5-2. 楽になる

👉いままでのあらすじ

・広島で拘束された件について、私(川内)は白岡に追及された

・逡巡した結果、私は白岡に秘密を打ち明けることにした

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 8月も末になると日没も早いもので、窓の外の景色には次第に墨汁が浸透していく。にもかかわらず、「研究室」に残った二人は電灯も点けずに先ごろと同じ姿勢で座っていた。


 私は電灯のスイッチを押して、元の位置に座る。白岡が顔を上げこちらを見てきたので、小さく頷いた上で、開口一番、単刀直入に。


「俺は将来スパイになることを強いられている」

「……災害救助ではなくて?」


 白岡が問い返した。


「俺が所属している組織、IRAだが、あれは実際には人命救助の組織ではない、いや人命救助だけの組織ではないというのが正確か。あれの真の目的はヒューミント、まあざっくり言ってスパイ活動みたいなもんだな」


 白岡はきっと目を見張りこちらを見る。


「っ……」


 それきり黙ったままだった。


 ヒロミはうつむいて、黙ったままだ。


「IRAは表向きは国際救助協会――International Rescue Associationっていうことになっているけれど、実際には情報調査局――Intelligence and Research Agencyとなる」


 白岡は重々しく頷いて先を促す。


「俺はその職務に従事する予定ってわけだ。そこが甲種と乙種の能力者の違いってところだな。もっとも、高校を出るまでは猶予をもらっていた……はずなんだけどね。まあ、そうは言っても、ろくに訓練もしていないただの能力者が情報収集活動をうまくやれる筈がない。だから俺が担当するのは活動のほんの一部だけだ」

「ほんの一部?」

「そう、それ以外は専門の人が御膳立てしてくれるから、こっちは準備ができるまで坐して待っていればいいわけだ」

「それで、何をするわけ?」

「直接的には俺も知らないけれど、世界史的事件ってのは結構能力者が関わってるんじゃないかと思うよ。先月のマレーシア航空(*1)の飛行機が消えちゃったやつとか」

「え?」


「暗殺だ」


 あああ、言っちゃった。


 白岡の顔が色を失った。


 ヒロミはうつむいて、黙ったままだ。


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 読者の皆様には、私がなしている活動の背景についてもう少し説明しておくのが適当であると思われる (読むのが鬱陶しいという方は飛ばしていただいても問題ないかと思います、たぶん……)


 ある秘密を隠すのにもっとも賢明な方法は、見る人を別のところに注目させることである。手品なんかのトリックも往々にしてこの発想で考えられているものであろう。私は1-3.において、IRAが人命救助のために活動していることを、いとも簡単に打ち明け、「相手は野良とは言え能力者だ。これくらいのことはしゃべってもいいだろう。念のため口外しないようくぎを刺しておいた」などと取って付けたかのように述べている(そして実際にこの文章は推敲段階で取って付けたものです)。もしも私の試みが成功しているならば、賢明なる読者の皆様といえども、これで外務省組織についての秘密の部分はすっかり知ってしまったような気になっていたに違いない。


 IRAについての秘密は、このように秘密を二重構造にすることによって保持されている。まず、人命救助組織としてもその存在を知る人は少ないが、この部分について知るのはそう困難ではない。人命救助の際に、対象者に全く気付かれないのは不可能であるし、緊急性ゆえこの秘匿処理がガバガバになることも全くないわけではない。何度も述べているように、一般メディアにも不正確ながら情報が流れている。だが、その分秘密の二階部分、ヒューミント活動についてはかなり堅牢に守られている。


 ここで言うヒューミントというのは、英語で言うとHUMINTで、Human intelligenceの略である。ざっくり言って人間を媒介した諜報活動全般を指す。インテリジェンスというとそもそも、ここで述べたような対人のものを思い浮かべる人も多いかと思う。もちろん対人インテリジェンスは重要である。だが、ヒューマンインテリジェンスは間違った情報をつかまされるなどの点でリスクが大きいのは否めず、現在メインになっているのはむしろオープンソースのインテリジェンスだ。オープンソースといってもその幅は広く、また技術革新により長足の進歩を遂げている。李春姫が伝える内容に着目するのはもちろんのこと、地面の振動や海面の変化さえ収集して相手国の情報収集に努めている。


