第2話
長の家を出た二人は、水月の住処へとやって来ていた。
水月の住処は、里の奥にある大きな木の上である。竜の姿の水月が乗っても大きいくらい、太く大きな木だ。
その上に水月は住んでいた。
「よっと、大丈夫ですか、花空」
「はい!」
人の姿で木登りは少し苦労するのか、水月は少し汗をかきながら登っていた。
逆に花空は木登りは得意のようで、ひょいひょいと身軽に登って行く。
水月はその様子を見て、小動物的な何かを思い浮かべて、くすりと笑った。
「うわあ……!」
水月の住処まで登った花空は、両手を握りしめてぐるりと見回し、感嘆の声を漏らした。
住処の真ん中には柔らかで香りの良い草がたくさん敷き詰められている。
花空は以前この草の上に飛び込んだ事があるが、羊の毛のようにふかふかとしていて気持ちが良かった。
その草の周りには長の言っていた家具が置かれている。
美しい模様が彫られた箪笥や棚が、水月の邪魔にならない程度にずらりと並んでいる。
花空は目を輝かせて水月を振り返る。
あまりに嬉しそうな花空に水月は微笑みながら頷いた。
「わあい!」
そうしてダッと駆け出すと花空は草の上に思い切り飛び込んだ。
ぼふん、と草が舞う。
そのまま花空はぐるぐると草の上を転がると、両手を広げて大きく息を吸った。
水月はゆっくりとした足取りで花空の下へと向かい、そうしてそっと腰を下ろす。
「花空が初めてここへ来てからを考えると、何だか感慨深いですね」
水月は呟いた。
花空はよいしょと体を起こすと水月の隣に膝を抱えて寄り添った。
花空が初めてここへ来たのは、それこそ小さな頃の事である。
両親をはやり病で亡くした花空を何とか元気づけようと、水月は背中に花空を乗せて空を飛び、ここへ降りたのだ。
おっかなびっくりと水月の背中を降りた幼い花空が気になったのは、やはり今こうして二人が座っている草の寝床だ。
水月がひょいと花空を両手で抱き上げると草の上に放り投げたやった。
すると花空は目を輝かせて、もう一回、もう一回とせがむのだ。
その時の事を懐かしそうに話す水月に花空は頬を染めた。
「だ、だって、楽しかったですもん……」
「おや、それなら、今もう一度やりましょうか」
「えっ!? だだだ大丈夫です、大丈夫ですよ! お、重くなって、るし……」
最後の方は花空は小さな声でもごもごと呟いた。
花空の乙女心のようなものなのだろう。
水月は意地悪そうに微笑むと立ち上がり、座る花空をひょいとその両腕で持ち上げて、横抱きにした。
「う、わ、わ!?」
「ああ、全然軽いですね」
「み、み、み、水月様!?」
「では、そーれっと!」
そうして、水月は花空を草の上に向かって軽く投げた。
ぼふっと音を立てて草が舞う。
じたばたと手を動かしていた花空は何とか顔を起こすと、拗ねたように口を尖らせた。
「水月様、不意打ちです!」
「いえいえ、先に宣言したから不意打ちでは」
「なら、今度は私がやりましょう!」
「えっ!?」
そう言って花空は水月に飛び掛かった。
それから夕焼け空の端に星が見える頃まで、わいわいと遊んだ二人は、そろそろ夕食を食べることにした。
竜である水月だが、人の姿をしている間は食事は基本的に人と同じものを食べる。
好き嫌いはあるが食べてはいけないものもないので花空は安心して料理をしていた。
水月の住処には基本的に調理器具はなかったが長が家具と一緒に運んでくれたのだろう。
だが流石に木の上で火を使う事は出来なかったので二人は下に下りていた。
今日の夕飯は芋と人参と鶏肉をミルクと小麦粉で煮たスープであり、花空の得意料理だ。
ぱちぱちと爆ぜる火を囲みながら、二人はスープの器を手に話をしながら夕食を食べていた。
「うん、美味しいです」
「良かったです!」
水月に褒められて花空は嬉しそうに微笑んだ。そうして自分もスープを口の運ぶ。
ごろごろと大き目に野菜を切っていれるのは、花空の家のやり方だった。
長い事この地にいる水月も、何度かそれを見たことがあり、それを思い出してそっと目を細める。
「そう言えば水月様、明日、雪葉が帰ってくるらしいですよ」
「雪葉ですか。ああ、大分久しぶりになりますね」
雪葉とは花空の幼馴染の男だ。
里長の孫で、今は長を継ぐ勉強も兼ねて、遠くの里に出稼ぎに出ている。
水月が里を出る最後に雪葉を見たのは今から四年ほど前の事だ。
その間も時々は顔を見せに帰って来ていたが、恐らく今回は花空と水月の結婚式があるからだろう。
「前に見た時もすごく身長伸びていたんですよ」
そう言って楽しそうに花空は話す。久しぶりに幼馴染が帰って来るのが嬉しいのだろう。
水月もその気持ちは分からないでもなかったが、何だかちょっとだけ面白くなかった。
相手が自分よりもずっと若く、自分から見れば幼いと言っても良い年齢の男だったとしても、である。
合わせて言えば、昔一度だけ花空と縁談話が出ていたのも理由の一つだ。
さすがに大人気ないので口には出さなかったが。
「…………水月様、眉間にしわを寄せてどうしました?」
ふと水月の顔を見て花空は首を傾げた。
水月は呼びかけられてはっとして、指で眉間のしわを伸ばす。
「いえ、式の流れについて考えていまして」
そう言って誤魔化すように笑う。
そうして水月は気持ちを落ち着ける為にスープに口を付けた。
じわりとした甘さが腹に広がれば、些細な嫉妬心など消え去るだろう。
花空は少し考えた後、何かに気付いたらしく、にやにやと笑った。
「もしかして焼き餅ですか!」
「ぶっ」
花空の言葉に水月は思わずむせた。
げほげほと胸を叩く水月の背中をさすりながら、花空はにへらと頬を緩ませた。
「やだもう水月様ったら、わたしは水月様一筋ですよ!」
大丈夫ですかとか心配する言葉よりも先に、どうしても顔がにやけてしまう。
水月は照れ臭さを隠しながら、少しだけ目を細めると、その緩んだ頬を両手で軽くつまんだ。
「こら」
「ふはまはいへふははい!」
「何を言っているのか分かりませんね」
そのまま、ぐにぐにと頬を引っ張ったり、戻したりを繰り返す。
そうしてしばらく遊んでいると、水月も楽しくなってきたようで、表情が緩んだ。
「花空」
「ふぁい?」
水月はそのまま花空に呼びかける。
花空は少しだけ涙目で水月を見上げた。
「良い式にしましょうね」
にこりと微笑む水月に、花空も嬉しそうに微笑んだ。
「はい!」
キラキラと輝く星空の下、ぱちぱっと燃える火は日付が変わる頃までずっと、暗闇を明るく照らしていた。
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