吸血鬼はその手が嫌いだった


 ベッドに沈められた身体を這う、ごつごつとした大きな手。太ももに腰、背中、肩……。衣服越しでも伝わってくる、色を孕んだ熱。そして、見ず知らずの誰かと生涯共にあることを誓った銀色の感触。

 クリスはベルの手が嫌いだった。彼の手は自分の細い手とは違い、男らしく力強い。何時でも温かくて、甘い。今のように優しく触れてくる時もあれば、乱暴に扱う時もある。その全てを快楽に捉えてしまうようになったのは、数え切れない年月で身体の奥底まで刻み込まれたから。


 しかし、クリスにそこまでしておいて。ベルはどんな時でも、左手薬指の指輪を外そうとしないのだ。


「それにしても、この屋敷にセシル以外の人間が来たのは久しぶりだな」


 ぽんぽんと、クリスの頭を撫でるベル。彼は左利きだからか、クリスを可愛がるのは左手が多い。気持ち良さにうっとりと目を細める反面、時折伝わってくる金属の感触に苛立ちを覚える。

 左手の薬指に嵌められた指輪。それが意味するのは、人間だろうと人外だろうと変わらない。そう。ベルには、生涯を誓った相手が居る。

 それはクリスではないし、もちろんセシルでもない。名前さえ知らない。教えてくれないが、隠そうともしない。


 なんて、腹立たしい。


「……どこかの悪魔さまが張った結界が弱まってるんじゃないのー?」

「そうだな。あれも百年近く前に張ったやつだからな、明日にでも張り直してくるか」


 枕に顔を埋めたままの声はくぐもってしまう。せめてもの嫌がらせのつもりだったが、ベルにはしっかり聞こえてしまったよう。

 骨ばった指が、クリスの髪を梳く。気持ち良い。静かに窓を叩く雨音も、耳に心地良い。


「で、あの人間どうする? お前が嫌なら、結界を張り直すついでに谷底にでも捨ててくるが」

「んー……良いんじゃない。彼にボクらをどうこうするって度胸は無さそうだし。何より、久し振りのお客さんだもの」


 枕から僅かに顔を上げて、ベルを見た。クリスは吸血鬼、ベルは悪魔。二人とも、人間よりも遥かに力のある人外だ。人間など、手間取る存在ではない。

 それに、クリスにとっては面白そうな暇潰しの相手だ。簡単に逃がすのは惜しい。


「ねえ、べるべる。この雨さあ……しばらく降り続いてくれたら良いよね?」


 手を伸ばして、ベルの頬を指先で擽る。その手を掴まれ、口付けを落とされたかと思うとベッドがぎしりと軋んだ。


「……それは、どうだろうな」


 ベルの吐息が耳を撫でる。含みのある声色に、クリスはふっと微笑した。


「明日も、明後日も……雨だね」

「天気のことまではわからん」

「悪魔なのに?」

「そんなに雨が良いなら、祈ってみたらどうだ。『神父』らしく、神に」

「あはは! べるべるって本当にヒドいなぁ」


 覆い被さってくる身体は、クリスよりもずっと大きい。それに、相手は悪魔。まだ若く、たかが吸血鬼ごときの自分ではどう足掻いても太刀打ち出来ない。


 ――あの夜も、そうだった。


「神さまが見てる前で、目の前で悪魔アンタに身も心も好き勝手に犯されて。貶められて、毒を飲まされて、身体だけではなく魂まで穢されてしまったのに。今更……神さまがボクを許してくれると思うの?」


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