第9話 その4 闘技場大決戦

 春人のお宅訪問から三日後の夜七時。満天の星空と満月が輝く夜、ジョンとメアリーを裂け目から控室へと運び終えた春人は、出番を今か今かと心待ちにしていた。


「さあさあやってまいりました! やってまいっちゃいましたよこの時が! ジョン・トラボー! アーンドその従者メアリーVS全世界の頂点にして私のダーリン! ハルト・ユウキのマリーナ・ヴェラード嬢を賭けた戦いの幕が今!! 実況・解説は春人くんの女神、オメガでお送りしましましまーす!!」


 春人により一夜で作られた、現代日本でもそうそうお目にかかれないレベルの闘技場で、ノリノリのオメガがマイクパフォーマンスで会場を温める。

 会場は冷暖房完備で巨大モニターも複数あり。最初は戸惑っていた観客も、オメガの軽妙な喋りから徐々に難しいことは考えず楽しもうとし始めた。

 これも春人が考え、指示したことだ。


「ふっ中々堂に入ったエンターテイナーじゃないかオメガよ」


「アルファのテンションも微増中だよ」


「あの……これはいったいどんな……なんですかこの人が映る板は」


「気にするな。俺がいた場所の技術だ」


「ふむ、春人様の故郷は凄まじいですな」


 春人・アルファ・マリーナ・セバスがいるのは、闘技場に作られた来賓スペースだ。一般客より上に設置され、豪華なソファーとテーブルに上質な果物。水やジュース。春人の好みで玉座まである。

 ここで玉座に座っているのはマリーナではなく春人だ。誰もそのことに疑問を持たない辺り、一週間ですっかり春人に毒されている。


「わからないことがあったら、受け入れる魔法の呪文。春人様は凄い」


「そうね、ハルト様は凄い。それで全部気にしないのが一番ね」


「時には不条理に目をつぶることも処世術でございます。マリーナ様」


「ふむ、もう少し会場が温まってから出るとするか。しかしマリーナ。ここ数日で確実に腕を上げたな」


 テーブルにはマリーナの焼いたクッキーやスコーンなどが並べられている。

 あれからマリーナはお菓子作りにハマっていた。

 屋敷のものにおすそ分けすることもあり、評判も上がっている。


「マリーナのお菓子好き。アルファの心が癒やされる」


「最初に作ったクッキーもしっかり出来ていたしな。才能が有るのかもしれん」


「ありがとうございます。自分が作ったものが喜んでもらえるというのは……嬉しいですね。心が暖かくなります」


 ほのぼの団欒の下では、オメガがいつもの丈の短い和服にお気に入りのかんざし、自慢の黒髪をなびかせて、会場を所狭しと走り回る。


「さあさあさあああ!! 選手の入場だああぁぁあ!! 突然の求婚。通れば結婚。貴族の力が増してる昨今。意地を見せるぜ、いいとこ見せるぜマジックマスター、ジョン・トレブオオォォォー!! アアアアンドメエエェアルウゥリイイー!!」


 軽快な音楽に乗せたオメガの紹介でおっかなびっくり入ってくるジョンとメアリー。入るタイミングがわからないのだろう。それでもリング中央へと歩く。黒い金属の軽鎧とレイピアに近い細剣を使う遠近両方こなせる男。それがジョンである。


「なんですかオメガさんの……歌?」


「不思議な歌ですな」


「アルファはうるさい音楽は苦手です」


「オメガめ、ちと乗り過ぎだな。後で説教だ」


 優雅なティータイムに騒がしいオメガは合わないのである。


「謎の男が今夜降臨。お姫様から婚約公認。見せるぜ正体! 魅せるぜショウターイム! 私のダーリン勝ったらゴールイン!? 気分は複雑、扱い粗雑! それでも大好きハアアァァルト・ユウウウゥゥゥキイイイィィィ!!」


