15 爆発

 何人かの男子生徒は一番遠い教室の隅に逃げて行き、「女子こえー」「逃げろ逃げろ」などと呟いていた。

「あんた、逆らうつもり?」

 瑛里華は怖い顔のまま、声を低くして言った。

「逆らうっていうか、一緒にいるのがつらかったから離れようと思っただけだよ。瑛里華たちとは意見が合わないみたいだし、もうわざわざ合わせる必要もないかなって。あたし百子ちゃんのこと全然嫌ってないから。そこにいる必要ないよね」

とヒカルは怖気付かず、滞りなく話した。

「あんた、ウチに逆らってタダで済むとでも思ってるの?」

 そう瑛里華が怒鳴った瞬間だった。

「ハァ〜?」

 尻上がりに挑発する大げさな声が大きく響いた。

 その声の主はヒカルの目の前でおとなしく着席していたはずの、百子だった。鬱憤袋が脳で爆発する音が聞こえ、つい口をついて出てしまったらしかった。

「逆らうってあんた」

 話し出すと百子の口はもう止まらなかった。

「何をどう勘違いしたら自分が誰かの行く道に立ちはだかれるほどの存在だと思えるわけ?」

「は、はぁ!? なんなの!? 口挟まないでよ!」

 普段何も仕返ししない百子が瑛里華に向かって牙を剥いたため、彼女は仰天して目を大きく見開いた。

「あなたは上司ですか? 監督ですか? それとも神かなんかですかぁ? あなたはそんなに偉いんですかぁ〜?」

 今まで溜めに溜め込んだ膿を全部絞り出すように、百子はまくしたてて挑発した。意識よりも言葉が先走る。

「ハァ!? うるせえんだよ! 黙れよ!」

「私たちみんな同じ年数しか生きてないじゃん。何を以って主従の立場が決まるわけ?」

 その言葉に威勢のよかった瑛里華が押し黙る。

「ルックス? もしくは性格? うーん、あとは成績?」

 そのまま彼女は次々に言葉を吐いた。

「やっぱ分かりやすいのは成績かな!? あれ〜? 成績ならわたしが上じゃん! おかしいな〜、何でわたしがいじめられるんだ〜〜?」

「今成績の話は関係ないだろ!」

 瑛里華は獰猛な目をして叫んだ。

「成績は関係ないの!? じゃあ何が関係あるの!? 教えてよ〜〜!」

「そんなのウチが気に入らないからじゃん!」

 完全に百子の挑発に乗った彼女は、今にも噛みつきそうな勢いで言った。

「へえ、気に入らなかったらその人の教科書ボロッボロにしていいんだ。下駄箱に殺害予告の手紙入れていいんだ。頭っからきったないバケツで汲んだ水ぶっかけてもいいんだ!」

 百子のその言葉に彼女はたじろぎ、息を詰まらせ喉をごくんと鳴らした。その時ヒカルは、二人の間でオロオロしていた。止めるべきかそうではないのか。彼女もまた百子の迫力に狼狽した。

「わたしからしたら気に入らないのはあんたなんだよね。ほんと、今までよくまあ好き勝手やってくれたよね。ねえ、同じことしていい? あんたの理屈ならいいはずだよね」

 威圧するようにまっすぐ瑛里華と目を合わせながら、百子は淡々と喋った。周囲の生徒たちはその攻防を息を飲んで見守っていた。何かまずいことにならないかとヒヤヒヤしながら。

 瑛里華はぐっと歯を噛み締め、身体の横で拳にを強く握った。

「や、やればいいじゃん。できるもんなら、やってみろよ」

と彼女が尻すぼみに言ったのを聞き、百子は大きなペンケースからハサミを取り出した。

「じゃ、遠慮なく教科書からいかせてもらいまーす」

と言って立ち上がり、瑛里華の席につま先を向けた時だった。

 周りにいた瑛里華の仲間が業を煮やし、百子を羽交い締めにして自由を奪った。

「ちょっとお前調子乗りすぎじゃね?」

「タダじゃ済まさないって言ってたの聞こえなかったの?」

 そう言って、逃れようとする百子を四人が取り囲んだ。

「もっ、百子ちゃん……!」

 ずっと声を出せずに怯んでいたヒカルが、やっとの思いで口を開いた。

 その状況を見た瑛里華が、強張った表情から一変してニヤリと口の端を釣り上げた。

「あんたら、やっちゃっていいよ」

 彼女がそう指示を出すと、ギャルのうちの一人が百子の手からハサミを奪い取った。

 ここで初めて百子は「やべ、やりすぎた」と心の中で後悔した。

「みんなやめて!」

 そう叫んでヒカルがハサミを奪い返そうと手を伸ばした。

「ヒカルちゃん来ちゃダメ。危ないから遠く行ってて」

 百子がキツく言いつけると、ヒカルは手を引っ込めた。彼女は泣きそうな顔で百子を見つめた。

 隙をついて逃げようとしたが、四人がかりで押さえ込まれたらさすがに動けなかった。

 ハサミを手にしたギャルが百子にその矛先を向ける。百子は反射でぎゅっと目を閉じた。

 その直後、髪を纏めて引っ張られる感覚があり、ジャキジャキッと耳元で何かが切れる音がした。

 恐る恐る目を開けるとそこには涙を流すヒカルと、どよめくクラスメイトたちが見えた。

 ふと足元をに目をやると、黒い塊がどさっと落っこちている。

 百子はすぐにその状況が理解できた。

 伸ばしていた黒髪を、ザックリいかれていたのだ。

「まじかよ」

 百子が小さくそう呟いた拍子、ヒカルがギャルの手にあるハサミを素早く奪い返した。次の瞬間、人が変わったみたいに怖い顔をしてそのギャル目がけて突進した。

 ガタガタと周りの机にぶつかりながら二人して床に倒れこみ、ヒカルは彼女の上に馬乗りになった。

 そのままコテで巻かれた金髪を力一杯引っ張り上げると、ギャルは「ギャーーーッ」と悲鳴をあげてその手を払いのけようとした。その衝撃で、何本分かの髪の毛がブチブチとちぎれる音がした。

「おんなじ目に遭わせてやる!」

 ヒカルはヒステリーを起こしたみたいにボロボロ泣きながら、彼女の髪の毛にハサミを当てがった。

 自分が髪を切られたことよりも、そっちの方がショックだった。

 百子を抑えていたギャルたちの力が緩んだ隙をつき、彼女はそこから飛び出した。

 切られた髪を振り乱し、ハサミを持った彼女の腕を掴みにかかった。

「バカ! ヒカル落ち着け! それはダメ!」

 百子にそう言われてヒカルは我に帰った。

「バカ……バカは百子ちゃんでしょ?」

 彼女の腕の力がみるみるうちに抜けていくのが手のひらから伝わってきた。

 教室内は騒然とし、さすがにまずいんじゃという声がいくつか聞こえた。

 瑛里華も含めギャルたちは唖然としてその場で固まっていた。

 壊れたみたいにしゃくり上げるヒカルを引っ張り立ち上がらせ、喚き声を上げるギャルの上からどけた。

 ハサミをペンケースに戻し、ヒカルを支えながら急いで廊下に出た。その時ちょうど担任が歩いてくるのが見えたので、百子は声をかけた。

「先生、ちょっと保健室行ってきます」

「お、おお……」

 担任は、訝しげに返した。

 力づくで切られ不揃いな髪をした百子と、目を真っ赤にして泣くヒカルを見てさすがにただ事では無いと分かったらしい。彼は二つ返事で彼女ら二人を通した。

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