少女ニーアの音と光の魔道具店

マギウス

1.魔道具店のお仕事

 ニーアはその青い瞳で、目の前にある木製の箱をじっと見据えていた。20センチ四方の箱の表面には幾何学的な模様が描かれ、白と黒で色分けされている。天板は外され、横に立てかけられている。

 身を乗り出すようにして、箱の中身を上から覗く。ショートボブに切った栗色の髪が、重力に従って傾く。座っている椅子がきしんで、嫌な音を立てた。

 箱の中では、金属の板やワイヤー、色とりどりの宝石が、複雑に繋ぎ合わされていた。適当に詰め込んだわけではなさそうだが、かと言って装飾的価値があるようにも見えない。ニーアは真剣な表情で、その一つ一つを確認していく。

 わずかに首を傾げると、隣に置いてあるピンセット二つを両手に取った。他の部品に触れないように注意しながら、ワイヤーによって箱の中心付近に配置されている金属片を摘む。そこに固定されている小さな赤い宝石を、慎重に取り外した。

 ピンセットでつまんだ宝石を、陶器の皿に移す。カラン、という硬い音が鳴ると同時に、若い男性の声が耳を打った。

「すみません」

 自分しかいないと思い込んでいたニーアは、体をびくりと震わせた。慌てて顔を上げる。

 カウンターの向こう側には、いつの間にか旅装束しょうぞくの若い男性が立っていた。目元が見えないほどに、ぼさぼさの黒い髪を伸ばしている。

「探している魔道具があるんですが」

「は、はい。どういった、ものでしょうか」

 ニーアはどもりつつも、必死に答えた。その声は女性にしては低めで、ぼそぼそとして聞き取りづらい。

 フードを目深に被り直そうとして、手が空を切る。そうだ、作業するからって脱いだのだった。後ろの棚にあるはずだけれど、今から着るのも変だし……。

 そんな彼女の葛藤かっとうに気づくはずもなく、男は説明を続ける。

腕力ストレングスの指輪です。少々高くても構いません」

「……すみません、そういうのは、置いてなくて」

 多少は落ち着いた様子で、今までに何度口にしたか分からない、その答えを返す。男は、横にある商品棚にちらりと目を向けた。

 棚には、カウンターに置かれた物と同じような木箱や、ランタンのようなもの、その他用途の分からない大きなものが並んでいる。どれもかなりの値段がついていた。

「ジュグラスさんの店なら、置いてると思います」

 この町にある、もう一つの魔道具店を紹介する。こことは比べ物にならないほど規模の大きい店だし、メジャーな魔道具なら大抵手に入るだろう。

 次に男は、カウンターにある作りかけの魔道具に視線を移動させた。前髪を一度ばさりとき上げると、内部構造が晒されたその箱をじっと見つめる。

「ありがとうございます」

 唐突に、彼はきびすを返して去って行った。歩く男の両側には、壁に取り付けられた商品棚が、ぎりぎり手が当たらない距離に迫っている。十歩も進まないうちにもう出口だ。この店は、店舗として成り立つ最低限の広さしか備えていなかった。

(びっくりした)

 店内に誰も居なくなったのを確認してから、ニーアはようやく緊張を解いた。いまだに客対応は苦手だ。店番に立つようになってから、もう何年も過ぎているというのに。

 お客さんと上手く話せないのは、ニーアの性格だけが原因というわけでもない。実のところ、この店に新規の客が来ることは滅多に無いのだった。場所は非常に悪いし看板も控えめだ。さっきの男性がどうやって辿り着いたのか、不思議なぐらいだ。

 主な顧客は、昔から取引のある貴族や商人だ。売れる数自体は多くないが、単価が高いのでなんとか稼げている。

 壁掛けの時計に目をやると、思ったより時間が経っていることに気づいた。そろそろ出かけなくてはならない。ニーアは椅子から立ち上がって、身支度を始めた。


 店から外に出ると、沈みかけの夕日の光が真正面から飛び込んできた。思わず目を細めて、フードの端を下ろす。教会の鐘の音が、かすかに聞こえる。

 鍵をかけようとして、扉の上にある小さな看板が視界に入る。塗装が剥げかけて分かりづらいが、指輪の絵が描かれている。万国共通の魔道具店のしるしだ。

 左手に延びる細い通りを進む。冷たい風が駆け抜けていって、体がぶるりと震える。最近は気温も上がってきたが、ローブ一枚ではまだ少し寒そうだ。外套がいとうを着てきて正解だった。

 道の両側に、派手な看板を掲げた店がぽつぽつと見られるようになってきた。魔道具を使ったカラフルな明かりで彩られ、若干いかがわしい雰囲気を漂わせている。職業柄、看板を詳しく調べたい衝動と戦いながら、ニーアはそそくさと通り過ぎた。

 やがて、道は大きな広場へと繋がった。広場には、酒や食べ物を出す露店が乱立している。そこらに設置されたテーブルで、大勢のグループが酒盛りをしていた。まるでお祭りでもやっているかのようだが、これが平常運転だ。

 『西端広場』という名前にも関わらず、ここは、東西に細長いこのリンデンベルグの町のちょうど中心だ。町の西半分にはほとんど誰も住んでいないので、実質的に西端扱いされている。