 ヒューミントで行うのはこれら他の手法でカバーできない部分である。具体的な活動内容としては、現地の人々に質問をするようなライトなものからハニートラップ(*2)までさまざまである。外交官などが正規のルートで入国する合法のものも、身分を偽るなどしている非合法のもの(*3)も含まれる。現地に協力者(*4)を得る場合も多い


 ヒューミント組織としては、米国の中央情報局(CIA)、英国の秘密情報部(SIS)、ロシアの対外情報庁(SVR)が挙げられる。我が国にはこれらのようなヒューミントを専門に担う組織がなく、その脆弱性がしばしば指摘されていて、内閣情報調査室(内調)をヒューミント機関にしようなんていう議論もあった[1]。ただ、これに該当する活動が全く行われていないわけではなく、外交官や防衛駐在官(*5)が行っているものが挙げられる。当然前段の「合法のもの」にすべて含まれる。


 以上に述べたのは存在が公にされている組織についてであるが、上に述べた活動の性質からして、秘密組織も存在しうるわけである。我が国の非公然スパイ(正確には、より広範な諜報活動というべきか)組織という観点からすると、陸上自衛隊に存在すると言われている陸上幕僚監部運用支援・情報部別班(いわゆる別班)が挙げられよう。以前からかかる組織の存在が噂されていたが、2013年に共同通信によるスクープ記事[2]が出てその存在は公然の秘密になってしまった。政府が国会答弁で存在を否定(*6)したところで、白々しい限りである。


 これなども先に述べた「別のところに注目させる」という秘密隠匿方法の典型例である。もちろん「別班」の存在も秘匿すべきなのだが、共同電にあえて報じられたように、ちょっぴり尻尾を見せているのだ。これにより、よりヤバい(何てったって能力者がいるんですから)組織があるという疑念すら抱かせないことに成功している。ただし、「別班」の場合はシビリアンコントロールが効いていないことを問題視する向きもあったが、われらがIRAは政府上層部にはちゃんと把握されているので、その点についてはご安心いただきたい。


 さらに言えば、ちょっと古い話になるが、2005年に外務省が設置した「対外情報機能強化に関する懇談会」は、「対外情報機能の強化に向けて」という報告書[3]を提出しているが、その中では諜報活動を行う情報機関(これとて、あくまで情報収集の話をしていることに留意してください)の設置が提言されているが、この提言に対する議論はいずれも現在は存在しないものを新設するかということに焦点をおいている(そりゃそうです)。まさかそのような情報機関がすでに存在しているとは誰も思わなかったのである(*7)。


 最後に、IRAの具体的な運用について述べておこう。IRAは外務省に付属する非公然組織で、既に述べたように事務方は外務省と兼職している。実務部隊は訓練を受けたエージェントと能力者から構成されている(*8)。実務部隊がどれくらいの規模であるのかは私も知らない。能力者を訓練すればいいのではないか、と思われるかもしれないが、そうしない理由は二つある。第一に、能力者を危険にさらすのはリスクが大きく、要所だけを担わせる方が理にかなっているという判断からである。そもそもそっち方面の特性があるとは限らないしね。この辺りが一日三分しか使えない能力の辛いところである。第二に不本意な訓練に不満を持って自殺した能力者が過去にいたからである。これを機に能力者の精神にも配慮して過度な負荷をかけないようになったという。IRAを担当する職員は外務省の中では国際情報統括官組織対外行動室に属し、「松山事務所」とかいう閑職っぽい場所にいることになっている。何度か登場している豊田・太田・東雲などがそれだ。


 我々能力者がなすのは対象者の暗殺だけだ。時間停止能力を使う限り、確実にかつほとんど完全犯罪として殺すことができる。公的な重要な人物が対象だった場合、公の場に全く姿を見せないということはありえないので、実行する機会を見つけるのは容易である。なんてったって、厳重な警備など私の前ではほとんど無意味なのだから。またしても1-3.で白岡に述べたように、JFK暗殺なんて朝飯前だ。このような事情から、身分を偽ったパスポートを作成するなどの小細工すら必要ない。観光客として正面から入国し、15日以内などのビザ免除や観光ビザで認められる短い期間のうちに目的を達成し、土産物の袋を抱えて堂々と出国すればよいのだ。


