第五章 じっと我慢の子

5-1. 夏の末

👉いままでのあらすじ

・広島に行ったらなんか捕まった

・第五章開始

 第三章の次は第四章じゃないかって? あなたも日本人ならご存知のはずだ、四という数字がその響きから忌み嫌われてきたということを。旅館の部屋割り、ビルのエレベータで四が飛ばされているのを見たことがあるはずだ。まして、第三章終了時点の私は窮地に立たされているのである。"シ"だなんて縁起でもない!


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 「ヒロシマへ行く」 というのは西日本において伝統的な死亡フラグであって、今回のことはそのフラグが回収されたと評価することが妥当であろうが、だからといって、上の出来事をより具体的な因果律にそって、分かっている範囲で整理することを妨げるものではないだろう。簡単に言えば、安国寺と名乗る怪しげな文章は、最初から私をはめる意図で書かれており、私はまんまとそれに騙されてノコノコ約束の場所に現れたわけだ。考えてみれば、これからまさに広島に行こうとしているところに、ちょうど広島在住の能力者が現れるというのは、あからさまに怪しい。2-6.辺りの記述を見ると、手紙の内容を白岡やヒロミに告げるかどうかで逡巡しているが、まったく的外れな議論と言わざるを得ない。あるいは彼女らに告げていたならば、そのような問題点にはすぐ気づけたかもしれない。ただ、一つ残る疑問点として、先方のやり口としちゃあちょっと手荒すぎないかというものが挙げられる。私ももうお子様じゃないということなのかしら。


 ここで主人公たる私が友情・努力・勝利で苦難を乗り越える激アツ展開を期待されるかもしれないが、そんなものを望まれても困る。どう考えても私は悪くない。責任転嫁でも負け惜しみでもなんでもなく、偶然能力があるだけの私が諸々を強いられているこの状況、端的に言って社会が悪いでしょ、これ。


 まんまと罠にかかった私は夏休み終了まで謹慎を命じられ、愛媛県庁の地下の外務省の拠点にある一室に閉じ込められた。県庁の地下にこのような施設が隠されていたことに驚くが、ヒロミの父親の三郎さんが2-5.で発言していたことと関わるのかもしれない。松山には存外、外務省の大きな拠点が存在しているようだ。


 災害救助では例外的に外出が認められており、あの忌々しい広島にもう一度行くことになったのには辟易した。閉じ込められた空間は一通り快適に過ごすための設備が整っており、ぶっちゃけ自宅よりも良いくらいであるが、勉強道具など一部を除いて持ち込みを許されなかった。


 幽閉下にあって、することは限られている。平年ならば量の多さにため息が出る夏休みの宿題も、あまりに暇であったため、すぐに終わってしまった。そうなると、心は内へ内へと向かっていく。なぜあんな罠に引っ掛かったのか、なぜ独断で行動したのか、おんなじ所を何度も何度もぐるぐるする。地下室には光がないので、時間の経過も実感しがたい。3分とは言わず、無限に時間を停止する能力を得たかのような錯覚すら覚える。


 一応の生存権が満たされた環境にあっても、食事に関しては充分なものとは言えなかった。いくらかのレトルト食品が支給されており、それを食えということらしかった。ボンカレーはどう作ってもうまい ものだが、しかしそればかりでは飽きが来るのである。同じものばかり食うことで沈鬱な気持ちに拍車がかかる。


 人の情がこもった料理は須らくうまいなどという考え方に私は与しないが、例えば味付けに手間がかかっていたとか、食べる環境を考えて冷めてもおいしいメニューになっていたとか、そういう客観的な事実をここに提示することはできるだろう。


