6-5. やむにやまれぬ応諾

「シゲシゲから誘ってくれるなんて珍しいね」


 いつかと同じ大街道のドトール。占いに行って翌日の土曜日。休みの日だというのに、ヒロミは二つ返事で来てくれた。犬みたいに尻尾を振っている。


「変わり映えしなくてすまんな」

「そんなことないよ、Hannon le, hannon le.」


 もういっそこのままヒロミとのデートを楽しんで、それからホテルにでも行けばいいんじゃないかと正直思ったが、心を鬼にしてここでは目的の達成を目指す。


「ヒロミ、聞いてくれ」


 勢いよく切り出すと、ヒロミもこちらの意図を察してくれて、まっすぐな瞳でこちらを見返してきた。ますます話しにくいが言わなければならない。私は気づいてしまったのである、幸せ芝居の向こう側に。


「え、本当に? パパが」


 ヒロミの父を目撃した話を告げると、ヒロミは信じられないといった表情で問い返した。マジだぜ。 ここで「どっきり大成功!」のプラカードを掲げることができたなら、私としても喜ばしい限りなのだがそうも言っていられない。


「歩いているところだけだから何とも言えないけれど、見たのは確かだよ」


 低い声でそう繰り返すと、ヒロミもことの重大さを悟ったらしい。


「そう……」


 しばらく沈黙が流れた後、

 こうしたとき、どう励ますのが妥当なのだろうか。問題が問題だけにほいほいと首を突っ込むのも違う気がする。


「実はね、心当たりがないってわけじゃないの。パパ、相当ストレスが溜まっていたみたいだから」


 捏造の真相は私には分からないが、学会を追放されたという苦しみや喪失感や苦しみはいつまでも尾を引きものだろう。


 個性的な妻だからいろいろと気苦労もあるに違いない。


 夫ではなく妻が家計を支えているというのも、あの世代の人であれば精神的に辛い部分があるのかもしれない。他にも、情状酌量の材料となるような根拠はいくつか提示できるはずだ。しかし、何年目の浮気であっても大目に見る 気など起きないというのが娘としての正直な気持ちだろう。


「シゲシゲ、お願いがあるの」


 常より低く重い声が痛々しい。


「俺にできることなら何でも」

「このこと、ママに話してくれないかな。あたしから言える自信がないの」


 自ら家庭の輪を乱しに行く行為なのだ。躊躇するのは当然だろう。本人から要請されたのだから事情は異なってくる。関家とは赤の他人というわけでもないし。


「ああ、分かった」


 少しでもヒロミを安心させるべく、即答した。私にできることはせいぜいその程度だ。


「ありがと。悪いけど、今日はもうこれで」


 相も変わらず沈んだ声でそう言うと、ヒロミは席を立ち走り去っていった。


 ドトールは後で勘定をする必要がないのである。


●■● ●■●● ●■■● ●■●● ●● ■●■


 関家には次の週の週末に訪問することになった。翌日の日曜日、お詫びということで呼ばれた広島の安国寺家を訪問した。安国寺に事前に会いたいと言われ、午後の安国寺家訪問の時間よりずいぶん早く広島港に着く。


「あ、川内さん、今日はありがとうございます」


 安国寺はわざわざ下船口まで迎えに来てくれた。


「ちょっと歩きませんか」


 海沿いを安国寺と並んで海にそって歩く。


「お詫びにお呼びだてしておいて更に、というのは恐縮なんですが」


 安国寺はいつものように躊躇ったのか、言葉をそこで止めてしまう。


「言ってごらん」

「実は、お願いがあるんです」

「座ろうか」


 四阿があったので、並んで腰かける。目の前は瀬戸内海の中の内海 で、幾多の島々が目の前に迫っており、海の広がりを見通すことはできなかった。


「わたくしの家が厳しいということは以前にお話ししましたよね。どうしてだと思いますか」


 こういう問は全く無意味で非効率なものだ、私が絶対に正しく答えられないことを前提に発している。仕方がないので思うままの安直な答えを正直に提示しよう。


「名家だから?」

「それもあります、ただ父は分家でございますから。重要なのはどちらかと申しますと、能力の問題なんです」


 「能力」の部分をとりわけ強調しながら安国寺は言った。


「能力?外務省とは別に監視しているとか?」

「父は能力を憎んでいるんです。常々言っております、『能力を持って生まれてくるほど不幸なことはない』と」


 至極尤もな意見だ。しかし、能力を持って生まれてしまった以上、もうどうしようもない。石油王の家に生まれていればと妄想するのは楽しいかもしれないが、それによって人生の具体的な指針が決定することはないだろう。


「なるほど、君のお父さんとは話が合いそうだ。しかし、娘に厳しくする理由にはつながらないんじゃないか」

「いえ、父はもうそんな不幸な子供が生まれてくることがないよう、『能力』を根絶やしにしようと考えているのです。ですから、私に子供ができる一切の可能性を排除しようと努めているのです」


「わたくしは普通に恋して、結婚して、子供を産みたいんです」


 震えた声音でそう言う安国寺。ここでいう恋・結婚・出産というのは一般的概念についてのべていることは明らかだが、不覚にもドキリとしてしまう。


「それで、川内さん、わたくしは家を出ようと思うんです」

「なるほど、それで俺に口添えをお願いしたいと」


 何とまあ、ドイツもスイスも私に家庭問題を持ち込んでくるのだろう。私なんかができることなんてほとんどない。そういうのはもっと弁護士とかその辺のプロに任せておけばよかろうものを。弁護士余ってんだし。


「ご理解が速くて助かります。あの、無理なお願いをしていることは分かっているんです。もしできないようでしたら別に……」

「やるよ」


 なぜこんな関わる義理もない案件に首を突っ込んだのか、私には説明する義務があると思われる。かわいい安国寺の必死のお願いに気圧されて思わず頷いてしまったのである。それだけだ、何か文句あるか。


「川内さん、昼食まだですよね。学校帰りにいつも行っている、いいお店があるんです。ここから路面電車ですぐです。行きましょう!そこで作戦会議です!」


 幼さを残した笑顔と早口で語りかけてくる安国寺に、先ほどまでの愁いを帯びた表情の俤を見出すのは難しかった。


 おかけで、安国寺とその父の能力の相違について尋ねそびれてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る