七
玄関から見える階段。二階にのぼり、その先に伸びる廊下を歩く。手前から二つ目のドアの前で、奥さんは立ち止まった。「ここが主人が使っていた書斎です」。そう言うとおもむろにドアノブを押し、部屋の戸を開けた。
ごくごく一般的な、むしろ殺風景だとすら感じる仕事部屋だ。部屋は青色の絨毯が一面に敷かれていた。壁には書籍で満たされた本棚が沿った形で備えられている。真向かいには押し入れ、窓際には光沢輝くこげ茶の机と車輪付きのゲーミングチェアがある。
勝手なイメージでもっと物が散乱してるとばかり思っていた。想像よりも大変さは少なさそうだ。
「じゃあ……私は下でお茶用意してきますね」
空気を読んでくれたのか、奥さんはそう言って、部屋を出て行く。
「あっお構いなく」
トーさんが口にするが、奥さんは部屋の扉をゆっくり閉めた。カチャという噛み合う音と、階段を降りる時の軋む音を耳にする。
愛菜花は「ふぅ」と深い息を吐いた。その姿を見て、思わず笑みが溢れてきた。
「何よ?」
「いや、ごめんごめん。なんか新鮮でさ」
「は?」片眉を上げる愛菜花。
「ほら、いつも粗暴じゃん?」
「るさいってぇの」
もう元に戻ってしまったらしい。
「よしっと」不意にイチさんは喋り出す。「オレとトーは本棚探すわ」
「なら、僕は机を探します」
「じゃあ、私は押し入れを」
分担しようと声をかけたわけでは無いが、自然と役割が分かれた。早速それぞれが目的の場所へと向かう。
机は窓際にあるせいで、陽の光が差し込んできていた。時間帯によっては相当眩しくなるのだろう、ブラインドが備わっている。今は上げ切られているが、使う機会があるということだ。
肝心の机だが、まず第一に目についたのは、パソコン関係のもの。殆どの面積を占めている。白いキーボードに白いマウス。相対して、黒のマウスパッドに真っ暗なデスクトップパソコン画面。まあ標準的だな。
他には……
パソコンそばにある卓上カレンダーには様々に予定が書いてあったが、殆どは空欄。会議や家族との予定など、誰かの目についたとしてもいいような内容しか……ん?
電源ボタンのそばにあるライトが付いたり消えたりしているのに気づいた。
ということは……
僕はキーボードを適当に押し込む。画面がゆっくり明るくなる。青い画面が浮かび上がる。やはり、ロック状態のままになっていた。
解除には……これか。
僕は指定されたキーを同時に押し込む。パスワード入力画面に切り替わる。
本人しかこのパソコンは使わないのだろうけれど、記者という仕事柄、情報が漏れないようにと設定しているのだろう。
パスワード、か……
数字のみの入力で、桁数は十桁。通りは十の十乗。もはや無限。
どうしようか。僕は握った手を顎につけて、考えてみる。とはいえ、こういうのは考えてみても仕方がない。
一応試しに……11111111。
画面に表示されたのは、“パスポートが違います”の文字。
だよね。
当然に拒否されたパスワードを消す。
一応念のため、0123456789。
御多分に漏れず、“パスポートが違います”と表示される。
予想はしていたが、これじゃキリがない。何かヒントは無いか……
他にも机の上には、辞書や紙が指の脂で膨らんだ本など数冊が置かれている。本棚とは別に、よく目を通す物は手元に寄せているのだろう。
左から一冊一冊手に取って、ぺらぺらとページをめくる。何かマーキングしていないか、変な印をつけていないか。おかしなところや目につくところを探してみるが、特段見当たらない。
最後の一冊に手を取る。
「どう?」
声に振り返ると、愛菜花がすぐそばまで来ていた。
「今のところ、特には」めくる手を止めることなく、答えた。「そっちは?」
「同じく」腰に両手をつく愛菜花。
そっか……
「ねえ」
「ん?」僕は顔を向けた。
「あの二人ってさ、何なの?」
一瞬、目線を後ろに向けた。
ああ……「僕らと同じで、例の呪いの言葉について調べているんだってさ」
「それは今の状況的になんとなくは分かるけど……そもそもどういったご関係?」
どういうご関係かと言われましても……うーん、なんとも表現しにくい。
「知り合い?」
