3-4. 冷静と情熱と

👉いままでのあらすじ

・動物園にやってきた私(川内)、白岡、ヒロミ、山北、嬉野。

・私はヒロミと二人で別行動し、スネークハウスに行ったがヒロミが怪我をしてしまった。

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 昼食を食べるべく、再び全員で集まった。


「ヒロミさん、どうしたの」


 ヒロミの異変に気付いた白岡がすかさず問いかけた。


「転んじゃってさ、大したことはないんだけど」

「カットバン あるよ」


 山北からヒロミに絆創膏が差し出された。私がなした杜撰な応急処置とは雲泥の差である。素晴らしい。


 レストランは動物園の一番奥の高いところにあり、食事しながら近くにいるアフリカゾウが見渡せるという趣向になっていた。オムライスにケチャップでライオンが描かれていたり、カレーライスのご飯がカバの形になっていたり、料理の見た目からも動物園らしさが感じられる。


「ペンギンはとても興味深かった。飼育員さんにお辞儀をしてえさを食べるの。川内君も見ればよかったのに」


 もはや取り繕おうという気も失ったのか、白岡がペンギンがいかに素晴らしいかを熱っぽく語っている。


ケヅメリクガメGeochelone sulcataも可愛かったぞ」

「やめてや。食事中に爬虫類の話とか。もうちょっとTPOをわきまえてや」


 山北に糾弾される。

 爬虫類と鳥類でこの差は何なのだろう。昆虫の話とかしたらもっとすごい反応をするんだろうなあ。


「動物園やからもっとそれらしい食べ物があればええのにな。こう、形を模すんやなくって本当の肉を使うてさ。雷鳥 Lagopus muta蕎麦とか、キリンGiraffa camelopardalisラーメンとかどうじゃろ」


 ところで嬉野は相変わらず食べる発言ばかりだ。

 こっちの発言は問題ないのだろうか。


「あ、そうだウチ兄貴に土産買わなくちゃいけないから。行くわ。ヒロも付き合って」

「あ、うん」


 食後は日本の動物を展示したエリアでタヌキMeles anakumaムジナNyctereutes procyonoidesムササビPteromys momonga など地味な展示を見ていたが、途中で山北が離脱を主張し、ヒロミまで巻き込んでいった。動きがあからさまだ。


「お、ほいなら俺も行こうかな」


 我が心の友さえ空気を読みやがった。そういうわけでなるべくして白岡と私は二人っきりになったのであった。


「えっと、一緒に回る?」

「まあほかにすることないしな」


 1-5.における記述を思い出していただきたい。私は白岡との気まずさに耐え兼ね、別のキャラクターの早期の登場を願っていた。願ったりかなったりで多くの人物が仲間になったことを神に感謝しつつ動物園に来てみたらこのざまだ。


「アンタはどこか行きたいところある?」

「そうね……シロクマUrsus maritimusが見たい」


 というわけで、ホッキョクグマの展示エリアにやってきた。シロクマは従来型の檻に入っていたが、サービス精神旺盛に動き回っている。干しブドウみたいなクリクリした目をこちらに向けるさまは、確かに楽しくはある。


 白岡は興味津々といった様子で黙って見つめている。これで学校じゃクールで通っているんだから驚きである。南極だの北極だの動物のチョイスはクールかもしれないが。


 ホッキョクグマを見た後、ベンチで休息をとる(天丼ってやつのつもりです)。白岡が御化粧直しに行ってしまったので、折角だからその間に飲み物でも買っておこうか。なんだか今日は自販機に縁があるようだ。まあ暑いしね。別に恋とかそういうのはない。白岡に何を買ってやろうか迷った。甘いものを飲んでいたような記憶をたどりつつ、スコール とポンジュースを買って選ばせることにする。


「お嬢ちゃん、かわいいね。一人なの?」


 ベンチに戻ると、白岡が男に話しかけられていた。白岡をお嬢様扱いするとは分かっていない。あれはただのミーハーである。


 前にも書いたが白岡菖蒲はとにかくとびきりの美少女だ。ナンパされるのも無理はなかろう。しかし、わざわざ動物園にナンパしに来るナンパ師の戦い方はよく分からない。あえてマイナーなところに行って掘り出し物(?)をスコップしたいんだろうか。


