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咲夜さんの案内の元、あらかた部屋を周り、だいたいの配置は覚えた。
もともと覚えることに抵抗はないし、得意な方だから全く苦にならない。
でも、もし苦手だったら……この部屋数は到底覚えることはできなかったかもしれない。
家の中だというのに迷子になれそうなくらいの量に、なんでこんなに必要なのかとつい思ってしまった。
「こちらがこれからこの屋敷に滞在する間の佐倉さんの部屋になります」
「ここが……」
部屋の障子を開けて中を覗いてみた。
手入れの行き届いた畳に、文机と座椅子、中央に少し大きめの机が置かれている。
部屋の隅には取っ手の部分に華の意匠をこらされた桐
入口とは逆側の窓を開けてみると、先程の池のあった庭園へと繋がっている。
……あれ?
なんだか急にどこかで見たような感覚を覚えた。
この角度から見た景色を他でもどこかで……。
もっとよく思い出そうと
「どうかしましたか?」
「あ、いえ……なんでもないです」
気のせい、だよね?
どこか雰囲気の似た料亭の写真でも見たんだろう。
私は自分で自分をそう納得させた。
垣内さんが座敷にお茶を用意してくれているとのことなので、私も荷物の確認は後にして咲夜さんの後に続いた。
「咲夜様、佐倉先生。お待ちしておりましたぞ。さぁ、席について垣内特製の茶菓子を召し上がれ」
「えっ!? そのお菓子、垣内さんが作られたんですか!?」
机の上にあるのはどう見ても売り物としてお店に並べられているものに
伝統的な和菓子、上生菓子というのだろうか、その菓子は全て花を形どられていた。
とても技巧のいるモノだということくらいは門外漢でもさすがに分かる。
「えぇ。下手の横好きというやつですな。練習していくうちに咲夜様達に出しても問題ないくらいになりましたわ」
「これ、全っ然下手なんかじゃないですよ。むしろ器用すぎます」
「ほっほっほ。爺を褒めても何も出やしませんぞ」
「もう十分なもの出されてるじゃないですか!」
私が垣内さんが作ってくれたお菓子を褒めちぎっていると、横で何やらもそもそっと動いた。
見ると、咲夜さんが床の間の前で
さらに顔を伸ばして見てみると、床の間に飾られた生け花の角度を色々と変えていた。
「咲夜さん?」
「……もう二人だけの話は終わりましたか?」
「え? そんなつもりじゃなかったんですけど……すみません」
でも、確かに二人で盛り上がっちゃってたしなぁ。
一人除け者にされたみたいで面白くないよね。
悪いことしちゃったかも。
「ほっ。咲夜様もやはりまだまだ若いですなぁ」
垣内さんが私達のやり取りを聞いて、ニコニコと笑いながらお茶をすすっている。
そういえば咲夜さんって何歳なんだろう?
実際若く見えるけど……。
たぶん、私よりも五個くらい下っぽいよなぁ。
「……垣内さん、うるさいよ」
「ほっほっほっ」
垣内さんは咲夜さんの恨みがましい視線をものともせず、好々爺然とした笑みでもって返した。
それには咲夜さんも毒気を抜かれたようで、肩をすくめて溜息をついただけだった。
「さぁさぁ。お茶が冷めてしまう前にお飲みくだされ」
「いただきます」
ほのかに鼻をくすぐる日本茶の匂い。
口をつけると、まろやかな甘味がふわりと広がった。
「……美味しい」
なんだかよく分からないけど、ホッとする。
そんな味だった。
「そういえば、咲夜様は小此木家のお話はされたのですかな?」
「まだしてないよ。これからしようと思ってたんだ」
「そうですか。それでは
そう言って垣内さんは
二人っきりになった座敷は静寂に包まれ、なんとなく居心地が悪い。
垣内さん、早く戻ってきてくれないかなぁ?
