5-4. 有徳

👉いままでのあらすじ

・安国寺なる人物を騙る手紙に

・白岡に追及された私(川内)は、今までの人生を語る

・私は、高校卒業後暗殺者になることを強いられていると明かした。

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 Xデーまでのカウントダウンを始めた私の生活はさらに陰鬱なものになっていった。そんな折、高校一年生の三月になって告げられたのが松山行き(*1)だった。これまでの離島とは明らかに異質な行き先だった。何らかの意図があるのだろうなと感じていた。そうしたら、(白岡は野良であるにしても)、案の定もう一度ヒロミと引き合わされた。


 もちろん、ヒロミと再会できたのは嬉しい。こうして復縁できたことはヒロミのおかげで、感謝もしている。だからこそ、高校生活を楽しいものにしたいとは思う。だが、これはスパイ化計画のための何らかの布石に違いない。モラトリアムの先に待つ未来を受け入れるつもりだ。


 ついでに、能力者の政府による扱いの歴史的経緯についても、知るところを述べておきたい。


 実のところ、私の世代と私の親の世代の間にはちょっとした断絶がある。


 もともと能力者の管理というのは、一対一というのが基本だった。つまり、能力者は孤立して配置し、それぞれを個別に外務省が管理するというものだ。私とヒロミの様に、子供のころから互いに会うように仕向けられたのは私たちの世代が初めてである。もちろん、前回記したように、これは私にとってメリットも大きかった。問題なのは、その背景にあるフィロソフィーである。一対一管理の際は、驚くべきことに、能力者の能力の利活用というのはあまり重視されていなかった。言わば生かさず殺さず、社会に悪い影響を与えず穏便に済めばそれでいいというものだった。それが、救助やスパイ活動に積極的に生かしていこうという風に転換したわけだ。当然その場合には共同作業とかも必要なわけだし、また能力者の精神が安定している必要もあるから、能力者同士で交流を持たせるようにしたというわけだ。


 この転換のきっかけになったのは、湾岸戦争だという人がいたが、居酒屋政談レベルなので(クウェート政府の新聞広告がどうたらこうたらのよくあるアレ です)、本当のところはよく分からない。一応、自衛隊の派遣とかの基準を見ると、一応歩調を合わせているのかな、という感じがするが(冷戦が終わって僕らは生まれたのです)。


 政府の意図するところはよく分からないが、いずれにせよ私たちは重責を負うことになった。それは親世代も子世代も同一であるが、生まれたときからそれを想定して育てられたかどうかは大きな差異を生ずる。端的に言って親世代は信頼できないとみなされているので、相対的に重要でない任務に当たらされているように思う。彼らには彼らの苦労があるんじゃないかと思うが、私たちからすると、随分暢気な世代だなと思う。関係ないけれど、20代でバブルを謳歌しているし、年金も一応もらえそうだし。


 私の語った内容はおおむね以上の通りである。最後にこう締めくくった。


「そういうわけで、申し訳ないが、俺を自由にしようなんていうのは土台無理な話だ。今まで黙っていてすまなかった」


 頭を下げる。白岡もヒロミも黙ったままだ。


「とは言ってもアンタの行動が無駄になったわけじゃない。ヒロミの言葉が無意味だったわけじゃない。残りのモラトリアム期間をたっぷり楽しませてもらうぜ」


 白岡もヒロミも黙ったままだ。


「大丈夫だ。まだこの手は汚れちゃいない。高校卒業までは猶予期間をもらって、人命救助だけにしてもらっているんだ。幾人もの人を救ってきたこの手はきれいだ。」


「高校卒業したらどうするつもりなの」


 ようやく口を開いたのは白岡だった。


「そりゃあ、そん時はそん時だ。心配するな。人殺しにはならんようにどうにかするさ」

「どうにかするって…」


 白岡は一文節ずつ、踏みしめるように、こう発音した。


「それなら、なおのこと、あなたを、救わなきゃ」


 その時の私はというと、完全に動作を停止していた。


 フリーズしていた。



 Ctrl+Alt+Delを連打して復活を試みる 前に、それまで黙っていたヒロミが口を開く。


「あの、シゲシゲ、ちょっといいかな」


 どうにか一言を絞り出す。


「うん」


 ヒロミは白岡の方をチラと見やる。


 白岡は無言で頷いて立ち去った。


 ドアが閉まってから、更に一分くらいして、ヒロミが話し始めた。


「あたし、何もできなかった。全部、知っていたのに」


 ヒロミの声は、音の大きさという意味では、ごくごく小さなものだった。


 だが、その声色には日本刀のような鋭さがあった。


「そんなことないさ、ヒロミとまた会えて良かったし、今日秘密を打ち明けられたのだってヒロミがいてくれたからだよ」


 私は逃げた。

 刀で切りつけられても、それでも私はおためごかしの美辞麗句に逃げた。


「でも、シゲシゲは一人で動いた」


 切っ先が私ののどに触れる。血が滲む。


「それはヒロミに迷惑をかけるから……」


 なおも私は逃げた。

 ヒロミはその場で徐に立ち上がる。


「迷惑なんかじゃないよ、もっとあたしを頼ってよ」


 ヒロミの言葉はクレッシェンドで、次第に大きくなっていき、しまいにはほとんど叫ぶがごとしであった。声の大きさと反比例するように、鼻声になっていき、聞き取りづらくなっていった。そして言い終えるとそのまま、ドアを勢いよく開き部屋の外へ出て行った。