 2-3.を思い出していただきたい。白岡は決して料理がうまくはない、少なくとも私の認識ではそうなっていた。このことから、以下の二つの事実を発見することができる。まず、反省すべき点である。単純な表現で正面突破を試みた私の試みは失敗しており、料理のまずさを白岡に気取られていたということである。読者の皆様におかれては私の教訓を生かし、食レポの練習をすることで来るべき決戦の時に備えていただきたい。次に、賞賛すべき点である。白岡の料理の変貌ぶりと言えば、ほとんど別人のようであった(*1)。ミラクルかもね 。何という成長スピードであろう。佐藤栄作もアデナウアーも朴正熙も彼女の前では形無しくんである。


 それだけではない、白岡はそのような究極にして至高の料理を、スペシャルゲスト として生活する間、来る日も来る日も持ってきたのだった。


 食事を持ってきてくれるといっても面会はたいてい認められないのであって、当番の役人が代わりに持ってくるのを私は一方的に受け取るだけであった。ただ、5日目くらいに一度だけ手紙が添えられており、そこには「何か事情があるんでしょ、後で説明してくれればいいわ。でも何も心配いらない、私があなたを救うから」と書かれていた。その日は、「不味かったらごめん、これなら大丈夫だろうから」と言って、梨 丸ごと一つが食事に添えられてさえいた(むろんその日もおいしかった)。無骨な梨はなんにも言わないけれど、そこに込められた彼女の気持ちはよく分かった。


 さながら彼女は聖母のようであった。


 私には白岡がなぜここまで真剣になるか分からない。分からないけれども、彼女の目的は私の状況の改善である。そして今や、私も私の目的を目指すだけの意志を手に入れたのだ。分からないけれども、分からないなりに彼女の熱い胸に甘えて もよいのかもしれない。


 得体の知れない安国寺某の手紙に私は天国への可能性を見出した。しかし、救いは別のところにあったのだ。大切なものはいつも目の前にあるのだ。


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「本当にすまなかった」


 シャバに戻ってきた最初の日、つまりは2学期開始前の登校日であるが、その日の午後、私は白岡とヒロミが待つ「研究室」に向かった。そして入るなり、上の様に発言して頭を下げた。


 すぐに応じたのは白岡である。


「顔をあげて、そのことに怒っているわけではないの、けれど、どういうことなのか、教えてくれるかしら」

「『安国寺綾』と名乗る人物から広島で会えないかという手紙が来た。その中に分刻法という秘儀の話が書いてあって、これはもしかしたら役に立つかもしれないと思ったんだ。結果はごらんの有様だよ 」

「一人で行ったの?」

「『誰にも口外するな』とあったから。いや、全く間違った判断をしてしまった、いま考えればそれがあからさまな罠だったが」


 私はそれで発言を終えたが、白岡からすると、まだ続くように見えたようである。


「それで?」

「本当にすまなかった」


 悪いのは私だ、認めてもらおうとそうでなかろうと何度でも頭を下げるつもりだ。


「そうじゃなくて、ああいうことになった理由の続きは?」

「え? いま言ったことがすべてだ」


 ヒロミはうつむいて、黙ったままだ。


「私、川内君が分からないよ」


 私は反問しようと白岡の顔を見たのだが、蛇ににらまれたカエルの様にその後動くことができなかった。


「どうして一人で動いたの?

 どうして教えてくれなかったの?

 何か不都合があった?

 そんなの普通じゃないよ。

 川内くんが不思議でならない。

 私のどこが不満だったの?」


 数百字前に記したことを私は早速訂正しなければならない。目の前にいるのは天使でも悪魔でも聖でも俗でもなかった。白岡菖蒲は少女である。


 白岡の発言に対して、私は何も返事することができないでいた。


「ちょっと飲み物を買ってくる」


 そう言って立ち上がる。


「あ……」


 ヒロミが何か言いかけるが、構わずに部屋の外に出る。自販機で買ってもいいのだが、サークルK(この幼児はまだファミマじゃありませんでした)まで買いに行くとする。そうだとも、時間稼ぎだとも。


