Episode: 02-03 死者の不在

 幸に身内以外の見舞客が来たのは、三年ぶりだと気付いた。


 確か、最後に友達が見舞いに来たのは幸が高校二年のとき。

 ――結局通えなかった、同じ高校に進学した、小学校来の友達がやってきた。

 彼は顔も名前も知らないクラスメイトの寄せ書きの色紙と、千羽鶴を届けにきたのだ。もう、お互い、何を話したらいいかも分からないように、ぎこちなく言葉を交わしていた。


 友達は幸の衰弱した様子を一目みて言葉をなくしてしまった。


 その頃育ち盛りの友達は、早くも青年の趣を持つ体が作られはじめていた。

 彼は幸の小さな体と、貧弱な手足と、鼻と口と腕に繋がった管に、痛ましげに眉をひそめた。黄色っぽく青ざめた肌、薬の副作用で抜け落ちた薄い頭髪、闘病の痕跡を詰め込んだ幸の体。


 飢えた子供のようにやせ細っている。


 どこに目を落ち着ければいいかも分からず、終始、彼は視線を戸惑わせていた。

 そのときから二人の間には薄い強固な壁が立ちはだかってしまったのだ。


 千羽鶴にはすぐビニールがかけられた。

 寄せ書きの色紙は、当たり障りのない励まし言葉の例文集のような有様だった。

 それは、自宅のからっぽの幸の部屋に、今も所在無く置き去りにされている。

 高校に通える見込みが立たず、一年ちょっとで退学してしまって、それ以来幸を訪ねに誰かがやってきたことはなかった。



 ――翌日。


「季世! 本当にまた来てくれたんだ。ありがとう」


 サプライズで病室へ季世を連れて行くと、幸はクリスマスの朝にプレゼントを見つけた子供を見事に再現した喜びようを見せた。

 してやったり。目論見通りのリアクションが気持ちいい。


 でも、そう良い気分でいられたのは最初のうちだけだ。


「昨日、恵君から聞いたんだけど、時鳥荘って、不死病患者の生活援助を行うんだって?」


「そう」


「構成員は全員、不死病患者?」


「八割は、そう」


「患者の数って分かる? 秩序だって運営できる程の組織になるんでしょ。結構居るんだね?」


「日本だと、三万人に一人って言われている。分かる限りだけれど」


 すっかり子供に返ったみたいに、無邪気に質問を繰り返している。

 不死病なんていうものがこの世に存在することが前提になっているから、居心地が悪い。またお茶汲みに部屋を出て、ついでに一階の売店で菓子でも買おう。

 ちょっと居づらい空気だ。


「三万人に一人――じゃあ、今の人口が十三億だから……四千人くらい? そんなにいるんだ」


「海外はもっと多い」


「へぇえ。なるほどね」


「なるほどって?」


 妙に感心した様子に、思わず問いが口をつく。


「海外って不死の伝説が沢山あるじゃない。歴史上の人物にも蘇りの逸話が多いし」


「そうだっけ。ええっと、ゾンビとか?」


「そうそう。吸血鬼とか。ラスプーチン、始皇帝、サンジェルマン伯爵――キリストも、だね」


「そうだ。日本は、人魚のなんとかだよな?」


「恵君、よく知ってたね。八尾比丘尼伝説だ。それに、竹取物語にも不死の伝説はある」


「へえ?」


「かぐや姫に求婚していた帝へ、姫が月へ帰るとき、不死の薬を残して行くんだ」


「あー、なんか聞いたことあるかも」


「古今東西の神話に出てくるよね。不死の薬って。昔から興味の尽きないテーマだもの」


「はぁ~」


 興味深く聞き入ってしまって、ふと我に返った。

 俺ばっかり関心をもって相槌を打っていたみたいで、ちょっと恥ずかしい。


「――俺、お茶汲んで来る」


「ごめんね、ありがとう」


「ううん、いいって」


 椅子を立つ。幸は早速次の質問に移っていた。


「不死病の罹患者に共通点はある? どういうきっかけで発病するのかな。それを治す方法は、まだ見つかっていない?」


「共通点はひとつ。一度、死に瀕した経験があること。おそらくその時点で罹患する。治す方法は見つかってない」


 背後の二人の会話を聞き流して、季世の答えが引っかかった。

 幸に当てはまる、と思ってしまった。

 いまだ、子供のような姿の彼。

 奇跡の生還を遂げ、以来、幸は快方に向かっている。

 もしかしてと思う自分に先回りして、馬鹿馬鹿しいとかぶりを振った。

 

