二十

 今日は風が少し強かった。

 従業員用外階段の踊り場にいる私は、乱れる髪を都度整える。


「ごめんな、心配かけて」


 どこか懐かしさを覚える声に、私は喧嘩していたことを忘れ、長話をしていた。もしかしたら、電話越しだからというのもあるかもしれない。


「まあ、元気になってよかったよ」


 私は笑いながら、そう晴矢・・に返した。


「元気元気。今だってほら、死にかけていたとは思えないでしょ?」


「思えないね、全く」


 受話器から軽く短い笑い声が聞こえる。「全くかよ」


「何も無かったような話ぶりじゃない」


「まあそこまで回復したってことにしておいてよ」


「だからって、油断はしないこと」


「はい」晴矢のトーンが落ちた。「暫くバイクに乗るんじゃないってお袋にこっぴどく怒られたから」


「心配してのことなんだよ」


「なら、いいけどね」


 私は口に入った髪の先を取り出す。


「にしても」


 電話越しにでもどこかの壁に寄りかかり、スマホを持つ手の肘を支えるように、もう片方の腕を添えたのが分かった。


「こんなにも短期間に地球温暖化が進むとはね」


 ああ、あれのことか。


「一部の人が言ってることでしょ? 大袈裟なだけだって。それか、茶化してるだけ」


「だって、都会の真ん中で竜巻が起きたんだろ? 公園の遊具やトイレを吹き飛ばすほどの強さだ。あながち大袈裟とは言い切れない」


 確かに、残骸はそれは無惨なことになっていたらしい。補修費等に相当額かかるものの、さほど大きな公園ではなく、夜に起きていたため、巻き込まれた子供や人がいなかったのは幸いだという。そもそも、竜巻と温暖化に因果関係があるのか、定かではないけれど。


「目を覚まして、なんの気無しにニュース見たら、そんなのやってたからさ。寝ぼけ眼もすっきりするほど見開いたよ」


「寝ぼけ眼って」つい笑みが溢れる。


「何?」


「いや、だとしたら随分目を開けるのは大変だったろうなぁーって」


「ん? どういうこと?」


「ううん、こっちの話」分からなければそれでもいい。


「なんだよそれ」


 晴矢は笑う。私もつられて笑う。


 少し前まで顔を合わせれば険悪になりがちだったけれど、今色々な事を経て、どこかありがたさを感じていた。


 笑い声はゆっくりと収まる。それが合図のような気がしていた。そろそろ伝えないといけない。

 彼女と会ったのは数回だけど、名前には何度も出しているのだから。


「あのさ」重い話。そのせいか、おもむろに視線と表情が落ちていく。「実は、由奈が、ね……」


 今行くっ--晴矢はどこか遠くに向かって返事をしていた。固有名詞等は出ていないけど、私に対して言ったのではないということは確かだった。


「悪い。ちょっと今から検査に行ってくる」


「ああそう、分かった」私は声のトーンを変える。「じゃあ、また夕方」


「会えるの楽しみにしてる」


「うん」私は頷き交じりに答えた。


「それじゃ」


 晴矢は電話を切った。通じなくなった電話。私も耳からスマホを外し、画面を消す。自然と溜息が漏れた。言うのはお見舞いの時で……


「無理はしなくていいからね」


 背後から声をかけられる。振り返ると、立て看板を持っている店長がいた。学校恋愛ものライトノベルの女子キャラクター。片目を閉じてウインクしている。作品は知らないが、明るい性格をしているのだろうと伝わってくる。


「すいません、すぐ戻ります」


「いやいや、そういうわけじゃないんだ」


 看板をその場に置く。キャラクターの表情とは異なり、店長は眉を八の字にしていた。沈んだ表情も相まって、気持ちは言わずもがな、伝わった。


「ああいう事が起きると、自分でも気づかない気疲れをしてることがあるからさ。仲の良い人が亡くなれば特に」


 その仲の良い人は、由奈のこと。


 自宅で階段を踏み外し、地面に頭を強く打った際、打ち所が悪く死んでしまった--あまりに唐突な事実を由奈のお母さんからその旨を告げられた時、最初何を言われているのか理解することができなかった。いや、理解しようとしなかっただけかもしれない。信じたくなかったのかもしれない。

 だって、少し前まで生きた姿で会っていたのだから。ただただ普通に話していたのだから。また会えるんだって、声聞けるんだって思ったのに……思ったのに……何も叶わなくなった。当たり前な日常は、音を立てずに崩れ去ったのだ。


 それに、ほぼ同時期、土金さんも亡くなっている。死因は事故なのだが、正直それよりも大きな事実が発覚した。私をストーカーしていたのは、なんと土金さんだったのだ。


 怪しげな行動をしていた土金さんを見かけた警察が職務質問をしようとしたところ、逃走。車道に飛び出し、ダンプカーに轢かれてしまったのだという。

 その後、本人の所持品から私への嫌がらせの手紙を見つけた。内容と私からの証言を結びつけ、また過去にも似た経験をした方がいると分かり、警察は詳しく捜査を実施。監視カメラ等の映像や手紙の筆跡鑑定で、判明したということらしい。


 警察から伝えられた時、あまりにも藪から棒な事実と真実に私は驚きを隠せなかった。こんなに身近な人が犯人だったなんて思いもしなかったからだ。結局、何で恨まれていたのか本人が亡くなってしまったため定かではない。ともかく、人はいつどこで恨みを買うか分からない、という教訓を得た。


「そのさ」


 店長は口を曲げ、言葉を一瞬つっかえた。


「こんなこと聞くのはおかしな話なんだけど……来るの嫌にならない?」


「え?」


「だって、ここに来たら由奈ちゃんのこと思い出したりさ、それにその……例の噂も」


 噂……


 互いに突発的かつ偶発的な事故が起因してのものだけど、立て続けに起きたこと。そのため、従業員の中で「呪われてるのではないか」などという根も葉もない噂が広がったのだ。

 勿論そんなことはないのだけれど、数日前から土金さんの事故経由でネットで少し騒ぎになっていたこともあり、辞めた人間が数名いた。


 この事実を踏まえた上で、単語と行間に潜む微妙なニュアンスをひしひしと感じた。


 私は「いえ」と首を横に振った。


「噂なんて関係ないです。私は働いています。噂なんていう曖昧なものではなく、確かに経験しています。噂なんて関係ないです。それに、ここには由奈と過ごした思い出が沢山あります。記憶の片隅にしまっていたのも、思い出させてくれる。だから、嫌になんかなりません」


 店長は何か言いたげに口を少し開いた。だがすぐ強く結んで、視線を落とした。少し震わせた後、おもむろに顔を上げた。目元は何故か潤んでいた。


「ありがとう」




 休憩を終えた私は、レジへと向かう。応援の知らせが店内アナウンスで流れたからだ。混んできたらしい。


 ここ数日は激動だった、私の人生の中でも一番と言っていいほどまでに。


 晴矢の事故、由奈の死。特に後者はあまりにも大きく凄まじい悲しみを私に与えてきた。

 もしも神様が「乗り越えるための試練だ」などと言ってきたら、ふざけるなと言い返すかもしれない。殴りかかるかもしれない。そんなことで、命を奪ったのかって。友達を失わせたのかって。そんな試練、乗り越えられなくていい。


 神様、ほど大層なことではないけれど、不思議なことが起きた。


 思い出せないことが多くあったことだ。


 確かにこの数日間起きたことのせいで、頭が追いつかなかったのか、もしくは二つのことがあまりにもインパクトが大き過ぎて他のことが気にならなくなったのか。いずれにせよ、細かな部分を思い出せなくなったのだ。まるで、今朝見た夢を思い出そうとしてもぼやけた感じになっているかのような。

 どれも連続性はなく、色んな物をぶつ切りにしたような記憶なのも、それが原因だろう。


 とはいえ。


 とはいえだ。一つどうしても気になることがある。それは、ぶつ切りではなく、はっきりしっかり思い出せる一番最初の時のこと。言い換えれば今からもっとも近い過去は、1週間ほど前。深く長い眠りから目を覚ました感覚になりながら、家の布団で目を覚ました時のことだ。


 よほど疲れていて寝過ぎたのだろう、起きる時に背中や両腕や足裏など体の節々で痛みが走った。その上よほど体勢が変だったのか、ところどころ赤く腫れていたり、青痣になっていた。


 ここまでは別に、気になることはあるが、特出すべきな点ではない。


 身につけていた服、寝巻の問題だ。


 私は面倒なことにパジャマを着なければ眠ることができない。微妙に発症する潔癖症のせいで、外着を変えないと家の布団では眠ることは決してしない。


 なのに、外着で寝ていた。買ってから数年は経過しているけれど、まだ寝巻きには降格していない。そもそも寝巻にするには少し寝辛さを感じる生地だから進んでしないはずだった。


 こうなると、寝る前に何をしていたのかが大きな鍵となる。しかし残念なことに、思い出すことができない。どう頑張っても足掻いても無理。


 一応今も努めてはいるが、なんとなく感じているのは、多分考えても正解は出ないだろうという悶々とした“答え”だけだった。


 レジに入り、休止中のプレートを外した。手元をある程度整え、私は体をレジから出した。視線は長くなり始めた購入列だ。


「お次の方、どうぞ」


 先頭は、茶色のミディアムヘアの若い男性。端正な顔立ちが映えるシャープなメガネをかけている。水色Yシャツの上に薄手の黒いカーディガンを羽織り、白のチノパンを履いている。


 呼びかけた時、こちらに歩いてきた。遅れて、こちらを見た時、ぴくりと体の動きを止めた。躊躇ったように見えたが、すぐにこちらに歩いてきたので、私は体を引っ込め、手元を整え始める。


 人の気配を感じ、私は顔を上げた。


「お待たせしました」


 男性は笑顔を浮かべた。


「予約した小説の受け取りを」


 男性は書籍予約レシートをキャッシュトレイに置いた。


「拝見します」


 商品名の欄には、『怪奇専門探偵 葉海はうみ優礼ゆうれい~其ノ八~』とある。


 作者は、西条寺東也。確かそこそこ売れていて、既発本も含め追加注文をよく店長が……ん? なんだろう、この感じ。最近もおんなじようなことがあったような気がする。


 私は雑念を払い、視線をさらに下げる。発売日は30日。丁度今日だ。


「ご用意いたしますので、少々お待ち下さい」


 私はレシートを手に、真反対にある棚へ向かう。予約してある商品は発売してから一週間程度はここに保管される。


 ええっと……か、か、か、か……あっ、これだ。


 私は少しかかとを上げ、透明なフィルムに包まれた文庫本を手に取り、タイトル等を確認する。間違いない。


「お待たせ致しました」


 レジへ戻り、「こちらでお間違いないでしょうか」と小説を見せる。


「はい」


 男性が首を縦に小さく振ったのを確認し、私は小説の背表紙を向けた。バーコードをスキャンする。


「780円になります」表示された金額を読み上げながら、小説を袋に入れる。


「これで」


「1000円お預かりします」


 入れ終えて、私は金額をレジに打ち込んでお釣りを出した。


「220円のお返しとレシートでございます」


 キャッシュトレイに置き、しまったタイミングで、袋を手渡す。


「こちら商品になります」


 ありがとうございます、と男性が手に取ったタイミングで私は頭を下げた。


「またのお越しをお待ちしています」


 男性はベルトパーティションに沿って出口と書かれた看板へと向かっていく。


「今度は買えたか?」


 ふと視線を移す。看板の前にいる少年が男性に声をかけていた。キャンプでもするのか、紐の通った縦に長く黒い袋を背負っていた。


「うん」男性は袋を顔のそばに持ち上げた。「ちゃんとね」


 二人は店の出入口へと歩いていく。


 なんだろう、この感じ。心臓の鼓動が早くなったわけじゃない。けれど、何かこう、大事なことを忘れてしまっているような、出来ていないような……こんな感覚は初めてだった。自身の気持ちが自分でないように、心が不思議に揺れ動き、不思議に感情が溢れてくる。


 衝動は止められない--恋愛小説か雑誌か何かで読んだことがある。別に今、恋をしているとかそういうわけではない。けれど、衝動というものは似ているのだろう。


 私はそんな衝動に駆られ、急いで休止中の看板を立てる。「少し出ます」と、とにかくこの中にいる誰かに聞こえるように伝え、レジを飛び出した。


 二人はもう店の自動ドアを通過している。早歩きから小走りに変え、後を追う。


 半開きの自動ドアに少し体をぶつけながら、私は「あのっ」と声を上げる。自分でもなかなか出さない音量だった。


 振り返る男性と少年。少年は「おっ」と眉を上げ、両手をポケットに入れた。


 呼び止めた理由はない。ただ感情の赴くままに来て、声をかけただけ。だから、思いついた言葉を伝える。


「ありがとうございました」


 体を90度に曲げ、深々と礼をする。なんでこんなにも深く頭を下げているのか自分でも分からなかった。


 けれど、何をなのか分からないことに気づき、すぐ顔を上げる。


「その、お買い上げ頂きまして……」


 恥ずかしくなり、目の前にかかっていた髪を耳の上に流した。


 男性は本の入った袋の中を一瞥し、笑顔を浮かべた。それを見て、私も幸福感が芽生え、笑顔になれた。


「また来ます、本買いに」


「じゃあな」


 少年が踵を返し、歩いていく。男性もその後をついていく。遠くへ去っていく二人。何故かあたたかな気持ちになる。会えたことに感謝するような。どうしたのだろう、私。変なの。


 あっ、もう戻らないと。


 私は急いで店の自動ドアをくぐった。

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