第7話 その2 婚約とお菓子作り
春人達はマリーナに詳しく事情を聞いた。
「結婚してって言ってくるのが、魔法使いの貴族さん」
「貴族は魔族に魂を売っていて」
「断ると夜な夜なやって来る悪魔と戦うハメになるってわけかい」
「その通りです」
未来予知によれば、その貴族は闇と共に生きる悪魔と契約した男である。
この男と結婚すれば、マリーナは男が契約した女悪魔に魂を消され、体を乗っ取られるというおまけ付き。
「それを公表しちゃえば解決しないのかい?」
「証拠が未来予知では……表向きは王宮にも縁のある魔法使いの家系ですし……」
「婚約すると生贄に、断れば悪魔と戦闘に……くだらん男だ」
「さっと行ってパッと倒してくればいいじゃないか。春人くんが苦戦するなんてありえないだろう?」
オメガがベッドに寝転びながら、呆れ顔で提案する。春人の強さを微塵も疑っていない。実際に神であるオメガをボコボコにしたのが春人である。その強さは体の隅々まで軽いトラウマとして刻み込まれていた。
「これはエメラルドからの頼み事だ。やるからには完全に俺好みの結末を迎えたい」
「春人様かっこいい」
「かっこいい……ですか今の?」
アルファの感覚についていけず、困惑の表情を浮かべるマリーナ。
彼女にとって春人は、パジャマを着ている偉そうな男というだけである。
褒め殺しとも思えるアルファの言動には若干引き気味だ。
「春人くんは何をやってもかっこいいさ。さて、それじゃあどうするんだい?」
「まず悪魔と契約している証拠が欲しい。不正でもしていればそれもだな。悪魔は消せばいい。マリーナ、婚約を申し込まれたのはいつだ?」
「今から三日後です」
「まだ結婚してーって言われてないの?」
「そうよアルファちゃん。まだ三日……三日しか、かしらね」
諦めにも似た悲しそうな顔でアルファの髪を優しく撫でるマリーナ。
「現状、お互いの関係は? 仲がいいのか?」
「いいえ、何度か社交会でお会いするくらいで、あちらも特に何の恋慕の情もないはずです」
「純粋に生贄が欲しいってわけかい。かーっ! 人間ってどうしてこうせせこましいかねえ」
「ふむ……面白いな。決めたぞ。俺というスターによって、最高の茶番にしてやろう」
面白そうなおもちゃを見つけた子供のような、楽しそうでいて含みのあるニヤリとした笑みを浮かべる春人。実に意地の悪い顔である。
「どうされるのですか?」
「俺と婚約するぞ、マリーナ」
「……はい?」
「春人様?」
「こっ婚約うううううぅぅぅぅ!!」
オメガの絶叫が屋敷中に響き渡ってから三日後。
街は春人と貴族がマリーナに結婚を申し込んだことで大騒ぎであった。
二人の発表はまるで示し合わせたかのように同時であったことが拍車をかけた。
「くくくっ俺という男は……やはり話題の、いや世界の中心となるべき男のようだな」
セバスの店で昼食を取りながら満足気にそう語る春人。心底愉快そうにアルファを撫でている。円形のテーブルを囲むように設置されたソファーで膝枕までしてあげるという上機嫌ぶりだ。
「まさかここまで話が大きくなるなんて……思いませんでした」
「ふむ、流石はエメラルド効果といったころか」
街中に広まった時、民衆から一様に疑問の声が上がる。ハルト・ユウキとは何者なのか? そんな名前の貴族も王族も聞いたことがない。どこの馬の骨ともしれぬ男と結婚など信憑性に欠ける。
そこで春人はエメラルドに事情を話し、エメラルド・アルト両人の恩人であり、以前から春人とマリーナはこっそり知り合いだったことにした。
「エメラルド様と本当にお知り合いだったなんて……驚きました」
「気にするな。それより料理は冷めないうちに残さず食え」
「はい。セバスさんの料理は私も大好きです」
「そ・れ・よ・り! なあぁ~んでアルファくんだけ膝枕なんだい? 私にもご褒美があってもいいじゃないか!」
「お前は何もしていないだろう。アルファは不安にさせてしまったからな。お詫びだ」