「あのアホめ…………行ってくる」


「がんばって春人様。アルファは面白い勝負を期待してる」


「無事をお祈りしております」


「行ってらっしゃいませ」


 仲間に見送られながら、春人は一筋の光となり天へ昇る。

 そして石造りのリングへと雷が落ちる。

 誰もが驚き、目を見開くその中で……光の中から現れるは勇希春人。

 電磁潮流のちょっとした応用である。


「さあ、始めようか。殺すつもりで全力を出せ。それが唯一のハッピーエンドへの道だ」


 大胆な登場に客席が湧く。大歓声の中、死闘の幕が開いた。


「では僕達から……炎の渦よ彼の者を焼き尽くすまで追い続けろ!!」


「ほう、面白い。避けてみるか」


 両腕から放たれる炎を消すこともできるがあえて躱す。瞬殺では意味が無い。

 せっかく来てくれた観客が冷めてしまう。今の春人はプロレスのようなドラマチックな勝負をどう作り出すかだけを考えている。


「無駄だ! 当たるまで追い続けるぞ!!」


「ふふっ、いいわジョン。そのまま引き付けて」


 縦横無尽に避け続ける春人を追尾する炎は勢いを増す。

 そこでふと周囲を見渡すと赤い線が張り巡らされている。


「おおーっとこれは! 糸だ! 魔力のこもった糸を出している!! ジョン選手の炎がメアリー選手の糸を伝って……炎の包囲網が完成だあああ!!」


 オメガの言う通り、燃え尽きない糸が春人を囲み、徐々に範囲を狭めていく。


「サービスだ、触れてやろう」


 炎の糸に軽く触れてあげる春人。ここにきて優しさを見せ始めた彼に大爆発が襲いかかる。


「おおっと、なぜか大爆発だああぁぁ!! 触れれば爆発する炎の糸! さあどうするハルト・ユウキ!! 糸は再生するぞ! 逃げ場がなああああい!!」


「ハルト様が! そんな……」


 春人の強さを知らないマリーナの顔が青白く染まってゆく。

 それを慰めるように寄り添い、アルファが優しく抱き締める。


「大丈夫だよ。春人様はね、春人様なんだよ。だから、あのくらいで傷つかない」


 真紅の炎と黒煙の中から悠然と姿を現す春人。

 当然の如く無傷である。パジャマも焦げ一つ存在しない。


「褒めてやろう。今の攻撃はいい発想だ。凡人ならまず初撃で死ぬ」


「ならなぜ貴様は無事なのよ!!」


 オメガからマイクを奪い、高らかに宣言する。


「知れたこと……この俺、勇希春人こそ全存在の頂点にして究極の形だからさ! さあ刮目するがいい! この俺の力をその目に焼き付けろ!」


 自身の体から渦巻く雷の中で宣言した春人は、会場の歓声を満足気な表情で聞き入っていた。


「今の今までちょっと狂った男だと思っていたけど……認識を改めるわ。イカレてる。間違いなく狂人よ」


「凡人には理解できんか。オメガ、引き続き解説を頼むぞ」


「私にお任せだよ春人くん!」


 オメガにマイクを投げ渡し、客に見える程度の速さでジョンに接近する。

 炎の渦を避けている間に、しっかり客が目視できる速度を調べていたため、大多数の人間に『凄く早く動いている』と認識させることに成功していた。


「さて、この距離で炎が出せるか?」


「炎にはこういう使い方もある!」


「ジョン選手、刃に炎を灯したああ!! 炎の剣が春人選手を襲う!!」


「ふむ、悪くない発想だ。だがまだぬるい。客の熱気に負けているぞ」


 ジョンが剣を振るう時には、炎がジェット噴射の要領で吹き出し剣を加速させる。

 炎に耐性のある鎧による合わせ技で成立している荒業だ。


「おおおっと、春人選手両手を前に出して何をする気なのか!!」


「これが……真剣白刃取り、というやつだ」


 あろうことか春人は炎の剣を両手で挟み、押しつぶす勢いで炎までも消してみせた。


「そんな、バカな!?」


「ふむ、そこそこ気分のいいものだな。失いかけた中二心がうずくぞ。ちょくちょくやらせてもらうとしよう」


「この男……なんなのよ!?」


「練習がしたい。さっさと剣に炎をつけろ」


 猛スピードで迫り来る剣を見切ることは難しくない。反射神経と動体視力があれば可能だ。

 日々腕を磨いているプロゲーマーであれば、それも格闘ゲームなどのプロであれば八割の人間が今の春人と同じように剣を見切るだろう。


「ジョン選手の猛攻と、ぴったり追尾するメアリー選手の火炎包囲網がまるで役に立たない! 変幻自在! 縦横無尽! 春人選手には通じない!!」


「さて、もう少し演出を加えるか」


「うおおおぉぉぉっほおおお!! なんと春人選手素手だ! 素手で炎渦巻く真っ赤な剣と鍔迫り合いを始めたああああ!! そ・し・て! 剣が! 今! 十数回の衝撃に負け! 真っ二つだあああ!!!」