 外は気が滅入るような曇り空と蒸し暑さだ。


 正直に言って、これまでの数か月間、私は白岡の主張する自由獲得運動には極めて消極的な協力姿勢をとっていた。ラッダイトしたりサボタージュしたりした方がいっそ誠実だったかもしれない。この態度は直接には実現可能性の観点から正当化することが可能である。しかしながら、実際には私自身の意志の問題である。私は高校3年間をモラトリアムだとみなしていたし、モラトリアム以上のことを期待しちゃいなかった。それに対し白岡は夢を語る。畢竟、この夢に希望を見出すか否かは私の選択に対して開かれている。


 「自分の能力は当局の知るところではない」という白岡の主張は真であるか――この数か月、私を悩ませてきた問いである。しかし、今やそれは色褪せて見える。この問いに何の意味があるのだろうか。私が優先すべきは、少なくとも白岡自身はそう信じているといこと、更にそれに基づいて白岡がなしていることであるはずだ。その人をその人たらしめるのは、属性ではなく、何を考えたか何をしたかであるべきだ。


 白状しよう、この数か月の私は目標の実現可能性や現状理解の妥当性といった客観的な問題――より正確には客観的であるかのように見える問題――に挿げ替えることで、本来の問題から逃亡してきたのだった。


 白岡に、何てことをしてしまったのだろう。


 マルKに着いたので、迷うことなくボスシルキーブラックを購入する。


「あああ、あ、ありがとうござい……ます。」


 思考が顔に出ていたらしく、店員さん(*2)に怯えられてしまった。どうにか金は払ったんだから、許していただきたい。そう念じながら精神世界に帰る。


 それで、今日の白岡のあの発言である。ここに私の犯した過ちが顕在化している。白岡は一つの厳密な信念に従って行動する人間であると信じていた。それはきっと間違っていない。問題なのは行動原理ではない。どんな動機であれ、当然期待すべきであるところの反作用を、私は充分に提示してこなかったのだ。それでも、白岡は報われるかどうか分からない努力を続けてきたのだった。思えば、白岡は最初から私に並列なパートナーの立ち位置を要求していたじゃないか。


 店から出て、シルキーブラックを一口飲む。うん、苦い。


 広島へは行く前から気分が重かった。今になってみれば、その原因の大きな部分を占めていた要因が分かる。単独行動することへの後ろめたさだ、罪悪感だ。これは広島訪問が成功しようと、失敗しようと消えるものではない。こうやって立ち止まる機会を得られたという点では失敗して良かったのかもしれない。


 まだ手遅れではないと信じたい。もう一度、白岡と正面から向き合おう。白岡の提示するビジョンに真剣に取り組もう。そのためには、彼女にずっと隠してきたことを告白せねばなるまい。結局のところそれは自己満足にすぎないかもしれない。罪悪感から逃れるための方便かもしれない。聞いた白岡にとってはやはり迷惑かもしれない。それでも、今現在の私がとりうる唯一の道であるように思われた。


 気づけば高校に戻ってきていた。だが、もう時間を稼ぐ必要はない。


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〈註〉

*1 ほとんど別人のようであった: 象徴的な例として、卵焼きについて語っておきたい。まず、口元に持って行ったとき、ここから違う。卵の魅力をあますことなく引き出した芳醇な香りに期待が高まる。大きく口を開けて頬張り、舌に触れると何とも言えない柔らかさだ。高級ホテルでベッドに寝転がったときのように心地よい。そして噛み始めてからが格別だ。朝の養鶏場で鶏が鳴くのを聞いているような、さわやかな気持ちになり、悩み事なんてどうでもよくなってくる。卵焼きなんて基本的な料理じゃないかと思われるかもしれないが、そういうことを考える人は、今までの人生で真の卵焼きに巡り逢ってこなかったに違いない。食べたことない人かわいそう。

*2 店員さん: あとから聞いたがこの店員は何とクラスメートの下田百々しもだももだった。当時の店員がだれか気づかないくらい余裕を失っていたのである。

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