レジに入り、休止中のプレートを外す。


「お次の方、どうぞ」


 体をレジから出し、列に声をかけ、引っ込める。手元を整えている最中に、視界の上部に人が入ってきたのが見える。やってきたみたいだ。


「お待たせいたしました」


 顔を上げる。立っていたのは、茶色のミディアムヘアの若い男性。端正な顔立ちが映えるシャープなメガネをかけている。水色Yシャツの上に薄手の黒いカーディガンを羽織り、微かに長身によく合う白のチノパンが見える。前聞いた由奈のタイプにドンピシャだった。


「あのぉ……」


 神妙な顔。手には何も持っていない。ということはもしかして……


「小説の予約をしているんですが、届いてますかね」


 やはり、予約の受け取りらしい。


「確認致します。予約番号はお分かりでしょうか?」


「予約番号……」


「では、書籍予約レシートはお持ちでしょうか」


「レシート……ええっと……」


 財布を取り出して探し始める。


 うちの書店では番号の書かれた予約レシートを渡しているのだけど、ただのレシートだと勘違いして捨ててしまう人がいる。


 書籍の題名と、予約時に本人確認として一緒に聞いている名前と電話番号から検索をかけることができるのだけど、時間はそこそこかかる。


 失くしてしまうぐらいはまだ良いほうだ。こちらが困るのは、お客が受け取りに来ない場合だ。特に後払いは迷惑だ。忘れているのか、別にいいやと思っているのか。もし後者なら、本当にやめてほしい。在庫を無駄に抱えることになるこちらの身にもなって欲しい。って、私は一体誰に喋ってるのよ。


 男性は眉間にしわを寄せる。困っているのは明白。いつも通り名前と電話番号を聞こうとすると、「あっ」と目が開いた。横長の黒財布から縦長の小さな紙を一枚取り出す。


「ありました、ありました」


 キャッシュトレイに置く。


「失礼します」


 手に取る。商品名の欄には、『怪奇専門探偵 葉海はうみ優礼ゆうれい〜其ノ八〜』とある。作者は、西条寺東也。そこそこ売れていて、既発本も含めて追加注文を店長がよく……ん?


「少々お待ち下さい」


 私は下がり、後ろにあるパソコンで検索をかけた。やはり……


 駆け足で戻る。「お待たせしました。こちらの商品ですが、まだ発売されていない商品でして」


「あれ、20日じゃなかったでした?」


「いや」私は画面を再度見て確認する。「30日……ですね」


「ありゃぁ……」


「申し訳ございません」


 とりあえず謝り、レシートをトレイに置く。


 肩を落としながら、レシートを見る。「本当だ。20と30を見間違えていたみたいです」


 財布にしまい、「すいません、お手数おかけしました」と軽く頭を下げながら、帰っていく。


「またのご来店お待ちしております」


 一礼する。こういう時、ぎこちなくなってしまう。不得意な場面だ。


 ふと人が目の前に立ったのが傍目に見え、正面に戻す。

 いつのまにか次のお客さんがいた。


 童顔でショートカットの女性だ。大学生かな。置いてあるのは、教育論についての小難しそうな書籍とお金。一円単位の細かな小銭まである。並んでいる時に用意していたのだろう。


 呼び込んでないのに来たってことは、急いでいるのかもしれない。苛立たせてしまう前に手早く済ませよう。


 まず最初にこれだけ言っておこう。


「お待たせ致しました」




「お先でーす」


 上ずった声が休憩室に響く。男性だけど少し甲高い。この声、一人しかいない。


 古いポップを片していた私は少しだけ目線を送った。やはり。土金さんだ。


 既に仕事用エプロンを脱いでいる。代わりにネイビーのアウターを羽織っている。オークル色のショルダーバッグを肩から下げており、手はもうドアノブにかけられていた。


 お疲れです、という男女の声が方々から上がる。リターンが来たからか、許可をもらえたとばかりにそそくさとこちらに背を向け、ドアを開いて出ていった。


「時間来たら、すぐ上がるよね」


 副店が私のそばに立っていた。背が高く、それに呼応するように手足も長い。抱えられた段ボールは私が持っているよりも不思議と小さく見えた。

 目は細くなり、口は真一文字に閉じている。見るからに不機嫌だった。

 段ボールの側面には出版社の名前と日付が書いてある。恐らく、中身は例のアレだろう。


「みんなから手伝ってもらってるんだから、たまにはお返しして欲しいもんだよ」


 愚痴を吐き終えると、副店はふと目を開いた。


「って、山本さんに言っても仕方ないのに、ごめんね」


 我に返り、いつもの優しそうな明るい笑顔を見て、安心した。


「いえ」私も軽く微笑み返す。


「あ、いたいた」


 背中の方から声が聞こえる。体を向けると、店長が近づいてきていた。


「佑香ちゃん、今日はもう帰っていいよ」


「えっ?」


 一瞬、何か私やらかしたっけ、と頭を様々な想像が駆け巡る。あるとすれば、本の補充を一度にしようとして雪崩のように床に落としてしまったことだけど、それはもう数日も前の話だ。


「いや、怒ってるわけじゃなくて」


 店長は顔の前で手を振る。どうやら顔に出ていたみたいだ。


「ほら、休憩時間短くしちゃったでしょ? テスト疲れ残ってるみたいだし、今日は帰ってゆっくり休んで」


「でも……まだこんなに」


 営業後、明日発売のコミックやら雑誌やらを規定の場所に並べなければならない。今はその前の作業。

 まず段ボールから同じ顔した本を出して、一冊一冊シュリンクを……あっ今の時期は特典のステッカーが付くから間に挟んでからシュリンクをして、“特典”シールを貼って、顎と両手で挟んだ大量の本を所定の場所へ置く。


 ただでさえ大変なのに、明日は月曜日。例の少年雑誌系出版社からえげつない量の分厚い雑誌が届く魔の日だ。経験をしたことあるからこそ分かる、目眩がするほど大変な仕事だ。それをこれからしようと、しなければならない人たちを差し置いて帰えるというのはなんとも、いやとても気がひける。


「大丈夫大丈夫」


 副店が横から声を出す。


「まだあるとはいえそこまで残ってない。それにさ、明日はいつもより多めに入ってもらうんだ。なーに、明日朝一で棚出しすれば、開店前には終わるさ」


 この職場は良い人ばかりだ。自然と口角が上がるのを感じる。


「それじゃあ、お言葉に甘えて」


 私はパイプ椅子を後ろに引いた。


「お先に失礼します」

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