Episode: 01-02 空ろの墓標

 土日をバイトに費やして、月曜日の放課後は町中の本屋を渡り歩いていた。


 幸のお使いをするようになったのは今年のはじめからだ。

 それまで本屋に用事といえばコミックスや雑誌を時々買いに行く程度で、文芸書のコーナーなんて学校の課題でもない限り滅多に覗かなかった。


 本屋といえば駅前のチェーン店しか知らなかったけど、お使いをするようになって町の本屋に詳しくなった。個人経営の本屋や、気付けばあちこちに小さな古本屋がある。それぞれの強みのジャンルについても把握した。もしかしたら、今は俺が一番この町の本屋に詳しいんじゃないかと、半ば本気で思っている。


 幸の注文は中々珍しくて、最新の本がリストアップされることはまずない。

 最新刊ばかりそろえる駅前チェーン店では手に入らないことが前提だ。


 ルートとしては、大手チェーンの古本屋、個人経営の古本屋、個人経営店、という順に足を運ぶ。なるべく安く済まそうという魂胆だ。今日も大手チェーンの古本屋で三冊は手に入れ、自転車のカゴに突っ込んで次の個人経営の古書店を目指していた。

 夕暮れになってもまだ暑い。

 台風が去った途端、日差しガンガンの夏がやってきたみたいだ。

 古書店までの道を川沿いに進む。濃い緑の匂いを自然と吸い込んだ。

 生命力の匂い、といつか幸が例えたのを思い出す。

 川も水位が下がって、雑草が活き活きと生い茂っている。

 まだ七月の頭なのに、もうすっかり夏だなぁと実感する光景だ。


「あれ」


 草むらが不自然に割れて行く。

 誰かが河川敷を歩いているのか。

 犬の散歩だろうか。

 でも、それならあんな草の中までは入っていかないだろう。まだぬかるんでいるかもしれないのに。

 目を凝らすと、それは見慣れた制服を着ている女の子だった。

 濃紺のセーラーに、白いラインや赤いタイがよく目立つ。

 見つけてしまうと、目はずっと女の子を追いかけた。


「うそ」


 思わず声に出る。

 出身中学の制服を着た女の子の姿はつい先日橋の上で出会ったあの子のものだ。


 まさかまた変なことを考えているんじゃないだろうな。

 心配になって、同時に、俺が関わることじゃないとも思う。

 気にせずこのまま立ち去って、次の本屋へ行こう。

 そう決めて自転車のペダルを踏むけれど、妙に重たい。

 幸の顔が頭に浮かんだ。幸だったらこんなとき、どうするだろう。

 俺は自転車を停めてガードレールの柱にチェーンで繋いだ。

 ガードレールを飛び越えて着地すると、意外と地面はぬかるんでいない。

 そのまま河川敷へ降りて、彼女の後を追う。


 下流のほうで、女の子がしゃがみこんでいた。

 黒い髪と濃紺の服が、彼女の姿を背景と同化させていて、一瞬見過ごしてしまう。

「こんばんは。何してるの?」


 こんな声のかけかた、まるで変質者ではないだろうか。

 不安で落ち着かない気分だが、ここまで来てしまえば今更関係ない。

 彼女は怪訝そうに振り返る。


「……何も」


 よそよそしい答えから、彼女は俺のことを覚えていないのだということが伺えた。

 まさか、あんな印象的な出来事があったというのに。


「あのさ、覚えてる? 金曜の夕方に、橋の上で会ったじゃん」


 変質者というより、ナンパみたいな調子になってきて恥ずかしい。

 焦りで体が熱くなる。

 ようやく少女は思い出したようで、立ち上がってこちらへ向き直った。


「何か用?」


「いや、用っていうか。見かけたから、心配になって。またあんなことするんじゃないかって」


 面倒くさいと思われているのだろうか。

 彼女の瞳には何の感慨も浮かび上がらない。


「名前は? 俺、相庭恵」


 少女は答えない。

 人形相手に話しかけているみたいだ。

 こっちの言葉が届いているのか、理解されているのか。手ごたえがまるでない。

 うろたえて視線をさ迷わせていると、少女の足元のものに気付いた。


「それ、もしかして」


 土を盛った小さな山に、大き目の石が載せられていた。

 お墓のように見える。


「……仔猫、見つかったの?」


 彼女は首を小さく横に振って、またしゃがみこんだ。お墓へ手を合わせている。

 意外な行動だった。俺も倣って、お墓へ向かって合掌する。


「探したけど、見つからなかった。でも、ここで、箱だけ見つけた。だから、箱を埋めたの」


「そっか」


 ぽつりと呟くような言葉に、きりっと胸が痛んだ。

 彼女は本当に、猫を救おうとしていたんだ。

 自殺なんかするつもりじゃなかったのだ。

 それを曲解して勝手に腹を立てていた自分を省みる。


「優しいんだな」


 うつむいた彼女のつむじが見える。

 長い髪がとても綺麗に整っていて、それがまるでテレビの向こうのタレントを見ているような、不思議な距離感を抱かせる。非現実的だ。


「だって、死を迎える命は尊いから」


 余計に非現実感が増した。

 大仰な言い回しに、その内容に、思わず眉をひそめてしまう。


「どんな命だって死ぬものだろ」


「ほんとうにそう?」


「あ――当たり前だ」


 あまりにも彼女が堂々としているから、言い淀んでしまった。

 当たり前のことなのに。


 生きている人は、みんな死ぬ。


 死は億万長者にも貧乏人にも、ノーベル平和賞受賞者にも死刑囚にも、病人にも健常者にも例外なく訪れる。

 それはこの不平等で不公平な、理不尽なことに満ちた世界で、人間に与えられた唯一の約束。

 たったひとつだけ、すべての人間に公平に与えられた現象だ。


 人は生まれ、そして死ぬ。

 頭を働かせるまでもなく分かる、人間の条件だ。


「わたしは、死なないよ」


 信じがたい言葉を、誰もが一笑に付すようなくだらない台詞を、少女は囁く。


「わたしは死なない。そういう病気だから」


「病気?」


 はぁ、と驚くやら呆れるやら曖昧な息を吐いた俺へ少女は頷いた。


「不死病」


 それを聞いて、無意識のうちに口から乾いた笑い声が漏れている。

 少女は気分を害した様子もなく、スカートを翻す。


「さよなら」


 態度にこそ出てはいなかったけれど、やっぱり気を悪くしたのかもしれない。

 でも、仕方がないじゃないか。信じられるわけがない。

 もしかして、他人に構って欲しいから、奇抜な言葉を選んだのだろうか。

 そう言うことで、言葉とは違う何かを俺に伝えようとしたんじゃないだろうか。

 わざわざ言葉にした理由が、ほかにあるんじゃないだろうか。

 ひょっとしたら、中学生の、女の子の、回りくどいSOSのサインかもしれない。

 深読みしすぎだろうか。

 でも、構って欲しいわりには、彼女はあまりにそっけないから。

 笑ってしまったこと、謝らなくちゃ。

 開きかけた口は、彼女の声につまずいた。


「中原季世。わたしの名前」


「あ……中原さん」


「季世、でいい」


「うん。気をつけて帰って。俺も、時々ここに来るよ。猫のお墓参りに」


 ようやく彼女は、少しだけ振り返って頷いた。

 その瞳はほんの僅かに、なにか感情に動いたように見えた。

 微笑んだのかな、もしかして。

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