三十七

「えぇっ……とぉ……」混乱で言葉が出ずに吃ってしまう。顔は俯き、目は両方、左右に泳ぐ。


「そのー……怪異だけじゃなく?」


「ああ」イチ君は腕を上に伸ばした。


「怪異が関わったことは隅から隅まで。全部だ」


 俺と真逆。さも当然かというかのように、あっけらかんとしている。


「だから、コイツによって出会った、というか出会わされたオレたちのことも忘れる」


 忘れるという感覚は知ってる。だけど、消えるという感覚は分からない。そんなの経験したことがない。それに、隅から隅までなどというまるで壊れたハードディスクのような消え方は想像もつかない。イメージが湧かない。完全に未知の領域だ。


「で、でも2人と出会った時には怪異のことを詳しく知ってたし、だったら怪異を忘れるってことを覚えているのはおかしいじゃないか。というか、怪異について色々と覚えている時点でそもそも変だ」


 もう自分が何を言っているのか分からなくなっていると、イチ君が「何を勘違いしてんだ?」と刀の背を肩に置いた。


 えっ……思わず目を開く。何か齟齬があるようだ。俺は少し視線を落とす。考えるも、頭が混乱してるせいで冷静に考えられない。


「トー、続き頼むわ」首を回し始めたイチ君。「荷物、取ってくる」


「ん」とだけ答え、トー君は雑に投げられた解説のバトンを受け取ると、笑みを浮かべた。妙に安心感のある優しい笑みだ。


「これも僕ら妙奇人や妙奇士だけの特性なんですが、妙奇を持つ者は怪異のことやそれに関係、関連することは忘れません。忘れるというのはあくまで、坂崎さんのような妙奇のない普通の方々だけなんです」


 と言われても、「ああそうだったのか」と素直には正直飲み込めなかった。けど、1つ。1つだけ腑に落ちることがあった。それは、ネットや文献に過去に出た怪異について調べても何一つ有力な情報が得られなかったことだ。2人が言っていたように昔から存在していたとしても、記憶が消えてしまうのなら残しておく術などはない。ということに関しては、一応の納得ができる……よな?


「でも、なんでそんな……」


「僕らにもその理由は」トー君は少し視線を落とし、首を横に振った。「ちょくちょく調べてはいるんですが、なにせ情報らしい情報というのがそうは見つからないので」


 情報らしい情報……そうだ、そうだよ。やっぱり納得できない。

 仮にここまで凶暴なのではなくても、何一つ怪異についての痕跡が出ていないなんてのはおかしい。だって妙奇のある人は覚えていられるんだから。口ぶりからして彼ら以外にも妙奇のある人はいるはず。だったら、文とか絵とか何かしらの形でネットや文献に残すことは可能だ。

 それに、気づいてないけど実は妙奇がある人が、例えばネットの掲示板やSNSで情報を公にしていても何らおかしくはない。なのになんで……


 単に俺の調べが足りなかっただけなのか。それとも、そもそもの考え方が違うのか。そうなんだとしたら一体……あぁっ!

 俺は情報過多になった頭を、髪を毟らんばかりに強く掻いた。


「人間変わらねえもんだな」


 手が止まる。視線を向ける。金の鞘に入れた刀を黒い袋にしまっているイチ君がこちらに歩いてくる。表情はにこやか。というか、笑ってる。ニヤついている。


「……何が?」


「その動作。相変わらず寸分違わねえ」


 前、にも?


「実はですね」喋り始めたトー君に目を移す。同様に、ニヤついていた。「坂崎さんとは


 えっ……は?


 脳がエンストした。そして、もくもくと煙を上げ始める。


「年老いた姿で最初は分からなかったんですが、名前を聞いてやっぱりって。しかもハンバーガーショップで、怪異の名前の例でぬらりひょんを出してきた時は、笑いを堪えるのが大変でしたよ。この人、変わらないなーって」


 ハンバーガーショップ……あっ。思わず目が丸くなる。点と点が繋がった。


「もしかして敬語を使うなとか、俺が言うことをあらかじめ言い当てたのももしかして……」


 満足そうな笑みをトー君は浮かべ「そういうことです」と、縦に頷いた。「呼び方も、こっちとしてはもう何度も会ってるから、他人行儀なのも感覚狂って嫌だったんでな。別にいいかって」と、イチ君が補足する。


 ん??「な、何度も?」


「ええ」トー君が縦に頷く。「近い頃から言うと、8ヶ月前、1年前、1年5ヶ月前、あとは……」


「ちょちょちょっ、ちょっと待ってっ!」


 トー君の口から連続で出てくる過去情報に、もう頭が混乱を超えておかしくなりそうになり、慌てて両方の手のひらまで出して制止した。


「そんなんで驚くなよ。もっと多いんだから。回数で言うと確か……6回?」


」呆れながら訂正するトー君。「今回のを入れると


「そんな……」全く覚えてない。


「オカルトを専門に扱う記者さんですからね、会うのもおかしくないですよ」


 いや、そうじゃない……


「けど、こんなに会ったのはコイツだけだろ?」


「確かにね」


「まあ、とにかく」イチ君は片方の口角を上げた。「信憑性増したろ?」


「なら……俺はこれまでもこうして助けてもらって……」


「いえいえ」トー君が手を横に振る。「全部が全部じゃありません。時には僕たちが助けられたこともあります」


「ちなみに、今回のが1番ヤバかったな」そう言ってイチ君は目を擦った。


 俺の目がぐるぐる動く。まるで回遊魚。


「すいません。本当はもっと早くに言おうと思ってたんですが、なかなかタイミングが合わなくて、ずるずると」


 とにかく、俺は初対面だとばかり思っていたイチ君とトー君の2人に、もう10回も会っていたということ……いや、信じられない。信じられるわけない。信憑性が幾ら増そうが全く……な、なんだこりゃ?


 ふと横目に入った現象に、俺は思わず後退りをする。怪異が光り輝き始め、親指ほどの大きさの光の粒子が昇っているのだ。まるで閉じ込められていた蛍が一斉に放たれたような。綺麗だった。先程まで俺たちを殺そうとしていた化物から出てるものとは思えないほど。

 俺が凝視してたからか、2人もその視線の先へ顔を向けた。


「そろそろ時間だ」


「ああ」


 そんな……


「2人とも、ごめん」


「なんで坂崎さんが謝るんです?」


「だって……だってっ……」


 これまでも命を助けてくれた人にこんな仕打ち。今がいるのは2人のおかげかもしれないのに、少なくとも今回は2人のおかげだったのに……申し訳なさでいっぱいだった。だから口から謝罪の言葉が溢れてきた。だけど、イチ君は「お前が謝るこったねえよ」と頬を掻いた。


「それに、まあー俺らはこれが初めてじゃねぇし。これでもかってくらいに忘れられてる。もう慣れてっから気にすんなよ」


 まるで取るに足らない井戸端会議の如く、平然と話すイチ君。けど、そんな軽い話じゃない。


「だとしても、俺は命を張って助けてもらったのに何もお礼をしてない」


「お前も同じこと言うか」イチ君は片眉を上げた。「てか、ピザとバーガー食べたんで十分だよ」


「ビザと……バーガー?」


 いや、嘘だ……違う、バーガーだよバーガー。思い出せよ、俺っ。手の平で必死に頭を叩く。が、出てこない。いや……俺、そんなの知らな……

 俺はかき消すように、頭を強く叩く。


「いいんだよ、それで」顔を上げる。イチ君の表情は柔らかかった。「お前は悪くねーから。自分を責めんな」


「てことで、んじゃあーな」イチ君は踵を返し、歩き出す。追随するトー君。


 こんなの……こんなの……


 俺はイチ君とトー君と協力し……何かを見つけ、倒した。だから、仲良くなれたと思った。まだ話していたい。落ち着けた今だからこそ、話せることもある。記者としてじゃない。一人の救ってもらった人間としてだ。


「待ってっ!」


 歩みを止め、振り返る。もう会えないかもしれない。今まで複数回あったとしても、これで最後かもしれない。


「ありがとう」


 イチ君は笑う。「もう9回目だってーの」


 再び体の向きを変えて、足を動かし始める。


 瞬間、体に力が入らなくなる。体が言うことを聞かず、ふらつき始める。重力に引っ張られている。


「9じゃなくて10ね、イチ」「そうだっけか?」「さっき言ったばかりじゃない。まったくすぐ忘ちゃうんだから……」「トーが覚え過ぎなんだよ」


 の声が遠くなる。俺は踏ん張る。でも、すぐ負けた。


 どたん、と大きな音とともに俺は地面に倒れこんだ。


 意識が消えていき、耳が聞こえなくなった。

 ただ振動が伝わってきた。俺は、閉じたことさえ気づかなかった目を開ける。


 駆け寄ってくる影。


 助けか……ぼんやりとしていて焦点が合わないけど、1人は……だろうか。


 なんでこんなところに子供が……、だ……

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