 悪質だと感じてしまうのは、季世が病人を相手取って「あなたも不死かも」と言ったことだ。


 季世がひとりで不死者ごっこをしているならそれで構わない。俺も気にしない。

 でも、幸を相手に、見るからに難病の彼を前にしてそんなことを言うのは、やっぱり無責任だし、軽率だ。

 彼がどんな状況に陥っているのか、想像するくらいできるだろうに。


 到底二十歳に見えない外見は、病気のせいで体の発達が遅れているだけだ。

 不老不死だからなんて理由はつかない。


 それを逆手にとって、不死病の裏づけにしようとしているなら、季世はいよいよ無神経な女の子だと感じる。

 やっぱり彼女は、歳相応の、中学生の、子供なんだ。


 お茶とチョコスナックを持って戻った頃にはすっかり入る隙がなくなっていた。

 不死病についての質問大会は終わって何か歴史の話なんかをしているらしい。

 季世の回答はあんまり冴えていない様子だ。

 幸が問うたび、首を横に振るか「分からない」と答えている。


「歴史の出来事って、でもまあ、当時の人からしたらよく分かってなかったり関心なかったりするのかもね。自分の生活で精一杯だろうし……振り返ってはじめて歴史なわけだし、リアルタイムで経験したから詳しいとも限らないよね」


 幸のフォローが手厚い。


「歴史の勉強、苦手なんだ?」


 少し意地悪な気持ちで問いかけると、季世は素直に頷いた。


「苦手」


「僕も、実はあんまり」


 俺もだとは今更言えない。


「そういえば、もしかして、季世って俺らが通っていたときも学校にいたの? 年取らないなら、ずっと中学生なわけでしょ? 入学と卒業、繰り返すの?」


「巣篭に引っ越したのは、三年前。だから、滝野原西中に入学したのは三年前」


「……俺と一年被ってたのか」


 学年では二年差だから、一年は同じ校舎にいたはずだ。

 気付かなかった。見た覚えもない。


「その前は北海道の学校に三年いた。それより前は栃木」


「あちこちで生活しているんだ。大変だね」


「慣れたから」


 同情的な幸の眼差しへ頷き返す。

 人のことを大変だねと心配できる余裕なんて、幸にはないはずなのに。


「でも、ちょっとした学校の怪談が出来ないか、それ。あちこちの学校の卒業アルバムに、まったく同じ人物が、歳も取らずに載っているって」


「でもあんな小さい写真くらい、髪型や眼鏡なんかの印象でどうにでもなるんじゃない?」


 また、幸のフォローだ。


「そう。ほくろ、描いたり」


「それでごまかしきくかなぁ~?」


「自分のことなんて、自分が思う以上にみんな気にしないから」


 季世の言葉は、妙に達観していた。

 構ってほしい人間の言葉じゃないと、幸が言ったのを思い出す。

 でも、それだって演出かもしれない。

 幸は季世に肩入れしているから、そう思うんだ。

 もう、季世の言葉だったら何だって好意的に捉えてしまうのだろう。


「信じられないよ。不死なんてさ……今生きるのがやっとの人だっているのに。そんなの、実在するなら、もっと医学の発達に協力してさ、今頃不死の薬のひとつでも作ってあってもいいんじゃない。非現実的……非科学的だよ」


 俺は、至って軽い調子で言った。

 そのつもりだった。


「信じなくていい」


 季世の声が冷たく響く。

 でも、多分、普段と変わらない口調だ。感情の表れない平坦な声からは、傷ついたようにも、怒ったようにも感じ取れない。


「じゃあ、恵君には何が現実的で、科学的なの?」


 訊ねたのは幸だった。

 幸も普段の口調なのに、追及されているような気分になるのは、俺自身の感情のせいだ。俺が、疎外感を抱いているから、二人の態度に怯んでしまう。


「それは、人間は絶対に死ぬってこと……だよ」


「どうしてそう言えるの?」


 どうしてって。

 常識だ。


 でも、当たり前のことを、なんと説明すればいいのか分からない。


「死んだ人がいるから、人間は死ぬ。それだけのことでしょ、僕らの知ってることって」


「それだけって」


「もし死なない人が一人でもいれば、覆される。確率の話でしかないんだよ。人間だとすれば、死ぬ可能性が高い――ってことだよね」


「だって……死なない人間が実在するなら、もっと公に騒がれるんじゃないか?」


「分からないよ。例えば国が存在を把握していて、一般人に秘匿しているのかも。ある界隈では、もはや常識になっているのかも。想像してみれば、いくらだって抜け道はあるじゃない?」


