三十三
「そんな……」
エンドウさんの頭は地面に向く。俯き加減は増して、顔に出てくる影が濃くなる。
「不安だよな」
不意に出てきたイチ君の声。俺は視線を向ける。彼は真っ直ぐエンドウさんを見ていた。
「でもな、これしか方法はねえんだ」
その言葉にエンドウさんは唇を内に巻き込みながら俯いた。
「だけど」イチ君の言葉に強さが加わる。「次会ったらアイツをぶった斬る自信はある」
いつもと違う。イチ君のその目は、触れただけで血の出そうな棘みたいに鋭かったのだ。
「何があってもアンタをゼッテー助けてやる。約束だ」
これらの言葉の中には、出会った日に訪れたファーストフード店の時のような自信も勿論込められてるだろう。さっきそう言ったし。けど、それだけじゃなく、強い決意のようなものを感じ取れた。何故だろうか、不思議と分かった。長く付き合いのある友人の気持ちを読み取る感覚だ。
「……はい」
エンドウさんは縦に頷いた。イチ君の顔を見て、決心したようだ。
「よし、んじゃ頼んだ」
そう話した途端、イチ君は大きな欠伸を1回。体の底から伸びた声を出し、目尻に感動ではない涙を浮かばせる。先程までとは違う、元のイチ君だった。
「では、作戦の概要ですが」いつもの如く慣れた感じで、トー君が引き継いで話し出した。
「僕とイチはこの辺りで待ち伏せます。エンドウさんはどの方向から来ても逃げられるような場所で待機してくれますか?」
「分かりました」エンドウさんは頷く。
トー君は次に「坂崎さんは」と、俺の方へ顔を向けた。
「怪異をおびき寄せたエンドウさんが近づいてきたら、僕らに知らせてもらえますか。この近くで見張っておいてもらえますか」
「近くっていうのは、ここを出た辺りってことでいいの?」
「そうですね。あまりその辺は坂崎さんにお任せします」
お任せ……まさかの言葉だ。
「だ、だけど、こういうのは専門家の2人が命令してくれた方が」
正直にいうと、ただの逃げ。人ひとりの命が俺にかかってると考えると、かなりの重責だった。分散させたかった。
しかしながら、トー君からは「坂崎さんなら大丈夫です」と返されてしまった。笑みも追加された。それは投げやりでじゃなくて、信頼されているからのように見える。
「大丈夫です。考える前に体が動くと思うので」
瞬きが早くなる。
それは……どういう意味なのだろう。1人の人間としてってこと? それとも、記者として? はたまた、そのような状況になれば自ずと分かるということか?
もう何度も思ってるけど、この数日間で疑問は蓄積されてる。必ず聞き出す、完全な安全が確保されてから。全てが終わってからでも遅くはない。それに、そっちの方がゆっくり聞くことができ……
「買っとけよ」
イチ君からの不意打ち的な声かけに俺は思わず顔を向けた。しばらくそのままの体勢でイチ君を見つめるが、何をなのか分からず、「何を?」と問うた。
「見張る物だよ。ある程度でも距離はあんだからより確実な方法考えといた方がいいだろ」
確かにそうだ。
「じゃあ、何か遠くを見渡せるもの買ってくるね」
何か、と俺は言ったが、頭の中では何も浮かんでいなかった。
どうしよう、何がいいかな……遠くを見渡せるものかぁ……遠く……あっ。
そうだ、双眼鏡にしよう。
雲が光を遮る中、音が無くなった違和感に怪異は気づいたようだ。辺りをキョロキョロと見回している。
イチ君の姿を見たことも重なり、怪異は慌てて逃げようと、背を向けて入ってきた細い路地から出ようとする。が、まるで壁にぶつかったように体が後ろに跳ね返った。怪異はすぐに地面に足をついて体勢を整えたものの、逃げられないことに強く戸惑っていることがひしひしと伝わってきた。
今のは気のせいだと思ったのか思い込もうとしてるのか、怪異は透明な空間に体をぶつけた。鍵のかかった扉をタックルして抉じ開けようとするみたいに、何度も何度も。
「そんな何度も逃すわけねーだろうが」イチ君がぼそりと呟くが、無視してタックルし続けてる。
ぶつかるたびに細かな振動音が耳に届く。俺は上を、いやビルの屋上にいるトー君を、見た。腕を下に向け、時折片目を閉じながら、歯を食いしばっていた。そんな必死の抵抗のおかげで、薄くも硬いボウが壊れる気配は無かった。
「おいっ」
しびれを切らしたイチ君は大声を出す。怪異は動きを止めて、振り返った。その目は憎しみと怒りを込められている。だけど、全く怯んでいないイチ君。
「礼言うぜ」イチ君は刀で肩をトントン叩く。「バカであんが、とっ」
コケにするように口の端からガムを見せたイチ君。その姿がよっぽど悔しかったのだろう、怪異は歯のようなものを強く噛んで見せ、体を震わせた。おそらく、バカ、のせいだろうなという感じがうっすらした。
「テメェはもう逃げらんねえし、逃がさねえ」
イチ君は刀の動きを止める。
「どーしても逃げてえならオレを倒してけ」
その言葉に怪異は反応した。体をしっかりイチ君に向け、手らしきものを握った。両方とも。完全に戦う体勢に入った怪異。
雲がどき月明かりが差し込んできた。変わらず、イチ君と怪異が俺とエンドウさんを挟んで見合っている。互いに目だけで威圧してるというか、威嚇してるというか、何かをきっかけに戦いの火蓋が切って落とされるような緊迫した状態。
「2人」
イチ君が声を発する。口を動かし、目は動かさず。その2人っていうのが、俺とエンドウさんだとすぐ分かった。
「そこどいてろ」軽く首を傾ける。
あぁそうか。つい状況に目を奪われていた俺はその場から慌てて退く。勿論、エンドウさんを背負って。体の節々に痛みを感じながらもなんとかビルの影に隠れる。直後、横目に見ていたイチ君が「よっしゃ!」と声を発した。これまでの空気を一旦リセットするかのような感じだ。
続けて、「んじゃそろそろ」と刀を肩から前に突き出す。刃先は真っ直ぐ、怪異の顔に伸びていた。イチ君はにやりと口角を上げた。
「決着つけようぜ、デカブツ」
瞬間、互いは走り出した。
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