「ううん」僕は首を横に振った。「さっきまでいたあのカフェテリアで初めまして」
「なんじゃそりゃ」呆れ半分に愛菜花は片眉をひそめた。
だよね。僕は付け加える。「まあ、成り行きっていうか。それこそあの自殺で亡くなった人の件で偶然会って。それで、って感じ」
怪異とかいうものについて話しても、冗談ぐらいに思われるだけだ。とりあえず省くことにした。
「じゃあ何者かも分からない人と共に行動してると……いつから人見知りからフレンドリーヒューマンになっちゃったのさ」
何者、か……僕は最後まで見終えた本を元に戻した。
「一応、多少は分かってる」
「と言いますと?」
「ほら、ネット写真に写ってるって、前に話した」
「ああ。ん? 知り合いだったの?」
「だから違うって」
「あぁ、そっか……んん??」愛菜花は小さくもあんぐりと口を開け、顔を近づけてきた。「確か、二人が犯人かも的なこと、言ってなかった?」
「言って……たね、多分」
「待って。犯人、ってこと?」愛菜花の表情が険しくなっていく。「ヤバいじゃん」
「ヤバい、かもね」
「……なんでそんな感じなの?」
「いや、実際会ってみると違う気もするんだよね」
醸し出している雰囲気からして、悪い人じゃない気がしてる。
「ふわふわしてるね」
「ふわふわしちゃってるね」
愛菜花はため息をつく。「あの、小さい方の子のほうさ」
僕はイチさんに目線を向けた。
今は、しゃがんで本を一冊手にしていた。ページをぺらぺらとめくっている。その時、肩にかけていた黒い竹刀袋がずれ落ちた。紐に手をかけ、背負い直す。
「さっきも私に向かって、
「そうだったっけ?」
「そうだよ。ほら、お姉ちゃん、とかなら分かるよ。でもそんな言い方じゃなくて、こう、なんていうの、中年のサラリーマンが追加のビールを注文しようと、近くを通りかかった店員を呼びつけるみたいだったし」
居酒屋でバイトをしていた経験のある愛菜花ならではの例えだ。
「ニュアンス伝わってる?」
「うん、なんとなく分かるよ」僕は頷き交じりに答えた。
「けどさ、見た目は完全に年下じゃん」
「それは身長的な意味合い?」
「顔つきも」
も、ねぇ……
「だから、年齢が離れてるのか離れてないのかよく分かんなくて」
どうやら愛菜花も僕と同じようなことを考えているようだ。
「どうなんだろうね」
愛菜花は訝しげに僕を見る。「大丈夫なの? そんなので信用できるの?」
信用か……「五分五分ってとこ」
「安心した。怪しんではいるのね」
「ねえ」僕は愛菜花の耳元に近づいた。「もし変なとこ見かけたら、教えてもらえない?」
「……あまり無茶はしないようにするなら」
「サンキュ」
「おーい」イチさんの声。「さっきからこそこそ話してっけど、見つかったのか?」
「ごめんなさい。まだ……」
「頼むぜ」ため息交じりのイチさんを横目に、愛菜花はいそいそと定位置に戻った。
さて、捜索再開、と。
ええっと、本はもう見終えたから、今度はこっちかな。右側に三段に分かれた引き出し。下の一つだけ少し容量の大きく分かれていた。
まずは一段目。引くと、色ペンやハサミ、修正テープや大小色とりどりの付箋など文房具類が入っていた。
先を伸ばされたペーパークリップなんかもある。特段場所など決まっていないし、整理はされておらず、どれも乱雑に置かれていた。これといったおかしな点はなさげだ。
じゃあ次。二段目。開けづらかった。金具が少しずれているのか、抵抗される。力を込めて引っ張ると、がたんと音を立てて、開く。
おっと。
変なものが外れてはいないことを祈りながら、中を見る。ここは、サイズの様々なノートが重なっていてしまわれていた。
何かヒントがあるかも。僕は一冊ずつ手に取る。
どうやら取材ごとに使い分けているようで、表紙のタイトル部分に日付と事件の名前が書いてあった。けれど、基本は新聞や雑誌の切り抜きやネット記事をプリントアウトしたものが貼られているだけ。取材メモ、というわけではなさそう。一冊ずつ目を通すけれど、どれも同じ。
まあそうだよね。そんな大切なもの、ただ雑多にしまうわけないか。
自分で自分につっこみを入れながら、机の上に重ねていったノートを元に戻そうとする。
ん?