「君は……本当に人間なのか!?」


「人間さ。人はここまで強くなれる。悪魔如きに手を借りた貴様にはわかるまい」


 膝をついたジョンに歩み寄り、手刀を向ける。ジョンは観念したように薄くふっと笑って両手を上げた。


「そうか。これが人の強さか。僕は自分の心の弱さに負け、心地良い悪魔の囁きに耳を傾けてしまった。この試合……僕の負けだ!!」


「何を言うのジョン! 私はまだやれるわ!!」


「なら君は続ければいい。実況さん。潔く負けを認めよう。ハルト君といったね。僕も……君のようになれるかな?」


「俺になる必要はない。お前はお前の道を極めればいい。そうすれば、その道はどんな障害にも誘惑にも負けない、お前だけの道になる」


 三十まで働かず、異世界に行くために下準備を続けていた春人の言葉は重みが違う。

 むしろ春人のようになってはいけないのだ。


「ありがとう。探してみるよ僕だけのまっすぐな道を」


「いいから……私のために動くのよ!!」


「うあ……あああああぁぁぁぁ!!」


 メアリーの糸がジョンの頭に集う。先日よりもさらにドス黒く濁った魔力が流れているのがはっきりわかる。


「ここだ。ここがお前の分かれ道だ。ジョン・トラボー。まっすぐに生きるんだろう? その意志は悪魔に負ける程度のものなのか?」


「僕は……僕は……うあ……ああぁぁ……怖い……怖いんだ。頭の中が……心が自分のものじゃなくなっていく……それが怖い……」


「怖いのは怖さから目を背けることか? 心を支配されることか?」


 観客も様子がおかしいと気付き始めている。さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返り、やがてざわざわと不安げな声が増えてゆく。オメガは春人に『こうなった時は何も言うな。俺に任せろ』とあらかじめ言われているため見守るのみだ。


「もう遅かったのか? 道はもう……どこにも……」


「速い遅いなんて無いさ。お前の道はお前だけのものと言っただろう。他人の道とは別物だ。比べても遅い速いなど存在しない。ゴールがそれぞれ違うからだ」


「そうか……これが僕のゴールか」


 頭だけではなく全身が黒い魔力に蝕まれている。このまま意識を失えば、完全にメアリーの傀儡と化すだろう。


「ゴールなど何度してもいい。お前の道のルールを決められるのはお前だけだ。そこから新たなスタートを切ればいい」


「こんなに怖くて険しい道だけど……いけるかな? 次のゴールまで」


「いけるさ。俺を見ろ。三十まで働きもせず、童貞のまま、好き放題自分の道を歩いているぞ」


「なんだか……いける気がしてきたぞおおおおぉぉぉぉ!!」


「なにいいいいいいいぃぃぃ!?」


 そう、ジョンは貴族である。ぱっとしない存在ではあるが、お金はあるし、領地もある。教養もあるし、人を思いやる心もある。春人に比べれば大分マシどころか上等だ。


「ありがとう。君のおかげで元気が出たよ! 新しい僕をスタートさせる!!」


 ジョンの目には希望の光が宿っていた。それはメアリーの洗脳からの卒業でもあった。


「ならばもう……こんな糸はいらないな」


 手刀で糸を切り捨て、ジョンの中に残る魔力も浄化する春人。なんのことはない。頭に手を当て、春人の力を少しだけ送り込めばいい。


「こんな……こんなことが!! 私の完璧な計画が!!」


「一つ良いことを教えてやろう、汚物よ。マリーナはお前の適合者ではない。そもそもそんなものは存在しない」


「なんですって!?」


「お前は人間の心に取り付いて生きる亡霊さ。魔王城に資料があった。自分の憧れている姿・境遇の人間を妬むあまりに、本当の自分と錯覚して、とり憑いては殺してしまう。つまりただのアホだな」


 決闘までの間、春とはただマリーナと料理をしたり、アルファと遊んだり、オメガをからかったり、食べ歩きをしたり、昼まで寝て、そこから二度寝したりしていたわけではない。しっかりと魔王城でメアリーについて調べていたのである。


「バカな……そんなことは……私は……私は……いらない。私の物にならないなら全部……全部いらない……うああぁぁぁぁ!!」


 金切声が闘技場に響き渡る。マリーナは巨大な怨念の塊となり、濁ったヘドロのようにドロドロとした黒い蠢くものへと変わる。


「それが本来の姿か」


「満月の夜……月は私に力をくれる!! 太陽のない今! 私に勝てると思うな!!」


「ならば教えてやろう。どれほど月が輝こうとも、太陽が消えたわけではないということを」


「死ねええええぇぇぇ!!」


 突っ込んで来るメアリーだったものを、春人は自分ごと裂け目の中へと入れる。


「なんだ……ここは? 私を何処へ連れてきた!!」


「ほう、やはり魔物……呼吸など必要ないか。いや、そもそも法則が違うのかもしれんな」


 上も下もない世界、星星が輝く暗い場所。そう、ここは宇宙。春人はメアリーを宇宙へと放り出したのである。


「帰せ! 私は私の身体を手に入れる!!」


「そう言うな。せっかく日光浴をプレゼントしてやろうというのに」


 メアリーを裂け目へと蹴り飛ばす春人。闘技場とは違い、視認できないスピードと威力を乗せた蹴りは、抵抗を許さずメアリーを運ぶ。


「なっこ、これは……これはまさか!!」


「陽の光に弱いのだろう? たっぷりと味わうがいい」


 蹴り飛ばした先には。天敵である太陽が待ち構えていた。

 裂け目を通して太陽の間近まで連れて来たのである。


「や、やめ……助け……ギャアアァァァァァ!!」


 灰すらも残さず消え、あとに残るは春人のみとなった。


「流石だな太陽。俺ほどではないが、中々輝いてくれるじゃあないか」


 満足気にアホ丸出しのセリフを吐きながら、アルファ達の元へと帰るのだった。

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