3
「……無防備すぎやん」
すぐ側で畳を何かが擦る音と一緒にその声が微睡みの中にある私の耳に入ってきた。そして、僅かに髪を引かれる感触がある。
さすがにずっと目を閉じたままでいるわけにもいかず、目を開けた。
目の前に、どこかで見たことのある男の人の顔が飛び込んでくる。
ちょっ、誰!?
「目、覚めたんや」
「え、えっと。とりあえずどいてもらってもいいですか?」
「ん? あぁ、かんにんかんにん」
男の人が身体を退かすと、身体を起こしてきちんと座り直した。
「初めましてやなあ。俺は小此木
「こちらこそ初めまして。佐倉圭です。よろしくお願いします」
咲夜さんと同じくらいかな? 確か、従兄弟だったはず。
でも、咲夜さんとは違って……なんだろう。笑顔が嘘くさいっていうか、顔は笑ってるけど、本心じゃなさそうっていうか。あんまり歓迎されてないのかもしれない。
まぁ、確かに、こんなひよっこが自分の家の専属医なんて心配だよね。うん、分かる。
「やけど、驚いたなぁ。お爺様、君を家に迎え入れることを許したなんて」
「え?」
樹さんは両手を畳に後ろでにつき、身体を支えながら部屋をぐるりと見渡した。
「見ての通り、客用の棟とはいえ、ほとんど使わせてへんやろ? お爺様は極度の人好かんさかい」
「なるほど」
人嫌いなら、西森先生は私をここに薦めた時、本当になんて言ったんだろう?
さっき初めて会った時、めちゃくちゃ見られてたし。
部屋に通されてすみれさんも私につかせてくれたってことは、お眼鏡にかなったって思っていいのか分からないけど、とりあえず第一関門はクリア、なのかな?
「まぁ、アイツのお気に入りなら納得やな。お爺様はアイツにはなんやかんや言うて甘い」
「え? アイツ?」
「咲夜や。……なんや、知らへんの? アイツ」
樹さんが何か言いかけた時、障子が勢いよく開け放たれた。
びっくりしてそちらを見ると、息を切らした咲夜さんが立っている。
「……そこら辺にしてもらっていいですか?」
「なんや。もう来てもうたん」
「その人には手を出さないでください。そんなに欲求不満なら家から出たらどうですか?」
「おぉーおぉー。よう言うわ。誰かさんが人多いとこ行くとすぐ気分悪うなるせいで、大勢の前に出る行事は全て俺に回してくるくせして」
「それとこれとは話が別です。早くこの部屋から出て」
「別にもう少し話しててもええやろ?」
「駄目です。貴方と一緒にいると、彼女がどんな目に遭うか分かったものじゃないので」
「なんや、それ。フリか?」
「っ! いい加減にっ!」
冷ややかな嘲りともとれる笑みを浮かべている樹さんに、頬を僅かに赤く染めた咲夜さんがくってかかる。
これまで穏やかな咲夜さんしか見ていなかったから、これには本当に驚いた。
……って、呑気に驚いてる場合じゃなくて!
「お、お二人共っ! 喧嘩はやめてください!」
咲夜さんが樹さんの襟元に伸ばしている手を引っ張り、間に入った。
やっぱり、咲夜さんも男の人だ。力強くて、なかなか引き離せない。
こんな細い腕にどこにそんな力があるっていうんだか。
筋肉の付き具合からして、食べても筋肉というか脂肪がつきにくいから痩せてるっていうのは分かるけど、女としてその体型、ものすごく羨ましいっ!
……って、これも違う!
そんな私の乱れた心の声が読まれたのか、樹さんが億劫そうに乱れた前髪を整えた。
「なーんか興醒めしたわ。ほな、圭ちゃん。またな」
「圭ちゃん!?」
さ、さすがにこの歳でちゃん付けは恥ずかしすぎるっ!
是非ともやめてもらわなきゃ……って、もういない。今度会った時に同じように言われたらその時こそ言わなきゃ。他の人に聞かれたらもう、ほんと……あー恥ずかし。
ヒラヒラと手を振って上がった熱を冷ましていると、咲夜さんと目が合った。
……あ。これ、咲夜さんにも聞かれてるやつ。
うわーっ! なし! さっきのホント無しで!
