06 あやしいにおい
二人並んで薄暗い夕暮れの中、ゆっくりと歩みを進める。
なんとなくだが百子は亮の気に気がついていた。今日のカラオケの席でも亮はそれとなく百子の隣を陣取っていたし、茉里が亮を遊びに誘う時には毎回百子をダシにしていたし、やはりもしかすると、と考えている矢先だった。
「あのさモモちゃん」
と亮が口火を切った。
「俺モモちゃんが好きなんだ。可愛くてマジメで頑張り屋で、ずっと前から気になってて……その、俺と付き合ってくれないかな?」
「あっ、えっ……と」
百子の予測通り交際の申し込みをされた。
いつもならこの時点でごめんなさいと頭を下げていた百子だが、明日の約束が頭をよぎり言葉に詰まってしまう。
彼女は束の間悩んだ末、
「ありがとう。でも少し考えさせてくれる?」と答えを出した。
「わかった。すぐにとは言わないから、返事してくれると嬉しいな」
亮は若干頬を赤らめ、目を合わさず返した。
家の近くになると亮を帰し、百子も帰宅した。
--さて、どう断ろうかな。
椅子に腰掛けると自然にため息が出た。
亮とのことも思い悩んだが、どうしても最後に胸に浮かんでくるのはヒカルの後ろ姿だった。部屋で一人になった途端、また気になり出してしまった。
「あーもう! やめやめ!」
百子はギュッと瞼を閉じ、思考を遮断しようとした。しかし、瞳の中の暗闇に居座るヒカルが消えることはなかった。
その日から休みを挟んで月曜、火曜、水曜と四日間の放課後をすべて遊びに当てた。
誘いは全て受け、羽目を外してはしゃぎ倒した。
百子は亮の気持ちを知った後でも、極力ギクシャクすることがないように振る舞った。
木曜日の早朝、百子はベッドで仰向けになり、何もない天井の一点を見つめていた。
まだ朝の五時にもなっていなかった。
--ダメだ。全然吹っ切れないじゃない!
昨日も一昨日もそのまた前の日も、ヒカルのことが頭から離れたことはなかった。
自身の気持ちの切り替えがうまく行かなすぎて、百子は愕然としていた。ここまで自分が不器用だとは。
実は今日も茉里たちに遊びに誘われていて、その返事を保留したままだった。何日遊んでも気持ちが切り替わらず、気分転換の方法が間違っているのではないかと思ったからだった。
二度寝もできずにまたもや眠いまま身支度を済ませた。
二十分そこいら歩いて学校に到着すると、眠気でだるい足をゆっくり運んで教室に向かう。
大きなあくびが出た。涙が瞼の中に溜まって視界が揺れる。
教室に入ると半数くらいの女子生徒と一部男子生徒が一箇所に集まり、何やらザワザワとお喋りしていた。
百子が席に着いた音でみんなが振り返り、また輪の内側に向き直ってコソコソと小声で話し始めた。
なんなのこれ? と思ってしばらく観察していると、その輪のうちのひとりが振り返り百子を凝視した。そしてタタタと百子に駆け寄り、
「月丘さん」
と百子を苗字呼びした。彼女はじっと百子の目を見ながら続ける。
「亮くんと付き合ってるってほんと?」
「エッ!?」
思わず身体に力が入り、腹の底から声が出た。
「昨日の夕方噂で聞いたんだけど」
「な、なにそれ……付き合ってないよ」
亮への返事は未だ保留のままなのに、なぜそんな噂が? と百子は混乱しながらも彼女の話に耳を傾けた。
「嘘〜! 亮くん本人に確認したら付き合ってるって言ってたよ!」
その言葉に驚いた百子の目が、ふた回りも大きく見開かれた。
「う、嘘でしょ?」
「え〜なにそれ〜〜! どっちがほんとなの〜〜?」
と大声で彼女が言うと、集まった女子たちも一層騒ぎ立てた。そこに、
「なになに? なんの騒ぎ?」
とギャルグループのボス的存在である瑛里華が来た途端、ピタリと教室内は静まった。
--まずい。
噂を流しているのが亮本人であるなら、一刻も早く止めなくては。このまま勘違いされ続けたらいじめがさらにヒートアップする。その様がやすやすと想像できた。
百子は亮がすでに登校していることを願い、教室を飛び出した。
「亮くんいる!?」
隣の教室のドアを勢いよくと開けると、近くにいた女子生徒が肩をビクッと強張らせるも、
「亮くんならさっき教室出てったよ。すぐ戻ってくるんじゃない?」と答えた。
「そ、そう。ありがとう……」
百子は平静を装い、ひとまず自分の教室に戻った。
--なんでそんな噂が流れてんのよ!
怒りに任せて椅子を引き、ドカッとそこへ座った。
今までのいじめを勉強に支障がない程度の嫌がらせだからと許容してきたのに、これ以上のことがあったら非常に困る。これでは何のために今まで大人しくしてきたのか分からなくなってしまう。
--いつもみたいにその場でごめんなさいしとけば良かった……。
百子はうなだれながら、鞄から教科書を出して机の中にしまった。
「ちょっといい? 月丘さん」
声をかけられ顔を上げると、そこには訳知り顔の瑛里華が仁王立ちしていた。
百子はじとっと睨みつけながら返事をする。
「……なにか用?」
「調子乗ってんじゃねーよ」
その直後、突然頭を平手で叩かれたような衝撃を受け、急激に身体が冷える感覚に襲われた。
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