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 そういえば、幣作『ある日の新着レビュー』が、エッセイ・ノンフィクションの週間ランキングで一時期1位を獲得しました。多くの方にお読みいただきありがとうございます。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883340380

 他方、1-1.で記した、少数派のために書くという理念に共感いただきここまでお読みいただいた皆様には、多数派に迎合する文章を書いてしまいましたことをお詫び申し上げます。つきましては腹を切って死ぬ必要があるかと存じますが、本連載を開始してしまった以上、一応は終わらせる義務があるものと認識しております。完結までの間(9月末頃を予定しております)、しばしの猶予をいただきたく思います。


〈註〉

*1 マレーシア航空: 執筆している今年のマレーシアの話題と言えば、金正男の暗殺が挙げられようが、気の毒なことに、北朝鮮には適当な人材がいないからああいう鈍臭い方法をとらざるを得ないのだろう。

*2 ハニートラップ: 対象を性的に誘惑して、親しくなったことを利用して、または脅して情報を得る諜報活動。マタ・ハリが有名だが、実態はよく分かっていないらしい。ヤクザの美人局とやや似ているかもしれない。

*3 非合法のもの: 典型的なのは新聞記者に偽装するパターンだろう。『フランクフルター・ツァイトゥング』の東京特派員であったリヒャルト・ゾルゲが有名。

*4 現地に協力者: こちらも新聞記者が関わっている場合が多い(**1)。レフチェンコ事件で暴露された産経新聞の山根卓二など。

*5 防衛駐在官: 防衛省から派遣されている外交官であり、自衛官の身分を併せ持っている。戦前の駐在武官に相当する。外務大臣・在外公館長の指揮を受け、防衛省との連絡も外務省を介して行われるが、二つの身分を併せ持つ立場であることによるプロパー外交官との連携不足が存在することも指摘されている[4]。

*6 国会答弁で存在を否定: 第185国会における政府答弁によれば、そのような組織は存在しないし、かつて存在したこともないという[5]。

*7 まさか……: 信じられない人は書店の新書の棚に行って「なぜxxxはyyyなのか」といったタイトルを見るがいい。そもそもxxxがyyyであることを知らないあなたは自分の無教養を恥じることになるだろう。

*8 実務部隊は……: 少々性質は異なるが、特別な「能力」を持った者の諜報活動における活用の良く知られた例として、第一次世界大戦・第二次世界大戦で米軍が利用していた、先住民族のコールドトーカーを挙げることができるかもしれない。コールドトーカーは、言語としての複雑性・資料の不足から交戦国には解読が困難な、先住民族固有の言語を用いた暗号により無線通信を行った。我々の能力とは異なるものの、話者の少ない言語のネイティブスピーカーであるというある種の能力が活用されている。ちなみにこれには日本の方言も有用で、アメリカ航空宇宙局NASAがUFOとの極秘通信暗号に名古屋弁を使っている 。


〈註の註〉

**1 新聞記者が……: 一方、変わり種としては、詩人・童話作家として知られる宮沢賢治(1896-1933)がソ連のスパイだったというもの[6]が挙げられる。


〈参考〉

[1]「“内調に諜報員配置 情報収集強化へ新部門 政府検討」『産経新聞』2013年5月29日

[2]「陸自、独断で海外情報活動 首相や防衛相に知らせず」『共同通信』2013年12月28日

[3]対外情報機能強化に関する懇談会「対外情報機能の強化に向けて」

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/17/pdfs/rls_0913a.pdf

2017年6月15日閲覧

[4] 福山隆(2013)『防衛省と外務省 歪んだ二つのインテリジェンス組織』幻冬舎

[5]第185回国会 106 陸上幕僚監部運用支援・情報部別班(別班)に関する質問主意書  http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/185106.htm

2017年6月15日閲覧

[6]「『クラムボン』の正体、ついに明らかに 論争に終止符」『虚構新聞』2010年6月7日

http://kyoko-np.net/2010060701.html

2017年6月15日閲覧

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