 誰も見ていないわけだし、白岡の能力でどうにかすればいいだろう。うまく調整すれば相手だってちょっと力の強い人に殴られた、程度にしか思わないはずだ。そう思い、私は象印の魔法瓶を取り出し、後ろからコソッとかけてやる。ところが白岡は金縛りにあったかのように同じ姿勢を崩さず、ビクビクと震えている。


 まあ、剛力の菖蒲さんであっても、この状況はそりゃ精神的に難しいだろう。影から助ける討伐がうまくいかないとすると、いかにして対処すべきだろうか。


 数は力だ。いくら屈強な男であっても、こちらが取り囲んでしまえば相手もどうしようもないだろう。そう思って携帯電話を取り出すが、いかん、電源が切れている。


 注意をほかにそらすのはどうだろう。近くで爆発音とかがあればナンパどころではなくなって有耶無耶にできるはずだ。しかし周囲に爆発するようなものはない。ここで考えられるのは動物の逃走とかだろうか。そう思ってクロヒョウPanthera pardus(*1)に期待の視線を送るものの、木の上で寝ていて、一向に気づいてくれない。


 万策尽きたか。


「おい、嫌がってんだろが」


 私は愚かにも白岡と例の男の間に割り込んでいた。遠い先祖にアメリカ人がいるのである。ヒーロー的振る舞いをせずにはいられなかった。


 男がきっとこちらを睨んでくる。


 うわ、めっちゃ強そうじゃん。ああもう時間止めたい時間止めたい。3分かけてゆっくり逃げ去りたい。


「何なんだお前、俺はこのと」


 相手が言い終える前に、私は男の目を狙って力いっぱい殴った。古今東西、弱者がとりうる唯一の戦術は奇襲である。「我こそは」と口上を述べている間に攻撃するのである 。いきなり対象の首を取りに行くのである。これは決して卑怯などではないのだ。弱者が弱者なりに勝利を追求した結果だ。横綱と幕下では求められる戦いの水準が異なるのだ。正当防衛どころか過剰防衛ですらないけど(*2)、そういうのは気にしないでね。


 う、殴った手の方が痛いことだってある。目を狙ったつもりが、目の周りにある骨(いまググったところどうやら眼窩(*3)というらしいです)にあたってしまったようだ。相手の体の眼球安全保障体制に見事に阻まれた。か、硬い。男はビクリともしない。


 ところが奇跡か神懸かり。これがうわさに聞くビギナーズラックか。眼窩が実は急所だったのか、男は金縛りにあったかのように動かなくなってしまった。何もできなさそうな貧弱な私が突然殴ってきたという衝撃による精神的なものだったのかもしれない。


「白岡、逃げるぞ」


 ハングリアン民族の嬉野とは異なり遠い先祖からハンガリー精神を受け継いだ私は、szégyen a futás, de hasznos の信念に基づいて行動するのである。


 私は呆気にとられる白岡の手を引いて走り出す。といっても、人目のある所に出さえすればこっちのものだ。


 逃げ切ってベンチに座る。もうスコールはダメだろうから、白岡にポンジュースを差し出す。


 白岡はポンジュースを一口飲むと、幾分落ち着きを取り戻したようで、口を開く。


「ありがとう、助かった」

「怖かったんだろ」

「う、うん」


 いたずらを咎められた子供のように白岡は躊躇いながら返事をした。


「隠そうとしたって無駄だぞ、あんた、今朝から心の声が駄々漏れだぞ。シロクマ見つめているときなんか、なかなかかわいかったぞ」

「え……」


 口を「え」の形に開いたまま、白岡は動作を停止した。自分としては教祖として適切にクールに振舞っているつもりだったのかもしれない。それだけであればお笑いで結構だ。だがこのところの白岡を見ていて思うのは、どういう理由かは知らないが、そのように振舞うことを白岡は自分に強いているのではないか、ということだ。


