08 バスタオルに包まれて
ガラガラと戸を開け、今は保健医が不在の部屋に潜り込んだ。ひんやりとクーラーで冷やされた空気に凍えそうになる。
タオルは……入り口横の棚の上にカゴがあり、それにたんまり詰め込まれているのが見えた。
背伸びをしたがあと少しの差で届かない。
何度も飛び跳ねたが届かずに諦め、先生を座って待とうと思ったちょうどその時だった。
ガラガラと音を立てて再び戸が開き、誰かが入ってきた。
「あ、先生、タオル貸してくださ……」
部屋に来たその相手の顔を見て百子はハタと硬直した。
「百子ちゃん」
その声をこの近距離で聞いたのはものすごく久しぶりのような感じがした。保健室に来たのは保健の先生ではなく、ヒカルだった。彼女は唇を一文字に結び、一直線にこちらへと目を向けている。
「な……なんであなたが」
瞼の中に残っていた涙がふた粒零れ落ちたのに気づき、百子は急いで両手の甲で拭った。
ヒカルは表情を変えないまま三歩足を進め、百子に近づいたかと思うとひょいと棚の上のカゴを下ろした。そして中から大きなバスタオルを取り出し、いきなり百子にかぶせて髪を拭き始めた。
「ちょっ! なんなのよっ! やめてよ……っ!」
突然のことに焦ってキツい口調で叫んでしまったが、今まで彼女のことで悩んでいたことを思い出し口を閉じた。
「百子ちゃん、あたし変わるから」
そう言った彼女の声はか細くて、笑うように小刻みに震えていた。タオルで顔を覆われヒカルの表情を確認することはできない。
「我慢するのはもうやめる。もう逃げないから」
今度彼女が発した声は、苦しそうに大きく波打った。
髪を拭く手が首元に移ると、目の前が晴れてヒカルの顔が見えた。
こちらを力強く見据えるその大きな瞳から、ガラス玉みたいな涙が幾つも頬を転がり落ちた。
その言葉と涙が何を意味するのか、百子は理解し得なかった。
呆然とただ立ち尽くし、ヒカルに身を委ねる。身体の水気をタオルで拭き取りながら、ヒカルは涙を流し続けていた。
--なんであなたが泣くのよ。なんであなたがわたしを構うのよ? こんなところ見られて、恥ずかしい。本当に。情けない。
そう思う脳とは裏腹に、胸の中は暖かい安心感でいっぱいになった。心地いい温度の湯に包まれたような感覚に、身体が満たされていく。ヒカルから漂う甘い匂いと、タオル越しに伝わる彼女の手のひらの感触が、その幸福感を助長させた。
百子はヒカルに悟られないよう俯いて、自然に流れ落ちる涙を噛み潰す。
「あたし先に教室戻るから。先生にはうまく言っとく。百子ちゃんは早く着替えてね、風邪引いたら困るから。戻れそうなら戻っておいでね」
ヒカルは涙の痕跡を残したまま、落ち着いた声で優しく百子に語りかけた。その言葉に百子は俯いたままこくこくと頷く。
「じゃあね」
そう残すと彼女は百子から目を離し、保健室をあとにした。
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