竜の花嫁
石動なつめ
第1話
青々とした春の空に一匹の大きな青色の竜が飛んでいる。
半透明な翼を広げ、気持ちよさそうに飛ぶ竜を見上げながら、
白色のヴェールに空の青さが透ける。
まるで空を飛ぶ竜の翼のように見えるそれが何とも美しくて、花空はその空色の目を嬉しそうに細めた。
このヴェールは花嫁がかぶるものであり、花空がかぶるものだった。
似合うかな、褒めてくれるかな。
そんな事を考えながら花空は「ふへへ」と嬉しそうに笑った。
花空は数日後に結婚式を挙げる。その相手があの空を飛ぶ竜だ。
竜の名前は
「水月様ー! できました! できましたよー!」
花空は水月に向かって出来上がったばかりのヴェールを振る。
声に気が付いた水月はその顔を下に向けた。そして花空とヴェールを見た水月は、その青色の目を優しげに細めると、花空の上でぐるりと旋回した。
花空はそれを見上げてにこにこ笑いながら、ヴェールを胸にぎゅうと抱きしめる。
そうしていると、水月がゆっくり、ゆっくりと高度を落としてくるのが見えた。
花空が立ち上がると、水月のために場所を移動する。
水月が地面に着地をすると、ぶわり、と風が吹いた。
「やあ、出来たのですね、花空」
不思議な響きのする声で水月は花空に呼びかけた。
花空はぱたぱたと嬉しそうに駆け寄ると、水月に向かって自慢げにヴェールを見せる。
「はい! 出来ました! 会心の出来ですよ!」
「ああ、空から見た時も綺麗だと思いましたが、こうして近くで見るとより綺麗ですね」
「えへへへへへへへ」
水月に褒められて花空はにへらと嬉しそうに笑った。
花空は今年で十八になるのだが、まだまだ子供っぽさは抜けていないようで、喜怒哀楽が非常に豊かだ。
嬉しければ笑うし、腹が立てば怒るし、悲しければ直ぐに泣く。
里の同年代からはからかわれる事もあるが、そんな朗らかな花空を水月は気に入っていた。
「そう言えば水月様。長が夕刻までに一緒に来て欲しいと言っていました」
「そうですか。ならば、準備をしないといけませんね」
そう言うと水月は目を閉じる。
すると、水月の体を中心にぶわりと風が巻き上がった。着地の時に受けた風邪と似ている。
花空は目に思わずぎゅうと目を閉じると、数秒もしない内に風が収まり、誰かの手が花空の肩をぽんと叩いた。
目を開いた場所にいるのは、薄い水色の髪と青色の目をした二十代くらいの青年だ。
青年は花空に向かってにこりと微笑むと、少しだけ照れたように顔をそむけた。
「……その、服を頼めますか、花空」
青年は素っ裸だった。
花空は真っ赤になって飛び上がると背中を向けて駆け出した。
「は、はい! すすすすぐにお持ちします、水月様!」
その青年は今まで目の前にいた大きな竜、水月である。
長い年月を生きた竜は他種族の姿へと変化出来る術を覚える事が出来る。その術で水月は人の姿を取った。
ただ唯一の難点は、この姿に変わると服を全く纏っていない状態になる。
それもそうだろう。もともとが竜の姿なのだ。
例えば人の姿を取るとしても、竜の姿で人の姿で使う用の服は流石に小さすぎて羽織れない。
なので素っ裸なのである。
「……さすがに毎度は恥ずかしいですね」
顔を真っ赤にして掛けて行く花空を見ながら、水月は苦笑しながら指で顔をかいた。
さて、花空が持って来た服を纏った水月は、花空と一緒に里を歩いていた。
水月の姿を見つけた里の人々は笑顔になって手を振る。
「水月様ぁー! 今度うちの芋食って下せぇー!」
「あたしが織った服も着て下さいなー!」
水月はこの辺りの土地と里を守護する竜である。司るのは雨だ。
もともと干ばつ地帯だったこの地に水月が住み付いてから、水月の力で降らした雨によって大地は潤うようになった。
大地が潤えば、やがて植物は育つようになる。
そうやって芽吹いて行く緑を水月は長い間ずっと見守っていた。
「花空ちゃん、それヴェールかい? 綺麗に出来たねぇ」
「えへへへへへ。ありがとう、松乃さん」
水月と一緒に歩いている花空も里の人々に声を掛ける。
その誰もが花空と水月の婚姻を知っており、そして祝福していた。
純粋に喜ぶ以外にも彼らが喜んでいるのはもう一つ理由がある。
それは水月がこの地に残ってくれると言う確約だ。
