#7 当社はいっさい責任を負わない。
「すばらしいよ。まるで死神だ」
ミシェルはそう言って、両手を広げるジェスチャをしてみせる。
「申しぶんないよ。ハグしたいぐらいだ。嫌だろうからやらないけど」
僕はコーヒーを飲んで苦笑いする。
契約について話し合いたい、とミシェルから連絡が来たのは、およそ一週間前のことだった。待ち合わせには前回と同じ店が指定された。
おそらく、クビになるということではなかった。
もしクビなら、彼はいっしょに食事なんかしようとはしないだろう。たんにメール一本で僕を解雇するはずだ。そういう経験は何度もしてきている。だから僕はあるていど安心して、彼と会うことができた。
前回と同じテーブルで僕たちは顔を合わせた。三ヶ月ぶりに会ったミシェルは少し太っていた。僕の方は、前回よりいくらかましな服を着ていた。とはいえ、変わったのはそれぐらいだ。
「さて、メールでもお伝えしたとおり」
彼はビジネスライクな口調に戻る。
「お互いの契約について少し見直したい」
「具体的には?」
「契約を拡張したいんだ。君にとっては、作業に使うプログラムが少し変わって、契約書の同意事項もいくらか増える。その分というか、報酬も増やす。我々のプロジェクトは最終段階に入っていて、最後の鍵が君なんだ」
「よくわかりません。もう少し順を追って話してくれないと」
「そのつもりだ。食事をしながら話そうよ」
ミシェルはメニューを熟読してから、料理を注文した。ミシェルは二人分頼もうとしたが、僕はコーヒーとお菓子だけでいいと言ってそれを断った。
「どこから話してほしい?」
「じゃあ、あなたの事を」
「意外だな。他人に興味を持つタイプには見えなかった」
「ふだんはあまり持たないです」
「簡単に言うとエンジニアだ。べつにリクルーターが本職ではない」
ミシェルは運ばれてきたスープを飲みにかかった。
「作ったものについて聞いてくれたほうが、うれしいんだけどな」
「あのゲームを作ったのはあなたですか?」
「まあね。もちろん一人じゃないが、そうだと言っていい。ひとつ訂正するけど、君がプレイしたあのソフトウェアは……実はゲームじゃないんだ」
「ええ、わかります。便宜上そう言ったけど、あれがゲームじゃないことは僕にもわかった。あれは、なんていうか……」
「トレーニングプログラムだ」
ミシェルは僕の言葉をさえぎる。
「もともとうちの……まあ『社員候補』を、神経的入力デバイスに適応させるためのトレーニングプログラムだ。ザイフリートの操縦者、簡単に言うと、君のような人間を養成するためのプロジェクトだった」
「失敗した?」
「完全な失敗ではないんだ。理論的な問題はほぼクリアできていた」
ミシェルは深いため息をついた。
「この種のソフトウェアは、だいたいユーザーの質が問題になるんだ」
「ユーザーというのは、トレーニングを受ける人?」
「そうだ。こういう言い方は好きではないが、才能の問題というのに近い。はじめは退役軍人をトレーニングしようとした。それが一番早いと思った。でも、うまくいかなかった。いくらトレーニングしても、満足にザイフリートを遠隔操作できるようにはならなかった」
「本物の格闘家が、格闘ゲームが強いとはかぎらないですからね」
「そういうことでもある。だけど、それ以上に……才能だ。どうにか操作できるようになった人間もいたが、けっきょく、頻繁にロックアウトを起こして使い物にならなかった」
ミシェルは嫌なことを思い出したような顔をする。
「トレーニングプログラムとしては。歩留まりが悪すぎるんだ。三十人の候補者を育てて、実戦投入できるのが一人かどうかでは、ビジネスにならないよ。バンドのプロデュースじゃないんだ。しかし、開発には大量のコストを使っている……」
「だから、やり方を変えた」
「その通り」
「それでゲーム?」
「突拍子もないアイデアだと思う? 発想を変えたんだよ」
ミシェルはスープ皿から顔をあげる。
「トレーニングプログラムとしては、たしかに失敗したソフトだったかもしれない。でも、ふるいとして使ったらどうか? 才能を見つけるための! そう思ってあのソフトをばら撒いた。ほとんど独断だった。うまく行かなかったら解雇どころか、会社に賠償を求められたかもしれない」
