「あっ、いたいた」


 カフェテリアの入口の自動ドアが開く音と共に、聞き覚えある声が耳に届く。

 やはり声の主は、愛菜花だった。駆け足でこっちへ向かってくる。


「知り合いか?」イチさんが少し顔を近づけ、尋ねてきた。


「ええ。同じ部のメンバーです」


 イチさんは理解したように小刻みに頷くと、元の姿勢に戻した。


「探したよぉ」


 疲労と呆れのようなものから肩を落とした愛菜花。


「えっ、探したの?」


「うん。連絡したのに出ないから」


「えっ、連絡したの?」


「そうだよ」


 愛菜花はイチさんとトーさんをちらりと見た。途端、僕に目配せをした。


 両眉を上げたその仕草は、「このお二人はどなた?」と聞いてきていた。普段一緒にいる友達じゃないからだろう。


「ええっと……イチさんとトーさん」


 手のひらで示しながら紹介すると、「どーも」「初めまして」と挨拶してくれた。愛菜花も「左舞です」と名乗ってから軽く一礼した。


「どうした?」


「どうしたじゃないよ」ぐるりと回って、僕の隣の空いている席に愛菜花は座った。「知らないの? さっきそこの棟の屋上から雪月ゆきづきさんが飛び降りたって、そこらじゅう大騒ぎになってるんだよ」


「それは知ってるけど」


「知ってるなら、なんでこんなとこで呑気にお茶してるのさ」


「呑気にはしてないけど、僕らに出来ることなんて無いっしょ」


「あのぉ」


 申し訳なさそうな声で、トーさんが遮る。見ると、お話し中申し訳ありませんと言わんばかりに恐る恐る、手を挙げていた。


「ひとつお聞きしても?」


「え、ええ」愛菜花はきょとんとした顔で頷いた。


「亡くなった方とはお友達か何か?」


「え?」思わぬ指摘に口が半開きになっている。「いやそういうわけじゃないですけど」


「失礼しました。先程お名前を口にしておりましたのでてっきり」


「ああ」それね、と言わんばかりに愛菜花は頷き交じりに反応した。「あの娘って読モやってて、まあちょっとした大学の有名人なんですよ」


「読……モ?」二人は首を傾げる。


「読者モデルです。略して読モ」


 ああ、と反応はしているけど、ちゃんとは分かっていなさそうだ。あくまで、モデルという芸能人的職業をしていた、ということぐらいな気がする。


「まあ、大人気ってほどでは無かったですけど」


 とまあ、ばっさり。


「はは」苦笑いのトーさん。


「いやぁね、あの娘と同じ講義を受けてるんですけど、芸能界に知り合いがいるって周りの子によく自慢してたんですよ。私から言わせれば、レーナとかと一緒に表紙を飾ったりしたことがあるだけだけなのに」


 レーナ……ああ、今ティーンに大人気の。確か、ネットテレビの恋愛リアリティーショーで一気に人気になって、テレビに引っ張りだこだったよね。あまりにも多忙だったことで無理が祟って、体調を崩しているとか。今は休んでるらしいけど、いつ復活するのか。

 それにしても、厳しい物言いだ。


「そういう、自分の実力とかじゃないのに、鼻高々に言いふらしてるのが私好きじゃなかったんです。まあ、単に相性が悪いんですよ」


「ああ、成る程」


 トーさんは圧倒され、それ以上は口にしなかった。


「けど、ここ最近。十日ぐらい前からかな、仕事も大学の講義も無断で休んでいたんです」


「理由は?」


 僕が尋ねると、「知らないけど、一応噂なら」と愛菜花は返してきた。


 そして、辺りを少し見回してから、耳元で囁いた。「どうやらね、妊娠、していたらしい」


「妊娠?」思わぬ単語に、思わず僕はトーさんと顔を見合わせる。


「人脈広げるために芸能人やよく分かんない会社の社長のパーティーに参加しまくって、その時に夜遊びが過ぎちゃって、みたいな。相手側からは堕ろせだの言われたせいで、精神病んじゃったらしいの」


 なんとヘビーな……となると、自殺の原因は男性関係か。けど、言葉を追ってはいけないって口にして……


「まあ、あくまでどこから出たのか、根も歯もないものだからさ、信用度はかなり低いよ」


 少なくとも僕らよりは近い距離にいた人間の意見だ。言葉のせいでという可能性はまだ捨てなくていいだろう。まああくまで、一つの考えとしておけばいい。それよりも、追うなって言っていたということは……


