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玄関で掃除をしていた家人の方に案内をしてもらい、私達が通されたのは縁側を挟んで庭に面した奥座敷だった。
「こちらでお待ちください」
「ありがとうございます」
準備してもらった座布団の上に腰を下ろすと、案内してくれた人は障子をスーッと閉めていった。
部屋の中ではシンと静寂の世界が広がっている。
カコンと鹿おどしの音が鳴り、一瞬だけ静寂が途切れる。
今さらだけど、日本に帰ってきたんだなぁ。
「待たせたな」
「いえ」
案内してくれた人が出て行ってから五分ほど待っていると、一人の和服に身を包んだご老人がこの部屋に入ってきた。
……あ。確かにちょっと怖そうな感じ。東京の方の家であらかじめ写真を見せてもらっていて良かったかも。
この人がご当主で、咲夜さんのお爺様、咲人さま。白い顎ヒゲを立派に蓄え、厳格そうな顔立ちをしている。
これは毎回会うたびに緊張しそうだなぁ。
咲人さまが私達の正面の座椅子に腰を下ろすまでの間、咲夜さんが頭を下げるのに合わせ、私もそれに続いた。
「お前が例の医者か」
「初めまして。佐倉圭と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
頭を深々と下げている間、ジッと値踏みされているような視線を感じた。
「顔を上げなさい」
「は、はい」
言われたとおりに顔を上げると、またしばらくの間ジッと見つめられた。
「西森が言っておったが、イギリスで研修してきたそうだな」
「はい。交換臨床研修医として二年ほど行かせていただきました」
「圭さんは帰国して早々僕のことを救ってくれたんですよ。空港で喘息の発作が起きたんです。そこに丁度圭さんがいらして」
「ふむ。……祖父として礼を言っておこう」
え? え、ちょっと待って! いや、待ってって!
今度はこちらが頭を下げられる番になってしまった。
「当然のことをしたまでですから」
姿勢よく下げられる頭にこちらが逆に恐縮してしまう。
なんとか頭を上げてもらうまで、ものすごく居心地が悪かった。
「雇用関係の契約なんかは明日弁護士を呼んである。今日はとりあえずゆっくりするといい」
「分かりました。お気遣いありがとうございます」
「いや。咲夜、お前は残れ。部屋へは別の者に案内させよう」
咲人さまが両手を二度打ち鳴らすと、縁側の向こうから歩いてくる人影が障子に映った。
お呼びでしょうか、と開いた障子から顔を覗かせたのは優しそうなお婆さんだった。
……んん?
どこかで見たことがあるような……いや、気のせいだと思うけど。京都に知り合いなんていないし。
「聞いていると思うが、例の女医だ。今日は部屋に案内して休ませてやってくれ。あと、丁度いい。お前を彼女付きにする。あと一人、若いのを用聞きとしてつけてやれ」
「承知いたしました。さぁ、佐倉先生、こちらへどうぞ」
「あ、はい。咲人さま、これからどうぞよろしくお願いいたします」
頭を最後にもう一度咲人さまに下げた。
ヒラヒラと手を振る咲夜さんにも軽く会釈して、待ってくれているお婆さんの元に向かった。
「では、こちらです」
「はい。ありがとうございます」
前を歩くお婆さんについて縁側を歩いた。
「海外での生活はどうでしたか?」
「とても有意義に過ごさせてもらえました。友人もたくさんできて毎日がとても楽しかったです」
「そうですか。それはなによりでした。……こちらのお部屋になります」
母屋から渡り廊下で繋げられた別棟の一室の前でお婆さんは立ち止まった。
太陽の光が部屋をうまく照らしていて、見ていてとても気持ちがいい。窓部分の障子を開けると、先程見えていた庭がより近くで眺められた。
「簡単に説明すると、庭を挟んであちらに見える棟が私のような住み込みでの使用人が暮らす棟で、こちらはお客様や外からお招きした先生のような雇用関係にある方の棟になります」
「す、すごいですね。外から見た時も驚きましたけど……ここまでとは」
「ふふふっ。今は先生しかおられませんし、女性ですから物も多いだろうとこの部屋と隣の部屋を使うようにと旦那様から事前に言付かっております。お荷物もすでに隣にお運びしてありますので」
「ありがとうございます。えっと……」
「あら、ご挨拶もできておりませんでしたね。垣内すみれと申します。どうぞよろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしくお願いします。佐倉圭です。精一杯頑張りますので、体調悪くなった時とか、遠慮せずにおっしゃってくださいね?」
「えぇ。ありがとうございます」
ニコニコと笑みをこぼす垣内さん。
垣内……あっ。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが、東京の別宅にいらっしゃった垣内さんとは」
「フフッ。五つ違いの兄でございます」
「お兄さん! やっぱり! どこかでお会いしたことあるような、って思ったんです」
「兄と私はよく似ていると言われるんですよ」
口元を隠し、上品に笑う垣内さん。
うーん。心の中ではすみれさんと勝手に呼ばせてもらおう。垣内さん二人いるし。
すみれさんは名前の通り小さくて持っている雰囲気がとっても可愛い。ほんの少しの間話していただけだけど、もうすっかり大好きになってしまった。私がおばあちゃんっ子だったっていうのもあるかもしれない。
「後で先生と同じくらいの歳の女の子を連れてきますね? きっと話が合うんじゃないかしら」
「なにからなにまですみません」
「いえ。咲夜坊ちゃんのご友人をお世話することができて、私も嬉しいんですよ」
「ご、友人……」
そういえば、すみれさんじゃない垣内さんの前で友人発言してたっけ、咲夜さんてば。
もー駄々洩れじゃないですか。兄妹仲良すぎです。
「咲夜坊ちゃんはあの見目で、将来この家を継ぐことが決まっておいででしょう? ですから、色々な方と交流されております。中にはあまりよろしくない方とも。先生、こんなことをお願いするのは間違っているかもしれませんが、咲夜坊ちゃんのこと、どうぞよろしくお願いいたしますね」
「えっと……私なんかで良ければ、頑張ります」
「先生が良いのですよ」
垣内さんもだったけど、すみれさんも咲夜さんのことが本当に大切なんだって分かる。こんなに大事にされて、羨ましいなぁ。
「それでは、私は一度母屋に戻って仕事を片付けてからその子を連れてきますね。何か他にお聞きになっておきたいことはありますか?」
「いえ、大丈夫です」
「では、また後程」
すみれさんはニコリと笑って一度お辞儀をした後、母屋の方へ戻って行った。
さて、と。私は荷ほどきでもしようかな。
箪笥とかすでにおいてあるけど、なんでも自由に使っていいってすみれさん言ってたし。とりあえずは使わせてもらって、徐々に足りないものを揃えていければいいや。
それから一時間。
すみれさんという癒しになんとか緊張をほぐしてもらえ、順調に荷ほどきを終えた私はポカポカと温かい日差しについ畳の上にそのまま横になってしまった。
畳の良い匂い。気持ちいいー。
んー……ちょっとだけ、目つぶって……休憩。
休憩なのだから、この時はたんに数分のつもりだったのだ。
でも、春先の陽気には逆らえなかったらしい。私はずるずると眠気の渦に巻き込まれていき、戻れないところまで飲み込まれてしまっていた。
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