花空が水月と婚姻を結ぶ事で、花空がその命を全うしている間、また花空と水月の子供が生まれたならばその子が育つまでの間、水月はこの土地を離れない。
例え水月がその後もこの地を離れるつもりはないと思っていても、やはり過去の干ばつを知る者や、干ばつについて話を聞いていた者は、水月が離れて行った時、またあのような暮らしに戻るのではないかという不安を抱いていた。
人々のそういう気持ちも水月は知っている。そういう部分も含めて水月はこの地の人々が好きだった。
「水月様! 水月様!」
そんな事を考えていた水月の服を花空は引っ張った。
ふと足を止めて水月が振り返ると、そこには満面の笑顔で林檎を差し出す花空がいた。
恐らく里の誰かから貰ったのだろう。瑞々しい赤色から、ふわりと良い香りが漂ってきた。
「後で食べましょうね」
「はい!」
水月がそう言うと、花空はにこにこ笑ってヴェールと一緒に林檎を抱きしめた。
優しげに目を細めてそれを見て、水月は再び歩き出す。花空はにこにこしながらそれに続いた。
里の人々は二人を微笑ましそうに見る。
花空だけだったら声を掛けて茶化していただろうが、さすがに水月が一緒ではそうはいかない。
くすぐったいような視線をその身に受けながら二人は里の中を歩き、この里の長の住む建物へとたどり着いた。
「長ー! 来ましたー!」
コンコンと戸をノックしながら花空がそう呼びかける。
その声にこたえるようにカラカラと戸が横に開いた。
中から出てきたのはたっぷりとした白髭を生やした老人だった。
老人は水月に向かって深く頭を下げる。
「ああ、水月様、お元気そうで何よりでございます。花空、よく忘れなかったな」
「水月様の事ですから!」
「ほっほ。そうじゃなぁ、お前は昔から、水月様との約束だけは必ず守っておったなぁ」
そう言って長は花空の頭を撫でると、中へどうぞと手を開いた。
まずは水月が入り、その後に花空が続く。
長の家の中は見た目よりも広く、天窓からさらさらと光が差し込んでいた。
小さな埃が差し込む光にあたっては小さく光っている。
花空と水月は長に勧められて腰を下ろした。
「さて、それでは水月様、花空。お二人の結婚式についての事ですが」
「ええ」
「は、はい!」
長の言葉に花空はぴんと背筋を伸ばした。
その様子を見て水月は小さく微笑むと、長に視線を戻した。
「今日から三日後の昼に執り行いたいと思います。水月様のお住まいへは、すでに家具を運ばせて頂いておりますが……」
「ええ、確認しています。問題はありません」
「ありがとうございます。それでは花空の方はどうじゃ?」
「大丈夫です!」
そう言って花空はにこにこ笑いながらヴェールを見せた。
上手く仕上がったのが余程嬉しかったのだろう、花空は得意げだった。
長はそのヴェールをじっくりと見た後で「ほっほ」と髭を手で撫でて笑った。
「うむうむ、あの不器用な花空が、きちんとヴェールを編めるか心配じゃったが、良かった良かった」
「う、うぐう! わ、わたしだってちゃんと成長してますもんっ」
「ほっほっほ。そうじゃなぁ」
笑って、長は少しだけ寂しげに目を細める。
「あの小さかった花空が、ようここまで育ってくれた。これも全て水月様のおかげです」
花空は小さい頃に両親を流行り病で亡くしている。
それからずっと長が引き取って面倒を見て来たのだが、両親を失った寂しさはなかなか癒える事はなかった。
その花空をずっと見守り、励ましていたのが水月である。
時には遠くから、時には近くから、長や里の人々に内緒で背中に乗せて空を飛んだ事もあった。
もちろんその時は見つかって二人揃ってしっかりと叱られはしたが。
「いえ、私など。長や里の皆のおかげですよ」
「はい! いえ! 水月様や、長や、里の皆のおかげです!」
首を振る水月と力いっぱい頷く花空に、長は優しげに目を細めた。
そうして真面目な顔になったかと思えば、長は床に手をついて頭を下げた。
「水月様、どうかどうか、花空をよろしくお願い致します。まだまだ至らぬところがあるかとは存じますが、育ての親の欲目でも、この子は優しい子です」
その言葉がジーンと胸に響いて花空はじわりと目を潤ませる。
水月は長の言葉に背筋を伸ばすと頭を下げた。
「はい」
そうして力強くそう答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます