十六
「なるほど」
手紙を通読したツナシさんは神妙な面持ちで深く何度も頷いていた。
由奈の葬式が終わった翌日、私はニノマエさんとツナシさんに会った。四日ぶりの再会であった。
由奈が亡くなったと聞いてから、私は二人と距離を置いていた。顔をみると由奈のことを思い出して辛くなってしまうからだ。それに、由奈が死んだ今、追う意味が見出せなかった。気力を失ってしまったのだ。
そんな身勝手な思いの丈を告げる。なんだそれと怒られるか、あっそうと見放されるか。厳しい言葉が返ってくることは覚悟していた。
けど、二人は返さなかった。それどころか、「僕たちはまだ調べ続けます。このハンバーガー店をしばらく使っているので、もし気が変わったら」と、ケータイを持っていない二人への連絡手段がないからこその方法を取ってくれたのだ。
そんな温もりの言葉がずっと胸の奥に残っていた。そして、あの手紙。読んで思った。ここで引いちゃダメだと。そして、この手紙こそが怪異を倒すのに大きな手がかりになるかもしれない——私は二人が待っているハンバーガー屋に来て、顔を合わせた。そして、例の手紙を二人に見せた。手に取ったのはツナシさんで、横から覗き込んで目を動かしていたのはニノマエさんだった。
暫くの沈黙の後、ツナシさんは「なるほど」と口にしていた。
ニノマエさんは小刻みに頷きながら、テーブルに手紙が置かれるとほぼ同時に、当初座っていたところへと戻った。
「これで合点がいきました」
何故晴矢が怪異に襲われたのか、何故土金さんが殺されたのか、何故酷い殺され方をしたのか、何故由奈が怪異と手を組んだのか……遠くにあった沢山の点が一本の線となるとは思いもしなかった。
「にしても、度が過ぎたな」
「えっ?」そう発言したニノマエさんに自然と顔が向く。
「だってそうだろ? 自分勝手に思って、解釈して、行動して、殺すわ殺しかけるわで」
「それはその……」
「仲が良かったんだろうし、相手はお前に好意を抱いてた。それは分かる。だからと言って、やっていいことじゃない。そうだろ?」
「確かにそうです。けどっ」否定言葉が少し強く、おもむろに出てくる。
確かに由奈の行動は度が過ぎていたと思う。異論はない。
とはいえ、私を助けようと気にかけたがゆえに起こしてしまった行動だ。恨むような、嫌悪を含んだ感情はなかった。それよりも、大事な親友をこんなにも早くこんな形で失ってしまったことの方が、遥かに強い、ショックだ。よほど嫌な感情だった。
こんなこと考えているなんてはたからみれば、おかしいとか独りよがりだとか、もしかしたら偽善的だなんて思われるかもしれない。
けれど、そうなんだ。私にとって由奈は、優しくて思いやりがあって、一緒に笑ったり悩んでくれて、くだらない話を永遠として、たまに喧嘩してもすぐ仲直りできて、それで……それで……
誰よりもずっと近く、そばにいた。由奈は私の大切な……
「親友でした……由奈は親友なんです」
喉が震え出す。意識せずに自然と。
ニノマエさんはバツが悪そうに顔をしかめると、「そうだな、悪かった」と荒く髪をかいた。
「元はと言えば私のせいなんです」視線が落ちる。「安易にストーカーなんてことを言わなければ、こんなことにはならなかったはずです……」
やっぱり隠しておくべきだった。そんな後悔が膝の上で拳がより小さく丸みを帯びさせた。上に雫が垂れ、小さな泉を作り、そして手を滑り落ちていく。
「慰めるつもりはないけどよ」
顔を上げる。ニノマエさんは頬杖をついていた。
「仮にストーカーについて言わなくても、遅かれ早かれ、ご友人さんは命を落としてたよ」
えっ……息に詰まる。
「あんたに好意があったことは間違いない。てことは、あんたに関する他の“何か”のために、怪異は力を貸しただろう。その後、自分の利益を叶えるために必要なら、なんの躊躇もなく人間を殺す。驚くぐらいにあっさりとだ。それが怪異ってヤツのやることだ」
そんな……
魂を抜かれたように、肩から力がなくなる。スッと、フワッと抜けていく。目尻に涙が溢れて出てくる。拭っても拭っても止まらない。
なら、由奈の死はもうずっと前から、既に決まっていた運命だったということなの?
「出会わなければ……よかったんですかね」
心の言葉が口から、大粒になった涙が両目からこぼれ落ちた。
「出会わなければ、由奈は死ぬことなく今も生きていたんですかね」
「知らねえよ、んなこと」鋭くなるニノマエさんの口調。「あの時なんてもしも話、誰も分かるわけねえだろうが」
ニノマエさんは両手を頭の後ろに回して、重ねた。
「けど、出会ったことは確実に起きたことで、お前自身どうだったか、それなら分かるはずだ」
目が細くなり、眉間にシワが寄った。
「どうなんだ、出会ったことは間違いだったのか?」
出会ったこと……「いえ」私は首を左右に強く振った。「違う。絶対に間違いなんかじゃない、です」
「なら、答えはひとつだろ」ニノマエさんは腕をテーブルに置き、前傾姿勢になった。「じっとしてないで、動け。それしかねえんだよ」
「でも、怪異を倒しても由奈が帰ってくるわけじゃないでしょう」
なんだろうか、少しやけになってる自分がいた。
「ああ、そうだ」
残酷で非情な現実を改めて伝えられ、肩が落ちる。
「けど、関わってる怪異を倒せば、彼女の死因は変えられる。まだマシな死に方になると思うぜ」
「マシな死に方?」
「ああ、何かまでは分からねえがな」
そういえば、これまでの歴史的な時間の流れも怪異が倒されることで大きく変わると言っていた。
「怪異を知ってるオレらだからこそ、どうにかしてできるし、やらなきゃならねぇ。いいか、死んだ過去は変えられねえ。けど、今これから死ぬかもしれない人間を救うことはできる。オレらだったら、未来を変えることも友達を弔うこともできんだよ」
弔う……そうか。由奈を本当の意味で弔うことができるのは、真実を知っている私しかいないんだ。立ち向かうしかないんだ。
「何をすればいいんですか」私は目尻に余った涙を拭い、声の震えを殺す。
「次は?」
「また次の標的を探してるだろうよ。今はどこにいるか分からんけど、大きな手がかりも掴めたことだし」
「それって、手紙にある石碑のことですか?」
「ああ」
「でも、わざわざ同じ場所に戻りますかね」
「というと?」
「だって、怪異は私たちが追ってるということは分かってるのに、そんなリスクを冒すとは……」
私たちと対峙したことで関わりのある場所から遠ざかっているかもしれない。人間だったらそうするはず。警察に追われている犯罪者が自分の家に帰らないのと同じような発想だ。
「その石碑は恐らく」ツナシさんが口を開く。「怪異との結びつきが特に強い場所だろうと思います」
「結びつき、ですか?」
「ええ。そのような場所は自身の力で離れるというのは難しいんです」
となると……「怪異というのは、地縛霊のような特性を持っているということですか」
「その通りです。怪異の力量を見る限り、離れられないと思われます。と考えれば、なにかしらのタイミングで石碑の前に姿を現す可能性の方が高い、というわけです」
成る程。
「にしても、怪異の目的は何なんでしょうか。何が目的でこんなことを……」
「理解できてりゃ、そうしてるさ」ニノマエさんは仏頂面でそう答えた。
「そうですよね……」
「けど、大まかには推測可能です」
ツナシさんは顔を落とした私にすぐ声をかけてくれた。
「怪異の殆どは自分の欲にとても忠実です。貪欲といえば分かりやすいでしょうか。どんな動物よりも明確に持っていて、叶えるためにはどんな酷く非道なことでもする、そういう欲深い存在です」
「なら、今回のも?」
「おそらく」
「おーい」低い声のニノマエさん。「続きは歩きながらでいいか?」
「ああそうだね」
「よいしよっとい」ニノマエさんが浮かばせていた両足を一気に着けて、膝を伸ばした。
遅れてツナシさん、そして私も立ち上がった。
「気になること、ですか?」
「ええ」
私は頷き混じりにそう答えた。道中、例の手紙の話になったからだ。疑問を抱えておきたくなかった。残っている負の感情だけで十分だ。
「なんで由奈は怪異のことを覚えていたんでしょうか。その、妙奇とかいう特殊な能力を持っていたのでしょうか」
「いえ。由奈さんにはなかったかと。ただ、一般の方でも怪異との関係が深ければ深いほど、通常よりも記憶にとどまっている時間は長くなります」
なら、忘れるまでにこの手紙を書いていた、ということか。
「もう一つよろしいですか」
「どうぞ」
「手紙にもあった、由奈が石碑を見つけた日のことです。かなり詳細に書かれていたのでなんか気になって」
「やはり片桐さんもですか」
え?