アラサーのちゃん付け呼びほど恥ずかしくなるものはないって!
でも、咲夜さんが気にかけたのはそこじゃなかったみたいだった。
「ここにいる間はもっと緊張感を持ってください」
「は、はい。その、ごめんなさい」
「それは何に対して謝ってるんです?」
「えっと……」
あ、あれ? 怒って、らっしゃいます?
眉は顰められ、いつもより少し早口になっている気がする。
何に対して謝っているか聞かれ、すぐに答えられず答えを出しあぐねていると、咲夜さんがハッとした顔つきになったかと思えば、そのまま横を向いてしまった。
「……すみません。貴女に八つ当たりしても仕方ないのに」
「いえ」
八つ当たりされてたのか、私。別にそれは構わないんだけど。
暴力を受けたわけでもないし。
「でも、本当にこの家の人間には、特にさっきの樹には注意してください。必要最低限以外は誰とも話さない方がいいです。でないと、貴女にとって辛い場所になってしまう」
「それは……でも……」
「大丈夫です。話し相手が欲しいなら、私がいつでもお相手しますから」
「いや、さすがにそれは……ご迷惑だろうし」
「迷惑だなんてそんな。私が好きですることですから」
「……」
いやーいくら好きでするからとは言っても、私だってこの家の人達との交流っていうのも必要だと思うんだよね。だって、信頼関係築けてなきゃ、何かあった時に情報もらえなくて必要な判断出せないし。そりゃあ、出すような状況にならないことが一番なんだけど。
エヘヘと笑って誤魔化す私を咲夜さんもそれに負けず劣らずの笑みで返してくる。若干圧力がある気がするのは私の気のせいだと思いたい。
「そうだ。もう少しで夕食ができるみたいです。棟ごとに食事の時間が分かれているのですが、さすがにお一人で食べるのも味気ないでしょう? 私もこちらでご一緒してもいいですか?」
「えっ? それなら、私が垣内さん達と一緒にいただけないか聞いてみるので大丈夫ですよ」
「……実は。僕、たくさんの人達と一緒にとる食事というものがどうしても苦手で。だから、母屋でも一人で食事を摂ってるんです。圭さんがどなたかと一緒に食べられるというのであれば、残念ですが、今日も一人で食べますね。あ、でも、今日、苦手なものがあったから残すかも」
そういえば、東京の家でも人参やら椎茸やら端に避けて残そうとしてたっけ。
垣内さんと私から言われて渋々食べてたけど。
この調子じゃ、また残しかねないなぁ。ただでさえ細いのに、これ以上食を細くしちゃダメだ。
なにより、せっかく作ってもらってるのに、最後まで全部食べないっていうのが作ってくれた人に対して申し訳ないって。
「……その、そういうことなら。一緒に食べましょう」
「本当ですか? ありがとうございます」
咲夜さんは名前の通り、花が咲いたような笑顔で喜びを示してきた。
まるで子供のようにはしゃぐ咲夜さんを見ていると、小児科で会った子供達を思い出すなぁ。
あの子達も自分の病気のことなんて全く気にもせず、病気ながらも元気に最近の出来事で自分が嬉しかったこと、楽しかったことを話してくる。それを聞くたびに、自分にできることならなんでもしてあげようと診察に力が入ったものだ。
その時と同じ感じが、目の前の咲夜さんに対して湧いてくる。
見た目が儚い感じがするから子供達みたいに庇護欲が湧くのかなぁ?
「じゃあ、僕はもう一つ仕事を片付けてきますね」
「あ、はい」
「また夕食の時になったらここに来ます。やっぱり皆と食事を摂ることにしたなんて言わないでくださいね?」
「そんなこと、言うわけないじゃないですか! ちゃんとここで頂きますから。その代わり、絶対に全部ちゃんと食べてくださいね!?」
「……ハハッ。はーい」
樹さんと話していた時の固い表情はもうすっかり和らいでいる。
気分も持ち直したのか、その証拠に軽快な足取りで母屋の方へ戻って行った。
……うーん。あの様子からして、私が家にいる時は必ず一緒にって誘ってきそうだな。
雇い主の家族と食事。……うーん。嫌なわけじゃないけど、なんだかなぁ。
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