Episode: 02-02 深海の時間
珍しいことに、バイトで指名をもらった。
巣篭市のスーパー・トクトミだ。
やけくその振る舞いが向こうには評価されたらしい。
指名が入ると、報酬にも色が付いて、ありがたいことこの上ない。
こういうのなんて言うんだっけ、と仕事のあいだずっと考えていた。
棚から牡丹餅。
ちょっと違う。ええと。
「ああ、怪我の功名……?」
そういえば、すりむいた顎は気付かないうちに治っていたな。
バイトが終わって町へ出る。
午後五時で、まだ昼間のように明るい町は人通りが多い。
ついでだから、新たな本屋を開拓しようと思って商店街を歩いている。
ふとした路地に小さな古書店があることも多いので、いちいち足を伸ばしてしまい、商店街の中ほどへ来るまで結構時間がかかった。
幸のおつかいも終わった。
来た道を引き返そうか、もう少し先へ行こうか迷う。
季世に会うんじゃないかと心のどこかで期待して、更に脚を伸ばすことにした。
季世は巣篭市に住んでいるというから、この時間だし、また買い物でもしているんじゃないかと思った。ついでに本屋も探そう。
違う。
本屋を探すついでに、もし見かけたらこの前の礼も言いたいし。
良さそうな路地を発見して、誘われるように足を伸ばした。
小さな病院と、向かい合わせにデイケアセンターが経っている。
最近改築したような真新しさと清潔感のある建物に、筆書きの書体で『時鳥荘』と書かれていた。
ときとり。その音に『年取り』を連想してしまう。
あんまり嬉しくない名前だなぁなんて思って通り過ぎた。
ボタン式の半自動ドアの 向こうに見かけた長髪の女性に季世の姿が重なる。
通り過ぎてから、後ろ歩きで引き返した。
「季世だ」
本人だった。
「こんばんは」
自動ドアをくぐって、季世が会釈する。
「相庭君。バイトの帰り?」
「あ、うん。こんばんは――うわ」
会えるかもとは内心で期待していたけれど。
「世間って狭い」
「何故?」
「いや、ううん。季世も――バイトか何か?」
「似たようなこと」
「今から帰り?」
季世は頷く。
「相庭君も?」
「そう。途中まで一緒、いい?」
小さく頷いて、季世は商店街のほうへ歩き出す。
「ボランティア?」
デイケアセンターで、中学生が仕事をするとなれば、ボランティアだ。
バイトと考えるよりは自然だろう。
「そんなところ」
今日も季世は簡素な私服を着ている。
飾り気なく、模様もない服の組み合わせ。
だけど不思議と洗練されていると感じるのは、長い黒髪が見事に整っているからだろうか。妙に身奇麗な印象がある。
「偉いね」
俺が中学生の頃は、多分、放課後は遊ぶことしか考えていなかった。
ボランティア活動なんて、作文課題のために必須で参加しなければならなかった夏休みに経験したくらいだ。
なんだか意外な姿に、季世の印象がまた変わって行く。
「生活のため」
「ボランティアだろ? お金出ないじゃん」
「あの老人ホームは、患者たちが運営している」
「患者って――?」
聞くまでもなく理解した。
でも、念のためにたずねた。
「不死病の」
出た。設定だ。
「意外と身近に居るんだなぁ」
「いる。わからないように暮らしている」
「そっか。なんで老人ホームを運営してるの? 国から補助金が出る?」
なんとなく思いつきで言う。
彼女が首を振ると、髪の毛が少しだけふわっと浮いた。
「身内を介護するの。自分より先に年老いた配偶者や、子や孫を」
思いがけず重たい設定を聞き出してしまって、少し怯んだ。
季世は涼しい顔だ。
もしかしたら内心で、動揺した俺を笑っているのかもしれないけど。
「自分の子を介護って、キツいね。……季世の家族も、そこに?」
「ううん。手伝いだけ。他にすることもないから」
「そっか。えらいね」
「お世話になっているの。わたしみたいに未成年のままの患者の生活を成り立たせるのも、仕事のうち」
「へぇ。手続きとか? 親代わりとか? 成る程なぁ」
ありそうだけど、あるわけない。そんな話に聞こえる。
やっぱり作り込まれた作り話だ。
路地から商店街へ出て、にわかに人通りが増えた。
大量に停まった自転車が通行を妨げる。
「季世の家、どっち?」
「駅の向こう」
「じゃ同じ方向だ。この前はありがとう。幸に会ってくれて。すごい元気出てた」
「うん」
「あ。今日、これから病院行くけど……この時間からは流石に無理か」
もうすっかり日が落ちていた。
帰る頃には真っ暗になってしまう。
「明日、もし時間があったら、来ない?」
「うん」
「あ、来る?」
早い返事に、思わず再確認してしまう。
季世はもう一度頷いた。
「行く」
「じゃ、時間は――昼三時とか。どうかな。駅に迎えに行くよ。帰り、夕飯くらいは奢るし」
「うん」
テンポが掴みにくくて調子が出ない。
九十八歳のおばあちゃんの挙動、と言われて見れば……
そうかもしれない……かなぁ?
