第7話 魔獣ケルベロス戦 3
血が滴る指は、静かに熱される鉄の様に
空中に浮く俺の体はゆっくりと、ゆっくりと落下をしている。
極限高熱ブレスは俺の目の前まで来ていた。1メートルはもう切っている。
体が焼けるように痛い。今にも体が焦げそうだ。
もう血がどれくらいまで落下しているかは確認できない。ケルベロスが血に反応するかしないかはもう運だ。
人差し指の切り口に熱が入り、指の中から痛みが生じている。
ここまで死ぬかもしれないと思ったことはない。
じりじりと痛みに食われていく中、その時はきた。
目の前50センチ。上空20メートル。ケルベロスとの距離約10メートル。
血―――届いた。
ケルベロスは、ブレスに発射をやめ、血に反応した。
俺は死の危機を脱し、そのまま着地の構えを取る。
安心だと思ったその時―――あることは起きた。
覚醒。
覚醒してしまった。
魔獣はある条件をこなすと覚醒する。
覚醒というより、能力解放と言った方がいいだろう。
呪縛から解放された。結界を破ったんだ。
ケルベロスという人間を超えた最強の生き物が、また何かを超えてしまったんだ。
魔獣のもっと上を行く、最強のもっと上を行く何かに。
俺はすんなり着地すると、聞き覚えのない奇声が聞こえてくる。
「グォォォォォォォォォォォォォォォォォォ――――――――――ッ」
ケルベロスの咆哮だ。
さっきも聞いたはずなのに、先ほどとは比べ物にならない気迫、禍々しさ、全てを超越した咆哮だった。
その方向に腰が抜ける。立っていられない。恐怖とは言えない、この世のものとは思えないものを覚えてしまった気がする。
立てない。手にも足にも力が入らない。
ゆっくりと後ろに振り返ろうとしているケルベロスの姿を、じっと見つめているしかなかった。
そんな自分を恥じる。こんな情けない自分を見たのは久しぶりかもしれない。
森ではいつも強かった。だからいろんな魔物たちと友達になれた。
ここで友達が簡単にできなかった理由は、皆とレベルが違い過ぎるから。俺が上なんじゃない。俺が下なんだ。下過ぎるから駄目だったんだ。
魔物は人間の言葉をしゃべれない。人間はもちろんのこと喋れる。俺は人間語は慣れていない。
でも俺は魔物の言葉が喋れる。
スライム、ゴブリン、オーク、オーガ、リザードマン。
エルフやドワーフは、自分たちの言葉を持っているが、人間語も喋れる。俺もエルフ語、ドワーフ語をしゃべれる。
グレムリン、インプなどの悪魔の言葉は共通語とされている。俺も悪魔語は喋れる。友達に、めっちゃ優しい悪魔がいた。確か名前は―――アスモデウスって言ったかな。
セイレーン、巨人、ハーピー、マーメイドとかは、人間語を主に使っている。
吸血鬼は知らん。
森には結構友達がいて、サイクロプスとかデルピュネーとか、ドライアドとか、ケット・シーとか、ピクシーとか言ったらいっぱい出て来る。
でもそれは、見かけだけだったのかもしれない。
俺が子供だったから。最弱の一族、人間だから。そんなところかもしれない。
だから俺は――――
『ダメ――』
何処からか声が聞こえてくる。
トーンは高くて、透き通った声。
心に語り掛けてくる様な―――
(お前か)
『お前じゃなくて、カルネージャ・グワール。気軽にカルネと呼んでもいいぜ』
(あっそ)
『冷たいなぁ~。それよりも、友達がいなくても、君を好きでいてくれてる人はいっぱいいるよぉ~?』
(そんなの―――)
『じゃあなぁ~。』
(オイ――――ッ)
『…………………』
聞こえなくなった。
今の言葉の意味はなんだったのだろう。
心にぽっかりと空いた穴は、誰も埋めてくれない。友達という、まだ理解しきれていない言葉のせいで、ぽっかりと穴が開いてしまった。
ケルベロスはゆっくりとこちらに振り返る。
俺は目を合わせる勇気がなく、うつむいてしまった。
どんどん拳に力が入ってこなくなる。力は、自分の思いの結晶だ。自分の願いがある限り、その思いに答えてくれる。俺はそう思っている。でも俺に思いを込められるものなど持っていない。
本当に。
英雄と呼ばれる人がすごいと思う。
そんなに思いが強かったのだろうか。努力をしたのだろうか。
思いと努力の結晶。そんなものがあったのだろうか。
ケルベロスは、何を思って戦っているのだろうか。
答えてくれ――――
「そんなに、大事なものがあるのかい?」
「グォォォォォォォォォォォォォォォォォ――――――ッ」
「あるんだね」
どんなに強い魔獣でも、大切な物がある。
生き物である限り、なくちゃ生きていけない。
友達とは何だろうか。一緒に楽しくしゃべったら友達じゃないのか?
