「おぉうっ!?」


 キーボードに伸びた手が引っ込むのを横目に入る。

 僕は慌てて振り返った。新品に変えたばかりのデスクチェアは勢いのまま、よく回る。

 背後には、いや今は真正面には、にたりと笑う愛菜花まなかが立っていた。


「何すんのさっ」僕は怪訝な顔で尋ねた。


「いや、こうすれば気づいてくれるかなぁって思ったから」


「はぁ?」言っている意味が分からず、僕は素っ頓狂な声で聞き返す。


 愛菜花はダウンジャケットのポケットに手を入れた。「どう? 順調ですかな?? って声かけたのに、反応ないんだもん。相変わらず自分の世界に入っちゃってさ」


「自分の世界って……」言い方がなんか嫌だった。「次号の発行まで時間ないから、集中してたんだから仕方ないでしょ? 時間無いんだからさぁ、もうぉ」


 僕は背を向けていたパソコンへ体勢を戻し、デリートキーを長押しする。ガチャガチャと打ち込まれた誤字部分が消えていく。最初は遅かった動きが急に早くなる。


 これでよしっと。

 どうせまだ話してくる。僕は文書を保存のショートカットキーを押しておく。


 僕は肘置きと背もたれに体をつけた。折角だし、一旦の休憩も兼ねるとしよう。


「んで、今どの辺り?」


「先月の調査結果を書くところ」


「えっ?」


 顔を僕の肩越しに突っ込んできて、画面を覗き込む愛菜花。首筋からシャンプーの香りがふわりと香ってくる。


 愛菜花はホント適当だ。気にしない性格というか男っぽい性格というか……

 そういえば昔、顔は美人なんだから、そこさえ直しさえすればモテる、なんてことを話したら思いっきり頬を殴られて、吹っ飛んだことを思い出す。あと、人間って案外簡単に吹っ飛ぶのだな、と学びながら壁にぶつかったことも一緒に。

 ほんの少しだけど足が地面を離れたあの時も今日とおんなじ匂いだったような……


「ねえ、聞いてる?」


「あ、ああ。悪い」


 マズい、意識が飛んでた。何を話してたんだっけ。また文句言われるぞ。


 そんな俺の気持ちを察したのか、それとも顔に出ていたからなのか。いずれにしろ、「んで、先月のって、結局何も分からなかったのに、どうやって書くのよ?」と、おそらく話していたであろうことを繰り返してくれた。


「はいはい、僕の調査力不足でしたよ」僕はさも聞いてましたよと、平然を装いながら続けた。「そんな嫌味に言わないでよ。ショック受ける」


「そういうわけじゃないって。けど、書いてどうするのかなって」


「どうするってそれっぽく繕うしかないっしょ。何も分かりませんでした、なんて拍子抜けなこと、時期が時期なだけに、馬鹿正直に書くことなんて出来ないし」


「まあねぇ……」


 あっ。「そういえばさ、愛菜花のお父さんからは? 何か情報、入ってこなかったの??」


「確かに言ったよ? 警察に勤めている、って。とはいえど、大した情報なんて入ってこないんだよ」


「なんで?」


「なんでって、ただの所轄の、しかも庶務課だからだよ」


「えっ、そうだったの?」思わず目が丸くなる。


「あれ」愛菜花は眉を上げた。「言ってなかったっけ?」


「うん」言われてなかった。


「そっか、ごめんごめん」


 とはいうが、悪びれる様子は微塵も感じなかった。


「じゃあほら、お父さんの知り合い。都市伝説を専門に扱う雑誌記者に先週聞いてみるって言ってたよね」


 名前なんて言ってたっけ……ええっと、珍しい名前の……


「あぁ、ゴフイチさんね」


「そうそうっ」


 幼い頃は父親との一緒に遊んでもらったこともあるそうで、付き合いがあると言っていた。知ったのはごく最近。

 その時、「もっと前から言ってくれればいいのに。なんで教えてくれなかったの」って尋ねたら、「だって聞かれなかったから」と、まあ創作物の中ではよく耳にするやり取りになったのは、まあ……ご愛嬌ということにしておこう。


「お父さん経由で聞いてみようとしたんだけどさ、なんか連絡つかないみたいなんだよね」


「つかない、というのは?」


「家の電話には繋がるらしいんだけどね。詳しいことは分からないみたいで」


「そっかぁ……」


 試しにすがってはみたものの、失敗。いや、玉砕。その分、得られるのではないかという期待も大きかった。だから、余計に。


「何か返事があったら、RINEラインで伝えるよ」


「助かる」


 愛菜花は腰に手を当てて、背中に反った。


「うぅーん」


 唸り声を上げて元の体勢に戻ると、続けざまに大きな欠伸を隠さずにした。


「随分と眠そうだね」


「いやぁ、今期は良いドラマ多くてさ。懐かしいのもネットで見たりするからさ、ついつい夜更かししちゃって」


 流石は自称ドラマウォッチャー。愛菜花に聞けば、その人もしくは気分に合ったオススメドラマをまるでソムリエのように教えてくれる。また良い具合に当たるんだな、これが。


「そんなことだと、また授業で寝るよ?」


「何言ってるの」愛菜花は眉を寄せる。「授業は寝る時間でしょうか」


「あなたが何を言ってるの」思わず突っ込みを入れる。「授業中は授業を受けなさい、授業を」


「ほいほーい」


 おそらく僕の声は心にまで届いてないだろう。片耳に入って、下手したらもう片方の耳から抜けていくのが見えるようだ。平行線にしかならないだろうし、おそらく無意味だから、話題を変えることにしよう。


「そういや、例の件は問題なく終わりました?」


「うん、特段これといって。去年と違って、今年はスムーズに受理してくれたよ。んで、ついでに下の食堂でお昼食べた。部長の奢りでね」


 悪知恵が働いた子供のように、愛菜花はにたにたと笑う。どおりで帰りが遅いわけだ。


「あとは学生生活課の皆々様の審査次第ですよん」


 うちの大学では毎年十二月に、新規なら来年度から部やサークルを作るため、既存なら来年度も存続させるために、所定の申請をする。サークルであれば、申請のみで済むのだが、部の場合は活動費と部室が支給されるため、そうもいかない。

 詳しくは知らないけれど、どうやらかなり細かな審査があり、通過しなければ部として存続ができない。言い換えれば、一定の基準と審査に通らなければ、サークル扱いとなり、生命線である活動費も、今いるこの八畳程度しかない小さな部室も、取り上げられてしまう。

 そうなれば活動ができなくなり、事実上の廃部、となってしまうのだ。


「そんで、一緒にいたはずの部長は何処へ?」


「下の自販機で、飲み物買ってる」


 ああ、なん……ん?


「愛菜花」


「ん、何?」


「口元」僕は指し示した。「なんかついてる」


 愛菜花は口の端を親指で拭う。付いていた小さな緑の痕はいなくなる。


「あっ、パセリだね。昼、ミートソース食べたから」


「また?」


 愛菜花は好んでしょっちゅう食べている。週に何度食べてるのか分からない。


「いいじゃん。安いのに美味しいんだよ。一応学食の人気メニューだし」


「へー、そうなんだ知らなかった」


「興味なさげに言うんじゃないよ」


 棒読みがバレた。顔を近づけてくる愛菜花から遠ざかる。また鼻に届くシャンプーの香り……


「よすよすよす」


 独特の挨拶で誰が来たのか、見ずとも分かった。開けっぱなしにしていた部室の入口には、やはり部長がいた。コーヒーの缶を三本、胸の前で抱えている。


「お疲れ様です」


 僕がそう声をかけると、「よす」と軽く手を挙げて目の前までやってくる。


 部長は、ええっと、と言いながら、片手で二本持った缶を見つめた。「確か、微糖派だったよね。猪野口いのぐちさん」


 部長はおもむろに一缶、僕の目の前の机に置いた。


「えっ、あっ、いや、そんな」


 一連の動作からしても、それに僕の苗字だって呼んでいたことから考えると、このコーヒーは僕用に買ってくれたもので間違いないだろう。


「いいよいいよ遠慮しないで頂戴な。なにせ活動の要であるブログ更新をやってもらってるんだから、これぐらいはしないと部長失格さ。どうぞどうぞ」


「じゃあ……有り難くいただきます」


 僕が手に取ると、部長は視線を変えた。「んで、左舞さまいちゃんはカフェオレ、だよね?」


「さっすが部長」愛菜花は嬉しそうに笑って、受け取った。「記憶力抜群ですね」


 この前、何の気無しの雑談で、好きなコーヒーの種類の話になったから、愛菜花はそう言ったのだろう。


「一夜漬けで赤点回避してきた俺だからね。覚えるのだけは自慢できる」部長は鼻高々に告げる。「とはいえ、コーヒーの好みぐらいは一度で覚えられるよ。あっ、もしやもしやだけど、バカにしてるかい?」


