Episode: 01-04 不死病

 学校帰りに待ち合わせて、季世と一緒に病院へ向かう。

 幸のご所望から、ちょうど一週間が経っていた。


 季世とは、あのとき限りの出会いだと思っていたのに――。

 数日前に季世と出会った橋を歩いていると、なんだか不思議な気分だった。

 ここは中学の頃の通学路で、今は家から病院への通り道になっている。


「西中、何年生?」


「三年」


「じゃ、俺の二歳下か」


「学年上は、そう」


「学年上って。本当はじゃあ、何歳なの」


「九十八歳」


「超おばあちゃんじゃん」


「そう」


 笑っていいところ、なのかな。

 ひょっとして、面白い冗談のつもりなのだろうか。

 季世は淡々と言うから、リアクションに困る。


「じゃあなんで中学なんか行ってるの。もう行く必要ないじゃん」


「葉を隠すためには、森が最適だから」


「はぁ」


 よくわからない。

 これがジェネレーションギャップか。何せ二世代も差があるわけだし。


「不死病って、どんな病気なの」


 ごくさりげない風を装って尋ねると、季世は躊躇いなく、勢い込むでもなく、静かに答えた。


「歳を取らず、死ぬことができない病」


「病気なの、それ? 良いことに思えるけど」


「時と場合によっては、そうかも」


 病気と言うには、何か困ることがあるのだろうな。

 多分、そういう設定だろう。

 季世がさらに説明を加えるかと思って黙っていたが、結局言葉は続かなかった。


「じゃあ、俺があのとき手を出さなくても、本当は大丈夫だったんだな」


「放っておけば、そのうちどこかに流れ着いて、生き返った」


「不死身か。カッコイイな、ゲームみたいで」


 季世は答えないし、彼女のほうから話題が提供されることもない。

 共通の話題がないかと探しているうちに病院に着いた。



「はじめまして。わざわざありがとう、中原さん」


 今日は、幸は、来客に会わせて私服を着ていた。いつものパジャマ姿ではない。


「僕は相庭幸。そうは見えないかもしれないけれど、恵君の兄だよ」


 自然に腕を差し出して、季世と握手を交わす。


「今年で二十歳だけど、気にしないで幸って呼んで」


「はじめまして。季世です。よろしく、幸」


 ベッドサイドの椅子に季世が腰掛けて、俺は窓辺に立ったまま、妙な心地で二人を見守った。


 幸の華奢な体や薄い頭髪、手術や注射の痕がうっすらと残る痩せた腕を、第三者の季世がどう受け止めるのか、少し怖い気持ちもあった。


 今のところ、季世のリアクションはごく薄い。

 怖がるようでも、逆に気を使う素振りもない。


「恵君から、話を聞いたんだ。中原さんのこと」


「季世でいい」


「うん。それで、僕、君にすごく興味を持って……連れて来てって無理を言ったんだ。まさか本当に実現するなんて! これもなにかの縁だと思う。仲良くしたいな」


「わたしでよければ」


「勿論」


 幸の滑らかな喋りに感心する。

 学校へ通えていたら、きっと沢山友達を作っただろう。


「あ、俺、飲み物持ってくる。お茶でいい?」


 季世が頷くのを見て病室を出た。自分が邪魔者に思えたからだ。