友達とは、自然になっていくものじゃないのか?
友達とは、時間がかからないとなれないものなのか?
「教えてくれよ―――――っ!」
自然と涙がにじんでくる。
昔から泣き虫だった。身勝手だった。守られてばかりだった。自分じゃ何にもできなかった。
拳を握り締めるが、力は入らず弱々しい。
魔獣と戦ったことなんて一回二回、経験のうちにも入らねえ数だ。
ダメだ。もう死ぬ。魔獣を目の前にして負けてしまう。死んでしまう。
誰も助けに来ない。いや、助けに来てくれる人なんていない。
本当に笑いもんだよな。人の心が読めないって辛いな。心からそう思う。
俺はそこに座り込み、泣き続ける。
ケルベロスは何もしてこない。哀れんでいるのだろうか。本当に恥だ。ケルベロスに哀れんでもらっている事じゃない。俺がここでへたり込んでることだ。
全身の力が抜けて来る。物理的なものではない。気持ち的なものだ。
体力も減ってきた気がする。息が荒い。呼吸が困難になって来た。喉が痛い。これはなんだ?―――ケルベロスの仕業か。そうだ。
うつむいていた顔をちょっと上げると、そこは煙幕に包まれた空間だった。
息を吸えばむせるだろう。
ケルベロスの姿が見えない。さっきまでケルベロスがいただろう場所は、煙幕に包まれている。
涙は収まらない。煙幕のせいで目が染みて、悲しみと痛みの両方で涙が出て来る。
俺は目をつむった。痛みをなくすために。
もう勝つ気はなくなった。ここで死ぬのが本能だ。
俺は森にいるとき、何のために生きてきたのだろうか。迷惑をかけるため? 違う。
もっと大切な理由があったはずだ。なんだった。
何か記憶の中で黒く塗りつぶされたようなところがある。
そこには、何がいるんだ?
すごく小さな俺と? 誰だこれは。
今の俺よりちょっと小さい………駄目だ。顔が黒く塗り潰されている。
たぶん親に捨てられる前の出来事だろう。親の事なんて覚えていない。家族のことなんて覚えていない。
ならこれは誰だ? 本当に守りたかった人。守らなきゃいけない人。
思い出せない。これは、本当に、誰なんだ。
手掛かりは、角に翼。勇ましくて、カッコよかった人。俺を一番に心配してくれてる人。俺が大好きだった人。君のためなら死ねると俺が言った人。家に帰ったら、優しく、「お帰り」と言ってくれる人。俺を一番に考えてくれてた人………。
そんなの決まってるじゃないか。何で思い出せなかったんだろう。
悲しみの涙から、何か違う涙に変わった。
「フィーナ………」
思い出した。
この思い出は、二人で頑張ろうと誓った日だ。
親から暴力を振るわれていた俺の親友フィーナに、一緒に生きよう。と言った日だ。
そこから森に逃げてきたんだ。
竜だから簡単に殺せたのだろうが、フィーナはそうしなかった。
理由なんて明白だ。俺を悲しませたくないから。
最後までフィーナはこう言っていた。
家族と離れ離れで嫌じゃないの?
そう言っていた。
こんなに優しいフィーナを、苦しめてきたあいつらが許せない。
だからこれからもフィーナを守ろうと誓ったじゃないか。そう生きると決めたじゃないか。
俺が今ここで戦う理由を見つけられた。
「君を守るためだよ。フィーナ。今からそこに帰るから。」
俺は決死の覚悟で立ち上がった。
もう一回拳に力を入れた。俺を立ちなおさせてくれてありがとうケルベロス。
ここからまた、真剣勝負と行こうじゃないか。
「さあ、勝負だケルベロス!」
「グォォォォォォォォォォォォォォォォォォ――――――ッ」
その叫び声で煙幕が晴れた。
ケルベロスはさっきの場所から動いていなかった。
こいつは俺との真剣勝負を望んでいたんだ。
魔獣は魔の獣だが、自分の力に一切溺れない。それが、ケルベロスのカッコよさだろう。
最強と言われる由来だろう。
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