5-3. 無情

👉いままでのあらすじ

・私(川内)は将来暗殺者になることを強いられていることを告白した

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「もう一つ、話さなきゃいけないことがある。俺の過去の話だ」


 ヒロミはそこでパッと顔を上げた。


「ちょっと待って」


 応答したのは白岡だ。


 一度白岡とヒロミは席を外した(*1)。


 私にとっては考えを整理し話すことをまとめる時間として役に立った。これでよかったのかはやはり分からない。だが、もはや進むしかないだろう。まことに身勝手な話だが、告白することで私の気持ちは幾分軽くなっていた。


「ネロ」


 人物接近警報器が告げる。珍しく短い単語である。


 訂正しよう、人はそんなに簡単に変われるもんじゃない。二人が戻ってきたのが分かると、先ほどまでの勇ましい気持ちは霧消してしまった。


 これはすなわち、もう夜だし帰って寝ろということではないだろうか。僕はもう疲れたよ。


 当時の私の感情をあえて文章としてしたためたのは、以下の内容を語るにあたっての私の苦悩をご理解いただければと思う。それもこれも全部キリスト教徒が悪い 。しかし、勇猛果敢にして敢作敢当、即断即決で是々非々の私は切り出す。


「こう言ってはなんだけれど、さっき話したことはもちろん辛い。でも、本当に辛かったのはそれじゃあないんだ」


 語句の選択の妥当性に今一つ自信が持てない。


「少し長くなるけれど、俺が生まれてから今までの経緯を全部話そうと思う。ヒロミにも、改めて、聞いてほしい」


 そういうと、白岡は小さく、しかしはっきりと頷いた。


 実を言うと後半部分を言うのに私はかなり躊躇したのであるが、ヒロミも無言で頷いた。


 さて、この後私が語った内容をそのままの字句でここにお示ししてももちろん結構なのであるが、以下に続く内容を読んでいただければ分かるように、ヒロミ本人の前でヒロミとのあんなことやこんなことを語るというさながら処刑現場の様相を呈している。ここで、私が連載の最初に掲げた本稿の目的を改めてみてみよう。そこで示されているのは第一義的には私の自己顕示、副次的に学術利用、道徳教材、TV番組のネタである。いずれについて考えてみても、この場面において私の口調やら相手の反応やらを逐一再現する必要はない、それどころか目的に合致した崇高なる語りの邪魔にすらなるだろう。そういうわけで、私がその時語ったのとそっくり同じ内容を改めて、読者様に向けて(そう、ほかならぬあなたに向けて!)語りなおそうと思う。


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 私が生まれたのは東京の練馬区氷川台である。父は川内保三かわうちやすぞうと言ったそうだが、生まれたころには既に父親はなく、いわゆる母子家庭というやつだった。生まれた日は暑い雲が空を覆っていたという。私の人生の前途を暗示しているようだった。


 母子家庭というのはしばしば経済的な困難を抱えているが(いまだ男女の賃金差という壁があるのでしょう)、能力の関係で潤沢な給付が受けられたので、その観点では恵まれていた。母親は母親なりに私に愛情を注いでくれたように思う。機嫌の良いときは美味しいパスタを作ってくれた 。母の恵みの夢の味だった。


 ただ、父がいないのと私の能力の問題で精神的に安定していなかった。私は私で幼少時は能力との折り合いがうまくつけられず、幼稚園――当時まだ年少であったが――でも孤立していた。時間停止の能力があると主張するのだが、誰も信じない。じゃあ使ってみろよと言われるのだが、能力の使用は厳禁されているからやって見せることはできない。そういうジレンマにさいなまれるのだ。それに加えて、母の機嫌が悪い時などは家でも小さくなっているほかなく、もはや居場所がなかった。


 そんな時に出会ったのがヒロミである。もちろん今にして思えば、私の状況を見かねた役人が引き合わせたのは明らかであるが、しかしこれほどうまくいったのはヒロミの性格によるところが大きかったのではないかと思う。兎も角も、お互いに初めて知った能力者の同輩であったヒロミと私はすぐ打ち解け、唯一無二の友人になるまで時間はかからなかった。その後小学校に上がって、交友関係が広がっても、ヒロミとは最も多くの時間を過ごす友人であった。


 ここで、思い出のアルバムから一つの象徴的なエピソードを挿入しておこう。いつのことだったか、正確には覚えていないが、小学校に入る前だったはずである。そこに至る状況もやはり記憶があやふやであるが、とにかく私は公園で一人で遊んでいて、おもちゃをなくしてしまった。それで座り込んで泣いていたのであった。


~回想ここから~


「どうしたの、シゲシゲ?」


 顔を上げると、見慣れたヒロミの顔があった。シンジを連れて散歩をしていたようだ。


「ヒロミちゃん、あのね、砂場で遊んでいたらミニカーがなくなっちゃった」

「アタシも探す」

「もう見つからないよ」

「そんなこと言ったらダメ。シゲシゲは私よりお兄ちゃんなんだからしっかりしなきゃ」


 ヒロミは「私よりお兄ちゃん」と言うが、私がヒロミよりちょうど三か月だけ早く生まれたというだけのことである。ましてこのくらいの年代なら性差(女の子の方が大人びています)の方が大きいだろう。


