第3話
翌朝、花空は水月の手を引いて里の中を走っていた。
幼馴染の雪葉が帰って来たのを迎えるためだ。
実は今朝、土地をぐるりと見て回っていた水月が、里へと向かう馬を見つけたのだ。そこに乗っていたのが雪葉だった。
水月の記憶にある雪葉よりは大分大きくなっていたが、面影はそのまま残っていた。
それを見て花空が楽しみにしていた事を覚えている水月は戻って花空に知らせてやったのだ。
多少の嫉妬心はあるものの、花空はあと二日後には自分と婚姻を結ぶ。
だから別にこのくらいは良いのだと水月は自分に言い聞かせていた。
そうして、存外自分の心は狭いものだと思っては、何とも言えないむず痒いさを胸に感じていた。
「あっ水月様! 見えました! 雪葉、見えました!」
「花空、走っている間にこちらを向くと転びますよ」
飛び放そうな勢いの花空は「大丈夫です」とにこにこ笑って水月の手を引く。
それに苦笑しながら前を向いた水月の目に、長と話をしている短い黒髪の男の姿が見えた。雪葉だ。
空の上からはちらりとだけだったが、こうして人の姿で見ると、なるほど。花空の言ったように、記憶にある少年の姿よりもずっと身長も体格も大きくなっている。
人の子の成長は早い物だと水月が思っていると、ふと、その耳に言い争いのような声が届いた。
「なんだ、それ!」
怒声だ。
雪葉の怒鳴り声に、走っていた花空はびくりと肩を跳ねて足を止める。
「これ、そう怒鳴り散らすでない」
「これが怒らずにいられるか!?」
「雪葉」
「知らせを聞いて慌てて帰ってきてみりゃあ、花空が水月様と婚姻を結ぶってどういう事だよ!?」
自分達の名前が出てきて、花空と水月は目を丸くしてお互いに顔を合わせた。
「どうされました?」
そんな二人に水月は極めていつも通りに、落ち着いた声で話し掛けた。
花空と水月が近くに来ている事にも気づかなかったのだろう。
長と雪葉は驚いたように二人の方へと振り向いた。
「お、おお、これは水月様。おはようございます」
「おはようござます、長。……お久しぶりですね、雪葉。ずいぶん大きくなりました」
水月が長と雪葉にそう言うと、長は動揺しながらも頭を下げ、雪葉もしかめっ面のままだが同じように頭を下げた。
「どうも。お久しぶりです、水月様」
だが顔を上げたその目は水月を睨んでいる。
長はそんな雪葉を見て、困り果てた顔で叱った。
「これ、雪葉!」
「ゆ、雪葉、どうしたの? 何かあった?」
ピリピリと尖った空気の中で、花空はおずおずと雪葉に尋ねた。
雪葉は水月を睨みながら花空に答える。
「別に、お前が水月様と結婚するって聞いたから、ちょっとな」
「あ! そ、そうなんだよ! えへへへへへ。雪葉もだから戻って来てくれたんだよね」
「ああ」
場の雰囲気を何とかしようと花空は殊更明るく言うが変わらない。
雪葉は相変わらず水月を睨んでいるし、水月は向けられる視線をどうしようかと思っているし、長はそれを見て慌てているし。
だらだらと冷や汗が流しながら、花空は三人を交互に見ていた。
特に長とは『どうしよう』とお互いに目で訴えあっている。
「私が花空と婚姻を結ぶ事に対して、雪葉は怒っているのですか?」
ふいに黙っていた水月が雪葉にそう尋ねた。
その言葉に雪葉は片方の眉をぴくりと動かす。
「ええ、そうですね」
「何故?」
「何故も何も、あんたが強引に花空を花嫁にしようとしてるからじゃないですか」
雪葉の言葉に花空と水月は目を張った。
「雪葉!?」
「だって、そうだろう? 水月様が『欲しい』と言えば、断れる奴なんかこの里には誰もいねぇ。相手の意志を無視して決めちまえるんだよ」
雪葉の言った言葉は確かに正しい。
この土地と里を守ってくれている水月の頼みを、基本的にこの土地の住人は断らない。断れない。
もし断って機嫌を損ねてしまえば、水月はこの土地から離れてしまうかもしれない。
そんな恐怖も、この土地の住人には確かにあるのだ。
水月がそんな事はないと言っても。
だからこそ水月がこの地に残る理由となる花空との婚姻は喜ばれた。
もちろん二人の事を純粋に祝福する気持ちもある。
けれど、でも、その恐れは
水月は自分の口の中に何とも言えない苦いものが広がるのを感じて少しだけ目を細めると、それと同時に花空が一歩前に進み出た。
「違うよ、雪葉。水月様は、わたしが嫌だったら断っていいって言ってくれたんだよ」
「だからって、水月様の申し出を断る事を、里の連中が許すはずがないだろう?」
「長だって自分で決めなさいと言ってくれたもの」
「そんなの、お前が断らないって分かっていたからだろう」
花空が幾ら違うと言っても雪葉は納得しない。
どうしたら分かってくれるのかと花空がうんうん悩んでいると、
「いい加減にしないか、雪葉!」
空気が震える程に大きな声で長が怒鳴った。
花空が初めて聞く長の怒鳴り声だ。
あまりに驚きすぎて目を見開いて固まる花空の肩に軽く手を添えて、水月がその隣に並ぶ。
「――――それはあなたが花空を想っているから?」
水月はまっすぐに雪葉を見つめて問いかけた。
その声は静かだ。
雪葉は水月の言葉に目を張った後、
「…………そうだとしたら?」
悪びれた風でもなくそう答えた。
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