「えっとだからその、怖いってのも、もっと素直に示してくれてもいいんだよ」


 何となく白岡の方を見ることができずに、虚空を見つめながら言った。


 その発言に対して白岡はどうしたかというと、黙ったままだった。どのくらいの時間黙っていたかはよく分からないが、私が上の発言を後悔し始めるには充分な時間だった。


 しかし、その判断は早計であった。


 白岡の澄んだ声が響く。


「うん、そうさせてもらうわ」


 言い終えた白岡は徐に立ち上がると、私の耳元で囁いた。


「信じてた、川内君が助けてくれるって(*4)」

 全く、買い被りもいいところである。


■●■●■ ●■ ■■■●■ ■●


 動物園に行った6月の末から8月まで、この話の文脈において重要な出来事は特に発生しなかった。


 そのため、7月についての記述を省略しようかと考えたが、それではジュライ君 があまりにも不憫なので、文月ちゃん のために一つだけ話を挿入しておくこととする。


 こいつ、人にあれだけ言っておきながら全然クラスになじんでないじゃないか。


 そこで俺は、あいつへの復讐の意味を込めて一計を案じることにしたのだった。


 7月のある平日のことだ。運動系の部活をやっている人は大会が迫り精を出す一方で、そうでない生徒は夏休みまでの日数を指折り数える以外にすることがない。いずれにせよ、授業には身が入らない。


 山北と練ってきた白岡プロデュース大作戦 を実施するには絶好のチャンスだ。


「川内君、帰りましょ」


 最早定番と化した白岡からの帰宅のお誘い。だが、今日はそのまま屈することはしない。プロデューサーさんの仕事をしなければならない。


「おうそうだな。あ、一本松、一緒にどうだ?」

「え、いいのか?」


 すかさず山北も応じる。


「あ、ウチも今日あっちの方に用事があるんやった。一緒に帰ってももええ? あ、そうだ、早紀ちゃんもどう?」

「うん! ありがとう、和歌」


 賢明な読者の皆さんは随分と白々しくて大丈夫かしらと感じられるかもしれないが、シーラカンス級の天然記念物である白岡を騙すにはこれで充分であることが知られている。


 そういうわけで、私と山北は白岡を青春の道に巻き込むための一歩を踏み出したのであった。


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〈註〉

*1 クロヒョウ: クロヒョウという種類の動物がいるわけではなく、突然変異である。この動物園にいたクロヒョウのクロは2015年に死亡したらしい。ご冥福をお祈りいたします。

*2 正当防衛どころか……: 正直に言うと、この男、石川納いしかわおさむ(仮名)がこのページを見て当時を思い出して憤りを新たにし、警察に被害を訴えないかという不安でビクビクしている。考えれば考えるほど、この人何も悪くないんだよね。白岡は嫌そうな表情をしていた(ように私には見えた)けど、まだ明示的に断ったわけじゃなかったし、単に誘っているだけなんだよね。あ、違くて、当時の私の主観的な認識ではもう確度100%で暴行するっていうことが明らかだったっていうか。いや、それも違くて、当時の私は精神に異常をきたしていて、えーと、幻覚? そう、白岡が暴行されている幻覚が見えたっていうか……。石川さん、カネなら払う用意はありますんで、警察沙汰だけはどうかご勘弁ください。もし読者の中に石川さんがいらっしゃったなら、公にする前にまず私にご連絡ください。よろしくお願い致します。

*3 眼窩: 碌にSEO対策もしていないのにほとんどのトレンドワードでGoogle検索のトップに現れる実力派サイトによれば[1]「前頭骨、頬骨、篩骨、蝶形骨、涙骨、上顎骨、口蓋骨の7つの骨が壁をなし、頭蓋内腔と上眼窩裂、視神経孔、下眼窩裂という3つの穴で連絡している」らしい。

*4 助けてくれるって: 石川さん、本当にごめんなさい


〈参考〉

[1] ウィキペディア日本語版「眼窩」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%BC%E7%AA%A9

2017年5月27日閲覧

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