⑦
あぁ。
不思議だな。
恐怖心がないと、こんなに冷静に状況を考察することができるんだ。
もし私にまだ恐怖心があったなら、全ての思考が停止し、体が膠着して、ただただ涙を流していたんだろうな。
あぁ、そうか……
そうなのか………
これが川島くんの本当の姿なのか――――
笑顔が可愛くて、誰にでもやさしい川島くんのあの姿は、世の中に溶け込むために、決して人前で脱ぐことのない頑丈な鎧ということか。
もちろん、私に見せていた姿も、全て存在しない偽りの姿。
今、目の前に広がる空間が全て真の答え。
川島くんの本来の姿。
そう。
殺人という快楽を味わうために、ターゲットの前だけで見せる姿が。
まさに、獲物の前だけで披露する、闇に支配された悪魔の造形そのものだ。
「…………」
ターゲットは私。
殺害欲を満たすための獲物が私。
そこに愛情なんか微塵もない。
なぜなら私は獲物だから。
「あぁ…………」
ポロポロ。
ポロポロ、ポロポロ。
「う……うぅ……」
ポロポロ。
ポロポロ、ポロポロ。
あぁ、ダメだ。
涙が。
涙が止まらない。
ポロポロ。
ポロポロ、ポロポロ。
そっか。
あのペットボトルのジュースも、凄く美味しいフランス料理も、可愛いハートのネックレスも、全て獲物を釣るための餌だったってことか。
ポロポロ。
ポロポロ、ポロポロ。
私が宝箱に大事に大事にしまった思い出は、全てが偽物だったのか。
ポロポロ。
ポロポロ、ポロポロ。
そっか……
そっか、そっか……
ポロポロ――
ポロポロ、ポロポロ――
今の状況を熟考し、そんなことを考えていたからか、私の目から大粒の涙が自然と、どんどん、どんどん溢れてきた。
「いいねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
ただただ涙を流す私の姿を見た殺人鬼は、再び感情を高ぶらせ、甲高い声を張り上げた。
「恐怖で流れ落ちる涙ぁぁぁぁぁぁ! 最高だねぇぇぇぇぇぇ!!」
アァァァァァァァァハッハッハッッッッァァァァ!!!!――――
快楽に溺れる叫びだけが、この車内の閉鎖された空間に響き渡る。
ポロポロ。
ポロポロ、ポロポロ。
彼が高笑いを繰り返す間も、私の涙はダムが決壊したかのごとく、とどまることなく溢れてくる。
「…………」
でも、違う。
この涙は、違うの。
違うの!!――――
「違うの……」
「はぁ??」
思わずポロっと出た私の言葉に、男は首を傾げた。
「何が違うのぉぉぉ~? もう恐くて恐くて、どうしていいか分からないって感じだけどぉぉぉぉぉぉ~?」
「違うの……」
私は言った。
「恐くて泣いてるんじゃない……私には恐怖心なんかないの……この涙は……」
悲しみ――――
「好きで好きでたまらなく好きな人だったのに……こんな……こんなことって……」
……って。
ポロポロ。
…………
ポロポロ。
ポロポロ、ポロポロ。
ポロポロ――――
涙が溢れすぎたからだろうか。
それから先は、言葉がつまって何も言えなくなってしまった。
止まらない。
私の涙は、もう制御機能が破壊されている。
止まらない。
止まらない。
ポロポロ。
ポロポロ、ポロポロ。
自分の、男を見る目のなさ。
こんな奴を2年も好きだったのかという、果てしない絶望感。
悔しくて情けなくて、次から次へとさらに涙が溢れてくる。
ポロポロ。
ポロポロ、ポロポロ。
あぁ、ダメだ……
なんで私はこんな男を……
なんで……
なんで…………
「…………」
なんで――――
不思議な感覚だった。
途中から、流す涙の量に比例して、徐々に心の奥底から怒りがわき上がってきた。
腹が立つ。
自分にだけでなく、この男にも腹が立つ。
怒りが、怒りがおさまらない。
腹が立つ――――
「アァァァァハッハッハッッッッァァァァ!!!!」
私の複雑な感情などお構い無し。
変わらず甲高い声を張り上げる男は、期が熟したようにグッとサバイバルナイフを握りしめ、私に照準を定めた。
「さあぁぁぁぁぁぁ! 殺らしてもらうよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
!?
グサッッッッ!!!!――――
考える隙もない、まさに一瞬の出来事。
鈍い音と共に、ナイフは左の首筋に突き刺さった。
「うぅ……うぁ…………」
しかし、それは私ではない――――
目の前の殺人鬼だ。
そう。
私の頭の横には、先ほど、シートに突き刺さったままの小型ナイフがある。
私はそのナイフを手に取り、男の首筋におもいっきり突き刺した。
ゴリッと骨に当たる感触があったがよく覚えていない。
「なんで……」
私は唇を噛み締め、小さな声で呟いた。
「なんで……なんで、こんな男を……私は好きに……なんで……なんで……」
なんで!――――
「なんでぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
グサッッッッ!
グサッッ、グサッッッッ!!
怒りに任せて、瀕死になっていた男を何度も何度も突き刺した。
動かない。
男はもう動かない。
「うあぁぁぁぁぁぁ!!」
だが、私は止めない。
ナイフを降り下ろすのを止めない。
ナイフを一回刺すたびに、私の怒りが一つ消えていく。
消えていく。
消えていく。
そんな感覚が私の中に芽生えていく。
だから、降り下ろす。
何度も何度も降り下ろす。
「うあぁぁぁぁぁぁ!!」
グサッッ!
グサッッ、グサッッッッ!!
「うあぁぁぁぁぁぁ!!」
あぁ。
あぁ、不思議だ。
恐怖心がないからかな。
なんていうか、その……
人に殺される恐さもなければ
人を殺す恐さも全くない
「あぁ、よかった……」
なんだろう。
何回も刺したからかな。
すっごいすっきりしたかも。
目の前で血まみれになり息が途絶えている男を眺めながら、私は胸のつかえがスーッと取れていく心地よさを感じた。
――だが。
「あっ……」
それと同時に、ハッと我に帰る瞬間が訪れた。
まずい。
まずい、まずい。
私は、返り血を浴びて真っ赤に染まるワンピースを見ながら、少し焦りを感じ始めた。
どうしよう。
どうしよう。
早くなんとかしなきゃ。
早く処理しなきゃ――――
だって、
だって、だって、
このワンピース、超お気に入りなのに――――
「まいったな……」
帰ったら、すぐにクリーニングに出さなきゃ。
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