「それともうひとつ」人差し指を立てる愛菜花。「ゴフイチさんの件なんだけどね」


 愛菜花の親父さんが知り合いの記者の名前が出てきてすぐに、なんとなくだけど分かった。


「呪いの言葉について何か情報が?」


 僕がそう口にすると、目の色を変えて少し乗り出す真向かいの二人。


「それがさ、なんかそっちはそっちで、大変なことになっちゃってるみたいでさ……」


 珍しく、苦々しい顔になっている愛菜花。


「と、いいますと?」


「さっきね、お父さんから連絡があったんだ。でね、なんかお父さんの職場、っていうか警察署にゴフイチさんの奥さんが訪ねてきたらしいの」


 ほ、ほう……


「で、なんと、今、ゴフイチさん。失踪中なんだって」


「「「失踪?」」」愛菜花以外の三人が口を揃える。


「うん」


「いつからですか?」


 トーさんの問いかけに「確か、先週の火曜からだったかと」と答えた。


「となると、ちょうど一週間前?」


「ええ」


「行き場所に心当たり無いの?」


 僕がそう尋ねると、「らしい」と愛菜花は答えた。


「ていうか、警察には?」


 まずそこだ。


「お父さんに話すずっと前に、話してはいたらしい。オカルト系とはいえ一応は記者だからさ、何か事件に巻き込まれたっていう可能性もあるし。犯人を変に刺激しないためにも警察から口外するなって言われてたらしい。だから前にお父さんが連絡した時も詳しいことは明かしてくれなかったってことみたいよ」


 成る程。確かに、いくら同じ警察官だとしても下手に口外はしないよな。


「けど、今になって伝えたわけですね?」


 トーさんは顎に手を添えながら、続ける。


「いつまでも警察から連絡がないから日に日に不安になったらしいです。それで、何か少しでも情報を得たくて訪ねてきたという次第なようです」


「なあ、姉ちゃん」


「は、はい?」


 短い声を上げながら、顔を向ける愛菜花。呼びかけたのは、イチさんだ。


「頼み、あんだけど」




 甲高い音が耳に届く。部屋の奥で鳴っているはずのドアベルの音が、玄関扉越しまで聞こえてきた。


 クリーム色の外壁に濃い黒の瓦屋根の大きな一軒家。二階建て、いや三階まであるかだろうか。


 少ししてから、「はい」と女性の声が聞こえると、続けておもむろに扉が開いた。


「どうも」


「あ、愛菜花ちゃん。久しぶりね」


 笑顔を見せるが、なんとも力のない、弱々しかった。長く淡い茶色の髪は手入れがされておらず、根本は白くなっている。疲労感が滲み出ているのは見てすぐに分かった。


 表札にも書いてある通りこの人が、護符市ごふいちさんの奥さん、か。


「ええ。父からお話しは?」


「ついさっき電話で。お気になさらず、とは伝えたんだけど」


 愛菜花は、そうですか、という小刻みの頷きをした。あっ、という声と共に持っていた縦長の紙袋を差し出した。


「これ、つまらないものですけど」


「ごめんなさいね、お気遣いは要らないと言ったのに」


「いいえ、気にしないで下さい。それよりも体調は?」


「ええ、どうにか」


 どうにか。知り合いに対してはあまり使わない表現。相当参っている、何よりもの証拠だ。


「ご無理だけはしないで下さい」


「ありがとう。それでその、皆さんは?」


 ほい来た。


「以前父からお電話させていただいたと思うんですが、私、その、今オカルト系のことを調べるサークルに入ってまして」


 そこは、部でいいのに……


「この三人は同じサークル仲間です」


「どうも」「はじめまして」と、挨拶や軽い会釈をそれぞれ交わす。


「その電話の時に、取材記事を見せて頂くお約束になっていたんです」


「そうだったのね、ごめんなさい。私何も聞いてなくて」


「いえ。それでですね、見せていただいた取材記事をまとめた会報を来月出す予定で。無理を承知で、もし少しその記事とかを見せてもらえたりできたらなーと思いまして。けど今は状況が状況でしょうし、勿論また日を改めてとは考えてて……」


「いえ、いいのよ。ご迷惑おかけしてるのはこっちの方だから。ただ、その取材記事とやらが一体どの辺にあるかとか、どれを見せる話になっているのかとかは、私聞いてなくて……」


「あっ、大丈夫です」横から会話に入る僕。「どれを見せてもらうかは事前にお話ししてますので、少し探させてもよければこちらで」


 勿論、適当な嘘だ。


「そう。なら、お任せするわ。どうぞ、上がって」


 来たっ。思わず瞼が開く。


「じゃお言葉に甘えて。おっ邪魔っしま」


 イチさんがそこまで言うと、トーさんが掌で口を塞ぐ。なんと驚きのノールック。慣れた手つき。距離感を分かってなければできない技だ。


「お邪魔します」


 にこやかな笑みのトーさんは、丁寧な口調で言うと、掌を外した。


 一瞬トーさんを睨みつけるも、「お……お邪魔します」とイチさんは素直に言い直し、今度は丁寧に玄関の敷居を跨いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る