それから間もなくして垣内さんは戻ってきた。
「お待たせしました」
垣内さんは手に巻物と一冊の本を持っている。
その巻物を机の上に広げると、それは小此木家らしき家系の家系図だった。
「お察しの通り、これは小此木家の家系図になります。そして、今ご存命の世代がこちら」
家系図の一番下の方、下から四世代分がそれに当たるらしい。
咲夜さんの名前も下から二番目の世代の所に名前があった。
それからもう一つの本の方は家族写真のアルバムだった。
年に一回、家族で集合写真を撮るらしく、その写真が一番最初に貼ってあった。
「小此木家は華道の
「そ、そんな上の方だとは露知らず……すみませんでした!」
次期当主にわざわざ空港まで迎えに来させるなんて……西森先生、どうして止めてくれなかったんですか!
恨みますよ、ほんとに!
……あの先生のことだから、面白そうだったからと切り返されるに決まってそうだけど。
「顔を上げてください。華道家元なんて、別に偉くもなんともありません。それよりも、難しい医師試験に合格された佐倉さんの方がずっと偉いですよ」
「いや、それは……雇い主だし……」
「では、こうしませんか?」
「え?」
ニコリと笑う咲夜さんの顔が、若干黒さを帯びたような……気がする。
「そんなに雇い主とかそういう関係が気になるようでしたら、私も佐倉さんのことを圭さんとお呼びします」
「はぁ」
「ですから、私とあなたはまずは友人同士ということで」
「……え?」
咲夜さんの提案は私の想像の遥か彼方を行っていた。
それを理解するのに、一瞬、いや十秒くらいはかかってしまった。
咲夜さんが私のことを名前で呼ぶのはいい。
私だって名前で呼ぶことになっているし。
でも、それがどうしたら友人同士に繋がるのかさっぱり分からない。
「嫌ですか? 私のことは嫌い?」
「うっ! そ、んな聞き方は……ズルい」
首を僅かに傾け、潤んだ瞳で見つめてくる咲夜さん。
自分の美貌が相手に対してどう作用するのか分かっているのか分かっていないのか、問答無用で使ってきた。
嫌というよりも無理!
そうスパッと言い切ってしまえたらいいのに、今の表情を見せられるとなかなか言えなくなってしまう。
背は私より高いけど小動物のような咲夜さんに、私は保護欲を駆り立てられるようだ。
空港で図らずもすでに一度、助けを求められるような状況にあったことも影響しているかもしれない。
「友人がほとんどいない私を、圭さんは友人と見てくれないのですね」
「分かりました! 分かりましたから! ただし! ご家族の前ではちゃんと雇用者、被雇用者の関係ですからね?」
「……まぁ、とりあえずはいいでしょう」
満足そうに笑う咲夜さんとは対照的に、私はドッと疲れが押し寄せてきた。
決してこれは長旅の疲れだけなんかじゃない。
むしろ、着いてからの方が疲れたような気がする。
「おっほん! よろしいですかな?」
「あ、はい! すみません……」
話の腰を折っちゃって、本当に申し訳ないです。
垣内さんは気を取り直したように咳払いをもう一度して、アルバムから一枚の写真を抜き取った。
「こちらが現当主であり、家元の小此木
「……分かりました。とりあえず、この方々の顔と名前は覚えました。後はご当主様達の伴侶の方々のお名前を教えていただければ」
「さすがですな。一気に覚えるのは難しいかと思うておりましたが、いやはやさすがはお医者様です」
「いえ、人の顔と名前を覚えるのは昔から得意で」
「へぇー? すごいですね。私なんか、一部の人以外は名前と顔なんてすぐ忘れちゃうのに」
「私もずっと覚えているわけじゃないんですよ? 長い付き合いのある人だったり、大切な人とかはまた別ですけど」
「へぇ。大切な人、ね」
どうしたんだろう?
やけに咲弥さんが言葉に含みを持たせてくる。
それの答えは結局分からず、私は言いようのない覚えを胸の内に残すことになった。
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