「いえいえ滅相もございません」愛菜花は缶を少し持ち上げた。「それじゃ、ゴチになりまーす」


「俺も手伝えたらいいんだけどねぇ」パソコンの画面に視線を移すと、部長はそう呟いた。


「書いたらいいじゃないですか」愛菜花がその言葉に反応する。


「俺に文才はない。だから、手助けどころか逆に邪魔しちまう結果になる」


「けど、これまでは? 私たちがいない時は、やってたんじゃないんですか?」


「いやいや、何をおっしゃるやら」コーヒー缶を顔の前に持ち上げ、左右に振った。「俺が一年の時は先輩に、二年の時は一年の子、今は二年になってる子に書いてもらってた。だから、書いたことは一度もない」


 何故か誇らしげに胸を張る部長。


「あー」愛菜花は少し虚空を見ていた。「その二年の人って、私たちが入る直前に辞めちゃったっていう」


「そうそう。彼、新歓の時に新聞記者になりたいって言っててね。丁度人材として求めていたから、文章を書く訓練だと思ってって半ば強引に誘って、俺が調査を、彼には記事だけ書いてもらっていたんだ。けど、今年の三月に、本格的に記者になる勉強したいからって新聞社でのバイトを始めて、忙しくなって来れなくなって、辞めちゃったんだ」


「そうだったんですね」僕は頷き交じりに反応した。


「あれ、話したことなかったっけ?」


「はい、初めて聞きました」今日は随分と初めて尽くしだな。


「私も詳しい話は初めて知りました」


「そっか、言ってなかったかぁ。じゃあ、半年ちょい疑問に思っていたよな。悪いな」


「悪くないですよ。特に気にしてなかったので」


 部長は愛菜花の歯に衣着せぬ言葉を聞くと何故か仏のように目を細め、優しく微笑んだ。


「君はそのまま、変わらないでくれよ」


「安心して下さい、変わる気ないんで」


「そうか、安心した」


 愛菜花は腕時計を見て、「それじゃ私、次授業あるんで、この辺で。お疲れっす」と、部室を駆け足で去っていった。


「お疲れ様〜」「お疲れー」


 僕らがそう声をかけると、愛菜花は軽く手を上げて反応する。


「引き続き、テーマは例の呪いの言葉?」


「はい」


 もうこれで三ヶ月連続だ。けど、アクセス数を考えると、これが最も人気。引きがあるテーマだから連続で特集組んでいる。


「どれどれ?」


 二人だけの部室で、部長は隣のパイプ椅子の背もたれに両手をつくと、画面を覗き込んできた。目を左から右に何度も移し、僕の文章を黙読していく。


 さて、感想は?


「おいおい、噂話をさも本当かのように書かないでくれよ」


 ありゃりゃ、期待していた反応とは違っていた。


「嘘を書いてるみたいな言い方はよして下さい。あくまで誇張ですよ。もしくは強調」


「いずれにしろ、同様さ。バレた瞬間、これみよがしに吊し上げられるのが今の時代。手厳しいんだから。それに、審査の一環で閲覧される可能性だってある。百歩譲って書くとしても、くれぐれも細心の注意はしてくれ。下手打てば、うちはジ・エンドだ」


 審査で見られる中で、最も大事なのは部員数と活動実績。我ら51エリアズは、幽霊部員三人含めて六人のみサークル。もし仮に幽霊部員たちが、退部という名の成仏をした瞬間にサークル自体が消滅するという、なかなかに危うい数字だ。そもそも、幽霊部員たちはこのサークルが無くなることを防止するために、知人友人そのまた知り合いをどうにか説得して、まるで名義貸しでもしてもらったかのように名前を借りただけのもの。


