めたのだが、最後の一枚をめくったところで、笑顔を瞬時に呆れ顔に変えた。
(またこんなこと言って……)
そこには、ニーアの近況を尋ねる文の後に、こう書かれていた。『それから、カインとの関係は進んだ?』と。
カインというのは、リズとの共通の幼馴染の名前だ。彼は今でもこの町に住んでいて、確かによく会ってはいる。だが『関係が進む』ような事態を、ニーアは上手く想像できなかった。
手紙の残りの部分には、カインと付き合うべき様々な理由が綴られていた。昔から仲良いんだしとか、同じような仕事してるんだしとか。
(同じ、かなあ)
ニーアは首を傾げた。同じと言えば同じだし、違うと言えば違う。それにそもそも、同じ仕事なら本当にいいのかという疑問もあるけれど。
読み終わった手紙を片付けて、ベッドの上をずりずりと移動する。バルコニーに繋がるガラス張りの扉を開けると、冷たい澄んだ空気が入り込んでくる。雲一つない夜空には、大きな丸い月が、造りたての銀貨のように輝いている。
町の西には、月明かりに照らされた広大な森が広がっていた。いや、この町自体が半分森にめり込んでいると言うべきだろう。もし町がなければ、ニーアの今いる場所は、森と草原のちょうど境目あたりだ。
町の西側はほとんど廃墟になっているが、端の方にだけ明かりのついた建物がいくつか並んでいる。森の木を切るための拠点として使われているためだ。
(あれ?)
ふと、眼下にも明かりがあることに気づいて、ニーアは内心首を傾げた。ちょうどバルコニーの真下、店の入り口あたりだ。玄関先に置いている明かりの魔道具を発動させた記憶はないので、誰か客でも来ているのかもしれない。
だがしばらく待ってみても、光が動く気配も扉が叩かれる気配もない。無意識のうちに明かりをつけてしまったか、それとも故障でもしているのか。そう判断して、渋々梯子に向かう。上り下りが面倒なのが、この店舗兼住居の最大の欠点だ。
一階に下り、ぱたぱたと足音を立てて入り口へ向かう。もし故障なら、店にある材料だけで直せるだろうか。そんなことを考えながら扉を開いたのだが、
「……っ!」
そこにあった人影を見て、ニーアはびくりと体を震わせた。あまりに過剰に反応したせいで、相手の方が面食らったようだった。
「なんだよ、そんなに驚かなくてもいいだろ」
その男、幼馴染のカインは、
「なんでもない」
ニーアはふるふると激しく首を振った。さっきまで読んでいた手紙の内容を、急いで頭から追い出す。そんな彼女の様子に眉を寄せつつ、カインは手に持った封筒を差し出した。
「悪いな、こんな時間に。郵便受けに入れておこうか迷ってたんだが」
謝罪の言葉に、再び首を振る。別に気にしなくていいのにと思うのだけれど、相手の方は違うらしい。
少し上から渡された封筒を、ニーアは両手で受け取った。背の低い彼女からすると、向こうは頭一つ分高い。
「前に渡した魔道具の請求書だ。親父から、早く渡してこいと言われた」
そう言って、カインは渋面になった。無理を言って譲ってもらったものだから、結構な値段になっているだろう。
彼の父親は、ジュグラス魔道具店の店主だ。この町に二つしかない魔道具店なのでそこそこ交流はあるが、同時にライバル視もされているようだった。ニーアからすると、規模が違いすぎて勝負にならないと思うのだが……。
「あの魔道具は店で売るのか?」
ニーアの背後に目をやりながら、彼は尋ねた。そこに並んでいるのは高価な一点物ばかりで、一般的な商品を扱うジュグラス魔道具店とは品揃えが全く違う。
「ううん、部品だけ取ったの。修理に使うから」
「へえ、そんなことできるんだな」
感心したように言うカインに、ニーアはこくりと頷く。彼も彼の父親も、商売人であって魔道具に詳しいわけではない。店では修理も受け付けていたはずだが、専門の魔道具技師がいるのだろう。
「店は上手くいってるのか?」
「……うん」
答えるまでに、少し間が開いてしまった。だが彼は特に不信には思わなかったようで、そうか、と言ってそれ以上何も聞いてこなかった。
「そう言えばお前、昨日の会合またさぼったな」
会合というのは、この町に店を出している者たちが、近況報告などを行う集まりのことだ。ニーアも本当は出なければいけないのだが、ほとんど顔を出していない。カインは店長代理として、忙しい父親に代わって毎回出席しているようだ。
「だって、どうせ何も話さないし……」
「他の人の話を聞くだけでも意味があるだろ」
もごもごと言い訳するニーアに、カインはぴしゃりと言い放った。彼はこういうところに厳しい。
「昨日は祭りの話で盛り上がってたんだ」
「早いね」
「露店の場所を決めたりな」
町の創立祭は、まだ一か月以上先だ。当日は西端広場だけでなく、そこから東に延びる大通りまで露店で埋め尽くされる。
「ニーア」
短い沈黙のあと、カインがぼそりと呟くように言った。ニーアは顔を上げて続く言葉を待ったが、相手の方は店の中に視線を向けたまま黙ってしまう。不思議に思って首を
「いや、いい。おやすみ」
「……? うん」
逆側に首を傾けつつ、去って行くカインを見送った。言いかけてやめるなんて、はっきりした性格の彼にしては珍しい。
扉をぱたんと閉めると、静寂が再び辺りを支配した。
魔道具を使って音楽でもかけてみようかと、ふと思いつく。だが、余計に寂しくなって後悔する自分の姿が頭を
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