「大丈夫、必ず見つかるよ。それにね、あたしのおうち、キラキラしたのがいっぱいあるから、代わりのを買ってあげられるよ」


 いじける俺を精一杯励ますヒロミ。


「もうちょっとだけ探してみる」


 私とヒロミは懸命に砂場を漁ったが、一向に見つからない。日が傾いてくる。風が冷たくなってくる。


「みゃあみゃあ」


 公園脇の道路の前で、関家の飼い猫であるシンジが鳴いている。当時シンジは放し飼いにされていたので、気まぐれでここにきていたようだ。


「あ、シゲシゲあれ。」


 そこに注目したヒロミは、道路上にミニカーが落ちていることに気づく。そこに向かって走り出すヒロミ。しかし、道路上にはトラックが近づいてくる。


「ヒロミちゃん、危ない!」


 しかし、交通事故の心配は杞憂に終わった。


 というのも、ヒロミは駆け出してすぐにその場でズッコケ、頭から転んだ結果、道路にはたどり着かなかったのだ。ミニカーはトラックに轢かれ、無残にもつぶれてしまった。


「えーん、えーん」


 今度はヒロミが泣く番だった。転んだ痛みと、折角見つけたミニカーがつぶれてしまったやるせなさが混じったものだろう。


 あるいはこれまで気丈に振舞っていた分が一気に噴出したのかもしれない。ベンチにヒロミを寝かせて膝枕してやったが、しばらくしてもヒロミは泣き止まず、結局べそをかいたまま家まで送ったのだった。


~回想終わり~


 特に山落ち意味のない話で申し訳ないが、このエピソードで重要なのは、能力が何も関係ないということだ。昔昼にやっていたホームドラマにも 、違和感なく挿入できるだろう。我々の関係のスタートに、もはやそんなことは関係ない間柄になっていたのだ。


 さて、転機が訪れたのは小学校6年生の時のことである。放課後、学校の空いている会議室に呼び出されると、池田中いけだあたるという当時私としばしば面談していた役人が告げた。中学に上がったらスパイをやれというのだ、それだけじゃない指示されたならば人を殺せというのだ。ちゃんとお膳立てをするから危険はないというが、そうじゃない。戦争が終わって僕らは生まれたのだ、人殺しなんていやだ。


 当然、同じ話がヒロミにもなされているだろう、そう思って私は真っ先にヒロミのところへ行った。ところが、ヒロミはそんな話は聞いていないという。


 私は池田を質した。そうして知ったのだ、能力者と一口に言っても二種類あることを。一つは最高度の能力を持つ甲種特定能力保持者、今一つは比較的低次な乙種特定能力保持者。両者の扱いの間には厳然たる差異があるということを。しかし、関は言うのだ。


「アタシはどうあってもシゲシゲの味方だよ。アタシがあなたを救うから」


 これほどまでに美しい言葉を私はほかに一つしか知らない。にもかかわらず、私が返した言葉は幼さでは正当化しえないようなシロモノだった。


「何を言ったって俺は甲種でお前は乙種なんだ!俺の何が分かるんだ!」


 この会話の正確な日付を覚えていないのだが、3月上旬であったと思う。それから、ヒロミは学校に来なかった。一方で私は離島への引っ越し(*2)を命ぜられた。とりあえずスパイ問題は保留、ただの中学生として過ごせという。私は中学生の間に数回、離島(*3)を転々とさせられている。


 大人であれば、人間関係のリセットなんて何度も経験していて、別れの辛さなんて適宜消化して、また前を向いて歩きだせるのかもしれない。しかし小学校を出たところの私にはそうもいかない。ネットワークこそが本質という考えに立てば、最大の理解者であるヒロミと反目し転校でそれ以外の友人知人からも引き離された私は全てを失ったも同然であった。人を殺して人の道を外れる前に、私は死んだのだ。


 それからの私は、練馬での日々を忘れてじっと我慢の子 となった。


 心に傷を負った子供にとって、離島の美しい自然は慰みになると思われるかもしれない。しかし、少なくとも私にとっては逆だった。行くところも限られている離島での生活は、気持ちが沈むばかりだった。初期の私はこの原因をヒロミと喧嘩別れになってしまったことに見出した。だが、私の心は弱く、私は責任を地理的な封じ込めの方に転嫁した。懺悔の気持ちは次第に島から脱出したい、都会に住みたい、という気持ちに変質していった。


 悪いことは重なるもので(相互に無関係だと役人はおっしゃるが、またまた御冗談を!)、それと同じ高校一年生の7月、親切寛大にも棚上げになっていた、スパイとしての活動開始が高校卒業後であると告げられる。なるほど、私に残された2年と9か月というわけだ。


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〈註〉

*1 席を外した: 詮索するなかれ、いわゆる「お花を摘みに行く」というやつだ。

*2 引っ越し: 誇張にならないように付け加えておくと、私が離島に転出する前にヒロミにもう一度会っている。だからサヨナラも上手に言えなかった なんてことはない、ただ、そこでは儀礼的な会話を二三交わしたばかりだった。

*3 離島……: 離島と一口にいっても、大きいものから小さいものまでいろいろとある。例えば高校一年生の一学期、佐渡にいたときは良かった。佐渡も古来島流しの対象地であったが、広大な田んぼが広がっており、本土の農村と景観は大きく変わらない。流されてきた人が文化的活動をできたというのも頷ける。現代的な観点で言えば、ロードサイドの店舗集積は堂々たるものであるし、ネットカフェ(**1)すら存在しているのだった。学校に行けばクラスが複数あるし、まあ比較的気持ちの良い生活を送っていたのだった。3か月で別の小さな離島に移転を命ぜられた。


〈註の註〉

**1 ネットカフェ: 我が友人の若宮宮若君(『ゆゆ式』が好きだそうです)によれば、ネットカフェでまんがタイムきらら連載の漫画が読めるかどうかはその地域でできる文化的生活の水準のバロメーターであるという。その点佐渡のネットカフェはあまりよろしくないらしい。

http://www2.uraraka-comic.com/comic/index.php?tcd=3358

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