 露店の間を通り抜けると、肉とタレが焼けるいい香りが漂ってきた。そろそろお腹が空いてきたころだ。夕食を買って帰ろうかな、などとぼんやりと考える。

「おーい、こっちこっち」

 一つの店の中から、見知った初老の男性が手を振ってくる。書き入れ時にもかかわらずまだ準備中のようで、看板も出ていない。ニーアはフードを被り直して、男の元へと早足で向かった。

「お待たせしました」

「いやいや、来てくれて助かるよ。早速だが、見てくれんかね」

 店の中に入れてもらったニーアは、男の指さす先に目をやった。そこには、正面と上面に穴の開いた、小さな移動式のかまどがあった。火は既に入れられていて、近くに立つだけで熱気が伝わってくる。

 しゃがみこんで、正面の穴を覗き込む。中の空洞には、本来あるはずの燃料が存在しなかった。何もない空間から、炎が立ち上っている。

「火が、安定してないですね」

「そうなんだよ。肉が焦げるぐらいならまだいいんだが、火傷しちゃかなわん」

 二人の言うとおり、炎は先ほどから激しく揺れ動いていた。時折、上面の穴の上まで噴き上がっている。

 中を覗きながら、ニーアは小さく首を傾げた。炎は大きく変形し続けているが、総量自体はあまり変わっていない。平たくなったり、細長く上まで伸びたりしている。

(ってことは……)

 ニーアがかまどの正面に手をかざすと、ふっと火が消えた。一瞬にして体感温度が下がる。

 肘まである分厚い手袋を着けて、穴の中に手を入れる。すっかり薄汚れてしまったこの手袋は、実はそこそこ高級な魔道具だ。冒険者が使う耐熱のマントとほぼ同じ効果を持っていて、まだ高温のはずのかまどの中でも、全く熱さを感じない。

 煤やら焦げた食材のカスやらが積もった底部分を手で払うと、石に刻まれた複雑な文様が現れた。よく見るとそれは、二重の円と魔術文字から構成された魔法陣であることが分かる。

 陣の中心には、赤と緑の二つの魔石がめ込まれていた。親指の爪ほどの大きさの二つの宝石を、指先でこすって綺麗にする。

(やっぱり)

 透明度が高く不純物も含まれていない赤い魔石とは対照的に、緑の方には細かいひびがたくさん入っていた。表面だけはなく、中の方にまでだ。これが炎が不安定になっている原因だろう。

 どうしようかと少し考え込む。魔石を交換するのが一番いいのだが、そう簡単には取り外せそうにない。次善の策を考える必要がある。

(火を弱くすれば、まだ大丈夫かな)

 荷物の中から、先を平たく潰した金属の棒を取り出した。魔法陣の構成を調べて、魔術文字の一つをがりがりと削る。

 文字が薄れて見えなくなったところでやめて、手を外に出した。穴の前でひらひらと手を振ると、再び火がつく。

「おお」

 男が感嘆の声をあげた。さっきは暴れまわっていた炎が、静かに安定して燃えている。少し小さくなったようだが、そこまで問題にはならないだろう。ニーアはほっと息をつく。

「風の魔石が、寿命みたいです。調整はしましたけど、そんなに長くは持たないと思います」

「修理はできるのかい?」

「修理と言うか、底に敷いてある魔道具を、丸々交換になるかもしれません」

「うーん、結構かかりそうだな」

 どうしようかねえ、などとぶつぶつ呟きながら、男は懐から財布を取り出した。手渡される数枚の銀貨を、ニーアはぺこりと頭を下げて受け取る。

「あ、ちょっと待った」

 立ち去ろうとするニーアを、男は呼び止めた。

「食事はまだかい? もしよかったら、うちの串焼きをご馳走ちそうするよ」

「……はい。ありがとうございます」

 少し迷ったが、ちょうど何か買って帰ろうと思っていたところだ。有難くいただくことにする。男は相好を崩すと、食材の準備を始めた。

 近くのベンチに座って、ニーアは立ち並ぶ露店ををぼんやりと眺めていた。周りにあるのは飲食店がほとんどで、呼び込みの声が絶えない。

 この広場では、その日の気分とノリで買い物をする客が多く、味よりも集客の上手さが売り上げを左右するとまで言われている。目立つ看板、食欲をそそる香り、派手なパフォーマンスなど、どの店も工夫に余念がない。

(看板、新しくしようかな)

 今みたいなボロいやつではなく、綺麗で目立つものに。もっとも、看板だけ替えたところで、そもそもあそこを通る人がほとんどいないという問題があったが……。

「ほい、持ってきな」

 物思いにふけっていたニーアの目の前に、紙袋が差し出された。その中身を一瞥したあと、若干戸惑った表情で男の顔に目をやった。袋の中には十本近い串焼き肉が入っている。一食分にしてはかなり多い。

「二人で食べてくれよ」

 紙袋を押し付けるようにしながら、男はにかっと笑う。だがそれを聞いたニーアは、困惑したように眉を寄せた。

「あっ、すまん! 今は一人暮らしなんだったな」

 彼女の様子を見て、男はそのことを思い出したようだった。慌てて串を半分ほど引き抜く。

 ニーアは小さく頷いたあと、袋を受け取ってそそくさとその場を後にした。

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