07 ヒートアップ

 前髪から滴り落ちる雫。見上げると頭上でブリキのバケツが逆さを向いていた。

 見ていた数人の男子が「うわあ」と哀れむ声を上げ、女子たちは騒然として顔を背けた。百子はその状況をやっと理解した。

 瑛里華がどこに隠していたのか水のたっぷり入ったバケツを、百子の頭上でひっくり返したのだった。

 百子は水を吸い込んでしまいゲホゲホと咳き込む。上がる息を抑え

「何てことすんのよ!」と喉から声を絞り出した。

「あんたが調子づいてるからちょっと冷静にさせてやろうと思って。なんでこんなことになったか冷えた頭でよく考えたら?」

 瑛里華の後ろでこちらを見ていた何人かの女子生徒たちが慌てふためき、水を拭き取るためにタオルを運んできてくれるのが見えた。それに気づいた瑛里華が、

「ちょっと何するつもり? まさか助けるんじゃないでしょうね、このクソビッチを」

と汚い言葉で一喝すると、タオルを持ってきてくれた女子たちは後退りし、それを背中に隠した。

 百子は辺りを見回して茉里たちを探した。

 しかし彼女らはどこにも見当たらない。トイレに行っていた世那も帰ってきていなかった。

 誰も百子を手助けしない様を見て、瑛里華はフンと鼻を鳴らした。そしてその手で百子の肩を掴むと、ぐっと後ろに押し倒した。百子は椅子から滑り落ち、濡れた教室の床に尻餅をついた。その衝撃で百子は「キャア!」と短い悲鳴をあげた。

「いい気味ね」

 瑛里華はそう吐き捨て踵を返し、教室に入ってきた他のギャルたちと合流して楽しげに話し始めた。

 あれ、わたしって友達居なかったんだなあ、と百子は感慨深げに心の中で呟いた。

 茉里たち三人はきっとこの騒動に気づき別室に逃げたんだろう。百子はすくむ足を起こし、体育着を持って教室の外へ出た。

 --保健室でバスタオル貸してもらおう。

 水を含んで重くなった上履きがパタパタと廊下を鳴らした。びっしょり濡れた制服の体にまとわりつく感覚がすごく不快でイライラした。

 夏用の半袖ワイシャツから透けてしまったブラジャーを両腕で隠しながら、百子は足を進めた。

 もしかしてこんな姿になった自分は他人の目にすごく惨めに映ったんじゃないか。

 誰ひとり手助けしなかったし、今となっては助けを求めたい相手も思いつかない。

 情けない。恥ずかしい。

 髪から滴り落ちる雫に混ざって、堪えていた涙が頬を伝った。

「最っ低……」

 誰にも見られないよう、百子は保健室まで走った。

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