「あのね、相庭君」
「えっ、うん?」
季世から呼びかけられたのが、新鮮だった。
「本当は、秘密だから。さっきのこと」
「あ、あー、うん。別に誰にも言わないし」
「不死病のことも、本当は秘密。沢山の人に知られたら、大変だから」
「そりゃ、そうだろうなあ。むしろ、よく今まで隠してきたなと感心するけど」
他人に話したら、俺こそが変人扱いを受けてしまう。
言ったところで、信じてもらえないだろうが。
あ。
一人だけ、思いつく。
「……幸には話してもいい?」
「幸なら、いいよ。でも、他の人はダメ」
「ありがとう。幸が聞いたら喜ぶだろうな。新情報ゲット」
季世は曖昧に頷いた。喋りすぎたことを反省している仕草にも受け取れる。
「……季世って演劇部?」
「ちがう」
ちがった。
演技だとしたら、大層なものだと思うけど。
駅に着いて、明日の約束をもう一度確認してから別れた。
これから病院へ行く予定だけど、明日季世が来ることは、幸には内緒にしておこうか。きっと驚くだろう。喜ぶだろうな。
*
病室へ行くと、幸は起きていて、熱心な目をしてタブレットPCを眺めていた。
「幸。なに見てるの」
「あ、恵君。こんばんは。見て、これ」
ベッドサイドの椅子に腰を下ろし、画面の中を覗き込む。
表示されているのは、青い色。深海の光景。
ゆっくりと泳ぐサメの動画だった。
雪が降るように、白い何かが、青い海の中に沈んでいく。
マリンスノーと言うのだったか。
その中を、サメは、ゆったりと、音もなく泳いでいる。
なぜサメの動画なんか見ているのか。
海洋小説を読んで興味を持ったのだろうか。
「これ、ニシオンデンザメっていうんだ」
「へえ」
「推定年齢、二七二歳だって」
「えっ!?」
「世界一動きの遅い魚なんだって。大人になるまで、一五〇年かかる。北極の冷たい海のなかで、新陳代謝がゆっくりだし、動きも鈍くてエネルギー消費が少ない。それが、長生きに繋がっているんじゃないかって言われているんだ」
「一五〇年って……」
「四百歳近い固体も確認されているんだって。流れている時間が、ほかの動物と違うんだろうね。冷たい深海では、時間の流れがゆっくりなんだね。なんか、いいね」
幸がもう一度動画を再生する。
深海の雪が降る中を、サメはのろのろと泳いでいる。
自らの意思で泳いでいるというより、身を任せているような調子だ。
「ねえ、記録に残っているなかで、一番長生きだった人が何歳だったか、知ってる?」
「え。――流石に、一五〇歳はないだろうな。……百……と、十歳くらい?」
「はずれ。百二十二歳だって。南仏の女性だ」
「すごいな……」
幸は楽しそうだ。
季世の言葉を肯定する材料を、探して集めているみたいに見えた。
「不死病みたいなことって、案外、あるかもしれないね」
「……でも、若い姿のまま百二十二歳まで生きたわけじゃないだろ」
「北極のサメは、一世紀以上の時間をかけて大人になるよ。時間の流れ方が、違うんだ。たまたま、なにかの条件で、そうなってしまった人間がいるのかもしれない」
胸の内で、もやもやと反論が浮かぶのに、それを明確な言葉として伝えられない。
「不老不死って言葉が、もう、非現実的に感じるんだよな、俺は……」
「そうかもね。でも、実は僕らにとって、そう遠くない場所にもあるんだよ」
幸は動画を見つめたまま、流れるように語る。
「生物は細胞で構成されるよね。細胞には、ひとつひとつ寿命が決まってる。だから、僕たちには寿命が訪れる。細胞の寿命を決めるのはテロメアだ」
「テロメアって?」
「遺伝子情報を保護する領域のこと。末端、端っこって意味がある。染色体の先端にあるんだ。テロメアが長いほど、寿命が長いし、病気にもなりにくいんだって。命を安定させるもの、だね。テロメアが尽きれば、細胞も死んじゃう」
「それで――? 身近な、不老不死は?」
「細胞は、通常であれば寿命がある。でも、テロメアが活性化して、無限に細胞分裂を続けるものが、身体の中に現われるかもしれない。それが、がん細胞だ」
音を、冷たいと感じた。幸の声が冷気を帯びているように錯覚した。
不死の話をしていたはずなのに、死の話に傾いていく。
「がん細胞は、細胞分裂を続けるから、治るのが難しいよね。それは、不死の細胞なんだよ」
――幸を蝕んでいるものだ。
兄の心境が分からなくて、何も言えなくなってしまう。胸の奥から、普段は目を逸らしていた不安や恐怖が染み出して、言葉が声にならない。
「だから、テロメアを標的にしたがん治療も、研究が進んでいるんだって。不思議だね、生命って。なんて、僕も実際、よくわかってないんだけどさ」
明るい声で幸が言う。合わせて、俺も笑った。
でも、ちゃんと笑えただろうか。
絶望的な気持ちから逃れたくなって、無理やりにでも話題を変えた。
「さっき、季世に偶然会ったんだ、偶然。新しい情報を聞き出せたよ」
「すごい! 聞かせて、恵君」
頷いて、入手した情報を幸に話す。
老人ホームが不死病患者のネットワークを形成しているという設定を、彼は興味深げに聴いていた。なるほどね、と感心した声を上げる。
「凝ってるよなぁ。咄嗟に出た話だとしたら、反射神経すごいよ」
呆れたようにぼやく。幸はタブレットPCの電源を入れて地図を開いた。
「そのデイケアセンターって、どのあたりにあったの?」
「なんか、駅前の商店街を進んで、何個目かの路地のところ」
「うん」
幸がディスプレイを傾ける。
「多分、このあたり」
表示された地図を指で示した。幸の指が操作して、地図が航空写真に変わる。
「おお、ここだ。この建物。『
「へぇ――」
幸は地図上のリンクを飛んで、『時鳥荘』の公式ページへと飛ぶ。入居案内やサービスについての説明が、ごくありふれた形で表示される平凡なWEBサイトだ。
「恵君。これは『ほととぎそう』って読むんだよ」
「あ、そうなんだ」
「そう」
幸は検索サイトを開いて、なにやら調べていた。
「何かわかった?」
噂話にでもなっているだろうか。
不死者が己の子や孫を介護するという、気の重い話だ。
「うん。設定だとしたら、とても都合の良い場所を見つけたなと感心するよ」
「そうなの? なんで?」
「
「鳥じゃないんだ。あの、鳴かぬなら~っていう」
「そうそう。でも、花にも同じ名前のがある。で、その花言葉っていうのがね」
幸からタブレットPCを受け取る。
花言葉のデータサイトのページが開かれていた。
なんだか地味な花の写真が載っている。
その下に、学名と概要と、花言葉が――
「永遠?」
「だってさ」
出来すぎた話だ。
「設定を裏付けるために利用しているのかも。真偽を確かめるために老人ホームに電話しても、当然知らないって言うだろうし。それを、不死病のことは秘密だからって季世は誤魔化したんだ」
なるほど。
言いながら、感心した。季世はうまくこちらの探る手を塞いでいる。
「すごいね、それ。咄嗟に出てくる?」
幸の問いかけに唸り声で答えた。出てこないかもしれない。
「それが嘘なら余計気になる。どうして、そこまでして嘘をつかなきゃいけないのかな。何のために、不死だなんて言うのかな」
気にしなくてもいいと思うけど、なんて、言いづらい。
幸には、今は幸自身のことだけ考えて欲しいのに。
今は、大事な時期なのだから、万全の状態で心穏やかに過ごしてほしい。
でも――まあ、明日誘ってしまったのは俺なんだけどさ。
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