 そんな特異な状況だ。ともなれば、活動実績が命運を分けることになるのである。つまり、文化祭でや個人サイトで月一の連載をしている“51ペーパー”へのアクセス数が何よりも大事になってくる、というわけだ。


「勿論、難しい要望をしているのは分かってる。似たような経験をした者として、この要望がキツイのも痛いほど分かる。ただ存続のためだ。悪いが、もう少しだけ、もう少しだけでいいから耐えてくれ」


 理解しているからこそ、部長の気持ちも分かるから、僕は苦虫を噛み潰したように「はい」と縦に頷いた。


 やはり、この呪いの言葉がなんなのか、どこよりも早く深く正確に伝えられるようにしなければ。注目度を浴びるには少なくとも、他のサイトやメディアでまだ扱っていない部分を書かないといけない。


「ネタは、この前話してた二人組かな?」


「はい」


 先月はまさにその部分を調べていた。まだ広まっていない事柄。ネットに上がっている写真の殆どに、二人の人間が写っているのだ。


 偶然とは言えないレベルの量。今回のこの一連の事件に関わっているに違いない。少なくとも、世間には広がっていない事実を何かしら知っているに違いない。そう思い、調べを進めた。


 そして、辛うじてピントが合っているもの何枚かから、姿形を割り出していく。


 まず、二人とも男性であろう。身長差があり、仮に背の高い方と低い方という形で分けるとする。


 背の低い方は全身黒い服装に身を包み、なおかつ黒い袋を背負っている。その縦長な形状からおそらくは竹刀とかを入れる袋ではないかと思っている。部長なんかは冗談で、スナイパーライフルでも入っているんじゃないかなんて、言っていたっけ。


 一方の背が高い方の格好は、水色Yシャツに、薄手の黒いカーディガン。白のチノパンにスニーカー。僕らと同じ大学生だろうかと思うほど、格好が若い。もちろん同じく大学生である可能性はあるのだが。それと、紺のショルダーバッグ。そこから、緑色の本を取り出しているところの姿を捉えた画像なんてのもある。


 そもそも何故見分けがついたのか。二人とも、どの写真も同じ格好をしているから。組み合わせまで同じだというのだから、よっぽど気に入っているのだろう。


「他には何か掴めた?」


「いえ、全く」


 ただ、これだけ。そう、これだけなのだ。不思議なことに、どんなに調べても彼らのことは出てこない。このネットが身近で溢れている社会なのにも関わらず、だ。


 他が扱わなかったのは、こうした状況であったからかもしれない。となれば、あまりにも情報がなかった、ということが理由となる。プロの手でも難しいことなのに、一介のアマチュア大学生が叶うとは思えない。諦めているわけではない。だが、伝も何も無い奴が調べていくのは現実的に難しい、ということだ。


「そうか……」苦々しい顔の部長。「まあ、無理に止めやしないけど、勧めもしない。まあ、土日はしっかり休んで、月曜から頑張ればいい。何、詰まってる時こそ休んで、一度切り替えてみるっていうのも一つの手だ」


「ありがとうございます。もう少しやってみて、出来なければ、また今度に回して、無難なテーマで進めていきます」


 幸い、弱いけれど、テーマのストックはある。


「分かった。その辺の判断は任せるよ。俺も俺で調べてみて何か分かったら伝えるね」


「助かります」


 部長はお気に入りの腕時計で時刻を確認した。


「俺これからゼミの用意しなきゃなんで、この辺で。今週発表なのよ」


「あっ、はい。あ、あと、コーヒーありがとうございました」


「いいよ何度も言わなくて。それじゃ、頼むね」


 手を軽く上げて、入口を出ていった。


「ふぅ」


 僕は背もたれに寄りかかり、深く息を吐く。溜息じゃない、どうしようかという悩みからくるものだ。


 正直手詰まりではある。不謹慎ではあるが、身近なところで事件が起きてくれれば、と思ったこともある。

 普段手に入らないようなことまで分かるだろうし、それこそ噂話のようなものですら、人を介していない分、正確さは多少向上するはず。


 とはいえ、そんなのは思っただけ。今は自分から情報を探し出すしかない。

 今から調べに回ってみるっていうのも手か。最後のもう一踏ん張り。よし、そうしよ!


「……ません」


 ん?

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