第1章

再会は偶然か必然か

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 国際線ターミナルの入国ゲートは、旅行や出張など海外からの人達でごった返している。


 手荷物検査と税関を通り、国際線到着ロビーへと買ったばかりのハイヒールの靴音を響かせながら進んだ。


 すると当然だけど、目にするもの、耳にするものの多くが日本語。


 医師国家試験に合格して、そのまま通っていた大学付属病院に研修医として勤めて研修期間が終了した後すぐに今度は交換臨床研修医としてイギリスに渡航して丸々二年の間帰国していなかったからなんだか新鮮味を帯びている。


 バッグの中からスマホを取り出し、とある連絡先を探しあて、トンと画面をタッチした。



『はい』

「西森先生ですか?佐倉です」

『おー! 圭くん、着いたか。悪いな、今日は迎えにいけなくて。急にこの後会合が入ってしまってなぁ』

「いえ、大丈夫ですよ。それよりも、この間の話ですが」

『うんうん、実はな、君がこれから専属医になる家の息子さんが迎えにいってくれているそうだ』

「えっ? ちょっ、話が……ここに、ですか?」

『まぁ、君の送別会の時の写真は渡してあるから大丈夫だろう。……すぐ行く! じゃあ、また何かあったら連絡してくれ』

「ちょっと待って、先生! まだちゃんと引き受けたわけじゃ……切れた」



 電話の向こうで呼ばれたらしい西森先生は私の静止を聞くことなく電話をきってしまった。


 そういえば、昔から人の話を聞かないって有名だったっけ。


 仕方なしにスマホをポケットに戻し、辺りを見渡してみる。


 相手は分かっても、私は分からないし……弱ったなぁ。


 とりあえず邪魔にならない所に避けていよう。


 最小限に留めた荷物が入ったキャリーバッグを引き、比較的空いているコーナーへと足を向けた。


 ……よし。


 後はその息子って人が見つけてくれるのを待つだけなんだけど、大丈夫かなぁ?


 本音を言えばこのまま新幹線に乗って実家に帰ってしばらく羽休めしたいところなんだけど。


 ……あそこのコンビニでなにかお菓子でも買ってこようかな。


 壁にもたれていた身体を起こし、肩からずり落ちかけていたバッグを持ち直した時、なにやら向こう側がにわかにざわめきだした。


 あー成田おなじみの有名人とかが帰国したとか?


 でも、最近の有名人は分からないしなぁ。


 今、私が見つけたいのはよく知らない息子さんとやらで、有名人じゃないし。


 そうは思っても、やはり自分が知っている有名人だったらちょっと嬉しい。


 コンビニに入る前に、ほんの少しだけそちらの方を見てみた。


 見るからに仕立てが良い和服姿の人の良さげな青年が、たくさんの外国人観光客に囲まれている。


 なるほどね。


 確かに生で初めて見ると、日本に旅行に来た外国人としては写真とか撮りたがるかも。


 実際、向こうで参加したイギリス人の友人の結婚パーティーなどは着物で出席してほしいと頼まれたこともある。


 その後しばらくの間、休日のたびに和服を着てみたいと友人達がアパートメントに殺到したほど魅力的に映るものらしい。


 騒ぎの原因が分かって、開いた自動ドアを通って中に入ろうとした時、今度は誰かの悲鳴が聞こえてきた。


 先程と同じ方角、あの和服青年と外国人観光客達の姿があった方からだ。



〈誰か彼を助けて!〉



 女性の英語での悲鳴がロビーに響き渡った。


 助けてって……急病人!?