空っぽになった引き出し。その左端の隅に黒い点を見つけた。
何だろうこれ。なんか妙に気になった。黒い点を触る。
ただのゴミかと思っていた。けど、触ってみて気づく。
これ、穴だ。細い針が通るくらいの大きさの穴だ。
なんだろうこれ……そう思うと同時に、ある嫌なことが脳裏をよぎった。
もしかして、さっきなんか無理矢理引っ張った時に?
どうしよ……まずいよぉ。
僕は少し慌てながら策を練ろうとする。けど、思いつかない。
「どうしました?」
そう声をかけてきたのは、トーさんだった。
「いや実はさっき、無理矢理に引き出し開けたら外れたような音がして。もしかしたら壊しちゃったかもって」
「ああ」トーさんは肩掛けバッグを背中へずらした。「よければ、少し見てみましょうか」
「すいません」
「いえ」
トーさんは優しい笑みでしゃがみ、出ていた引き出しの左右を掴んだ。はめ込むように動かす。がたんがたんと音を立てる引き出し。
「うーん。特に外れているような感触はありませんね」
「変な穴も左端にあったりしたので、もしかしたらって思ったんですけど」
「穴ですか……ああ、これですね」
「はい」見つめて触る先からして、僕が心配した穴で、間違いない。
「ん?」
トーさんが引き出しを水平に見ている。今度は中を覗き込んだ。暫く交互に繰り返す。
「どうかされました?」
「内側の側面と底の色合いが違うんです。それに」引き出しの内側を指で触れた。「触わり心地も違う」
僕も覗き込んでみる。よく見ると、側面はオーク色だが、底は白に近いクリーム色。それに、側面は所々木目が入っているけど、底には何も無い。言われれば確かに違う気がしないでもない。
「もしかして……」
独り言を呟くと、トーさんは引き出しの底に人差し指を立てた。そして、押し込む。
「あっ」動くのが見えて、思わず声が出た。
底であるはずの部分が沈んだ。木材だから押した部分だけが一点集中で、ではない。全体がこう、ズレた。四方の側面からはギギと擦れる音が鳴る。
「すいません」呼びかけた相手が僕だというのはすぐに分かった。「細長い、針のようなものはありませんか」
「針、ですか」
「この引き出しの手前左側に小さな穴があるんです。上手く差し込めれば、外せるかもしれないんです」
何か細長いもの……あっ!
「すいません、ちょっと」
僕は一番上の引き出しに手をかける。トーさんは少し身を引いた。
おもむろに開ける。中から一部が伸びていた、あの変な形のペーパークリップを手に取った。
「これは?」
「良いですね」
トーさんはにこやかに受け取ると、曲がった部分を穴に差し込んだ。
入った。この為に用意していたのかもしれない、と思えるほど、ちょうど。
トーさんはそのまま、先が伸びているところを持ち手にして、「よっ」と引き上げる。直後、かぱっという空気が弾ける音が耳に届いた。
外れた?
見ると、クリップの先に引っかかった薄い木の板がついてきていた。
偽の底という名の蓋を掴み、どかす。
「やはり」トーさんは引き出しの中に手を入れた。「二重底でした」
トーさんは手にした、黒いカバーに包まれたB4サイズの物を取り出す。
「それって……」
トーさんは中をパラパラとめくって呟いた。
「スケジュール帳のようです」
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