 エレベーター前に待合室がある。

 患者たちのフリースペースというのか、雑誌や新聞や書籍が用意されていて、テレビも無料で見られる。今も、長期の入院患者が三人ほど、それぞれの時間を過ごしている。

 テレビの前を遮らないよう給湯器を使って、三人分の紙コップを掴む。

 夏場だから、お茶は適度に冷やされていた。

 ため息ひとつ、気合いを入れなおしてきた道を引き返す。

 ひとまずは、様子を見よう。


 部屋へ戻ると、まだ当たり障りのない世間話をしていた。


「あの先生、美術の、まだいるんだ。厳しいけど、すごい良い先生だよね。あれでしょ、いつも真っ赤なカーディガンを着てる」


「そう。勝原先生」


「そうそう。生徒みんなが、一番怖がるし、一番言うことを聞く先生だよね。懐かしいなぁ」


「すごく元気。去年担任だったの、終業式の日みんなで贈り物したら涙ぐんでいた」


「ええ、そんな一面もあるの。年取ったんだなぁ、あの先生も」


 なんだか盛り上がっている。

 幸の雰囲気がいつもとは違うから、戸惑ってしまう。

 女の子に対する態度というのか、普段よりお兄さんっぽさが増している、ような。


 季世のほうも俺と喋るより口数が多い気がする。

 部屋へ戻るためには気合いが必要だった。


「お茶、お待ち」


「ありがとう、恵君。ね、季世の去年の担任、勝原先生だったって」


「カツ先生? 『喝入れてやるからこっち来い』が定番の脅し文句の」


「そう」


 受け取ったお茶を口に含んで、そこでしばらく会話が途切れた。

 やっぱり俺は邪魔なのかな。

 帰ろうかな――と幸の様子を窺ったところで、目が合った。

 どういう意図があってか、幸が頷く。

 幸が季世の何に興味を抱いたのか、ちゃんと分かっていて連れてきたはずだった。

 でも、誰に対してなのか、少しだけ罪悪感を抱いた。


「季世。あのね、僕の病気、長いんだ」


 改まって、幸が口を開く。


「ここの病院に転院したのは、半年くらい前。その前はもっと遠くの病院に一年くらい居た。それ以前も、入院したり、退院したりを繰り返している」


「……重い病気?」


「でも、たぶん、君の病気より軽いよ」


 からかう調子はまったくない。

 幸は真摯に季世を見つめた。


「季世の病気のこと、興味あるな。聞きたい」


 季世も視線を受け止める。

 一見、二人は一触即発のようで――緊張感に、益々居づらくなってしまう。


「じゃあ、あなたの話が先」


 少し俯いた、その拍子に、季世の肩から黒い髪が零れ落ちる。


「うん。ええと――発病が、兆候含めると、六年前」


 指折り数えて、幸はなんてことないように言った。


「多発性骨髄腫。血液の病気だ、重いやつ」


 決して軽視できない状況が、当事者の口から他人事のように響く。

 幸は病状について一切隠し事をして欲しくないと医者にも家族にも告げていて、皆その言葉に従っていた。だから、幸の持つ情報と俺たち家族の知る情報に一切の誤差はない。


「この病院に来たのは、手術を待つため。ドナーが見つかれば、すぐ手術になるって話だけど、まだ全然だね。この病気に、完治はない。でも、改善の希望はある。根治を目指して、がんばってるところ」