春人が作戦を説明するまで、アルファも信じていると言っても不安げだった。
そのお詫びである。オメガは単純にうるさかった。
「アルファは春人様を信じてました」
「ウソだ! 女神のくせにウソはいけないなあ! 人間の模範となるべきじゃあないかな?」
いちいちツッコミを入れるのも面倒なのか、気怠げに店内のショースペースを見る春人。昼時に合う陽気だが下品さのない演奏が客の心を掴んでいる。
春人の客引き作戦はうまくいき、こうして芸人も来てくれるようになった。
今では落ち着きたい人達の隠れ家的スポットである。
「女神、ですか?」
「ああ、私達は女神なんだよ。崇めて、奉り給え。ご利益あるかもしれないよ」
「へえ、凄いねアルファちゃん」
「うん。アルファはすごいのです」
「なんでアルファだけかな!?」
この数日で春人達のノリに馴染んできているマリーナ。アルファの癒やし効果と全体的なゆるい空気によって、緊張をほぐすという春人の秘密計画も順調だ。
「本当に人間というやつは……天罰が下っても知らないよ」
「オメガ、わかっているとは思うが」
「オーケーオーケーわかってるさ。理由もなく悪人でもない人間を襲ったりはしない。春人くんに嫌われたくないからね」
オメガにとって大切なのは春人のみである。
春人が言うことには素直に従うのであった。
「春人様。これからどうするの?」
「そうだな……証拠など裂け目を通って持ってくればいいからな。その貴族がどう動くか様子見だ」
「つまりヒマなんだね? じゃあ私とデートだ! 遊んで遊んで遊びまくるのさ!」
貴族が行動に移らないかぎりヒマである。
もう一度落語でも披露するかと考えていると、ふと名案が浮かぶ。
「マリーナ、この後もヒマだな?」
「はい、特に何も……」
「よし、やっておくか……花嫁修業」
言うが早いかセバスに厨房を借り、エプロン姿になる春人とマリーナ。
マリーナは髪を縛り、汚れてもいい町娘風の格好でエプロンを、春人はもちろんしましまパジャマにエプロンである。
「手は洗ったな? ではこの俺、勇希春人による料理教室を開始する」
「いいなー。春人くんと料理できるなんて……」
「マリーナ。がんばって。アルファは応援してる」
厨房を借りている礼として、アルファとオメガはセバスと一緒に店に出ている。この世界でもメイド服は集客能力抜群だ。
「あの……本当にその……私が料理を……?」
「ああ、未経験でも俺が立派に導いてやろう。リクエストはあるか?」
「初心者ですから、簡単なものでお願いします」
「ふむ……焼き菓子でいくか。お嬢様だしな」
女の子イコールお菓子という童貞ならではの安直な発想である。
いかに春人といえど童貞であることになんら変わりはないのだ。
「材料はどうされるのですか?」
「問題ない。ここの材料は上質だが……それ故にしっかりとマスターに使って欲しい。俺が出そう」
「……出す?」
「無職童貞流 妄想奥義――――
まばゆい光を湛えながら、台所にクッキーに必要な材料の全てが並べられた。
「まあ……これは魔法ですか?」
「ある意味な。特定条件下で三十を迎えた男にのみ使える魔法さ」
無有天化。それは無から有を生み出す、妄想を現実に上書きする奥義である。
ニートには様々な時間の使い方が存在する。ゲーム・マンガ・ネット。
そこで手に入れたものをさらに妄想する。妄想に取り憑かれ、気が狂ったものは現実と妄想の区別がつかなくなる。
だが春人は生半可な童貞ニートとは一線を画する圧倒的な存在。無職童貞の頂点である。ゆえに春人は狂人の領域の更に先へと進んだ。妄想を現実と同レベルにまで高め、現実にねじ込むことに成功したのだ。現実に追われ、妄想の世界に長く滞在することが出来ない常人には不可能な、まさにニートだからこそできる奥義である。
「この程度は本来三十を超えたニートなら出来て当然だが……まったく、この世界のニートはなにをやっているのだ……」
