三十六

「ふぁぁーはぅ」


 イチ君の大きな欠伸に、俺は視線を落とす。デカく開いた口は、ハンバーガーショップの時に見たのとよく似ていた。


「あのさイチ君、この……」


 そう声をかけた途端、「怪異の残骸をどうするかってことか?」と、目尻に浮かんだ涙を手で雑に拭いながら返され、俺は「えっ……あ、うん」と肯定。けど実際は違う。聞きたかったのは、俺のこの見た目がいつ戻るか、だった。でも、疑問としてあったし、後で聞こうとも考えてた。だから、まあ前後が変わっただけ。


 にしても、トー君といいイチ君といい、俺が言わんとしてることを当てにくる。もしかして、超能力的な何かがあるのだろうか。

 仮の話だ。俺が尋ねてみて「あるよ」と返されたとしても、その上それが嘘だとしても、これっぽっちも疑うことなく信じるだろう。その度合いは、馬鹿高い怪しい壺を買えと言われても素直に、しかもキャッシュ一括で買ってしまうくらい。まあそもそも、超能力的な現象を目の前で起こしていたから、嘘も何もないか……


「相っ変わらず、おんなじこと聞くよな」呆れるイチ君。


 おんなじこと?? 初めて聞いたはずだけど……


「安心しろ。もうちょいすれば自然と消える」


「き、消える?」


 イチ君は面倒くさそうに、俺の方へ体を向けた。


「怪異は死ぬと消えんだよ。これぐらいの光の粒になって」イチ君は人差し指を親指の半分の位置でくっつけて丸を作った。


「そして、存在自体そのものが消滅する。何もかも無かったことになる」


「なら、小夜も生き返るんですかっ」


 俺とイチ君は同時に声の方へ。そこには、じっとこちらを見つめるエンドウさんが。会話が聞こえていたのだろう、大声を上げて尋ねた。

 そうだ。彼女はそもそも友人を失っているんだった。確か名前は、金山小夜さんだったはずだ。今の彼女にとって、この答えは何よりも聞きたい答えだろう。


 イチ君は眉間にしわを寄せ、首を横に振る。「悪いが、死んだ人間は死んだままだ。それは変わらねえ」


 無残にもエンドウさんの想いは潰えた。すると、死を告げられた時のことが思い起こしたのか、悔しそうに無念そうに、頬と唇を震わせ始めて頭を垂れた。


「けど、死因は変わる」


 エンドウさんの耳が反応する。そして、驚きの表情のまま、顔を上げた。


「死因が……変わる?」


「ああ」イチ君がそう返事をすると、「おーい」と背中の方から声が聞こえてきた。首だけ後ろに。やはり、トー君だ。手を振りながら小走りをしている。


「お2人とも、大丈夫ですか?」


「私は擦り傷ぐらいです。けど……」エンドウさんは俺の方に視線を向けてきた。


 で、気づく。あっそうか。俺、頭から血を流しているんだった。すっかり忘れて……イタっ。急に来た痛みに思わず顔が歪む。肺の辺りや左腕、足なんか両方。というか、あれ……全身が痛いな、これ。

 思わず膝から崩れるが、トー君とエンドウさんが慌てて支えてくれたおかげで倒れずには済んだ。ゆっくりとその場に座る。


 トー君は膝を曲げる。「病院行きますか?」心配そうに声をかけてくれた。


「うん、顔が元に戻ったら行ってみる」


「なら、もうちょっとです」と、トー君は体を起こした。


「トー」イチ君が距離を寄せながら声をかけると、トー君は「はいはい」とバッグに手を入れた。


「それじゃない」イチ君の発言に、トー君は手を止めた。「死因変わるヤツの説明頼んでいいか?」


「何、もう話してたの?」


「流れでな」


「ふーん」とだけ反応すると、後ろに回していた首を戻し、俺とエンドウさんを見ながら、「では続きから」と切り出した。


「怪異が消えることによって死んだという事実は変わらないものの、怪異によって殺されたという事実は変化します。つまり、怪異が引き起こした“即白骨”ではなくなります」


「なら、何に?」


「分かりません」トー君は横に首を振る。「生前の状況などによってその都度状況に合わせて決まるため、一概に死因がこれにとは言えないんです」


「ただ経験上、大体の場合は心不全などの病死に変わります。殺人や自殺や事故死などに死因が変化したというのは、あまりありません」


「変わる……」呟くエンドウさん。


「確認してくれば」イチ君が唐突に口を開く。「今なら友達の顔、拝めるかもしれねえぞ。骸骨じゃないちゃんとした、な」


 そうか、そういうことか。イチ君が言わんとしてることが理解できた。日にち的なことを考えれば、もしかするとまだ葬式をしていない可能性もある。

 それは、エンドウさんにも伝わっていたようだ。目を瞠り、口を開いている。


「いいんですか?」


「当たりめぇだろ」イチ君はポケットに手を入れた。


「なら、今度お礼をさせてください」


 イチ君とトー君は目を合わせた。で、2人ともエンドウさんを見た。


「いや、気にしなくていい」


 イチ君がそう言うも、「でも、助けてもらったのにお礼しないなんていうのは」と、粘りを見せる。


 すると、トー君が「でしたら、僕のケータイの番号をお教えします」と告げた。「しかし、明日まで記録せず、かけるのも明日以降にしてもらえますか」と奇妙な条件付き。


「は、はい」エンドウさんも疑問に思ったのだろうけど、断ることなく、縦に頷いた。


 教えられた番号を時折、目線を上げながら覚える。


「大丈夫そうですか?」


「はい。ではまた明日連絡します」


苦々しさを感じる笑みを浮かべると、「では、お気をつけて」とトー君と話す。


 エンドウさん背筋を伸ばし、「皆さん、本当に。本当にありがとうございました」と深々と頭を下げる。


 イチ君は「いいから、行け行け」目を逸らし、照れ臭そうに手の甲を見せて振った。


 エンドウさんは走っていった。角を曲がり、姿が見えなくなる。


「これでよし」と言うと、イチ君は「トー」と両腕を振り始めた。


「はいはい、今度こそね」


 再びバッグに手を入れるトー君。そして、絆創膏を取り出した。慣れた手つきで貼っている……んだけど、なんだろう、この感じ。


「ケータイ持ってたの?」俺はトー君に問う。「ハンバーガー食べてた時、持っていないって……」


「ええ。持ってないですよ」そりゃそうだ、と言わんばかりに2枚目を貼る。右腕だ。


 話が見えない。「でも、さっき番号を」


「あれは、彼女を満足させるためについた偽の番号です」3枚目は左頬。


 んん?


「な、なんでそんな嘘を?」


「嘘……」トー君は繰り返す。「まあ確かに嘘ですね、今のところ」4枚目は額へ斜めに。溜まったゴミをバッグへ入れた。


「でもまあ、もう少しで忘れてしまいますから」


 え?


「わ、忘れる?」


「それに、ここにいりゃあ『!?』なんて叫ばれるのは目に見えてる。んなの、たまったもんじゃねえし」


 イチ君は演技交じりに平然と話し、トー君は「そういうんじゃないの、仕方ないんだから」としれっと指摘。けど、俺は「ちょちょ、ちょっと待って」と愕然とする。脳内がパニックに陥る。「それは……どういう意味?」


「あれ?」トー君は目を見張りながら、イチ君に視線を向ける。「話してたんじゃなかったの?」


「まだだよ、これは」


 手を眼前で振るイチ君を見て、「なんだ……」とトー君は軽く肩を落とし、「だったら、戸惑うはずだよ」と呟く。改めて、顔を俺に向け、「すいません、説明不足でしたね」と言い、咳払いをし、声を整える。


「怪異が消えれば、その怪異に関する要素も関わる記憶も全部消えるんです。何もかも全て」


「……うん」トー君から補足を受けるも、理解はできない。全然できてない。


「だから?」


「だからも何もねえよ。そのままだ」イチ君が口を開く。


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