「でも……」


 納得いかない。

 違う、納得したくないのかもしれない。


 認めてはいけないような、自分でも説明できない拒否感がある。


 死なない人も居るんだよと言われて、『そっかそうなんだ』と受け入れることは難しい。


「恵君は、死ぬってどういうことだと思う? どうしたら、死ぬのかな」


「それは……心臓が止まって……、呼吸がなくなって」


「三兆候死のこと? 心拍、自発的呼吸の不可逆的停止と、瞳孔の拡散」


「あ、あと、脳死?」


「それだと、心臓はまだ動いている」


「え、心臓が動いてるのに、死――?」


「人が決めた定義だけど。医療が発達したから、自発呼吸は回復できるし、だから心肺機能も保ったまま、でも脳の機能が失われているって状態。見た目には眠ったままと変わらない」


 一瞬怖くなって、ぞっと背筋が冷えた。

 想像してみる。もし誰か――家族の一員が、呼吸があるのに、眠っているだけのようなのに、『死にました』と言われたら。


 きっと、信じられない。


「簡単に人は死ぬって言っても、曖昧でしょ。死についての情報なんて」


「かも、だけど」


「一度死んでみなきゃ、わからないと思うんだ」


「でも、それじゃ……」


「うん。不死病じゃないひとは、みんな、それきりだね」


「……」


 幸は、一度死ぬような目にあったから、そんなふうに捉えられるのだろうか。

 俺よりも『死』についての何か実感を持っているのだ、きっと。


「死って、結局自分の中にはないんだよ。いつも見るのは他人の死で、客観的なものだ。人が、自分の死を実感することは、多分ない。あったとしても、死んでしまえばそれきり、外部へ伝える手段はない。だからね、本当に人は死ぬんだろうかって疑う気持ちは少しある」


 幸は淀みなく喋る。

 だから、彼がいつもそんなことを考えて過ごしているのだと分かって、少し苦い気持ちになる。

 俺は、身内の死も、親しい誰かの死も経験したことがない。

 お葬式だって、幼い頃に近所の友達の祖母が亡くなったときに出たきりだ。

 遺体を直接見たことすらない。

 死についての情報といえば、縁遠い人や国に関して、メディアを通して得るか、教科書や学術書の文字を追うか。


 ――そうか、今、俺の世界には、死者はいないんだ。


 それなのに、何を根拠に人は死ぬと決め付けているのか。


 幸の広い心が、異物も受け入れる寛大さが、また羨ましく思う。

 受け入れがたいものも、彼は否定しない。

 対して、むきになって嫌がる自分が、この場で一番の子供に思える。


「だって、考えてもみてよ。僕自身こんなに厄介な病気に六年も見舞われて、まだしぶとく生きているわけだし」


「それは――幸が頑張ってるからじゃん」


「だと良いんだけど」


 幸はお茶目に微笑む。

 そういう軽口はこっちの心臓に悪いから、なるべくやめて欲しい。


「ああ、なんか、一か月分くらい喋っちゃったかんじ」


「疲れた?」


「ちょっと。ありがとうね、季世。恵君も」


 季世が頷く。

 季世は、じゃあ、長く生きているだけ多くの人の死を見てきたのだろうか。

 そう考えると、彼女の人生は、とても疲れるものに思える。

 もっともまだ、信じたわけじゃない――けど。


 幸をあんまり疲れさせてもいけないから、日も暮れないうちに別れを告げた。


 無言のまま、気まずいまま、季世と並んで歩く。

 あんなに頭ごなしに否定しまった。季世は、不快に思っただろうか。


「……このあと暇?」


 季世は無言で頷く。


「もし嫌じゃなければ、夕飯おごる。約束してただろ。お礼と、あと、お詫び……」


 季世が顔を上げて、物問いたげに見つめた。


「……否定ばっかりしてたから。それはよくないって思った。完璧に信じられるようなことじゃないけど、せめて、否定はしないよ。だからさ、さっきはごめん」


「……いい」


 許してくれたのだろうか。

 侘びなど要らぬ、の意味での「いい」には聞こえなかった。

 