 開いた時と同じか、それ以上の勢いで引き戸が閉まる。ばたりとしまったそのドアの余韻が教室に響き渡るその時になってようやく私は悟った。そう、この時になってはじめて、再会した日にヒロミが言っていたことの真意を理解したのだ。


 私は、ヒロミは残りの時間を仲良く楽しもうと言っているのかと思っていた。

 でも、違ったんだ。

 ヒロミの目指すところはもっと先にあったんだ。

 白岡もヒロミも私のために動いてくれていた、でも私は私のためだった。

 わたしは心の中で深くため息をついた。

 また一つ女の方が偉く思えてきた。


 ヒロミを追おう。ようやっと決心してドアを開ける。だがすぐにその必要はないと悟る。ドアを出て、わずか数歩の場所にヒロミがとどまっていたからだ。そこには白岡がこちらを向いて立っていた。ヒロミは白岡に抱きついて泣いている。もうすっかり暗くなった廊下で、二人の姿はまるでスポットライトが当たったかのように浮き出て見えた。


「ヒロミ、今更だけど、やっと気づいたんだ、ヒロミの気持ちに」


 ヒロミは白岡に抱きついたまま、顔だけ後ろに向けて私を見つめていた。


 それを見て、幾分の自信を得て、話を続ける。


「二度目の人生、俺は死ぬつもりだった。何とかして生きるんだ、ヒロミはそう言っていたんだね」

「こんな男のこと、放っておけばいいのに」


 先に口を開いた白岡は意地悪く笑った。


 ヒロミは白岡から離れ、こちらに向き直って立ち、唇を尖らせる。


「どれだけあたしが苦しんだと思ってるの」


 それから笑った。台風一過のように曇りなく。


「でもね、許してあげる。一応気づいたから、大サービス」


 ヒロミはこう付け加えるのを忘れなかった。


「ま、その前の4年に比べれば何でもないしね。こんなことしても許されるの、あたしだけだからね」


 離れて暮らした4年間は、物理的距離と精神的距離が二人を隔てていた。春に仲直りしたとき、どちらの距離も縮まったと思っていた。だがそれは錯覚だった。見据えている先にあるものは全然別のものだった。


 もう一度、やり直すしかない。


 そういう思いを込めて、私はヒロミを正視し、できる限り深く重く、頷いた。そうして、ヒロミと私はどちらから動くでもなく、ハグをした。体を離すと、白岡が突っ込みを入れてくる。


「ふふ、良かったわね。でも、私がいても良かったの」

「べ、別に、ただの挨拶だから」


 狼狽するヒロミに私も言葉を重ねる。


「そうそう、欧米では普通のことだから」


 この部分だけを取り出すと何か言い訳じみた物言いに見えてしまうが、この場面でのヒロミと私のコミュニケーションが純粋なものであることは、読者の皆様にはお分かりいただけるに違いない。


「シゲシゲはもっと我がままになっていいんだよ。コソコソすることないんだよ。公共性なんて考えなくていい、全体の幸せなんて結局個人の幸せの掛け算なんだから」


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 その日は、白岡とは一緒に帰らなかった。一人になりたいと言ったら、白岡はその気持ちを理解してくれた。あるいは彼女も一人になりたかったのかもしれない。その日はやみくもに歩き回った。妙なアドレナリンが出ていたので、平均時速6kmくらいはあったんじゃないかと思う。電車通りを道後まで進み、楽し気に浴衣で歩く観光客の中に身を置いた。


 石手寺に行って夜の境内をふらついてから川沿いを下った。闇に光る建物を見ながら愛大農学部のキャンパスをさまよった。そうしている間にも二人の笑顔の残像が、いつまでもいつまでも目に焼き付いて離れなかった。


 彼女たちと一緒なら、自分も少しは頑張れるんじゃないか、そう思えた。


 いやそうじゃない、頑張らないといけない。


 白岡のマリアナ海溝よりも深い信念に、ヒロミのユーラシア大陸よりも広い器に、応えなければならない。巷間にあふれる軽佻浮薄な「あなただけ」「わたしだけ」は今すぐヒロミの「あたしだけ」に頭を下げてほしい。これほど中身の伴った「あたしだけ」が史上いくつあっただろうか。


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〈註〉

 *1 松山行き: 

 Матуяма 《マツヤマ》!

 離島での閉ざされた暮らしにうんざりしていた私の心に少しだけ光が差したのは事実である。

 今や日本のように死刑を存置する国は少数派となったが、その代わりに最も重い刑罰として多くの国で終身刑が導入されている。その場合、終身刑を受けた囚人が脱獄を試みる場合に、リスクが全くないという少々厄介な状況が生じてしまう(仮に失敗しても終身刑であるから現状と変わらないし成功すれば儲けものである)。この問題の解消のために、いくつかの国々では、長く真面目に刑期を過ごすと徐々に囚人部屋が豪華になっていく制度があるという。私が松山への移転を命ぜられたのも概ねそれと同じような理由であると、私としては解釈している。もちろん先に述べたように、佐渡も大変美しいところではあるが、幼少期を東京で過ごした東京かぶれにとっては、いささか物足りないという側面があるのである。尤も、こうしたインセンティブ付け戦略がうまくいかなかった結果生じたのがご覧のありさまである。

 私が2-4.あたりで、松山が大都会だと主張したとき、「また皮肉を言いやがって」と思われた読者の方も多いかと思うが、そういうわけであの言葉には本心からの感慨が込められている(実際、松山にはほとんどのものが揃っています。足りないものと言えば獣医学部くらいです)。

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