「ユウキさん?」
「春人でいい。すまないな。さっそく始めよう。ここに溶けたバターがある。これに砂糖と卵黄を入れる。無塩バター以外は砂糖の量を少し増やせ。これを泡立て機でかき混ぜるんだ」
「こうですか?」
本当にクッキー作りが始まる。料理などしたこともないマリーナにとっては新鮮で、言われた通りに慎重にかき混ぜ始めた。混ぜる量が春人・マリーナ・アルファ・オメガ・セバスの分を想定して春人が入れたため少し多めだが、これも春人の計算のうちである。
「足腰に力を入れろ。手首だけを使うと痛めるぞ」
「はっはい! よい……しょっと……あっ」
「力を入れ過ぎだ。器から飛んでいるぞ」
「気をつけますわね」
素直に春人の指導を受け入れ続けるマリーナ。そんなマリーナをそっと見守るセバス。自らが仕えるお嬢様が初めてのお菓子作り。いつもの微笑みを絶やさぬ顔の裏では、内心なにかやらかさないかとハラハラしているのである。
「よし、次に小麦粉とバニラエッセンスを入れる」
「ばにら?」
「……次からは何かしら香りつけをすると覚えておけばいい。焼き魚や夕食に使うもので代用しようとすると失敗するからやめておけ。あくまでお菓子に合いそうなものを選べ」
「はい! では混ぜていきますね」
さっきまでと違い、かき混ぜているうちに、液状からどんどん固まっていく。
「ん……しょっ……それっ……なかなか疲れますのね」
「菓子作りは、いや料理とは重労働だ。これとは比較にならんレベルの料理を日々、料理人は作り続けている」
「大変なお仕事ですね。なんだか……セバスがいつもよりもっと凄く感じますわ」
これには柱の陰で見守るセバスも号泣である。世間のことなど知らず、まだまだ少女である箱入りお嬢様の楽しそうな表情に、先代より仕えているセバスはまるで自分の娘のように成長を喜んでいる。
「大袈裟だねえ……そこまでのことかい?」
「アルファも作ってみたい」
「オメガ、無駄口叩いていないで仕事にもどれ。アルファは今度一緒に作るぞ」
「その時は私も一緒に作るからね、アルファちゃん」
「はーい。アルファのテンションが常軌を逸して上がるよ」
「私の扱いが日に日に酷くなっているよ春人くぅん」
昼のピークを過ぎているからか、人もまばらになり余裕の出てきたアルファ達が、チラチラと春人達を見ては談笑しようとする。それを止めつつマリーナも監督するという春人にとっては珍しい展開となった。
「次はこの棒で伸ばす。生地が下に張り付かないように、今回はラップを貸してやろう」
「透明な……なんとも不思議な手触りですね。これを敷くのですか?」
「上下にな。この記事がクッキーになる。紙のようにペラペラにはするな」
「はいっ頑張ります」
「いいぞ。型を用意した。好きなのを使え」
律儀に星形からハート型まで様々だ。
几帳面というか凝り性というかなんとも微妙な男である。
「ふふっ、ありがとうございます」
「型をとったら、余った分をもう一度まとめて伸ばす。終わったら焼くぞ」
「はーい!」
「よし、あとは焼きあがるまで目を離すな。マスター、アルファ。一緒に見ていて欲しい。初めてのクッキーを失敗させたくない」
「春人くんったらやーさしーい。その優しさはなぜ私に向けられないのかな……」
すっかり不貞腐れてしまったオメガ。それを意にも介さずクッキーの焼き上がりを待つマリーナとアルファ。それを見守るセバス。
「俺は少し貴族の偵察に行く。クッキーが出来上がる頃には戻ってくるさ。行くぞオメガ」
「行っていいのかい!?」
「少しはかまってやる。偵察だから静かにしていろよ」
「ああ! 全身全霊を持って静かにしようじゃないか!!」
「いってらっしゃい春人様」
こうして春人とオメガは貴族の弱みを握るため、裂け目へと消えるのだった。
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