 近くのハンバーガーショップに入って、適当なセットを二つとシェイクを頼んで、二人がけの席に運ぶ。季世のオーダーは「なんでもいい。シェイクがあれば」とのことだったので、適当に選んだ。

 席を取って待ってくれた季世の姿は、こういう店とはミスマッチで、所在無さげに見えた。


「お待たせ」


「ありがとう」


 トレイを受け取る。


「いただきます」


 丁寧に唱えて、これもまた丁寧に包装紙を捲り、ゆっくり食事を始める。

 俺がほんの何口かでひとつ食べきってしまっても、季世は半分にも至らない。


「ハンバーガー、嫌い?」


「嫌いじゃない」


 好きでもなさそうな答えだ。


「味、どう?」


「濃い」


「そっか。確かに濃い」


 うちでは、幸の病気が発覚して以来、家族みんなで健康に気を使いはじめた。

 食事は塩分・油分・糖分をなるべく控えているから、時々外食するとあんまり味がハッキリしていて新鮮に感じる。ファーストフードだって、友達の付き合いでもなければ、自分からは滅多に足を運ばない。


 でも、時々食べると、やっぱり、おいしいと思ってしまう。

 我ながら安上がりな味覚だ。

 

 なにか悪いものを身体に溜め込むような背徳感すら感じながら、ポテトフライをつまむ。その上、今日のドリンクは砂糖たっぷり炭酸水だ。

 ぞくぞくするくらい不健全だ。

 こんなふうに感じる高校二年生も、珍しいと思う。


 ゆっくり食事をしていた季世は、静かながらに食欲旺盛で、いつの間にか全てたいらげ、食後のシェイクにとりかかっていた。汗をかいた紙のカップを両手で支え、ストローに口をつけ、妙にゆっくりと飲んでいる。

 ……じっくり味わっているのか。

 時々、息継ぎを挟んで、真剣な面持ちで熱心にすすっていた。小動物の食事の様子を観察している気分になる。ちょっと、おかしくて、笑ってしまいそうだった。


「シェイク、おいしい?」


「冷たくて、甘い」


 感想は、簡潔に事実だけを述べたものだった。

 ただ、その熱心な飲みっぷりからは、言葉にせずとも季世にとって美味しく好ましいのなのだなと伺える。

 

 こうして見ると、普通の女の子だ。


 もしかしたら、彼女は学校で孤立していて、寂しさを紛らわせるために嘘をついているのかもしれない。そう考えるのが妥当なところだ。そして、一度吐いてしまった嘘を正当化するために、繰り返し嘘を重ね続ける――そんな寂しい女の子像が、知らずに自分の中に出来上がっていた。


 だけど――今みたいに、幸みたいに、彼女の不死者ごっこに付き合うのも意外と楽しいのかもしれない。もう少し時間が経てば、きっと、次第に付き合い方がわかってくる。


「あのさ、季世。ええと」


 真面目に話をしようとして、やっぱり気恥ずかしくて視線をさ迷わせる。

 結局目を合わせないまま、話し出した。


「俺のせいで、季世が幸に会わなくなっちゃうのは嫌なんだ。なるべくなら、幸に会いにきてほしい。幸は学校にも行けないから、俺以外の同世代の話し相手っていないし。季世がいるとすごく元気だし、嬉しそうなんだ。だから、俺も、季世と仲良くしたい」


 情けない言葉に思えた。


 でも、幸だったらこういう時なんて言うだろうと考えて導き出された言葉だ。

 きっと幸は、素直に『ごめんなさい』も言える。

 直接、『仲良くなりたい』と言える。

 他人を受け入れることができる、度量の大きい男だ。


 もっと見習いたいと思うのに。なかなかうまく行かない。


「うん。わかった」


 ようやく食事を終えた季世が小さく、でも確かに頷く。


「ありがとう」


 胸がむずむずして、かゆくなるような、照れくさいというか、恥ずかしいというか、妙に落ち着かない心地がする。


 だけどきっと、幸ならちゃんとできる。

 だから、俺は幸を真似して彼女に握手を求めた。

 季世の手は少し冷たくて、思った以上に小さかった。

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