彼はまた手を広げて、ハグしたいというようなジェスチャをする
「でも、君が見つかった。才能だ」
「才能?」
「そうだ。君を探していたんだ! 以前も話したかもしれないが、人間の脳には個人差がある。仮説の域をでていないが、君の神経活動は、おそらくマシンにとって読み取りやすいはずだ。ノイズが少ないのか、あるいはパターンが非常にはっきりしていて、ソフトウェアが君について学習しやすいんだろうな」
「それで、僕をどうするんですか? 解剖して調べるとか?」
「そんなことはしない」
ミシェルはくつくつと笑う。
「それで理由がわかればいいが、何もわからずに君を失う可能性が高い」
「それはよかった」
僕はミシェルの顔を見て苦笑する。理由がわかるなら彼はやりそうだ。
「いちばん重要なプロジェクトに関わってもらう。ポリアンナの製品化だ」
「製品化?」
「今のポリアンナはいわばベータ版だ。ひと通りの運用の機能はそなえた。ユーザーに提供するために動かしてみる。ゲームで言えばテストプレイみたいなものだ」
「ユーザーとは?」
「各国の正規軍に売るんだ」
「軍隊ですか」
「考えてもみたまえ。最新のマシン……まあザイフリートのことだが、そういったものをいくつも投入して、貧しい国の小さないざこざに介入しても、はっきり言って儲かるとは言えない。割に合わないんだ」
いつの間にかケーキが運ばれてきていた。気づかなかった。
「けっきょくのところ支払いの問題だ。我々がやってきたことと、投入した膨大な開発費……それを埋めてくれる気前のいい顧客なんて、そうは多くない。どことは言わないが、ある国とはもうかなり話が固まってきている。そこが買えばみんな買うさ。君の国も買うさ」
僕はケーキを口に運ぶ。
「そのうち、戦争に参加する多くの兵士がポリアンナを利用しながら戦うことになると思うよ。そうしたら、我々は軍用ソフトウェアの提供者として、新しい市場を作り、それを独占できるわけだ」
「僕がその第一号、ですか」
「うん、じっさい。快適だろう? 殺しは」
僕は黙った。
「快適とは言えないまでも、我慢できる程度なはずだ」
うなずくしかなかった。
「画期的なソフトウェアだ。ベトナム戦争の時代から、長年の問題だったものを解決するんだ。多くの兵士は、残酷な場面を見ることで心をすり減らし、病んでいく。兵士の心の傷をケアするために、大量の社会的コストが使われる」
「それらがなくなる。と?」
「そうさ! 残酷なものを職業的に目にしなければいけない人たち、彼らの視界をきれいに掃除してやるわけだ。いいことだろ?」
ミシェルは玩具について話す子供のような顔をした。
「心が傷つく人間がいるかいないかだったら、いないほうがいい。単純な理屈だ」
「……どうでしょう」
「どうでしょうはないじゃないか。君だってそれに守られている」
ミシェルはからかうように言った。
「ねえきみ。賭けてもいいけれど、君がもし、ポリアンナなしで、いままで実行してきた任務を、いわば生のまま体験していたならば」
ウェイターがフィレ・ステーキを運んできた。
「食事も苦痛になると思うよ」
「ソフトウェアの仕様にほとんど変更はない」
ミシェルは満足そうに食後のコーヒーを飲む。
「ただ一点、ポリアンナを解除するコマンドが使用できるようになっている」
「解除するような状況がある?」
「いや。通常ない。ただ、クライアントの要望で追加した」
「クライアントって、軍の?」
ミシェルは僕の質問にぼかしたような返事をした。
「まあ……映像が加工されない方が銃撃戦に有利だし、民間人と戦闘員を目視で確認する必要もあるからね。シビアな状況では必要な機能だ」
ウェイターが食器を下げると、ミシェルは分厚い書類をテーブルにぽんと置いた。
「ただ、君はこの機能を使うべきではない。絶対にポリアンナは解除しない方がいい。たとえ興味本位でも、わざわざ防弾ベストを脱ぐような真似をしないでほしいということだ。解除した結果として君が負ういかなる心理的ストレスにも、当社はいっさい責任を負わない」
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