 職業柄かすぐに身体が反応し、人混みへ駆け寄った。



「すいません! 私、医者です! 急病人ですか?」

「あぁ、良かった! この方です!」



 ついさっきまで空港の案内カウンターに座っていた女性が指す方を見ると、うずくまっていたのはあの和服を着た青年だった。


 顔色は青白く、呼吸をするたびにヒューヒューと息を鳴らしている。



「すぐに救急車を」

「はい!」

「……荷物、触りますよ? 喘息患者ならどこかしらに……あった!」



 青年が持っていた巾着袋の中に財布、携帯と一緒に入っていた小さな細長い容器。


 正直、これがないとどうしようかと思うところだったけど、あって良かった。



「吸入薬です。いつも吸ってると思いますが、吸えますか?」

「……」



 青年は目を瞑ったままコクコクと頷いた。


 少しでも吸いやすいように青年の身体を寄りかからせ、吸入薬のボンベを振る。


 そのまま青年の口元に持っていき、ボンベの底を押した。


 シュッと音がして、クスリが噴射されたことが分かる。


 それから一分後、もう一回ボンベの底を押し、青年の様子をうかがった。


 しばらくすると、息をする時音が鳴る喘鳴も一時よりは収まってきて、とりあえずは安定している。


 青年の手をとり、脈も診てみた。


 ……まだ早いけど、ステロイドは必要ないかな。


 後は念のため救急車で運ばれた先の病院できちんと診察してもらえれば。



「本当ならうがいをして欲しいところなんですけど……ちょっと待っててください」



 近くの自販機から水を買って、青年の元に戻った。


 キャップを開けて青年に渡し、後ろから様子を窺っていた空港係員に紙とペンを持ってきてもらうようお願いした。



「ゆっくりでいいので、口をゆすぐようにしてから呑み込んでください」

「……ありがとう、ございました」

「いいえ」



 か細いながらも声を出せるならもう大丈夫だね。


 まさか空港内で診療行為するなんて……ドラマじゃ見かけるけど、実際にするなんて思いもよらなかった。



「誰かお連れの方は?」

「運転手が外に。黒のベンツです」

「ベンツ……」



 高級車だってことは分かるけど、実際どれがベンツかと言われると全く当てる自信はない。


 案内カウンターの女性から連絡を受けたのか、制服を着た男性係員が走ってこちらにやって来たので、そっちは任せることにした。


 紙とペンを受け取り、これから病院で診察を受ける時に必要な情報を書き込んでいく。


 発作が起きた大体の時間、吸入薬の回数、処置後の処理、後は搬送先の医師が他にも確認したいことがあった時用に私の名前と連絡先を書いておいた。


 救急車が到着したという知らせを受け、私はようやく肩の荷が降りるのを感じた。


 医師であろうとなかろうと、急な出来事は緊張感が増す。


 それが人の命を預かるならなおさらだ。



「それでは、私はここで。お大事に」



 軽くお辞儀してその場を去ろうとした私の腕を、青年がスッと両手で絡めとった。


 海外で暮らしていたとはいえ私は日本人、さすがにいきなりの接触に驚きを隠せなかった。



「待って。佐倉圭さん」



 青年に渡したメモに名前を書いたから、別に私の名前を知っていても不思議じゃない。


 お礼なら先程聞いたし、他に何もないはず。


 それになにより、私もこれからどこぞの息子さんとやらを探さなければいけないという何とも難しい問題が残っている。



「あの、何か?」

「貴女を迎えに来たんです。一緒に来て」

「……えっ!?」



 青年は驚く私を見て僅かに口元をほころばせ、いつの間にか後ろに控えていたスーツ姿の男の人の方を向いた。



「彼女と病院に行ってくるから、荷物は任せるよ」

「承知いたしました。佐倉様、お荷物をこちらへ」

「あ、でも……」

「西森先生からの紹介なのに、断ってしまうのですか?」



 西森先生のことを知っているなら、この人で間違いないんだ。



「……あー……分かりました。すみません。荷物、お願いします」

「お預かりいたします」



 丁寧に一礼した男の人は、私の荷物を持って出口の自動ドアの向こうへ消えていった。


 探し人と出会えたのはいいけど、まさかこんな出会い方とは。


 事実は小説より奇なりっていうけど、これもそうなのかなぁ。


 空港の中に入ってきた救急隊員にストレッチャーはいらないことを告げ、救急車へ彼と一緒に乗り込み、近くの病院へ搬送してもらった。


 到着した先の病院で、救急外来ではなく、容体も安定していることから呼吸器内科の外来に回された私達。


 その後、ようやく回ってきた順番の時には彼は至って平常時の体調に戻っていた。



「これなら大丈夫でしょう。お薬の残りはどれくらいありますか?」

「次回の診察時までの分はまだあります」

「なら、それをきちんと服用してくださいね」

「分かりました」

「お大事に」



 初老のおじいちゃん先生がニコリと笑みを浮かべている。


 カルテに入力していた医療秘書の女性が開けてくれたドアを出て、私達は再び待合に戻った。



「喘息の発作は結構頻繁に?」

「……えぇ。生まれつき身体が弱くて」

「あっ! 別に悪いとかじゃないですよ? ただ、ちょっと聞いておいた方がいいかなって」

「それは正式に私の家と契約してくれるから、ということでいいですね?」



 うーん。


 正直、まだ悩んでるんだけど。


 医師免許をとってまだ四年しか経っていない私に、ベテランがやるような専属医なんて大役務まるはずがない。


 西森先生がどんな思惑で私を推薦したのかも分からないし。


 それになにより、よくこの人の家もOKしたよなぁ。


 自分ならもっと有名な人に打診するけど。


 ……というか、専属医持とうとするなんてどれだけお金持ちの家系なの!?


 今さらだけど、目の前にいる人がどこぞの御曹司なんだと改めて感じた。


 でも、西森先生は医学部時代の恩師だし。


 この人も悪い人じゃなさそうだから……まぁ、頑張ってみるのもいい、かな?


 決して小此木さんが儚げさを持ち合わせた端正な顔立ちなので、毎日が眼福生活できるからとOKする……とかではない。


 面食いなのは友人のキャシーだけだ。



「……分かりました。とりあえずお引き受けいたします」

「ありがとうございます。良かった。断られたらどうしようかと」

「どうして私を?」

「……秘密、です」

「はぁ。秘密……」



 それ以上は決して話してはくれなさそうな雰囲気を出しているものだから、無理に聞き出そうとすることはやめた。



「そういえば、まだお名前ちゃんとお聞きしてなくて……ごめんなさい」

「……いえ、小此木おこのぎ咲夜さくやです。これからもよろしくお願いしますね?」

「こちらこそ、よろしくお願いします」



 せめて紹介してくれた西森先生の顔に泥を塗るようなことはしないようにしなきゃ。


 小此木家の他の方ともちゃんと親密になれるといいけど。



 すでに空港に迎えに来ていた運転手の人が迎えに来ているという知らせが入り、会計を手早く済ませ、外に出た。


 横づけした車の運転手さんにドアを開けてもらっているので、色んな方向から好奇の視線が飛んでくるのが分かる。


 それを遮るようにして素早く乗り込んだ。


 なんだか今日は本当に疲れたし、時差ボケなのか、猛烈に眠い。


 運転手さんの卓越した運転技術により揺れをほとんど感じさせない車内は、私にとって揺り籠でしかなかった。



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