「僕も同じことを思っていたんですよ。ほら、工事していたから遠回りしてとか、一見するとその時の描写が詳しく描かれているように読めますが、みようによっては我々にヒントを与えてくれているように感じます」
確かにそうだ。
大学から由奈の家までは徒歩二十分。経路としては小道を含めれば無数にある。本当にしらみ潰しになるところだったが、調べてみた結果、ここ最近まで工事をしていたのは二箇所のみ。そこから逆算して考えると、経路はそこまで多くはなかった。手分けして探したら、見つかった。今は決めた場所に集合して、見つけたニノマエさんの案内のもと、一緒に向かっているところだ。時間的にも空間的にも、あの手紙はとても役に立ったのだ。
「もしかしたら由奈さんは手紙を使って、私たちに教えようとしたのかもしれません。全体的に本を読むような説明口調ばかりだったのも、怪異にそのことがバレぬように隠した違和感がないようにって」
ツナシさんは微笑んだ。「少しでも片桐さんのことを守ろうと想ったが故の気持ちだったのかも」
由奈……ありがとう。
「必ず倒しましょう、由奈さんの想いを無駄にしないためにも」
「はい」私は力強く頷いた。
「ここだ」
ニノマエさんの声に私たちは歩みを止める。体は右を向いており、視線は下に落ちている。同じところを見る。
あっ。
伸び放題の雑草の中に埋もれているからか、一瞬分からなかったけど、見つけた。石碑がある。全体に渡り、何か達筆な文字が彫られているが、黒ずんでしまっており、判読は不可能であった。それが余計に見捨てられたような寂しさと哀しさを表現している。
すぐ目の前には、三棟斜めに建てられた団地がある。住んでいる人はいるようだけど、まばら。子供がいて主婦が井戸端会議をしている、そんなイメージとは程遠い。活気があるとは言い難く、どこかおどろおどろしさを醸し出していた。
まだお昼で、遮るような建物が近くにないというのに、全体的にどこか薄暗く感じるのも、その要因の一つかもしれない。いや、この石碑に憑く怪異のせいかもしれない。
にしても石碑はどうしてこんなところにあるのか分からない。ただひっそりと置かれており、通りすがりに気づくのは困難だろう。だから、手入れもされていないんだろうし。
「よく気づきましたね」
「まあ、妙奇があるからな。こう、ビビッとひきつけられた」
ひきつけられた——そう考えると、由奈も怪異に引き寄せられただけなのかもしれない……
「おおっ」ツナシさんは苦々しい顔で眉間にシワを寄せた。「これは、なかなかだね……」
「だよな、やっぱ」
私は感じないけれど、二人がこういうのだ。この石碑は相当強い力を秘めた恐ろしい産物なのだろう。突然怖くなる。
「これって破壊したらどうなるんですか?」
「どうなるとは?」ツナシさんは、少し後ろにいた私に振り返った。
「その、怪異を倒すことができる、みたいな」
「そういうのもいます。ですが、今回においてはそのような効力は、残念ながらないようです」
そうか……
「おい」
ニノマエさんが声をかけてくる。見ると、左の方に視線を向けていた。
「どうしました?」
「来たぞ」
えっ?
私とツナシさんは一斉に顔を向けた。流れとしてはあの怪異が来たということなのだけど、私には一人サラリーマンが歩いてくる姿しか見えなかった。
「マズいね」ツナシさんも慌て始める。「いったんどこかへ隠れよう」
「あそこ」
ニノマエさんが指さしたのは、団地の敷地内に建っているプレハブ小屋だった。
「分かった」
二人が急いで向かうのを後ろから追いかける。
「な、何が来てるんですか?」
状況が飲み込めず、混乱する。あの人に見つかるのがマズいのか、はたまた知り合いだとか……
「いただろ」ニノマエさんは小走りだった。「怪異があのサラリーマンの隣に」
「えっ?」
足は止めず、振り返る。
「どこにです?」
改めて見ても、私には目視できなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます