三十四

 イチ君は突然止まる。いや、左足を横にし、強制的に動きを止めた。急ブレーキだったからか、地面の土が盛り上がる。


「うぉぉらぁぁ!」


 例の如く、刀をぶん投げるイチ君。ひゅんと、空を切って飛んでいく。

 だが、どうやら以前戦った時の事をよく覚えていたらしい。怪異も立ち止まり、飛んできた刀を荒々しく掴むと、逆に投げ返してきた。


 イチ君は目を見開き、その場で身を後ろへ反らした。膝を折り、上半身を地面と平行に。鼻先寸前を通る刀。そのまま、両手を地面につきバク転する。が、勢い余って着地ミスし、地を少し滑った。


「ちっきしょおぉ……」


 イチ君は上半身を伸ばしながら立ち上がる。手を横に出すと、刀が綺麗に収まる。


「おんなじ技は通用しねぇってか」


 怪異は再び駆け出す。イチ君はすぐ膝を曲げ、刀を横投げする。真っ直ぐに飛び、怪異の股を抜けていった。直後地面を蹴り、イチ君は低い姿勢で飛んでいく。怪異との距離が詰まり、股を抜けた。


 刀は抜けた先で不自然に90度曲がり、地面へ刺さる。直後、柄を握り、それを支点にして時計回りに一回転するイチ君。

 そして、刀を地面から抜き、下から振り上げた。無防備な背中へ、真っ直ぐに縦の傷がついた。短い叫びを上げる怪異。


 あっ……やっぱ、生物じゃないのか……

 傷口から血のようにポタポタと垂れる液体が出ていないのを見て、改めて異常なのだと、強い違和感が芽生える。


 怪異は顔を後ろに向けながら、足を地面に滑らせ、当てようとしてくる。イチ君は素早く反応し、横方向に回転した。すれすれで躱し、即座に立ち上がると、また立ち向かっていく。


 怪異は隙なく、地面を這うように裏拳を飛ばす。逃げるのは間に合わないと、イチ君はすぐ様、刀を地面へ立てて刃を左足で押さえた。

 だから、怪異の拳はもろに直撃した。細い跡をつけながら、イチ君は凄い速さで後退していく。壁すれすれで止まる。刀を抜き、再び構えるイチ君。


  じっと見つめ合う両者。ゆっくり反時計回りに円状を維持したまま、距離を置いて動いている。


 怪異がすぐそばを通る。俺らが5、6歩前にいたらぶつかってしまう程の距離。少しでも聞かれたら一巻の終わり。思わず唇を内に巻き、息をひそめる。

 だが、怪異はこちらを全く見なかった。気にしてる素振りさえもなかった。イチ君との戦いに集中し、俺らのことを忘れてるのだろう。

 通過していく様子を目だけ動かす。離れていくのを確認し、俺は静かに深く呼吸を再開した。


 もう半回転弱したが、沈黙が続いている。聞こえるのは、砂がじゃりじゃりと踏まれている微かな音だけ。


 先陣を切ったのは、怪異。円の内側へと一気に駆け出す。直後、イチ君も走り出す。

 斜め上に腕を引く怪異。柄に力を込めるイチ君。そして、中央で両者はぶつかる。突風が吹く。拮抗する刀と拳。刀はカチカチと音を立て、イチ君は歯を食いしばっている。


「んどぉりゃあぁぁ!」


 イチ君は、負けないつんざくような声で叫ぶと、怪異の腕を押し戻した。相当な勢いだったのだろう、怪異の体はぐらりと揺れ、不安定に。チャンスとばかりにイチ君は、がら空きの脇へ蹴りを一発。怪異は地面へ倒れ込み、滑った。


「どうだっ、こんにゃろうっっ!」


 興奮状態のイチ君は思いの丈をぶつける。ヴァルルァァア、と怪異は声を荒げた。閉ざされた空間に響き渡る叫び。


「うぅ……」


 弱々しい呻き声が聞こえ、俺は下へと視線を向けた。眉と腕が微かに動かしながら、エンドウさんは目を開いた。眩しいのか、目を細めている。怪異の叫びが目覚ましがわりになったようだ。


「大丈夫ですか?」


 エンドウさんはそう声をかけた俺を一瞥し、「ここは一体……」と訊ねてきた。


「路地裏です。誘き寄せるために使おうってイチ君らと来た、あの」


 説明するものの、反応は薄かった。目を覚ましたばかりで頭が働かないのか、頭を打ったショックで記憶が飛んでるのか、エンドウさんは「路地裏……」とだけ呟き、顔を落とした。


「おおぉりゃぁ!」


 イチ君の大声に俺とエンドウさんは顔を向ける。


 勢いをつけた刀を振るイチ君。それを絶妙なタイミングで弾く怪異。 両手を駆使して力のこもった一撃を連続で打ち込む怪異。すんでのところで刀を持ってきて衝撃を吸収するイチ君。どちらが攻でどちらが守なのか判別が全くつかない激しい攻防戦が、繰り広げられている。

 互いの足は行ったり来たり。状況は両者とも、一つ進んで一つ退がっているような状態。一瞬でも隙を見せた瞬間に、全ては終わる。それほどまで常人じゃないスピードの戦いに、俺はただ静観していることしかできなかった。


 イチ君は少し左に重心を傾けながら体勢を低くして、スピードを上げる。蹴り上げて飛び跳ねると、逆手に持ち替えながら、怪異の顔の近くへ。すると、左手で何かを怪異の目に投げた。怪異は顔を逸らして、片目を閉じた。


 イチ君は刀を斬り上げる。怪異の顔に傷を入れる。


 ングァァッアァァッ!


 怪異は短い悲鳴を上げると、イチ君のの横腹に向け、腕を飛ばした。


「んぐはっ!!」


 今回ばかりは躱しきれず、イチ君は一直線に吹き飛ぶ。鈍く重みのある音とともにビルの壁へ激突すると、地面へ叩きつけられた。地から砂埃が舞う。

 ぱらぱらと細かな破片が壁から落ち、体にぶつかる。しかし、イチ君の反応がなかった。ピクリとも動かない。


 そんな……呼吸が勝手に早くなる。最悪の答えが脳裏をよぎり、動揺を隠せない。


「ヒッ……」


 エンドウさんが小さな悲鳴を上げた。見ると、一点を見つめていた。俺は恐る恐る視線の先へと顔を向ける。


 その瞬間、俺はある1つのことに気づく。忘れられてはいなかったのだと。


 怪異は、俺とエンドウさんをじぃっと見ていたのだ。

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