 軽い響きを持たせて、幸が肩を竦めた。

 一刻だって早く手術をしたほうがいいに決まっているのに、幸はとてものんびりした調子だ。


「――っていうのが、僕の話。次の手術が成功すれば、そうとも限らないらしいけれど」


「そう」


 季世は感情を表さない顔で聞いていた。

 励ましも、同情も、何の感慨もない様子だ。


「わたしは、死なない病気。罹ったのは、多分、八十年くらい前」


「じゃ、今の本当の年齢を聞いてもいい?」


 季世は頷いて、「九十八」と答える。


「それって、何年生まれ?」


「大正二年だから、一九一三年」


「――うん」


 幸はタブレットPCで計算して、答えあわせをしたようだ。


「本当だ」


 呟く声に、幸は彼女の嘘を暴くつもりなのかと不安になる。

 まさか、年下の女の子の、罪のない嘘を、ごっこ遊びを、厳しく追及するはずがない。

 俺はそう思いたい。

 でも季世は、自分の命を粗末にするような行動をとった。

 それが、幸の怒りに触れたとも限らない。

 だって幸は、命の尊さを誰よりも知っているし、誰よりもそれを尊重している。

 ――やっぱり説教をするために連れさせたのだ。気まずい。どうしよう。


「死なない病気って、どんな症状?」


「罹患した時点から、歳を取らず、死ぬことができない。重篤な怪我からも、必ず回復する」


「怪我が、すぐに治っちゃうの? 魔法みたいに」


「時間は相応にかかる。病も同じ」


「そう……じゃあ、死にたいほど苦しくても、死ねない人もいるんだね」


「だから、病気。みんな苦しむから」


「季世も?」


 季世は小さく首をかしげた。

 彼女の些細な動作を増長した動きで髪の毛先が追いかけた。


「不死の病と、不治の病だって。すごくない、それ? 僕たち、正反対だけど、仲良くしたい。また会いに来てくれる?」


 今度ははっきり、季世の首が動く。

 長い髪が縦に弾んで、腰のあたりでぱっと散った。


「ゆっくりでいいから、教えて欲しい。季世の許容範囲内でいい。不死病のこと、知りたいな」


「わかった」


 構ってもらいたくて嘘をついた女の子が、目論見通り構ってくれる人を見つけてしまった。


 そんな状況に思えて、益々居心地の悪さが増す。

 絶対に、幸だって信じていない癖に。人が死なないなんて荒唐無稽なこと。

 不死病なんてもし実在するなら、もっと世の中が騒いでいるはずだ。


「恵君。季世のこと、送ってあげて」


「出口までで平気」


「あれ、もう帰る流れ?」


「外、暗くなっちゃう前にね」


「そっか」


 まだ空は明るいが、時計はもうすぐ六時を指す。

 椅子をたって、季世はスカートを払う。

 ぺこりと幸にお辞儀をして、裾を翻した。

 幸が微笑んで後姿を見送る。


 なんだか拍子抜けだ。


 でも、まあ、中学生の女の子を遅くまで引き止めるのはよくない。

 季世の背中を追いかける。

 下まで送る、そう言い掛けた声は結局飲み込んだ。


「あのね。あなたも、不死病かもしれない」


 幸を顧みて、季世は囁く。

 その言葉を受け止めた幸がどんな表情をしたのか、カーテンの陰に隠れてよく見えなかった。


「気をつけて帰ってね」


 平素と同じように、穏やかな声が届く。


「うん。さよなら」


 季世はスライドドアを開いた。

 途端に音の響く廊下が、どこかから誰かの足音を運ぶ。


「――送るよ、下まで」


「エレベーターまでで、平気」


「今日は、付き合ってくれてありがとう。本当、ごめん、無理言っちゃって」


「大丈夫」


 エレベーターのボタンを押すと、一階から順々に階数表示が点灯する。

 待っているあいだ、何かを言わなきゃいけないと言葉を探していた。

 やっぱり無言のまま、エレベーターが到着した。


「ほんとに、気をつけて帰って。遅くまでひきとめてごめん。もしよければだけど、また」


「うん。また。さよなら」


 扉の向こうに季世が消え、階数表示がまた順々に点っていく。

 今更になって、ぷつぷつと沸いて来る感情に気付く。


 怒りだ。


 でも激しいものじゃない。

 ぶつけることもない、爆発もしない、脱力にとても近い、怒り。

 なんで、あの子は、あんなこと言ったんだろう。

 仮にも、不治の病だと自己申告した病人に。

 なんて無責任で、無神経な冗談だろう。

 それが分からない彼女の幼稚さに呆れてしまう。

 励ましのつもりだったのだろうか。

 それにしたって不器用すぎる。


 階数表示が一階を指すまでぼんやり見守って、重い足取りで病室へ戻った。

 一番の心配は、幸が傷ついたり落ち込んだりしていないか、それだけだ。


 心配に反して、いつになく兄は目を輝かせて俺を迎えた。


「恵君。ありがとう。本当に、恵君はすごいよ。季世に会わせてくれてありがとう」


「あ、いや、ほんとうに偶然ラッキーだっただけだし。でも、幸が喜んでくれたならよかった」


「うん! とても楽しかった。益々興味が湧いたよ。これから楽しみだな。もっと知りたいな」


 意外なほど気に入った様子だ。

 俺の心配なんて無用だったんだな。幸のほうがよっぽど、彼女の言葉を嘘や冗談として割り切っているのかもしれない。


「へんな子だろ? 不死病だってさ」


「うん。知らなかったな、そんな病気」


「あははは」


 気楽に笑って、ふと、幸の感心した様子に気付く。


「――いや、冗談だよな?」


「まだ、なんとも言えない。もしかしたら、本当かもしれないじゃないか」


「まさか」


 そんなわけない。

 言葉が続けられないのは、幸の真面目な顔が目に入ったからだ。


「恵君は、季世の話、どう思った?」


「うーん……設定を作り込んで来たなぁって」


 幸は楽しげに笑っている。試されている気分だ。


「僕にはね、嘘をついているように思えなかった。だからと言って、真実だと全部信じたわけじゃない。突拍子もない、空想的な話だって感じたよ」


「じゃあ――」


 やっぱりからかって遊んでいるのだろうか。

 そんな性格の悪さを幸が持つとは思えない。


「あのね、突拍子もない嘘、たとえば俺は本当はすごいんだって言いたがる人は、大抵相手の関心を惹くためにそういう嘘をつくでしょ? 他人に構ってほしいから」


「まあ、だな」


 季世も同じ部類だと思っていた。幸は頷く。


「でも、季世の言葉は、相手の反応を期待するものには聞こえなかった。構って欲しい人だったら、僕の快い反応に気をよくして、もっともっと喋りたがる。そう考えると、季世は落ち着いていたよ」


「でも――計算、かも?」


「かも、ね。そこまで計算しているなら、むしろ大歓迎。付き合えるところまで嘘に付き合ってみるのも楽しいかも」


 性格が悪いと言えば、悪いかも。

 幸はいたずらっぽい目をしている。あまり見たことのない、珍しい表情だ。


「世の中には、まだ知らないことが沢山あるんだよ。季世は、僕の知らないことのひとつを知っていた、それだけのことかもしれない。勿論、非現実的な話だって思うよ。でも、僕はそれを信じたいって思う」


「でも、いや、だってさ。だって、死なないなんて」


「だから、真偽は分からないし、百パーセント信じたわけじゃないって。でも、ちょっと嬉しかった」


 いつもより顔色の良い微笑みを浮かべて、幸はベッドの上で膝を抱いた。


「不死病かもだって、僕のこと。だとしたら、すごく気が楽だ。時間がたくさんあれば、この病気だってぜったいに治せるじゃない? それに、そう思い込むことがプラシーボ効果になって、病気もよくなるかも、なんて」


「幸……」


 呆れるやら、感心するやら、間抜けな声が漏れた。

 俺にとってはあまり快く聞こえなかった言葉は、幸には素敵に響いたらしい。


 改めて、思う。

 幸はすごい。

 幸はどんなことにも価値を見出す。


 それは彼の持つ豊かな感性がそうさせるんだ。

 いつも、俺は、幸のその感覚が羨ましくなる。季世のことで気分を悪くした自分が、とてもつまらない奴に思えてしまう。


「幸は、すごいなぁ」


 素直にそう呟いていた。


「なに、突然?」


「いや、本当に、なんか。うん――」


 本当に、敵わない。

 季世と幸を出会わせることに感じていた心配や責任感が、全部吹っ飛んでいた。

 もう大丈夫だ、全部幸に任せておけば上手く行く。


「幸はそのうちけろっと病気も治るんだろうなって気がしてくる」


「当たり前じゃない」


 頼もしく笑う。

 外見とは裏腹に、幸の精神は俺なんかと比べ物にならないくらい逞しいのだ。

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