3-7. 根から幹から

👉いままでのあらすじ

・夏休み

・海に行って、帰ってきた

・安国寺なる人の誘いに応じて広島を訪れなければならない

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 海と水着でうつつを抜かして考えないようにしていたが、時間というものは無残にも過ぎ去ってゆく。二人の水着を見た日、一人暮らしの家で独りため息をついた。広島訪問が明日に迫っていたのだ。楽しいばかりの予定ですら、前日にはマリッジブルー的な気の重さがやってくるものであるのに、広島訪問については複雑な事情が伴っていた。


 安国寺との約束についての私の気持ちは大きく分けて三つだ。


 第一に、不安だ。あの手紙はやはり怪しい。本当だとしても、こそこそ会うのは後ろめたさがある。第二に、単なる気の重さだ。ヒロミに電話するのすらあんなに辛かったのだ、見ず知らずの人に会わなきゃいけないんだから鬱にならなくちゃ嘘だ。第三に、これが上の理由にもかかわらず私が広島に行く理由であるが、うまくいった場合に得られる利益の大きさである。分刻法の魅力はやはり他で代えがたいものがある。


 ワンルームの天井をぼうっと見つめていると、電話がかかってきた。ディスプレイを見ると珍しく東京にいる母親からだと分かる。ため息をつきつつ、通話を開始する。


『重信、夏休みはこっちに帰ってくるの』


 実家へは春休みに帰ったっきりである。母の疑問も尤もだ。


「悪い、ちょっと難しいかな」

『そう……』

「ごめんね、正月には帰るから」

『分かったわ。そうそう、重信、大事な話があるの』

「どうしたの?」

『ベランダの茄子が豊作でね、今度……』


 母の「大事な話」というのは、たいていこんな調子で、もはやオオカミ少年だった。


「何だそんなことか。分かった、うちに送って。それじゃあ」

「え、ええ。またね、重信」


 母親が良かれと思って電話していることくらい、私にだって分かる。だが、どうものんきに世間話するつもりになれない。


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 その夜の当番官僚は豊田だった。このことが私をさらに苛つかせた。


「君、これは指示したものと順番が違うのだが」


 その日の課題はクリアファイルの中の写真を指示された順番に並べ替えるものだったが、イルカの写真とネズミの写真を取り違え(同じ哺乳類なので混同してしまうのです)、指示通りにできなかった。


 プロスポーツ選手ですら、精神面での不安定さがミスにつながり、ラケットを地面に叩きつけるのだ。調子が出なくて12連敗することだってある。私に正確さを要求するなんて無茶な話だ。じこはおこるさ。


「すみません、豊田さん。間違えました」

「まあ入れ替わっているから、時間を止めたのは確かだろう。今回ばかりは大目に見てやろう。ただ、上にも報告しておくからそのつもりでいるように」


 自分で言っているように、時間を止めていることは確認できているんだからそれでいいじゃないか。何だって融通の利かない……。こんなことをしているから三陸の復興もはかばかしくないんじゃないか。


 帰宅してすぐに床に就いたが、どうにもよく眠れなかった。


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 翌朝、私は伊予鉄に乗って港へと向かった。


 陸地を主体として生活する現代日本人からすると、松山と広島というのはずいぶんと離れていると思われるかもしれない。しかし、地図の陸と海を反転させて考えてみよう。両者の間にはわずかの距離しかないのだ。実際、松山と広島の間は船で僅か1時間で結ばれている(*1)。歴史的はこの海というのがものを言ったそうで、道後温泉などと合わせ伊予守は実入りの多い憧れのポストだったそうだ。そこまで遡らなくても、愛媛県で工業化が進んだ(まあ東予がメインだけど)のは海の恩恵だろう。


 広島を訪れるのは手近な大都会だからではない。広島なんてこの世界の片隅だが 、それに対して四国はセカチュー である。私が旅をするのは城郭を訪問したいからだ。西日本は訪問先が多くて楽しい。


 城が好きだ。城の何がいいかというと、空っぽなところだ。かつてはそこに権力があったが、今はそんなものはない。松山城なんて山の上にあって、市内を睥睨しているにもかかわらず、観光客が登って写真を撮るくらいだ。これに対し、東京で最も高い、スカイツリー、あれはそうはいかない。あそこから発せられるのはTVの電波である。社会の木鐸なのか、マスゴミなのか、人によってどう考えるかは違うだろうが、それは問わない。いずれにせよ、あそこから発せられるのは権力なのだ。欧州の都市で、教会が最も高い、ああいう警官が良いのだという人がいるが、あれも同じで、教会がもはや世俗の権力を失っているからこそそれが言えるのだ。


 その日はあいにくの雨だった。10時過ぎに広島港につき、路面電車で八丁堀に出る。早めの昼食をとった後、広島城へ向かった。戦後に再建されたものではあるものの壮麗な天守閣に登り、てっぺんから町を見下ろすが、雨空の下であるが、町を見下ろすことができて楽しい気持ちになった。


 広島城を見終えた私は、中央公園を抜け、旧太田川の河原を目指す。デルタ地帯に発達した広島市内はどこへ行っても太田川の支流だらけであるが、本川と通称されるこの川は戦後に放水路ができるまでは本流で、その中でも堂々とした流れである。ちょっとした公園になっているようで、芝生が広がっており、晴れていればバーベキューなんかもできるかもしれない。振り向けば城、少し行けば原爆ドームがあり、市街地の景観を借景にできる心地の良い場所である。約束の時間まで間があるので、少しぶらつこうかと思案しつつ、川を眺めていると、ジョギングしている上下ジャージーの若い男(*2)が近づいてくる。雨の中にもかかわらずご苦労なことである。随分とパーソナルスペースが狭いようで、遠い先祖にフィンランド人 を持つ私としてはやや不快な気分になっていると、次の瞬間であった。


 ジョギングの男とは別の男(*3)が背後から近づき、羽交い絞めにする。傘がボトリと地面に落ちる。


 それでも私は一応、抵抗しようと試みた。だが、相手は慣れたもので、気が付いたら手足を縛られ、目にはアイマスク、口にはタオルを嚙まされていた。


 その後はどうやら車に乗せられたようだということまでは覚えている。

 ただ、どこのタイミングなのかはよく分からないが、睡眠薬をのまされていたらしい。


 まあちょっと平和ボケが過ぎたよね。


 白岡にあてられたのかな、私もちょっとだけ、ほんのちょっとだけFREEDOM を望んでしまった。


 蜘蛛の糸は切れてしまった。夢はシャボンのように消えてしまった。


 そんなことを考えながら、意識は遠のいていった。


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〈註〉

*1 松山と広島の間は……: かつては松山から広島(現在の広島空港ではなく、西区にあった旧広島空港――広島西飛行場を経て現・広島ヘリポート)への航空便が設定されていたが、船での移動があまりも便利であったために、搭乗率が低く廃止になってしまった。

*2 若い男: 北井福きたいふく

*3 別の男: 甲昭和かぶとあきかず

 私がこうしてモブキャラの名前を一々記すのは、皆誰かの大切な人であって、そういうかけがえのない人生に光を当てていきたいという思いゆえである。私に関わった人々に限り、それも名前しか記すことができないが、いまのところこれが私にできる精一杯である。

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